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聖なる夜の贈り物
MISSION:White Christmas
Shining k-nights 「Record Note☆☆☆
36 etude」 29:「ひとひらの…」


 授業終了を告げるチャイムがスピーカーから流れてきて、レンは溜め息と共に手を止めた。
(やっと終わった……)
 12月もそろそろ終わりを迎えようという週、一年の最後を締めくくった授業は小テストのおまけつき、という何とも嬉しくないものだった。年末を前に浮ついている学生の気を引き締めるため、とテストを強行する辺り、教授も全くもって意地が悪い。
 ようやく解放された、とばかりに浮かれた足取りで教室を去る学生達。ドアから流れてきた冷気にくしゃみをしながら、ディスプレイに浮かぶ『送信終了』のメッセージを確認してログアウトする。そうして荷物を手に立ち上がったところで、近くの席で同じ試験を受けていた友人数名が手を振ってきた。
「レン! 昼メシ食いに行こうぜ」
「これでようやく開放されるー!」
「いいなあ、俺なんか午後いっぱいあるんだ」
「それはそれは、ご愁傷様」
「レン、てめえ人事だと思って……!」
「ごめんごめん」
 賑やかな友人達に混ざって学食へと向かいながら、窓の向こうに広がる冬空につい、と視線を向ける。
 低く垂れ込めた雲。構内を行き交う学生達はみな、色とりどりのコートに身を包み、肩をすぼめて足早に通り過ぎていく。
「雪でも降りそうだな」
 レンの視線を受けてだろう、友人の一人がそんな事を言ってきた。いや、と言葉を返す前に、もう一人が彼の背中をばしっと叩き、笑い声を上げる。
「いやだなあ、タケルったら。ここはコロニーだよ? 雪なんか降るわけないじゃない」
「あ、そっか」
 そうなんだよな、と頭を掻く青年。地球育ちの彼は、まだこの「造られた自然」に馴染めないようだ。
 まあ無理もない。ここは限りなく本物に近い「季節」が再現されている。しかし、窓の外に広がる『冬空』も、コートを羽織らなければたちまち風邪を引いてしまいそうなほど冷たい『北風』も、全ては人工的に生み出されたもの。ここではどんなに空が曇ろうと雨や雪は降らず、どんなに肌寒く感じても気温が0℃を下回ることはない。それが、この"楽園"の冬。
「レン君は火星のコロニー育ちだったよね。あそこも、冬はこんな感じ?」
 不意に尋ねて来る友人に、レンは苦笑を浮かべて首を横に振った。
「とんでもない。一応、季節ごとに多少の温度変化はつけてたけど、これほどすごくはなかったよ」
 彼が生まれ育った火星のコロニーは一般居住用だったが、冬になってもせいぜい上着を一枚増やす程度の寒さにしかならなかったたし、逆に言えば夏になっても長袖で通せるくらいだった。
 ところが、この《LUNA-01》と来たら、夏は30℃近くまで気温が上がって、外に出ればあっという間に汗だくになるわ、冬はコートのほかにマフラーや手袋が必要なほどに冷え込むわで、とてもコロニーとは思えない環境設定がなされている。
 それもこれも、このコロニーの創設者である竹之内会長のこだわりから来るものだった。彼の掲げたモットーは、「自然であれ」――。その言葉に従い、この地では人類発祥の地とほとんど変わらない日々が営まれている。
(……だからって、ここまで徹底しなくっても……)
 生まれてはじめて経験する「冬」のおかげで、すっかり風邪を引いてしまったレンは、そう心の中でぼやきつつ学食の扉をくぐった。
「うわ、人いないなー」
「当たり前でしょ。ほら注文入れて」
 この午前中でほとんどの授業は終了しており、学食もすっかり閑散としている。恐らくほとんどの学生は、勉強から解放された喜びのままに市街地へと繰り出し、一足早いクリスマスを堪能しているのだろう。
 そう。あと5日でクリスマスがやってくる。聖なる夜も、今ではすっかり冬の一大イベントと化した。街には一月も前からイルミネーションが輝き、あちこちからクリスマスソングが流れてくる。街頭にはサンタクロースのコスチュームを着た店員が立ち、ケーキやプレゼントの売込みに余念がないときた。
「なあ、レンはクリスマス、どうすんだ?」
 テーブル備え付けの端末からメニューを入力し終えたレンの前に水を置きながら、友人の一人がそう尋ねてきた。サンキュ、とそれを受け取って、レンは溜め息混じりに首を横に振る。
「仕事が入っててね」
「ああ、お前バイトしてるんだっけ。大変だなあ」
