[BACK] [HOME] [36 etude・TOP]

風邪

〜猫と吹雪と卵酒〜
《gilders》☆☆☆
36 etude」 05:「風邪」


 うみたて卵を二つ分
 さらさら砂糖は小さじに三杯
 かき混ぜ泡立て ラム酒と混ぜて
 あったか牛乳注いだら
 ナツメグ散らして できあがり

 体が熱い。頭が痛い。
 節々も痛むし、喉もガラガラだ。
 典型的な風邪の症状だと冷静に判断する一方で、まずいことをしたもんだと珍しく反省などしてみる。
(さすがに氷漬けはきつかったわ……)
 真夏に氷漬け。字面だけ見ればいかにも涼しげだが、実際に体験してみると涼しいどころではない。季節柄薄着だったことも災いして、十年来ひいていなかった風邪をひき込む羽目になった。
(それもこれもあのへっぽこ魔術士がっ……!!)

 昨日の昼過ぎ、真夏の太陽が容赦なく降り注ぐ町の一角でそれは起こった。
「だから、わたしはリダだって言ってるでしょう!!」
「何をとぼけたことを! 見苦しいにも程があるぞ!」
 道端で突如つっかかってきた魔術士の台詞に、深々と溜め息をつくギル。
 リダと旅するようになって四ヶ月、その間に彼女を《金の魔術士》リファと間違えて挑んできた輩は、この男でちょうど三十人目だ。
 自分も勘違いした身なので人のことは言えないのだが、ここ一月ばかり三日とあけずにこの調子なもので、さすがに嫌気が差してきた。そのおかげでリダもここしばらく気が立っており、迂闊なことを言おうものなら容赦なく拳が飛んでくる。
(とばっちりを食うの俺なんだからさあ。ホント勘弁して欲しいよ)
 恨みがましい眼で目の前の男を睨みつけるギルだったが、少年の苦悩など知る由もない魔術士は、勝ち誇ったように言い放つ。
「その金の髪、その青い瞳! 何よりその化け物じみた魔力! お主があの不老不死人だということは一目瞭然ではないかっ! さあ尋常に勝――!!」
「ほぉぉ……」
 地の底から響くような呟きに、周囲の温度がぐっと下がったような気がした。
「言うに事欠いて『化け物』だって!? あんた覚悟は出来てるんでしょうねえ!! 『我が呼び声に答えよ! 汝は終焉の使者――』」
「リダッ! ここ街中だからっ!」
 必死に止めようとするギルの声を無視し、ぐんぐん魔力を練り上げていくリダ。幸い、突如として始まった言い争いに、人々は不穏な空気を察してか、そそくさと逃げ出してしまっていた。それをいいことに、リダは手加減する気など全くない様子で、今までになく長い呪文を紡いでいる。
「やる気だな!! いいだろう! 『紅蓮の腕、灼熱の炎、我が真なる名において……』」
「ああもうっ! どうなっても知らないから!!」
 珍しくもやる気満々のリダと、それを嬉々として迎え撃とうと杖を構える魔術士の男。まさに最悪の構図である。
「勘弁してよー!!」
 巻き込まれてはたまらない、と逃げ出しかけた、次の瞬間。
 しゅたたっ、と目の前を横切る、黒い影。
「ねこっ!?」
 どうしてこんなところに、と思う間もなく、戦場に躍り出た黒い猫は、どういうわけか呪文詠唱中のリダの足にうにゃーん、と頭を摺り寄せ――。
『凍てつく大地の抱擁ぬをぉっっ!?』
 奇声を上げてつんのめるリダ。その手からこぼれ落ちた杖が、乾いた音を立てて石畳に転がる。しかし、その先端に据えられた宝石は光を失っていない。
「やばっ!!」
 リダの声が響いた、と思った瞬間。

 パァァァァァ……ンッ!!!

