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家 族

伝説の卵神官シリーズ「未来の卵☆☆☆
36 etude」 15:「こども」


 その日、彼がそこを通りかかったのは、本当に偶然だった。
 神官衣の裾がほころびてしまって、それを繕うための針と糸を借りに、南門近くに暮らすタマラ婆さんを尋ねるところだったのだ。
 だから南門のすぐそば、すっかり葉を落とした白樺の根元で丸まっている少年の姿を見つけたのも、偶然の賜物に他ならなかった。
 発見した次の瞬間、思わず息を確かめてしまったのは、これはもう職業病というやつだろう。
「寝てるだけか、なんだ脅かすなよ」
 安らかな寝息に安堵しつつ、それにしてもと眉根を寄せる。いくら昼下がりとはいえ、季節はすでに秋。こんなところで寝ていたら、風邪を引くこと間違いない。
「ロイ、ロイ!」
 そっと小さな体を揺すってやると、少年は気だるげにうーんと唸り、そしてようやく目をあけた。
「あれえ……」
 腫れぼったい目をごしごしとこすり、辺りを見回す。そこでようやく目の前にしゃがみ込んだ人間の存在に気づいて、ロイと呼ばれた少年はバチバチと目を瞬かせた。
「ラウルさん?」
「こんなところで寝ていたら、風邪を引きますよ。昼寝ならうちに帰ってやりなさい」
「はぁい……」
 寝ぼけ眼で頷いて、はっと顔を上げるロイ。
「かえれないんだ。ぼく、お母さんとけんかしたから」
「おや、まあ」
 思わず苦笑いを浮かべ、少年の顔を覗き込む。やんちゃ盛りで慌て者の三男坊は、しょっちゅう何かやらかしてはレオーナから小言を食らっているのだが、ここまでしょぼくれているのは珍しい。
「一体また、どうして?」
 優しく問われ、ロイは堰を切ったように喋り出した。
「あのねあのね、僕がね、メイアのお守りをしててね、そいでね、隣のイリヤが約束だって言って……」
 取り留めのない話を辛抱強く聞き取って、状況を把握する。
 つまるところ、こうだ。母から妹のお守りを頼まれていたロイ少年は、遊ぶ約束をしていた友人に誘われて、つい幼い妹を二階の子供部屋に置き去りにして遊びに行ってしまった。
 半刻ほど経ったところではた、と母の言いつけを思い出し、慌てて家に帰ったところ、そこには大泣きのメイアを抱えた、鬼のような形相の母親が待ち構えていた――。
「……あのね、ぼくだって、メイアに悪いことしたって、思ってるんだよ? でも、男の約束を破るわけにはいかなかったんだもん、仕方ないじゃない」
 いっぱしの口を利く少年に、くすりと笑いをこぼす。
 そしてラウルは、頬を膨らませるロイに、こう言ってやった。
「なるほど。確かに男と男の約束だ、破るわけには行きませんね」
「そうでしょう!」
 ぱあ、と顔を輝かせる少年に、でも、と釘を刺す。
「お母さんとの約束だって、同じくらい大切なものじゃありませんか?」
「……うん、でも」
「レオーナさんは、小さいメイアを預けても心配ないと思ったから、あなたにお守りを頼んだんですよ」
「うん……分かってるんだけどさぁ」
 葛藤する少年の胸の内が手に取るように分かってしまい、気づかれないように微笑をかみ殺す。
 そして、すっくと立ち上がったラウルは、彼方を見つめ、少し照れくさそうに呟いた。
「怒ってくれる人がいるというのは、とても幸せなことですよ」
「なんで? 怒られて嬉しいわけないよ」
 首を傾げるロイに、少しだけ考えて、こう付け加える。
「怒ってくれるということは、関心を持っているということです。興味のない人間に、人は感情を揺らしたりしない」
「んー……よく分かんないや」
 頬を掻く少年。ちょっと難しかったか、と口の中で呟き、ラウルは簡単な言葉で言い直した。
「要するに、嫌いな人間をわざわざ怒ったりはしないってこと」
「ふーん……」
 まだ納得が行かないようで、ロイはしきりと首を傾げながら、こう問いかける。
「じゃあさ、母さんはボクのことが好きだから、いっぱい怒るの?」
「きっとね」
 そっかあ、と嬉しそうな顔になって、ふとロイはラウルの顔を見上げた。
「ラウルさんも、お母さんにいっぱい怒られた?」
 いや、と呟いて、黒髪の神官は静かに微笑む。
「私には母親がいないから」
 あまりにも何気なく言われたから、ロイはそっかあ、と頷いてしまって、それから目をまんまるに見開いた。
「ラウルさん、お母さんいないの?」
「え、ええ……」
 しまった、口が滑った、と口ごもるラウルに、ロイは困った顔をして、すぐに焦った表情になり、最後に悲しそうな様子になった。
 その様子に苦笑いを浮かべ、気にすることはない、と言いかけて、
「そうだ!」
 すっくと立ち上がった少年に、思わず目を丸くする。
「ロ、ロイ?」
「いいこと思いついた!」
 そう言うが早いか、ロイはラウルの手をむんずと掴むと、広場の方へと走り出した。
「来て!!」
「え、あの、だから一体……!?」
「いーからっ!」

