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「36 etude」 27:「洗濯日和」
四角く切り取られた窓の外 真っ青な空に翻る 洗い立ての洗濯物 真っ白な敷布 色鮮やかな上着 ありふれた日常の 眩しい情景 遠くから響く足音に、うっすらと瞼を開ける。 明り取りの窓から差し込む日差しに照らされた室内は、恐ろしいほど狭苦しい。それもそのはず、ここは普段使われていない倉庫のようで、家具などという上等なものはまるでなく、棚や木箱が雑然と置かれているだけの小部屋だった。 仕方なく木箱を並べて寝台代わりにし、穀物袋を毛布代わりにして寝てみたが、まあ野宿よりは快適だから文句は言うまい。 文句を言うとしたら、明かりがないことと食事が出てこないこと、そして何より部屋から出られないことだ。 解放の条件はただ一つ。 『二十年前、盗賊ギルドから盗み出した財宝の在り処を教えること』 途方もない無理難題を前に、少年は今日も腹を鳴らす。 冴え渡った耳に聞こえてくるのは、ここ数日ですっかり聞き慣れた、踵の高い靴特有の甲高い足音。忙しなく響くその音を追いかけるようにしてやってくる鈍重な足音は、片方だけ引きずるような音を立てる。 「……まだ足取りがつかめないってのかい!? 全く、連中も能無しだね」 「へ、へえ、姐さん」 「たかだか魔術士一人、どうして捕まえられないってんだい。まったくもう!」 「はあ、で、でも、相手はあの、き、《金の魔術士》って話だし、そのぅ」 「お前までそんな与太話を信じてるのかい? ありゃあ偽者だよ。本物だったら、仲間を置いてとんずらこくわけがないだろう」 ばん、と扉が開く音がしても、ギルはあえて動かなかった。自作の即席寝台に寝転がったまま、扉側に背を向けて瞳を閉じる。この連中には狸寝入りを見破るほどの観察眼も第六感もないから、情報だけは聞きたい放題だ。おかげで知りたくもない盗賊ギルドの内部事情に詳しくなってしまった。 「ったく、ギルドの『影』が追いかけてる獲物だっていうから張り切って掴まえてみれば、ただのガキとはね。しかしまあ、この状況下でぐっすりお休みとは恐れ入るよ」 「あ、姐さん。もう三日も食わせてなくて、だ、大丈夫かなあ? 死んじゃったり、してないかな?」 「死体が寝息をたてるもんかい。ほら、起きるんだよ!」 がん、と寝台を蹴り飛ばされて、ようやく目が覚めたふりをする。のろのろと起き上がり、ぼんやりとした瞳で見上げれば、黒髪の女とばっちり目が合った。 「お目覚めかい、坊や。ぐっすりおねんねとは、いい度胸してるねえ」 「やることがないんだから寝るしかないだろ。せめて飯ぐらい出して欲しいなあ」 「だから言ってるじゃないか。財宝の在り処を素直に吐けば何でも食わせてやるって」 この三日間で散々繰り返された会話に心底うんざりして、ギルは大きく溜息をついた。 「俺は何も知らないって、何度言わせたら気が済むんだよ」 「お前の親父がしでかしたことだ。知らないじゃ済まされないんだよ! 盗賊ギルドを裏切った男――《鷂》の息子!」 三日前に聞かされた時はさすがに衝撃を覚えたその台詞も、散々繰り返された今となっては何の感慨も覚えない。 故にギルは、いきり立つ女を前に、小さく肩をすくめるだけだった。 なぜこんなことになったのかと考えてみれば、そもそもこのメルニアス王国にやってきたのがケチのつき始めだったのかもしれない。 数年振りに戻ってきたのだから、折角だしギルの故郷に行こうと言い出したのはリダで、別に面白い場所じゃないからと、むしろ難色を示したギルをいいからいいからと強引に引っ張ってランツ村へ向かったのが十日前。 