 乾いた音と共に、街を埋め尽くす閃光。

 そして、ようやく視力が戻ってきたギルの目に飛び込んできたものは、季節外れの吹雪に覆われた町と、雪まみれになって立ち尽くす魔術士二人。そして、そこだけ雪のない石畳に転がった杖と、それを前足でつつく黒猫の姿だった。

(あの魔術士、使い魔なんか使って……!)
 あの後、すぐに魔術で雪を溶かしたものの、まとわりつくような寒気はいつまで経っても消えず、気づいた時には熱が上がっていた。
「夏に雪なんか出すからだよ」
 と呆れ顔のギルを小突く気力すらなく、怒り心頭の町の人々から逃げるように街道をひた進み、隣町の宿屋に転がり込んで一昼夜。
 寝ているのか起きているのか、自分でも分からないほど浅い夢の中で、なんだか色々なことを考えていた、ような気がする。
 研究中の魔法薬のこと。魔法勝負を台無しにした猫のこと。旅のこと。リファのこと。ギルとの出会いと、これまでの旅路。
(そういや……ギルはどうしたんだろ……)
 重い瞼を押し開けて、ゆっくりと辺りを窺う。
 まだ夜のうちなのだろう。開け放たれた窓の外には青白い月。そして、薄闇に支配された部屋の片隅から聞こえてくる、どこか楽しげな歌声――。