 ばんっ、とけたたましい音を立てて、両開きの扉が開く。
 ちょうど店内の掃除をしていたレオーナは、どこの乱暴者の仕業かと顔を上げて、途端に目を吊り上げた。
「ロイ、あんたって子は――」
 またぞろ小言を紡ぎ出そうとした母親を遮って、少年は朗らかに、高らかに、こう言い放った。

「母さん、ラウルさんのお母さんになって!」

「はぁ?」
 異口同音の叫びが前後から上がる。そこでようやくレオーナは、ロイが連れてきたらしい人物の存在に気づいた。どこから引っ張ってきたのか、すっかり息が上がっている彼は、唖然とした顔でその場に立ち尽くしている。
「ロイ……。あんた、いきなり何言ってんの」
 疲れた声で問いかけるレオーナに、ロイは嬉々として、極めて端的に事の次第を説明した。
「あのねあのね、ラウルさんね、お母さんいないんだって。だからね母さん、ラウルさんのお母さんになって。兄弟多いんだから、一人増えてもいいでしょ?」
「あのいやだからその――」
 そこでようやく正気づいたラウルがわたわたと間に入ろうとするが、まだ動転しているらしく適切な言葉が出てこない。
 慌てふためく彼をよそに、ロイはうきうきと、とんでもない「家族計画」を口にする。
「ほら、ジーク兄ちゃんだってずっと「兄さんが欲しい」って言ってたし、トルテ姉ちゃんだってラウルさん大好きだから、きっと喜ぶよ! アルナも懐いてるし、ぼくだって嬉しい――」
「あのねぇ」
 ふう、と胸の底から息を吐き出して、レオーナは我が子の肩に手を置いた。そして、やんわりと問いかける。
「あんた一人はしゃいでるけど、肝心のラウルさんの気持ちは確かめたの?」
 ぱっと振り返る。そこに、何とも言えない表情で佇む神官の姿を見つけて、ロイは途端にしゅん、となった。
「ラウルさん、うちの子になるの、いや?」
 ええとその、と呟いて、レオーナをちらりと窺い、そしてラウルは訥々と語り出す。
「確かに、私は母を知りません。顔も、声も、何もかも。でも……でもね。私には、父がいます。血こそ繋がっていないけど、私を育ててくれた、ずっと見守ってくれた父が。だから――大丈夫」
 何が「大丈夫」なのか、言っている本人もよく分からなかった。それでも、その言葉こそが相応しいと、そう思った。
 紡ぎ出された言葉を噛み締めて、ロイはうん、と頷く。
「そうだよね。大丈夫だよね!」
 母親の腕の中で、にっこりと笑う少年。そこに頭上から賑やかな声が響き、彼の兄弟達がわらわらと集まってくる。
「お母さん、メイアがおしっこしたかもー」
