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「一昨日おいで!」 怒声と共に放たれた衝撃波が、入り口の扉ごと依頼主を表に吹き飛ばす。 ああ、また宿の主人にどやされる。溜息をつきながら振り返ると、憤懣やる方ないと言わんばかりのリダが、とばっちりを食らって床に落ちた焼き菓子を恨めしそうに見つめていた。 「お茶の時間が台無しじゃない、まったくもう!!」 メルニアス王国の宿場町ベルクスに逗留して五日。腕利きの魔術士がやって来たという評判は瞬く間に広がって、嬉しいことにリダのもとには依頼が殺到している。ところが――。 「わたしは便利屋じゃないっての!」 飛び込んでくる依頼が「失せもの探し」「嫁さん募集」「金庫の修理」「疳の虫退治」「惚れ薬の調合」「呪いの依頼」と続いたせいでリダの機嫌はどんどん悪くなり、とどめの「あ、あの……ボクに恋人がいつ出来るか占って欲しいんだけど……」でとうとう噴火した。 ちなみに、先ほど見当違いの依頼を持ちかけて吹き飛ばされたのは町長の息子である。表では何やら大騒ぎになっているが、勿論リダは知らん顔を決め込んでいる。 「仕方ないよ、前にこの町に住んでたっていう魔術士がそういう依頼ばっかり受けてたんだから」 その「自称・凄腕の魔法使い」の老婆は、持病の腰痛が悪化して故郷に引っ込んでしまったという。おかげで、たまたまやってきたリダにお鉢が回ってきたというわけだ。 「魔術士っていうだけで迫害されるところだってあるんだからさ、歓迎してくれてるだけマシじゃない」 そう宥めてはみたものの、そんな言葉で彼女の怒りが収まるわけもなく、リダは行儀悪く机に頬杖などついて、ぷんぷんと頭から湯気を出している。 「どうせ三流の魔術士かなんかが小金稼ぎにやってたんだろうけど、そんなの魔法使わなくったって出来るじゃないのさ!」 ――ちなみに、失せもの探しと金庫の修理に関しては、額に青筋を浮かべつつもその場でこなしたリダである。彼女にとってはどちらも造作ないことだったが、魔術に馴染みのない人々は大げさなまでに驚き、そして彼女を褒め称えた。それがまた評判を呼んで、とんでもない依頼ばかり舞い込んでくることになったものだから、彼女の機嫌は日に日に悪くなる一方だ。 「あーもう、腹立たしい! あれが仕上がったら、こんなところさっさと出て行くのに」 二人がこんな鄙びた宿場町に長く留まっているのには勿論理由がある。町の鍛冶屋に短剣を研ぎに出しているからだ。 「リダのやつ、かなり特殊だって言ってたもんね」 彼女の短剣は魔法薬作成時に使用する特製のものだ。短剣というより食事用の小刀に近く、柄にも刃にも不思議な文様が刻み込まれている。対して、ついでに研いでもらうことにしたギルの短剣は飾り気のない実用一点張りの代物で、護身用と称して持ち歩いてはいるが抜いたことは一度もない。 「これだから魔術に馴染みのない国は……」 ぶつくさ文句を言いながら、すっくと席を立つ。そして客室へ続く階段をずんずん登り出したリダは、慌てて追いかけようとするギルを杖で制し、きっぱりと言い放った。 「部屋で寝てるわ。誰が来ても起こすんじゃないよ!」 「分かったけど、夕飯は?」 「食べるに決まってるでしょうが! ちゃんと呼びに来なさいよっ」 いかにも彼女らしい発言に苦笑を浮かべ、にんまりと笑ってこう言ってやる。 「今日の夕飯は鱒の姿蒸しだよ!」 途端に頭上から響く呻き声。なにやらぼやきながら二階の部屋へ引っ込むリダを見送りながら、ギルはこみ上げて来る笑いを必死に噛み殺した。 と、まるで計ったかのように厨房の扉が開いて、宿の主人が顔を覗かせた。見事に吹き飛んだ扉を恨めしそうに見つめながら、半ば諦めたような風情でギルを窺う。 「坊や、先生の機嫌はまだ直らんかねえ」 「当分無理だと思いますよ。あんな依頼ばっかりじゃね」 一緒に旅をして三月。リダの人となりについては多少なりとも理解しているつもりだ。やり甲斐のない仕事は請けない。例え大金を積まれようが、自分の力量に見合わないと感じたら絶対に断るのが彼女のやり方だ。 「しかし、坊やも凄いねえ、あんな先生と一緒に旅をしてるなんて……色々大変じゃないかい?」 労わるような主人の言葉に、しかしギルはいいえ、と首を振った。 「慣れると結構、面白いですよ」 最初は本当に、こんな人と旅をして大丈夫なのかと思ったものだった。 魔法勝負を挑んでくる相手を返り討ちにするのは日常茶飯事だったし、ふらりと入った酒場で飲み比べをして、酒場の主人が泣いて懇願するまで飲み続けるなんてこともしょっちゅうだった。 筋肉隆々の男に腕相撲を挑んで、瞬きする間もなく捻じ伏せてしまった時はさすがに目を疑ったが、「魔法を使った」と言いがかりをつけて殴りかかってきた男を杖一本で叩きのめした時は、魔術士をやめても十分食っていけるんじゃ、と本気で思ったりもした。 そんなこんなで、一緒に旅をするようになって一月も経った頃には、敵がけしかけて来た野狼の群れを森ごと吹っ飛ばそうが、気に食わないからと依頼主を拳骨一発で伸そうが、面倒だと言って山賊の隠れ家を山もろとも砕こうが驚かなくなった。