寂れた農村に、案の定あっという間に興味を失ったリダが、それじゃあ初めて会ったリニエの村で美味い酒でも飲もうと言い出して、乗合馬車に乗るためにエマイルの街へ向かったのが八日前だったか。 ランツからエマイルまでは徒歩で五日。変化の乏しい街道をひたすら進み、街に到着したのは夕日が傾きかけた頃だった。 今晩の宿を探して、夕飯の買い物でごった返す中央通りを歩いていた、まさにその時。突然路地から腕が伸びてきて、問答無用で暗がりへと引きずり込まれたのだ。 悲鳴を上げる暇すらなかった。咄嗟にリダを蹴り飛ばして逃がすのが精一杯で、その後の記憶はない。気づいた時に後頭部がずきずきと痛かったから、殴られて昏倒したのかもしれない。 とにかく、気がついたらこの狭苦しい部屋に閉じ込められていて、目の前にはこの蓮っ葉な女と愚鈍な大男が胡乱な目つきでこちらを眺めていたというわけだ。 「ようやくお目覚めかい、坊や」 気だるげに煙管を弄んでいた女は、目を覚ました少年をじろじろと眺めていたが、おもむろにこう尋ねてきた。 「お前、本当に『裏切り者』の息子なのかい?」 何のことか分からず黙り込むギルに、女は再度問うた。 「お前の父親は、えっと、なんだったっけか」 「ダ、ダンだよ、姐さん。ダン=ローバー」 「ああ、それそれ。お前の父親はダン=ローバーと名乗っていた男かって聞いてるんだよ」 「そうだけど、それが何なんだよ?」 思わず声を荒げるギルに、女はおやまあ、とわざとらしく目を見張ってみせた。そして。 「まさか知らないなんて言わないよねえ? ああ、それとも本当に、家族には何も伝えてなかったのかしら。さすがは伝説の男だ」 ――嫌な予感がした。 それは、故郷を発ったあの日から心の片隅に熾っていた小さな火種。じわじわと、燻るように、心の中に広がっていた思い。 「だから、何のことだって言ってるんだ!!」 聞いてはいけないこと、考えてはいけないことだと分かっていたのに、抑えきれなかった。 そして、歪んだ紅唇がもたらした『真実』は、実に冷酷に、そして実にあっさりと少年の心を打ち砕いた。 「お前の父親はね、盗賊ギルドの暗殺者だったんだよ!」 それから女がぺらぺらと喋った言葉は、ただただ耳を通り抜けるだけだった。 その意味をようやく理解したのは、何を尋ねても「知らない」の一点張りな少年に根負けした盗賊達が部屋を出て行って、狭苦しい部屋がとっぷりと闇に閉ざされたあとのことだ。 空腹と共に戻ってきた思考能力を目一杯駆使して、ようやく理解したことは、父がかつて盗賊ギルドきっての暗殺者だったこと。とある任務を失敗したことでギルドを追われ、それを逆恨みしてギルドの支部一つを壊滅させたこと。その後、一般人に紛れてのうのうと暮らしていたこと――。 それが事実かどうか、確かめる術はない。それでも、今まで疑問に思っていたことが、その要石一つでしっくりと符合する。 (でも……俺の知ってる父さんは……) ギルの知る父は、寡黙な行商人だ。風の日も雨の日もただひたすらに荷車を引いて、愚痴一つ零さなかった。柄の悪い客に絡まれてもただ黙ってやり過ごし、手を出したり声を荒げたところなど見たことがない。 ただ一度だけ、父が感情を顕わにしたところを見たことがある。ギルの母、フィリアが死んだ日だ。 あの日、あの時だけ、父が声を上げて泣くのを聞いた。涙を零すところを見た。そして―― 『何故、俺は守れない――』 そんな呟きを聞いた。それだけだ。 翌日から、父はまた寡黙な人に戻って、ただひたすらに働いていた。黙々と働いて――そして殺されたのだ。 「ねえ、いい加減教えておくれよ。ね? そうすりゃあんたもここから出られるし、アタシらは財宝を手に入れて左団扇。