 レンが勤労学生なのは周知の事実だったから、友人達は彼の返答にそうかそうか、と頷いてみせる。そしてレンも余計な事は口にせず、ただ困ったような笑みを浮かべていた。
(バイト、ならまだ良かったんだけど、ね……)
 レンは一応クリスチャンだが、そこまで敬虔な信者というわけではなかったから、礼拝に行けなくとも、また友人達と夜通し騒げなくとも、特に不満はない。しかし。
(よりによって、そんな日にミッション入れなくてもいいのになあ)

 それは半月前に遡る。
『クリスマスの日は特別ミッションがあるからね!』
 と、天使のような微笑みを浮かべてレンに言い渡したのは、誰であろう《Shining k-nights》の総司令である少女だった。
 それだけならまだしも、
『お兄ちゃん、恋人いないんだからどうせ暇でしょ?』
 と追い討ちをかけられて、涙が出そうになったことは言うまでもない。
 彼女にはもちろん悪意などないのだろう。それだけに、余計にタチが悪かった。
『楽しみにしててね!』
 と無邪気に笑いかけてくる少女に「嫌だ」とも言えず、がっくりと肩を落としながら司令室を後にした。
 あれからこっち、授業だレポートだ小テストだ、と珍しくも学生らしい日々に追われて「特別ミッション」のことなどすっかり忘れていたが、これまでに一度も呼び出しがかからなかったのを見ると、さほど難しいミッションではないのだろう。しかし、あのレミーが考えた事だ、どうせロクな仕事ではあるまい……。

「おい、レン?」
 小突かれて、注文したランチが届いたことに気づく。座席の横で所在なげに佇んでいた給仕ロボットから慌ててトレイを受け取ると、古いSF映画に出てきそうなずんぐりむっくりとしたロボットは「ゴユックリ」と挨拶してキッチンへと戻っていった。
「よーし、食べるぞー!」
 ようやく注文したものが揃い、律儀に待っていてくれた友人達と共に昼食をかきこみながらも、レンは未だ「特別ミッション」への不安を拭いきれずにいた。
(……頼むから、何事もなく終わってくれ……!)
 こんなことを言えば、同僚である科学主任あたりは「まだ始まってもいないのに」と笑うだろう。しかし、レミーが満面の笑みを浮かべた時には、決まってとんでもない事が起こる。その絶対的な法則を、この数ヶ月で嫌というほど思い知らされた。それを分かっていながら阻止できないのは、レンの未熟さ故か。
(……あの笑顔に負けちゃうんだよなあ。ほんと、情けない)
 彼女は自分の微笑みが武器になると分かっていて、その上レンが頼まれると嫌と言えない性格であることをよく知っている。更に「《LUNA-01》の平和のために、頑張ろう!」と止めを刺されれば、断れるわけがない。
「はぁ……」
 口を衝いて出た深い溜め息。それを聞いた友人達は、休みに入ってもバイト三昧の彼を不憫に感じたのだろう。「元気出しなよ」「ほら、唐揚げ一個やるから」などとしきりに力づけてくれた。その心遣いが嬉しくて、レンはぎこちなく笑ってみせる。
「大丈夫、疲れてるわけじゃないんだ。ちょっとね。心配事があるだけで」
「そうか? それならいいけど、あんまり一人で抱え込むなよ? 俺達でよければいくらでも相談に乗るからさ」
「そうそう。まあ、役に立つかは分からないけどな」
「特にアンタはねー」
「なにをっ!?」
「だってアンタ、こないだ『人の話を全然聞いてない』ってふられたばっかりでしょうが。そんな奴にお悩み相談ができるかっての」
「言ったなあ、大体あれは……!」
 いつの間にか話題が逸れていっている彼らへ、なんとも言えない顔でありがとう、と呟くレン。いくらなんでも、彼らに「謎の警備隊で、いいようにこき使われて困ってます」と泣きつくわけにはいかない。ただ、その気持ちが嬉しかった。
 色々と隠し事をして生きているレンにとって、あまり突っ込んだ事は聞かず、ごく普通に接してくれる彼らは得がたい友であり、そして守るべき人々だ。そんな人達が暮らすこの《LUNA-01》を守るのが《Shining k-nights》の、即ちレンの使命――。
「……でさあ、図書館近くのカフェあるじゃない? あそこにクリスマス限定のランチセットがあってね……」
「それ、昨日も言ってなかったか?ちっちゃいツリーがどうのとか」
「ツリーといえば、スペースポートのエントランスのあれ、見たか? こないだ行った時にさあ……」
 レンの心中など知る由もない彼らは、昼食をつつきながら話に花を咲かせていた。クリスマスのことや、すでに大半の学生が突入している冬期休暇の過ごし方。竹之内学園に通っている人間のほとんどは家族共々この《LUNA-01》に暮らしているが、全体の10%ほどは勉強のために親元を離れ、単身渡ってきた者達だ。偶然ではあるが、ここにいるメンバーは全てそういった一人暮らし組で、それぞれ冬期休暇を利用して帰郷する予定だという。