「あー、ロイ、お前どこ行ってたんだよ!」
「ラウルさん、いらっしゃい!」
「母さん、俺の帽子どこにしまった?」
 まるで示し合わせたように、一斉に喋り出す子供達。そんな彼らの言葉をきちんと聞き分けつつ、末っ子のおしめを確認し、娘の髪を直してやって、走り出そうとする子供の襟首をはしっと掴んで引き止める。これらを一遍にこなすレオーナに、思わず尊敬の眼差しを送るラウル。
「ほら、おやつ食べてらっしゃい!」
 ぽんぽんと背中を叩かれて、父の待つ厨房へと向かう六人。彼らが扉の向こうに引っ込んでしまうと、店内は先ほどまでの煩さが嘘のようにしん、と静まり返る。
 そうして、落ち着いて話が出来る環境を整えたところで、レオーナはラウルに椅子を勧めると、自らも椅子に腰掛けた。
「ごめんなさいね。うちの子が馬鹿なこと言って」
「いえ、こちらこそ、余計なことを口走ってしまって、ロイにいらぬ心配をかけたようで……」
 申し訳ない、と頭を掻く神官を優しく見つめて、レオーナはくすくす、と楽しげな笑みをこぼす。
「それにしても、子供の発想って面白いわよね。あたしがラウルさんのお母さんになるだなんて、思いつきもしなかったわよ」
 レオーナとラウルの年齢差は八歳。兄弟というならまだしも、息子と呼ぶにはいささか無理がありすぎる。
 はは、と乾いた笑いを響かせて、困ったように頬を掻くラウル。それを見て、レオーナはにんまりと笑ってみせた。
「でもまあ、こんなかっこよくて礼儀正しい息子なら、もってもいいかもね。ねえ、あなた?」
 え、と呟いて、視線を辿る。そこには、厨房の入り口にもたれかかるようにしてこちらを窺う男の姿があった。
 レオーナの言葉にむむむと眉を寄せてみせる、むくつけき大男。熊と見まごう髭面にかわいらしい刺繍入りの前掛けという異様な組み合わせは、もはや視覚の暴力と言っても過言ではない。
 そんな彼、滅多に人前に姿を現すことのない『見果てぬ希望亭』の料理人に愛想笑いを向けつつ、ラウルは心の中で冷や汗を拭った。
(あはは……勘弁してくれ)
 レオーナが母親はともかく、この巨漢の料理人が父親というのは、さすがに遠慮したいところだ。
 気まずい空気が流れる中、レオーナは一人、きゃっきゃとはしゃいでいる。
「そうだ、今日一日だけ、うちの子になってみるっていうのはどうかしら? 子供達も喜ぶし、いい考えだと思わない?」
「……」
「ええと、その……」
 返答に詰まるラウルに、レオーナの夫にして子供達の父親であるエドガーは、丸太のような腕をがっしりと組んで、唸るようにのたまった。

