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〜祭の後〜
《gilders》☆☆☆
36 etude」 20:「酒」


 飲ませるんじゃなかった。
 しくしく泣き続ける少年を前に、リダは珍しくも後悔の念に駆られていた。

 その日、村は収穫祭で賑わっていた。
 ここレーヴァ地方は葡萄の産地として知られており、となれば祭で振舞われる酒は当然のことながら葡萄酒、しかもその年の出来を占うとされる新酒となる。
 当初は立ち寄るつもりもなかった村だが、酒に目のない彼女がこんな機会を逃すはずがない。喜び勇んで酒盛りの輪に入ろうとしたリダだったが、ギル少年の「駄目」「無駄遣い禁止」「だいたいリダは飲み過ぎなんだよ」の台詞に頬を膨らませ、そして――。
「――あんた、今年十五になったんだったね?」
「そうだけど……?」
 猫なで声に慄きつつも、素直にそう答えたのがまずかった。
 途端にリダはギルの手を握りしめ、満面の笑みを浮かべて言い放ったのだ。
「じゃあもう立派な大人じゃない! もう、なんでちゃんと言わないのさ。なに、今からでも遅くない! ささ、祝杯を挙げようじゃないのっ!!」
「えええええ!?」
 渋るギルを強引に酒場へと連れて行き、運ばれてきた葡萄酒で乾杯する。おずおずと杯に口をつけたギルが「おいしい」と呟いたのを幸い、どんどん杯を重ねていき――。

 気づいた時には、少年の目が据わっていた。

「大体さぁ、リダもいい年なんだから、いい加減落ち着きとか嗜みとかさあ、身につけないとマズいんじゃないのぉ? 寝起きは悪いわ料理の一つも出来ないわ、整理整頓まるで駄目、面倒がって髪も梳かさないなんてさあ、女としてっていうか人としてどうなんだよ!?」
 ぐだぐだと管を巻いたかと思えば、
「あっはっはっは、見てよリダ、あの酒樽、こないだの悪徳商人にそっくり!! わっ、転がってく転がってく!! やだなあもぉ〜、思い出しちゃうじゃん、警備隊に突き出してやった時の、あの間抜けな転びっぷり!」
 などとひとしきり笑い転げたあと、
「もう俺、術の巻き添え食らって死に掛けるのも、魔法薬の実験台にされて体中に斑点出来るのも、依頼主のご機嫌とるためにぺこぺこ頭下げんのも、ヤなんだよぉ〜」
 と泣き崩れる始末。湿っぽく絡み続ける少年に、リダはただただ相槌を打つしかなかった。
「だいたい、リダは俺のこと、どうおもってるわけぇ!? 俺だってもう大人なのに、いつまでも子供あつかいしてさあ……ちょっとリダ、きいてるぅ〜!?」
「あー、聞いてる聞いてる」
 投げやりに答え、こっそり溜め息をつく。まさかここまで酒癖が悪いとは思わなかった。しかし、飲ませたのは誰であろうリダなのだから文句も言えない。
「りだぁ!」
「はいはい、そうだね。もうギルは十五だもんね、立派な大人だ。うん」
「でしょぉ!? もーおとなだから、おさけものめるし、けっこんだってできるんらよ〜」
 次第に呂律の回らなくなってきた少年の愚痴は尚も続き、そして一刻ほどが過ぎたあと――。
「だからぁ、おれがいないと、だめなんだから〜……」
 そこまで言ったところでくてんと机に突っ伏し、そのまますうすうと寝息を立て始めた少年に、リダはやれやれ、と肩をすくめた。
 二人旅を始めて二年。溜まりに溜まった愚痴を全部吐き出した少年の寝顔は、どこか満足げで。
「言いたい放題言ってくれたじゃない」
 ぐでんぐでんの少年をそおっと担ぎ上げ、店主を呼びつける。
「でもまあ……今日のところは、美味しいお酒に免じて聞き流してあげるわ。親父さん、お勘定ね! あと、部屋が空いてたら一晩泊めてもらいたいんだけど」


