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さらさら さらさら 吐息に揺れる 金の天蓋 見つめる瞳は 空の青 海の青 甘く密かな 囁きに どこまでも どこまでも落ちていく…… 初秋の日差しが目に痛い。 杖を掴んだままの左手をぐいと引き上げて、その突き刺さるような光線を遮ると、袖飾りがしゃらん、と軽やかな音を立てた。 夜型の生活にすっかり慣れ親しんだ体にとって、澄み渡った空から降り注ぐ日光の強烈さは責め苦に近い。これは早いところ顔馴染みの食堂に避難して、えくぼの可愛い看板娘に遅い朝食を頼まなければ。ついでに、今夜の予定を聞いておくことも忘れてはいけない。 魔術士の象徴たる杖を引きずるようにして大通りを横切り、中央広場へ。たったそれだけの距離を歩いただけで、両手の指を越える人間から声をかけられ、肩を叩かれ、あるいは頭を下げられる。そのたびに笑顔を浮かべて丁寧な受け答えをすることがそろそろ億劫になってきたが、これはまあ致し方あるまい。この顔と名前に付随する義務のようなものだ。 目当ての食堂は広場に面した一角にある。温暖な気候で知られるセレーノの街らしく、建物の外に張り出した広い露台に円卓と椅子が並び、日中はほとんどの客がここで食事を楽しむ、そんな開放的な店だ。 そんな中に、彼女はいた。 広場にほど近い席に腰掛け、優雅に紅茶を楽しむ淑女。純白の服に包まれた体は遠目にも細く引き締まり、それでいて女性らしいまろやかな曲線を描いている。日差しを気にしてか、つば広の帽子を目深に被っていたが、そこから覗く顎の線や艶やかな唇はそれだけで世の男達を虜にするような優美さを備えていた。 連れでも待っているのだろう、時折広場に目をやっては溜息をつき、再び紅茶に視線を戻す。その何気ない仕草が、通行人の目を惹きつけてやまない。しかし、どこか人を寄せつけない雰囲気が彼女にはあった。誰もが一瞬足を止めるが、声をかける猛者は一人としていない。 わずかな時間でそこまで観察を終えて、よしと呟く。こんな時こそ自分の出番だ。 ――と、折からの風が不意に勢いを増し、女性の帽子をふんわりと持ち上げた。押さえようと伸ばした手はわずかに及ばず、悪戯好きの精霊に奪われた帽子は広場へと運ばれていく。 好機とばかり、杖を一閃。鋭く息を吸い込み、原始の言葉を解き放つ。 『見えざる手よ!』 詠唱はほんの一瞬、それで十分だった。常人には理解しえぬ言葉を放った途端、帽子は風に逆らって宙に停止すると、するすると持ち主の元に戻っていく。 驚いたようにその場に立ち尽くす女性。柔らかな日差しの下に顕わになったその美貌に、思わず息を呑んだ。 ほのかに紅く染まった白磁の肌、それを彩るのは緩やかに結い上げられた豪奢な金髪。なにより、濡れたような輝きを放つ、星青石の如き双眸――。 美姫揃いで知られるルサンクの王宮にすら、これほどの美女は存在するまい。思わず尻上がりの口笛を吹きそうになって、慌てて体裁を整える。 「秋の風は悪戯好きです。貴女のような美しい女性ともなれば、尚のこと」 ゆっくりと近づいていくと、美女は尚も驚いたように目を見開いて、そしてふんわりと微笑んだ。 「お上手ですこと。魔法使いは皆、貴方のように口の上手い方ばかりなのかしら」 囁くような声はどこか平坦だったが、無理もない。相手が魔術士だと知って平然としていられる人間は、まだそう多くはないのだ。 「私は思ったままを言っただけのこと。お気をつけなさい、美しい人にちょっかいをかけようと企むのは、なにも精霊だけではありません」 「例えば貴方のような?」 試すような瞳に苦笑を返し、ごくさり気ない動作で向かいの席に腰掛ける。ここで拒絶されなければ、第一関門は無事突破できたことになる。 