「……おやつの時間だぞ、坊主」

 それは、彼なりの冗談だったのだろう。
 しかし思いもよらぬ言葉にラウルはその場で凍りつき、レオーナは目をまん丸に見開いて愛しい亭主をまじまじと見つめ、そして父親の影からこっそり聞き耳を立てていたらしい子供達は揃って歓声を上げ、ラウルの元に集まってくる。
「わーい、お兄ちゃんだ、お兄ちゃん!」
「父さんのおやつ、おいしいよ」
「おやつ終わったら、ご本読んでー」
「札遊びの方が先だよ! こないだの決着、つけようぜ!」
「あらあら、懐かれてるわね、お兄ちゃん」
 ははは、と困ったように笑う神官を見下ろし、にっこりと笑うレオーナ。
「子供は冗談としても、よ。今日はうちでご飯食べていきなさいな。その代わり、うちの子達と一緒にお店の手伝いしてちょうだいね?」
 有無を言わさぬ笑顔に、さすがのラウルも降参を余儀なくされた。
「ええ、喜んで」
 苦笑交じりに答えた途端、汚れるからと上着を剥ぎ取られ、代わりにエドガーの上着を着せ掛けられて、それじゃこれつけて、と前掛けを渡される。
 そうして子供達と一緒にエドガー特製のおやつを堪能したラウルは、彼らに教わって店内の掃除をし、レオーナと共に最初の客を迎え入れた。
「おやまあ、神官さん。どうしたい、その格好?」
 目を丸くする村人達に、得意げに答えるレオーナ。
「今日一日、うちの子になったのよ」
「ほおぉ、そいつぁいいや!」
「レオーナも、随分おっとこまえな息子が出来て嬉しかろー」
「そうなのよぉ。なんだか照れちゃうわよね」
 詳しい事情を聞こうともせず、ただ素直に楽しんでいる彼らにほっとしつつ、注文を聞いて回る。意外にも手馴れた風のラウルに感心する者あり、からかいの声をかける者あり。やがて噂を耳にして、いつもは寄り付かない人間までもが酒場に押しかけ、店は近年にない賑わいを見せた。
「あらまあ、客寄せ効果もあるなんて考えなかったわねえ。これからも時々、お手伝いしてくれる?」
 とは、思わぬ繁盛振りにほくほく顔のレオーナの談である。
「ラウルさん、聞きましたよー。レオーナの子供になったんですって?」
 珍しく家族揃って店にやって来た村長にそうからかわれ、ラウルは気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「今日一日だけ、ですけどね」
「じゃあ、明日はうちの子供になりませんか? うちはほら、マリオ一人だけですから、色々寂しい思いをさせてると思いますし」
 にこやかにとんでもないことを言ってのける村長に、あははと引きつった笑いで答え、ラウルはふと、熱気あふれる店内をぐるりと見渡した。
 他愛のない会話。賑やかな笑い声。酒杯がぶつかり合って鈍い音をたてれば、床に転がった食器が耳障りな悲鳴を上げる。
 角灯の光に照らされた人々の顔は、どれも朗らかで、和やかで。それは心地よい暖かさとなって、店内を満たす。
「……ここはまるで、村全体が一つの家族のようですね」
 喜びも悲しみも、当たり前のように分かち合って生きる人々。北の大地に暮らす彼らはとても素朴で、頑固で、そして暖かい。
 そんな人々をどこか眩しそうに見つめている青年の姿に、村長は細い目を更に細め、うんうんと頷いた。
「あなたと卵くんも、大事な家族の一員ですよ」
 虚を衝かれたように、ラウルの表情が揺れる。しかしそれもほんの一瞬、すぐにいつもの柔和な表情になって、ありがとうございますと神妙に頭を下げた。
 そんな彼をにこにこと見つめていた村長は、ふと思い出したように首を傾げる。
「ところでラウルさ――」
「こりゃ、そこのでっかいの!」
 唐突に響いてきた怒声に、弾かれたように顔を上げるラウル。
「いつまで待たせるつもりじゃ!? 早く注文を取りに来んか!」
 声の主は端の席にでーんとふんぞり返って、眉を吊り上げていた。その隣では対照的に満面の笑みを浮かべた孫娘が、こちらに向かって手を振っている。
「は、はいっ! すぐに伺います。すいません村長、またあとで」
 軽く頭を下げ、慌てて駆け出していくラウル。その背中を楽しそうに見つめ、村長はおもむろに酒盃を掲げてみせた。
「――我らが新しい家族に、乾杯!」


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