ほら、どっちにも得のある話じゃないか」 三日に及ぶ攻防戦の結果、どうやら敵は懐柔作戦に変更したようだ。猫なで声で迫ってくる妙齢の女性――《濡れ羽》のマヌアは『盗賊ギルドの大幹部』だと名乗っていたが、話を聞いている限りはこのローダン地方を統括している支部の長らしい。大勢の部下を従えていると豪語しているものの、連れてくるのはこの鈍重な大男――《水牛》のルイジのみだ。 「だから、俺が父さんから譲り受けたのは、その短剣だけだって言ってるじゃないか」 マヌアの腰にぶら下がった短剣を顎で示せば、マヌアは大仰な溜息をつきながら短剣を帯から引き抜き、悔しそうに握り締める。 「これこそ当たりだと思ったのにねえ!」 あの日、倒れていた父の手に握られていた短剣。護身用に携帯していたことは知っていたが、まじまじと見たのはその時が初めてだった。以降、形見というよりは護身用として持ち歩いていたが、柄に妙な仕掛けがあるとか、盗賊ギルドの紋章が削り取られた跡があるなどということは、この二人から聞かされるまで全く知らなかった。 「こんな思わせぶりな隠しがあるんだ、財宝の隠し場所を記した地図くらい出てきそうなもんじゃないか!」 心底悔しそうにぼやくマヌア曰く、《鷂》は支部を壊滅させただけでなく、支部長が隠し持っていた莫大な財宝を盗んでいったのだという。 「あのしまり屋の支部長がたんまり貯め込んでいたのは確かなんだ。それなのにどこを探しても見つからないときた。ってことは答えは一つ! 《鷂》がすべて持っていったに違いない!」 どうだ、とばかりにふんぞり返るマヌアと、パチパチと拍手をするルイジ。実にご立派な三段論法だが、すべてが仮定で成り立つその論法を根拠に監禁されてはたまらない。 ところが、このとんでもない三段論法に則り、ルサンク王国に潜む盗賊ギルドがもう十年以上も《鷂》を探していたのだと聞かされた時には、驚きを通り越して呆れ果ててしまった。 「《鷂》が死んだって話は伝わってたけど、財宝の手掛かりは見つからなかった。唯一手掛かりになりそうな一人息子は父親の死後、故郷を飛び出して行方不明ときたもんだ。こりゃあもう、財宝は諦めるしかないと思ってたんだけどねえ」 「で、でも、姐さん、ギル、見つけた。す、すごい! さすが、姐さん!」 拙い言葉で必死に持ち上げるルイジに、まんざらでもなさそうなマヌア。そのやり取りに、そうだと顔を上げる。一つ、どうしても腑に落ちないことがあったのだ。 「ねえ。何で俺が《鷂》の息子だって分かったのさ?」 あのリダと共に行動しているせいで多少は有名になっているかもしれないが、それでも盗賊達から顔を覚えられるような真似をした記憶はない。 ところがマヌアは、何を馬鹿なことをと言わんばかりの表情で、こうのたまったのだ。 「アンタ、あちこちで色々やらかしてくれたらしいじゃないか。シマを荒らしたり、盗賊団を壊滅させたり……どっかの隠居爺を手伝ったり、後継者争いにまで首を突っ込んでくれたって?」 「あー……なるほど、それでか」 ギル本人は積極的に「やらかした」わけではないが、遺跡探索のついでに盗掘者をやっつけたり、因縁をつけてきた盗賊団を拠点ごと吹き飛ばしたりしていれば、ギルドから指名手配くらい受けてもおかしくない。 「無所属の素人に活躍されれば、誰だっていい気はしないだろう? どこのもんだとあれこれ探ってみたら、蛇どころか《鷂》が出たってわけだ。普段はろくに連携しやしない各支部が、手を取り合ってアンタを探し回ってるってんだから笑っちゃうよね」 言葉通り鼻で笑ってみせたマヌアは、それでもうまい話に乗らない手はないと続ける。 