「そういや、レンは帰らないんだっけ?」
 うどんをすすりながら尋ねてきた同郷の友人に、こくりと頷いてみせるレン。
「どうせ帰ってもやることないし、仕事もあるからね」
 正義の味方は年中無休、がレミーの口癖だからして、《Shining k-nights》にお正月休みなど存在しない。
「そっかあ。もしかして、今日もバイト?」
「いや、今日は……」
 pipipi
「わ、ちょっとごめん」
 言葉を遮って響いた携帯端末の着信音に、慌てた様子で席を立つレン。その後姿を見送って、友人らはやれやれ、と肩をすくめた。
「今日も忙しそうだねえ」
「そうね。折角この後遊びに行かないって言おうとしたのに」
「また今度だな」
 何度聞いても、レンはどんなバイトをしているのかという問いには答えてくれない。しかし、しょっちゅう呼び出しがかかっていることからして、相当忙しい職種で、しかもかなり信頼されている立場だということは推測できる。
「あいつ、人の良さにつけ込まれて無茶な仕事やらされてるんじゃないだろうなあ?」
「あり得るね、それ。でも……」
 駆け足で戻ってきたレンの顔をちら、と見て、彼らは一斉に苦笑を浮かべた。
「なんだかんだ言って、楽しそうだもん」
「そーだな」
 息せき切って友人達の待つ席へ戻ってきたレンは、申し訳なさそうに急な仕事が入ったと言い、ゆっくり出来なくてごめんと詫びながら荷物を引っつかむ。
「すぐに行かなきゃいけないんだ。それじゃ、楽しいクリスマスを、そして良いお年を(Merry X'mas & Happy New Year)!」
そっちもな(You too)!」


* * * * *

「うう、寒い……」
 手袋をはめた手をこすり合わせながら、レンは公園の入り口に立ち尽くしていた。
 時刻はすでに22:00を回っていたが、眼下に広がる繁華街のネオンは煌々と輝き、耳を澄ませば賑やかな音楽が聞こえてくるようだ。
 クリスマスイブの夜。しかし、レンの周囲に人影はなかった。スペースポートから徒歩10分の高台にあり、繁華街やオフィス街を一望できる絶好のロケーションだというのに、だ。
 それも無理はない。ここは来年の春にオープン予定の公園、その名も「月の楽園」という新しいタイプの公共庭園だ。
 背後にある案内図によれば、公園はガラスのドームを中心にその周囲を四つのエリアに分け、それぞれ四季折々の花が楽しめるようになっている。面白いことに、それぞれの季節にしかこれらのエリアは開放されない。全てを見たければ季節ごとに足を運ぶ必要があるというわけだ。
 現在の科学技術を持ってすれば、季節の花を一年中咲かせることはたやすい。しかし、敢えてそれをせず、時が移りゆくさまを肌で感じようというのが、この公園の狙いらしい。
 来年のクリスマスには恋人達で溢れ返るのだろうこの公園も、今はただひっそりと静まり返っていた。まだ未完成ゆえに、あちこちに建機や資材が置きっ放しになっており、近くにある時計の針もあらぬ時間を指したままだ。
 仕方なく腕時計を覗いて、レンはやれやれを肩を落とした。
「みんな、遅いな」
 ぼそりと呟いた途端に口から白い息が漏れて、風の中に消えていく。冬に入ってからは寒い日々が続いていたが、今夜は一段と冷える。かなり着込んできたつもりだったが、まだ足りなかったか。それとも、ただ単純に風邪が治っていないからだろうか。
(早く帰って、薬飲んで寝たい……)
 そんな彼が何故に寒空の下、誰もいない公園の前で佇んでいるかといえば、ここが「特別ミッション」の集合場所だったからに他ならない。
 先日、最後の授業を終えて友人らと昼食をとっているところを呼び出されたレンは、どういうわけかレミーの個人的な買い物に延々と付き合わされた挙句、帰り際になってようやく「特別ミッション」はイブの夜に現地集合だと教えてもらうことが出来た。しかし肝心のミッション内容については一切告げられず、準備も何も全部こちらでやるから、とにかくそれまでに風邪を治せと命じられて、今日に至る。
 風邪は完治しなかったが、せっせと栄養と睡眠をとったお陰で、まあ薬さえ飲んでいれば鼻水がたれることも喉が痛むこともなく、なんとか日常生活に支障ない程度までは回復していた。治らなければミッションに参加しないで済む、と考えないところが、いかにも彼らしい。
(集合時間、間違えたかな?)