案の定、美女は無礼を咎めるどころか、上品な微笑を向けてきた。しかし問題はこのあとだ。いかに警戒心を解き、こちらに興味を持たせるか。しかしこちらには切り札がある。そう、とっておきの切り札が――。 「待ち合わせですか?」 「ええ、連れがおりますの。用事を言いつけておいたのですが、なかなか戻ってこないので……」 焦れたように広場を見やり、溜息を漏らす。その口ぶりからして従者か小間使いなのだろう、これほど上等な身なりをした婦人が供も連れずに外出することはまずありえない。 「この街には初めて?」 「ええ。昨日ついたばかりですわ。なんでもここに高名な魔法使いが逗留しているという噂を聞いて駆けつけたのですけれど、ご存知ありませんかしら」 艶やかな紅唇から飛び出た意外な言葉に、おやと呟く。 「魔術士を探して、ここに?」 「ええ。少々厄介なことに巻き込まれてしまって……その魔法使いでないと解決できない問題なんですの」 台詞とは裏腹に、目の前の美女はどこか楽しげな様子でこちらを見つめていた。まるで、何もかもお見通しとでも言うように。 「なんでも金髪に青い瞳の――そう、あなたのような」 「金髪の男など、掃いて捨てるほどおりますよ。青い瞳の魔術士もね」 焦らすように言ってやると、美女は静かに首を横に振った。 「それでも、かの二つ名を持つ魔術士はただ一人。そうでしょう? 《金の魔術士》リファ――の名をかたるナンパ男!」 いきなり胸倉を掴まれて、そのままぐいと持ち上げられる。背後で椅子が耳障りな悲鳴を上げたが、そんなことに構っている余裕はなかった。 「なっ――何を、いきなり……」 「ネタは上がってるんだよ、この偽者! よりによって《金の魔術士》の名を騙って、あっちこっちで女を誑かしてきただろう!? おかげでわたしまでとばっちり食らったんだからね!」 先ほどまでの上品な口調から一転、激しい口調でまくし立てる美女。そんな彼女に吊るし上げられて目を白黒させているのは、このところ街で噂の、金髪碧眼の魔法使い。その異様な光景に、先ほどとは違った意味で視線が集まっていたが、彼女は気にする様子もなく言葉を続ける。 「ただでさえ勘違い野郎が多くて辟易してるってのに、よりによって偽者に間違われるだなんて! エルバスの町、レントの宿場、カレイドの街と続いて、街に入るなり女の子と借金取りに囲まれて「責任取れ」って詰め寄られたわたしの気持ちがあんたに分かる!?」 彼女が挙げた三つの地名にはどれも心当たりがあったが、そんなことはおくびにも出さず、努めて冷静に言葉を紡ぐ。 「人違いではありませんか? 私は正真正銘、《金の魔術士》リ――」 「それなら証拠を見せてごらん。いや、違うね。あんたが偽者である証拠を見せてあげるよ!」 言うが早いか、空いている方の手をぐいと伸ばす。咄嗟に体を捻ってかわそうとしたが、一瞬早く白魚のような指が長い髪を掻き分け、その形の良い耳に――正確には、そこに嵌められた耳飾りに――触れていた。 紫色の光が弾け、精緻な細工の施された半筒状の飾りがバチンと嫌な音を立てて砕ける。同時にぼわんと立ち込める薄煙。 「この耳! どう言い訳するつもりだい。リファが森人との混血児だなんて話は聞いたことがないよ」 白昼の下に晒された耳は、先端が僅かに尖った独特の形状へと変化していた。故郷の村でさんざん嘲笑されたその形。旅をするようになった今でも隠してしまうのは、その苦い思い出があるからだ。 「大体、本物ならこんな魔具に頼らずに自力で姿変えをするはずだ。それも出来ないような二流が本物でたまるか!」 変身魔術は習得困難な魔術の一つに数えられる。それは事実だが、二流と言われて流石に顔が引きつった。しかし、ここで反論しようものならこのまま絞め殺されかねない。 