「見ての通り、うちの支部は資金不足でね。財宝と聞いちゃ黙ってられないんだ」 確かにマヌアの言う通り、この支部の財政はかなり逼迫しているようだ。仮にも盗賊ギルドの支部が雑貨屋の上階に間借りしているというのだから、呆れるを通り越して同情すら覚えてしまう。 「財宝さえあれば、ちゃんと立派な拠点を打ち立てて、手下だって増やせる。そうしたらもっと仕事も増えて、左団扇で暮らせるってもんさ!」 「ね、姐さん、そ、そうしたら、ま、毎日お肉、食べてもいい?」 「馬鹿だね、当たり前に決まってるだろう? おかわりだってし放題さ!」 なんとも涙ぐましい会話を聞き流しつつ、明り取りの窓を見上げれば、窓の外には洗濯物が翻り、響き渡るのは子供達の賑やかな声。そろそろ昼時なのか、買い物ついでにおしゃべりに花を咲かせるおかみさん達の明るい笑い声が聞こえてくる。 壁一枚挟んだ向こうの世界は、眩しいほどに穏やかで。 ますます、自分の置かれている状況が、まるで夢のように思えてくる。 しかし。これは紛れもなく現実だ。 なぜなら、傍らにリダがいない。 いつだって側にいた、あの傍若無人な女魔術士が、どこにもいない。 (リダ……今頃どうしてるのかなあ……) この部屋に閉じ込められて三日。マヌアのぼやきを聞く限り、リダは無事のようだ。 (蹴っ飛ばしたこと、怒ってるだろうなあ……) 正直言って、マヌアがちらつかせる『腕利き拷問吏による拷問』よりも、『怒れる女魔術士の一撃』の方がよほど恐ろしい。 (……考えるのは止めとこう) それよりも今考えなければならないのは、この状況をどうやって打開するかだ。 幸いにも、目の前で明るい将来の展望を膨らませている二人組は、食事こそ与えてくれなかったものの、彼にとって一番必要なものは存分に与えてくれていた。 それは、時間だ。 「ところで、その短剣の仕掛けってどんなの?」 唐突に放たれた質問に、マヌアはそういや見せてなかったね、などと呟きながら、少年の眼前に短剣の柄を突き出した。 「ほら、見てみな。ここのところを押すと、ここがずれて中が開くんだ」 「へえ、本当だ!」 ぐいと柄を掴み、そのまま抜き払う。咄嗟に仰け反ったマヌアの鼻を掠めるようにして、短剣は宙を切り裂き――壁際に垂れ下がった紐をすっぱりと切断した。 「なっ――!?」 マヌアが口を開くより早く、傍らに積み上げてあった木箱がぐらりと揺れる。 「あ、あぶない、姐さん!」 濛々たる埃を舞い上げて木箱の塔が崩れ、空の陳列棚を倒す。それがまた別の棚にのしかかって、狭い小部屋の中で倒壊の連鎖反応が起こる。 その隙にギルは壁際に積み上げておいた木箱をするするとよじ登り、明かり取りの小窓まで辿り着いていた。 「こ、こらっ! 待つんだよ! ルイジ! 追うんだ!」 「ね、姐さん、う、動けない」 棚の隙間に挟まって身動きの取れなくなった大男に舌打ちをするマヌア。しかし、すぐに嘲るような笑い声を上げて少年を睨みつける。 「残念だったね、その窓には格子が……え?」 「仮にも盗賊ギルドの人間なら、捕まえた相手の身体検査くらいはするべきだったと思うよ」 この三日間、少年はただ空腹に震えていたわけではない。 手荷物は取り上げられていたものの、衣服や靴に隠していた針金やヤスリ、細く編まれた縄などは全くの手つかずだったし、この空き倉庫にも利用できるものが無造作に置かれていた。 だから少年は、尋問の合間を縫ってそれらを最大限に活用しただけだ。 「物音で気づかれるかと思ったんだけどね。これだけ外がうるさければ聞こえないよね」 木箱と棚を伝えば明り取りの窓にはたやすく登れたし、錆びついた鉄格子は簡単に切断できた。