 うみたて卵を二つ分
 さらさら砂糖は小さじに三杯
 かき混ぜ泡立て ラム酒と混ぜて
 あったか牛乳注いだら
 ナツメグ散らして できあがり

 漂ってくるほのかなラム酒の香りに、にわかに元気づいて体を起こす。その僅かな物音に気づいたのか、歌声が止んで、代わりに気遣わしげな声が飛んできた。
「ごめん。起こしちゃった?」
 小鍋を片手にやってきたこげ茶色の髪の少年は、躊躇いがちに手を伸ばし、リダの額にぴたりと触れて、その熱さに顔をしかめてみせた。
「まだ下がらないね。魔法で何とかできないなんて、不便だね」
「だからいつも言ってるだろ、魔法は万能じゃないってね」
 喋ってみて、思いのほか掠れた声に自分でも驚く。おまけに冷えた夜風を吸い込んだせいか、いやな咳まで出始めた。
(ったく、こんな時に限って薬を切らしてるなんてねえ)
 げほごほと盛大に咳き込んでいるところに、にゅっと突き出された湯呑み。
「はい」
「……なに、これ」
 湯飲みの中で湯気を立てているのは、とろりとした乳白色の液体だった。どこかほっとする甘い香りの中からほのかに立ち上がるラム酒の芳香に、思わず頬が緩む。
「卵酒。昔、風邪をひいた時に父さんが作ってくれたんだ。温まるよ」
 ふぅん、と呟いて、ゆっくりと湯呑みを傾ける。
 口の中に広がるふんわりとした甘み。ついで体にじんわりと広がる暖かさ。
「おいしい」
 思わず口をついて出た言葉に、ギルの顔がぱぁ、とほころんだ。
「でしょ? 風邪をひくと、これが楽しみだったんだ。子供に酒は良くないからって、そんなにしょっちゅうは作ってくれなかったけどね」
 台所から漂ってくる独特な香りと、鍋をかき混ぜながら口ずさんでいた歌。普段は無口で、およそ歌など歌わない人だったが、これは母さんが教えてくれた歌だからと、そう言って照れたように笑っていた。
「頑張って作ってみたけど、やっぱり味が違うんだ。父さんが作ってくれたのは、もっと美味しかったんだけどな」
 寂しさが滲む横顔に、なんと相槌を打つべきか迷って、結局口をつぐむ。
(そういや……こいつから父親の話を聞くの、初めてかも)
 半年近く旅をしてきて、敵討ちの理由どころか家族のことさえも聞かなかったのは、単に面倒だったからというよりは、気持ちの整理がついて、彼の方から話してくれるのを待っていたからだった。
 父の仇を討つんだ、と息巻いていた少年。初めて出会った時の張り詰めた表情を、昨日のことのように覚えている。
 復讐心に燃える、というよりは、泣き出したいのを必死に堪えているような顔に、あの時はさしたる疑問も抱かずにどついてしまったが、あれ以降そのその件に関してぴたりと口を閉ざしてしまった彼に、どう水を向ければいいのか、ずっと図りかねていた。
(……いい機会かもしれないね)
 少年がいそいそとお代わりを注いでくれるのを待って、そっと口を開く。
「あんたの父さんって、何してたの」
 躊躇いがちな問いかけに、少年は思いのほかあっさりと答えてくれた。
「行商人。辺境の町や村を回って商いをしてたんだ」
 今でもよく夢に見る。母さんと二人、いってらっしゃいと送り出したその背中を。母さんが流行り病でこの世を去ってからは、二人で荷馬車を引いて、あちこちを回った。旅暮らしは楽しいばかりじゃなかったけど、父さんと一緒だったから辛くはなかった。
 あの日が来るまでは。
「……あの日は、久々に故郷の村へ戻ってきた日でさ。友達と遊んでたら遅くなっちゃって、大慌てで家に帰ったら――」
 扉を開けてすぐに目に飛び込んできたのは、見慣れた父の背中。
 遅くなってごめん、と言いかけて、目の前でゆっくりと倒れていくその身体に、言葉を失った。
 どさり、と重苦しい音がして、床に崩れ落ちた父。その伸ばした手の向こうに、金色の髪が揺れていた。
 呆然と立ち尽くす少年の傍らを静かに横切り、無言で立ち去る金髪の魔術士。
 引き止めることも、声をかけることすら、彼には出来なかった。
 その後姿を、揺れる金の髪を、ただ見つめることしか、出来なかったのだ。
「でも、それが本物のリファかどうかなんて……」
「本物だよ」
 強い口調に、思わず目を瞬かせる。
「――本人が、そう言ったんだ」
 去り際、ただ一言だけ告げられた言葉。囁くようなそれは、顔すらも窺えなかった魔術士の、ただひとつの手掛かり。
 もっとも、それがどういう意味を持つ名前なのか、その時は全く知らなかった。その名だけを頼りに足取りを追ううち、次第にその正体が分かってきて、それはもう愕然としたものだ。
「今時、リファの名前を騙る人間なんてそういないでしょ。リダと今日まで旅してきて、その危険性は身に染みて分かってるつもりだよ」
「……確かに」
 別人だと言っているのにこの有様だ。本人です、などと触れ回っていたら本当に身が持たない。
(まあ、それがよしんばアイツじゃないとしても……)
 ただの行商人が、理由もなく魔術士に倒されるわけもない。ギルの話を疑うわけではないが、少なくとも「人違いでした」などという単純な話ではなさそうだ。
(頭の痛い話だね……って、本当に痛くなってきた……)
 色々考えているうちに、再び熱が上がってきたようだ。
 今はとにかく、風邪を何とかしよう。何もかも、それからだ。
「大丈夫? また熱上がってきたんじゃない?」
 寝てなきゃ駄目だよ、と湯飲みを取り上げられて、追加の毛布まで渡される。まるで子供扱いだが、今は文句を言うのはやめておこう。
 ミノムシのように毛布に包まり、横になろうとして、ふとあることに気づく。
「……ギル。このラム酒、どこから出したの……?」
「リダの荷物からに決まってるじゃん」
「なんだって――――!!!!」
 思わず跳ね起き、荷物を探る。着替えや魔法薬の材料、護符や地図、そしてそれらの一番下に大切にしまいこんでおいた八年物の――。
「とっておきのラム酒が――――!!!! 楽しみにしてたのにー!!!」

 あまりの衝撃に、風邪どころか部屋までも吹っ飛んだのは、言うまでもない。

「だって、知らなかったんだもん……」
 魔力の暴走で部屋と一緒に吹き飛ばされ、さめざめと泣き濡れる少年の傍らで、半分ほどに減った瓶の中身を見つめて悲嘆に暮れる女魔術士の姿があったとか、なかったとか……。



[BACK] [HOME] [36 etude・TOP]

Copyright(C) 2007 seeds. All Rights Reserved.