「分かった分かった。分かったから離してくれよ」 これ以上は無駄だと判断し、降参とばかりに両手を挙げる。そして男は吊るし上げられた体勢のまま、淀みない口調で続けた。 「確かに俺はリファじゃない。本当の名前は……そうだな、アインとでも呼んでくれ」 これは嘘ではない。アイゲン=エーレント、通称アインが彼の本名だ。豊かな金髪も青い瞳も、そしてその整った顔立ちも、全て二親から受け継いだもの。逆に言えば、それ以外は全て虚構。偽りに過ぎない。 「で、このアインの正体を見抜いた姐さんは、一体どこのどなた様で?」 「誰が姐さんだ! わたしはリダ! リファでもその偽者でもなんでもない、魔術士リダさまだよ!」 ぞんざいな口の利き方に激怒する美女、改め魔術士リダ。その名を聞いて、男は思わず「ああ、あの」と呟きかけ、大慌てで続く台詞を飲み込んだ。 巷で噂の《鍍金の魔術士》は、その二つ名で呼ばれることをいたく嫌っているという。うっかりそう呼びかけて黒焦げにされた魔術士や動物に姿を変えられた町の実力者は両手の指に余るほど。彼らの二の舞は謹んで遠慮したいところだ。 「大体ねえ、何が悲しゅうて同性から涙ながらに「私のことは遊びだったの」って責められなきゃならないわけ!? しかもあちこちで借金こさえてとんずらとは、いい度胸じゃないの! おかげで荒っぽい借金取りに襲撃されて、作りかけの魔法薬やら呪符やらがまるごとパァよ!?」 「わっ、ち、ちょっと姐さん、やめ、やめろって……!!」 がっくんがっくん振り回されて情けない声を上げるアイゲンに、一通り文句を言って気が収まったのか、ようやく掴んでいた手を離すリダ。途端によろよろと地面にへたりこんだ男は眩暈を堪えながらもリダを見上げ、にやりと笑ってみせた。 「悪かったよ姐さん、要するにあんたは俺に間違われて、あちこちでえらい目に遭ったと。いやホント悪かった! ごめん!」 ぱん、と手を合わせて謝る男に、リダはふん、と鼻を鳴らす。 「誠意が感じられないね。第一、あんたが謝るのはわたしにじゃなくて、これまでだまくらかしてきた人間に、だろ。――ギル!」 鋭い声に応えて、物陰から二人の人物が姿を現した。一人はこげ茶色の髪をした少年で、その身長よりも長い杖を携えている。そしてもう一人、少年の背後から現れた人物を見て、男は一瞬目を見開き、そしてぽつりと呟いた。 「あっちゃあ……」 「よくも騙してくれたわね、この偽者! なにが「魔術士だって人間、恋にも落ちれば愛にも溺れる」よ! しかも「あなただけ」なんて言って、街中の女の子にちょっかいかけて……!!」 エルバスの町を代表してこの場にやってきた彼女は、怒りの炎がたぎる瞳で男を睨みつける。 「別に嘘は言ってないさ。魔術士だって男、恋にも落ちるし女にだって溺れるぜ? だからシゼル、あの時はお前に夢中だったん――」 「おんなじ台詞をどれだけの女に言ってきたのか、ついでに誰にどれだけ貢いだのかも分かってんのよ! このリダさんが全部調べてくれたんだから!」 びし、と指差した先には、結い上げた髪に手を突っ込んで無理やり解きつつ、少年から杖を受け取るリダの姿。さすがにこの場で服を替えるつもりはないようで、淑女の衣装に魔術士の杖というちぐはぐな姿で男を見据えたリダは杖を片手にふんぞり返る。 「この街にあんたがいるって聞いてね。シゼルがあの格好なら引っかかるだろうって言うから渋々やってみたんだけど、まさかホントに釣れるとはね」 このためにわざわざ衣装まで仕立て、魔術士の象徴たる杖をギルに預けて、噂の魔術士が贔屓にしているという食堂で待ち伏せること、一刻あまり。 気の短いリダが「もう我慢の限界!」と喚き出さないうちにあっさりと罠にかかってくれて良かった、と天に感謝せずにはいられないギルだった。