何より、木箱の配置が変わっていることに、マヌアもルイジも全く気を留めなかった。 「それじゃ、そろそろ腹も減ったし、俺はこれで失礼するよ」 切り取っておいた鉄格子をひょいと取り除き、小さな窓を潜り抜ける。 「あ、あぶない! ここ、さ、三階!」 焦ったようなルイジの声にも、ギルは動じなかった。窓の向こう、路地を隔てた建物との間には無数の洗濯紐が通されて、色とりどりの洗濯物が風に翻っている。 「ごめんなさいよ、っと!」 手近な紐に飛び移り、洗濯物を振り落としながら進む。その頃になってようやく窓辺までやってきたマヌアがきーきーと何か叫んでいるが、この際無視だ。 一方、路地裏はちょっとした騒ぎになっていた。マヌアの叫び声で事態に気づいた人々がこちらを見上げて何だかんだ騒いでいるものだから、計画が狂ってしまった。さっさと向かいの建物に移って屋根伝いに逃げるつもりだったのに、こうも人が多くては色々と面倒なことになりそうだ。 「参ったなあ」 「詰めが甘いね、まったく」 「うるさいなあ、一人で脱出しただけえらいだろ!」 思わず反論してしまってから、ぎょっとして振り返る。 そこには、金の髪をなびかせた女魔術士が、むすっとした顔で浮かんでいた。 「リダ!?」 「まったく、何を呑気に綱渡りなんかして遊んでるのさ」 「べ、別に遊んでるわけじゃ……リダこそ、そんなところで何してるんだよ!?」 「どっかの誰かさんがいきなり人を蹴り飛ばした挙句に攫われていくから、腹立ち紛れに盗賊ギルドの支部をあちこち潰して回ってただけよ」 「げっ……」 やはり根に持たれていたようだが、怒りの矛先を向けられずに済んだのはまさに僥倖か。 ここは感謝するべきなのか、それとも謝罪するべきなのか、思わず言葉に詰まる少年に、リダはほら、と手を伸ばした。 「いつまでそんなところにぶら下がってるんだい。行くよ!」 「う、うん!」 白い手に掴まれば、ふわりと宙に浮かぶ体。途端、足元からどっと歓声が沸き上がったが、それはもうどうでもよかった。 「リダ……その……ありがとう」 「別に、何もしてないでしょ」 ふん、とそっぽを向く魔術士に、いやその、と頭を掻く少年。 「そのまま逃げてくれても良かったんだけど……今回は俺の問題というか、その……」 「このわたしが盗賊ギルド如きに恐れをなして逃げるとでも思ったわけ!? 冗談じゃない、わたしはやられたことは百倍にして返す主義なのよ!」 「いや、やられたのは俺であって……っていうか、そもそも俺の父さんが――」 「知ってるよ」 思わず顔を上げれば、リダは少しだけ表情を堅くして、何か逡巡しているようだった。珍しいこともあるものだ、と目を瞬かせた次の瞬間、信じられないことが起こった。 「ごめん」 「――え!?」 共に旅をして四年、ついぞ聞いたことがないそれは、あのリダが初めて口にした謝罪の言葉。 「な、なんで!?」 ひどく狼狽する少年に、リダは淡々と続けた。 「ずっと前から調べていたんだ、あんたの父親のこと。ただの行商人が《金の魔術士》に倒されるなんておかしいと思ってね。ある程度はっきりするまではと思って黙ってたんだけど、それが仇になったね。――悪かった」 「そう、なんだ……」 ここは怒る場面なのか、それとも悲しむ場面なのか。ないまぜになった感情を持て余し、少年は大きく息を吐いて、吸って、そして――。 「ありがとう」 行き着いたのはやはり、その言葉。どこかすっきりとした表情の少年に、今度はリダが首を傾げる番だった。 「なんでそうなるのよ?」 