「あ……ったまいてぇ……」
 翌日、昼近くになってようやっと起き出した少年は、まるでトンカチで殴られているかのような頭痛に、そのまま寝台へと逆戻りした。途端に込み上げてくる、えもいわれぬ不快感。
「……気持ち悪……」
 頭痛と吐き気もさることながら、全身が鉛のように重い。腕をもたげることすら億劫で、顔に掛かる髪もそのままで寝台に沈んでいると、ふいに扉の開く音がした。
「ちょっとギル、起きてる?」
 声と共にやってきたのはリダである。手には朝食らしき皿――妙に焦げ臭い――の載った盆を持ち、珍しく髪をきちんと束ねて枕元へやってきた彼女は、げっそりとした少年を見てケタケタと笑い声を上げた。
「見事な二日酔いだわね。ざあまみろ」
「っつぅ……リダ、声、落として……響く……」
 言いながら、どこかで聞いた覚えのある文句だと頭を捻る。
(あ、そっか……)
 それは、飲み過ぎた翌日のリダがよく言っている台詞だった。それを聞くたびに「何を大げさな」と笑ったものだったが、今ならその気持ちが痛いほどによく分かる。
 思わず頭を抱えるギルに、ぐいと差し出された硝子の杯。
「……なに、これ」
「二日酔いの薬」
 なみなみと注がれているのは、見るからにねっとりとした黄土色の液体。あまりの怪しさに顔を引きつらせる少年だったが、リダはそんなことお構いなしに杯を押しつける。
「あんたねえ、このわたしがわざわざ作ってあげたんだから、ありがたく飲みなさいよ」
「うっ……ますます飲みたくない……」
「やかましい! いいから飲めっ!」
「いーやーだー! やだったらやだっ!!」
 散々喚いて、うっと口を押さえるギル。
「……動いたら余計気持ち悪くなったじゃないか……」
「だからとっとと飲めっつってんのよ。ったく、しょうがないなぁ」
 おもむろにぐい、と杯を呷り、少年の鼻を摘んで引き寄せる。
「!!」
 唇に触れる、柔らかい感触。あっ、と思う間もなく口の中に押し寄せた、激烈な甘味と苦味と辛味と酸味とエグ味――。
 唇が離れた瞬間、二人は揃ってうええと顔をしかめた。
「まっず……」
「だから嫌だって言ったのに!! リダの作る薬はいつもこうなんだから!! 少しは飲む人間のこと考えて作ってよ」
 唇を奪われた衝撃をはるかに凌ぐ、薬の不味さ。思わず喚き立てるギルに、さしものリダも素直に自らの非を認めた。
「悪かった……今度から少し考えるわ……」
「わ、分かってくれたら、いいけどさ……」
 こうもあっさり謝られてしまうと、どうにも調子が狂う。それに――
(どうしよう、あれって、その――わー、俺どうしようっ!!)
 気の毒なほどに動揺しまくる少年をよそに、口の端についた薬を拭っていたリダだったが、それが終わると口直しとばかりに持ってきた皿へと手を伸ばした。
「あー! それ俺のっ!」
 慌てて手を伸ばすが、リダはひょい、と皿ごと奪い取って寝台を離れると、行儀悪く立ったまま腸詰を頬張ってみせる。
「リダ!!」
「だって、気持ち悪いなら食べられないでしょ? このリダ特製の朝ご飯が食べられないなんて、ほんとに可哀想ねぇー」
「え、リダが作ったの、それ?」
 なるほど、皿の上を改めてよく見れば、妙に不恰好な玉子焼きだの焦げついた腸詰だの、およそ食堂で提供されているとは思えない料理の数々が鎮座ましましている。
「わたしがちゃんと残さず食べてあげようじゃないのー」
「いる! もう気持ち悪くないっ! ってかリダは食ったんじゃないのかよー!」
 大慌てで寝台を飛び出し、食事を奪還せんと腕を伸ばす。それをまた巧みに避けながら、ひょいひょいとおかずを口に放り込んでいくリダ。
 目の前で笑う彼女は、いつも通りの彼女で。何事もなかったかのようにふざけるリダを見ていると、余計な追求をしようという気にはなれなかった。いや、むしろそんな余裕はなかった。
「俺のメシー!!」
「取れるもんなら取ってみな〜!」

 微笑ましいじゃれ合いはやがて本気の取っ組み合いに発展し、見るに見かねた宿屋の親父が早めの昼食を持って仲裁に入るまで続けられたという……。



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