三月経った今では、ほとんど『悟りの境地』にまで達している。 「なるほど、先生のお弟子さんともなると達観してるもんだねえ」 弟子ではなくて同行者なのだが、訂正するのも面倒なので曖昧な笑いを浮かべてその場を誤魔化し、ギルはそうだ、と主人に笑顔を向けた。 「夕飯の姿蒸し、俺達の分は頭を取ってもらえないでしょうか」 へ? と間抜けな声を上げる主人。 「魚の頭をかい? 別に構わないけど、なんでまた……」 にこにこと笑うだけのギルに、主人はそれ以上追及をしようとはしなかった。何か魔術的な意味合いがあるのかと思ったのかもしれない。 「それじゃ、夕飯が出来たら呼ぶからね」 厨房に戻っていく主人に手を振って、ギルはくるり、と窓の方を向いた。途端に、押さえ切れなくなった笑い声が喉の奥から漏れ出てくる。 出来ないことなんてないと豪語するリダ。そんな彼女が言葉通りの完全無欠人間だったら、きっとここまで一緒に旅を続けることなんて出来なかっただろう。 確かにリダは強い。 でも、それだけじゃない。 朝にめっぽう弱いし、子猫を見ると目の色を変えて追いかけていき、引っかかれては「嫌われた」としょげ返る。 そうかと思えば手乗りの文鳥に怯え、こっちを睨んでると言って「アレ」を嫌がる。 無敵だと思っていたリダの、意外な弱点。言い換えればそれは、彼女の「人間臭さ」。 「……だから、頭は取るんだとよ。なんだか知らんが、あの先生がそうお望みなんだから仕方ないだろう?」 「ふぅん、魔術士ってのは変なところにこだわるもんだねえ」 「そりゃそうだろ、普通のお人じゃないんだからよ」 厨房から聞こえてくるやり取りにくすくすと笑いながら、近くの飾り棚に目を向ける。 飾られているのは、陶器で出来た魚の置物。ぎょろりとした目玉が、文句でもあるかといわんばかりに少年を見下ろしている。 (天下無敵の魔術士リダ様が、魚の目が苦手なんて、ねえ!) 皿の上の魚に見つめられて身を竦ませている彼女の姿など、とてもではないが彼らには見せられない。 (かわいいとこ、あるんだもんなあ) 勿論、そんなことを本人の前で言ったらこっぴどく怒られるだろうから、これはギルだけの、小さな秘密。 「はいよ、研ぎ賃は二本で金貨三枚」 「ちょっと高いんじゃないの? ……まあいいわ、はい」 金貨三枚と引き換えに短剣を受け取り、研ぎ具合を確かめる。高い金を取るだけあって、二本の短剣は新品同様の輝きを取り戻していた。 「あー、お客さん。そっちの短剣の方ね」 どこか渋い顔をした鍛冶屋に、え? と首を傾げる。鍛冶屋が指差したのはギルの短剣だった。何でも父の形見だという、質素な拵えの短剣だ。 「これがどうかした?」 「いやね。その短剣、あの坊やのものだって言ってなさったが……」 窓の向こう、店の看板横でぼんやりと大通りを見つめているギルをちらりと窺い、鍛冶屋はすっと声を潜める。 「そいつは大分、人の血を吸ってる。とてもあんな坊やの持つもんじゃねえ。それにほら、この柄の部分。細工がしてあってね」 ちょいと貸して下せえ、とリダの手から短剣を受け取り、柄頭を探る。ぐいと力を込めて滑らせると、そこに小さな空洞が現れた。 「なにこれ……」 思わず眉根を寄せるリダに、鍛冶屋はゆっくりと首を振る。 「ワシも長いこと鍛冶屋をやってるが、こんなのは見たことがねえ。何が入ってたかは分からねえが……ちょっと気になってね」 「そう、だね」 鍛冶屋から短剣を受け取りながら、リダはそっと窓の外を振り返った。そこから見える少年の横顔は、光線の加減だろうか、どこか翳ってみえる。 「覚えておくわ」 そうとだけ答えて、リダは二本の短剣を手に踵を返した。 「遅いよリダ!」 扉をくぐると、待ち構えたようにギルの声が飛んでくる。長い間待たされてふてくされてはいるが、さっき垣間見た翳りは欠片も見当たらない。 気のせいか、と呟いて、リダは短剣を差し出した。 「ほら、あんたのだよ」 「あ、ありがとう。わあ、まるで新品みたいだ」 嬉しそうにはしゃぐギルの背中をばしっと叩いて、すたすたと歩き出す。 「ほら、ぼやぼやしてると置いてくよ! 今日中に次の街へ着かないと、また野宿だからね!」 「うわあ、待ってよリダ!!」 大慌てで荷物を担ぎ直し、リダの後を追いかける。と、その声を聞きつけてか、通りの向こうから大音声が響き渡った。 「金の魔術士リファ!! とうとう見つけたぞ! いざ尋常に勝負!!」 鋭く舌打ちをして、振り返ることもせずに宿場町を駆け抜けるリダ。 「ったくもう! わたしはリファじゃないっての! いーかげんにしてよねうっとうしい!」 「わー、待ってよリダってばー!!」 「こら待て、リファー!!」 待てと言われて待つヤツはいない。まして、しょっちゅうこんな事態に直面している二人の足は日々鍛えられている。 こうして、凄腕の魔術士とその弟子は慌しく街を去り、宿場町の人々はその光景を後世まで語り継いだと言う。 曰く、金の魔術士リファは逃げ足が速かった、と――。 「だから違うって言ってんでしょー!!」 終☆
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