「だって、その、俺を見捨てて逃げることだって出来たわけだし、そもそも俺に言わなかったのも、色々気にしてくれたからだと思うし……ああもう、なんか自分でもよく分からないけど! ……でも、ありがとう」 ごにょごにょと感謝の言葉を紡ぐ少年に、きまりが悪そうにがしがしと頭を掻いたリダは、気恥ずかしい雰囲気を吹き飛ばさんとばかりに、わざとらしく鼻を鳴らす。 「ふん、この貸しは高くつくからね。とりあえず向こう一月――」 「ちょっとあんた!」 唐突に割り込んできた金切り声に振り向けば、窓から身を乗り出したマヌアと目が合った。 「こんなことして、ただで済むと思ってるんじゃないだろうね!?」 ぶんぶんと拳を振り上げながらがなるマヌア。集まった野次馬達が興味津々とばかりに視線を送ってくるが、リダは興味ないと言わんばかりに、ギルに向かっておざなりな質問を投げかけただけだった、 「あの女は?」 やる気のない問いかけに、ギルも適当な答えを返す。 「この辺りのギルドの元締めらしいよ」 途端、にやりと、それはもう意地の悪い笑みを浮かべる女魔術士。 「へえ、あんたがこの辺りのギルドをまとめてるってわけ。それじゃ手ごたえがないのも当たり前だね。最後の一人になった気分はどう?」 「さ、最後……!? あんた、一体……」 顔色をなくすマヌアに、とんとんと杖を弄びながら笑うリダ。 「安心しな、わたしはこれでも殺生は嫌いでね。その代わり――」 急速に高まる魔力に揺らめく金の髪。淡い光が杖の先端に集まり、バチバチと青い光を帯びる。 「――二度とロクなことを考えられないように、骨の髄まで恐怖を染みこませてやろうじゃないの!」 「ひいいいいいぃぃぃぃ……!!」 引きつった声がしぼんでいくと思ったら、マヌアの姿が見えなくなっていた。窓から転げ落ちたか、尻に帆をかけて逃げ出したか。どちらにせよ、二度とリダにちょっかいを出そうなどという気は失せたに違いない。 「他愛もない」 杖をぶんと振って光の残滓を払い落とし、小さく肩をすくめる女魔術士。その手に掴まって成り行きを見守っていたギルも、リダが本気で実力行使に出ないで済んだことにほっと胸を撫で下ろす。何しろ、彼女が本気を出したら、この辺り一帯が瓦礫の山と化してしまう。 その危険性を敏感に察知したのだろう賢明な野次馬達は、いつの間にやらいなくなっていた。彼らの通報によって警備兵が出張ってくるのにはもう少し時間がかかるだろう。 すっかり人気のなくなった通りに、二人の影だけが躍る。 「リダ……さっきの台詞、まるで悪の魔術士だよ」 「う、うるさいねえ!」 ばつが悪そうに頬を掻くリダの腹がきゅるると鳴いて、思わず吹き出すギル。 「リダ、ご飯食べてないの?」 自分のことは棚に上げて尋ねれば、僅かに顔を赤くした女魔術士はぷいとそっぽを向いて答えた。 「どっかの誰かさんを探すのに忙しかったんだよ! ほら、さっさと昼食にするよ!」 「う、うん、でも……俺――」 「いいから行くよ!」 これまでの四年間、幾度となく聞いたその台詞が、これほど心地よく聞こえたことはない。ここにいいのだと、共に歩んでいいのだと認められた。そんな気がした。 「リダ……」 「それともあんた、私と食事をするのは嫌だとでも言うつもり!?」 「とんでもない!」 大慌てで首を横に振る少年に、リダは満足げにうんうんと頷いて、それはもう不敵な笑みを浮かべたのだった。 「飛ばすよ! ちゃんと掴まってな!」 「うわあああああああ!!!」 こうして、エマイルの街で起きた珍騒動は、訳も分からないままに終息したのである。 のちに、件の「支部長の隠し財産」が単なる噂に過ぎなかったことが判明し、エマイル支部は立て直しも図れぬまま瓦解することになる。 数年のち、巡業中の奇術団に遭遇した二人が、思わぬ再会に吃驚することになるのだが、それはまた別のお話――。 終☆ |