これも日頃の行いが良かったせいだろう。言い換えれば、『偽者』の日頃の行いが招いた結果とも言える。 さて、その『偽者』はと言えば、リダの言葉などどこ吹く風で、いきり立つシゼルをあの手この手で宥めようとしていた。 「騙してたのは悪かったよ。でも本当のことを言ったら、お前に嫌われると思ってさ」 「今更何を言ったって信じられないわよ! 大体ねえ……」 「まあ聞いてくれよ、俺が混血なのはさっき姐さんが言った通りだが、実は双子の弟がいてさ、そいつが作った借金を俺が肩代わりして……」 「はい、そこまで」 呆れ果てた、と言わんばかりの声はギルのものだ。どこから取り出したのか小さな帳面をめくりながら、淡々と言葉を続ける。 「往生際が悪いですよ。調べはついてるって言ったでしょう、アイゲン=エーレントさん。村を追い出されたお父さんを探すっていう旅の目的はどこへ行ったんです。それとも、それすら口実で、本当はただ自由気ままに遊んで暮らしたくて村を出たんですか?」 「うっ……いやその」 冷や汗をかきながら弁解の言葉を探すが、それより先にリダが口を開いた。 「あー、こんなヤツに何を言ったって無駄むだ」 ひらひらと手を振って、おもむろに杖を握りしめる。そしてその唇から紡がれ始めた呪文にアイゲンがぎょっと目を見開いた、次の瞬間――。 『四の五の言わずに行って来い!!』 「ひいいいいいいいぃぃぃぃぃぃっ……!?」 青白い光に包まれて虚空へと飛び立ったアイゲンは、あっという間に雲の彼方へと消えていった。 「おー、よく飛んだ」 青空にきらん、と光る光を見上げて満足そうに呟くリダ。 「打ち合わせ通り、エルバスの中央広場に着くように調整しといたから。ま、上手く着地できるかは本人次第だけどね。あとはそっちで煮るなり焼くなり好きにして」 「はい。ありがとうございました」 晴れ晴れとした顔で礼を述べるシゼル。今頃エルバスの町では、借金取りと娘達が彼の到着を今か今かと待ち侘びていることだろう。 「それじゃあこれ、約束の報酬です。本当に、何から何までお世話になりました」 「はい、毎度あり。なぁに、私も迷惑を被ったわけだしね。いい憂さ晴らしにもなったし、こっちこそ礼を言うよ」 「これで俺達も安心して旅が続けられます」 予想以上にずっしりとした小袋の重みを噛み締めながら、ギルはふと心配そうに続けた。 「シゼルさんはこれからエルバスに戻られるんですよね。近いとはいえ一人旅は危険ですから、十分気をつけて下さいね」 「なんなら、あんたも送ってあげようか?」 「いっ、いえっ! もう馬車の席を取ってありますからっ! それじゃあ私はこれでっ!」 そそくさとその場を後にするシゼル。遠慮しなくていいのに、と呟くリダに乾いた笑いで答え、ギルは偽者が旅立った空をつい、と見上げた。 「ここからエルバスまでだと、二、三刻は飛びっぱなしかぁ……」 着く頃にはきっと失神していることだろう。流石に彼が哀れになったが、だからと言ってわざわざ町まで送り届けている余裕は、今の二人にはない。 「ところでギル。今度の情報は確かなんだろうねえ?」 「今度こそ間違いないよ! 本物は西にいる!」 アイゲンについて調べる最中に仕入れた情報によれば、西大陸の魔術士協会が中心となって進められている『魔術士の塔』計画に、かの《金の魔術士》が関わっているという。何しろ今回は魔術士協会からの情報だ、信用していいだろう。 「それじゃギル、行くよ!」 「わわ、ちょっと待って、せめて着替えてから……!」 純白の裾を捲り上げて歩き出すリダを引き止めるべく、ギルは大慌てでその背中を追いかけた。 終☆
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