 風邪と買い物疲れでぼーっとしているところへ口頭で告げられただけに、その可能性も充分あり得る。
 仕方なく隊員の誰かに連絡を取ろうとポケットへ手を入れた、その時―――。
『副司令』
 呼び出し音すらキャンセルして、唐突にポケットの中から響いてきた女声に、レンはびくっと身体を振るわせ、慌てた様子で端末を取り出した。
「か、花梨……?」
『はい。こちら花梨=クロフォードです』
 聞き覚えのある声。何より、こちらの携帯端末へと強制的にアクセスし、通話ボタンを押さぬうちから無理やり音声を送ってくるような真似が出来るのは、目下のところ二人しかいない。一人は誰であろう総司令、そしてもう一人がこのオペレーター、花梨だ。
 画面には『SOUND ONLY』の文字。《Shining k-nights》専用回線からの通信に、レンはほっと安堵の息を漏らす。
「よかった、こっちから連絡しようと思ってたんだ。集合時間を過ぎてるのにみんな来ないからさ、僕の方が間違えたのかと思って」
『そうですか』
 そっけない相槌。機械よりも愛想がないと評判の彼女は、いつでもこんな調子だ。
 常に沈着冷静な態度を貫き、隊員達へと容赦ないツッコミを入れるこの少女は、レンにとって頭の上がらない女性ナンバースリーである。……ナンバーワンとナンバーツーが誰なのかは、言わぬが花であろう。
『中央ドームへ進んで下さい』
 相変わらず要点のみしか伝えてこない花梨に苦笑を浮かべ、レンは問いかけた。
「皆、そこにいるのかい?」
『はい。あとは副司令のみです』
 はて、集合場所はドームの中だったのか。確かに入り口の案内板前だといわれた気がしたのだが、まあいい。早いところ合流しなければ、レミーに何を言われるか分からない。
「ごめん、すぐに行くよ」
『お待ちしています』
 ぷつ、と通話が途絶え、辺りは再び静寂に包まれる。
 携帯端末をポケットに押し込み、レンは急ぎ足でドームへと続く道を走り出した。


 そこは、まるで幻想の世界だった。
 広場を覆いつくすのは半球型に広がった硝子の天蓋。半透明のドームを通して見る夜空は、寒さの余り凍りついてしまったかのようだ。煌く星々も、紗の向こうで微笑む異国の美姫のように遠く輝いている。
 大理石の床を一歩、二歩と進めば、少し先、一段上がった広場の中央には女神を模った繊細な彫刻が美しい噴水。月の女神(ダイアナ)の抱えた瓶から溢れ出した水は七色の輝きを帯びて、華やかな飛沫を上げる。
 夢のような光景に息を呑んだレンは、ふと鼻先を掠めた「冷たさ」に目を瞬かせた。
「ん?」
 初めは噴水の飛沫かと思った。しかし、それにしては距離がありすぎる。
 そう思った次の瞬間、今度は目の前をひらり、と舞う「白」――
 咄嗟に手を伸ばし、目に映った「それ」を捕まえる。いや、捕まえたと思って手を開けば、そこにはひとひらの――。
「……これって」
 一瞬のうちに溶けてしまったそれは、映像資料でしか見たことのない白い妖精。大地を覆い尽くし、世界を永い眠りへと誘う冬の使者。
「雪?」
 はたと見上げれば、舞い降りてくる雪、ゆき、ユキ――。硝子越しに輝く星空の下、とめどなく降り続く雪に見とれていたのも束の間。
「……なんで、建物の中で雪が降るんだ」
 思わず現実に立ち返ったところで、背後から破裂音が鳴り響いた。
「なっ……!」
 咄嗟に身構えつつ振り返れば、そこにはクラッカーを手に微笑んでいる仲間達。
「Merry Christmas!」
 不揃いな掛け声を合図に、どっと駆け寄ってきた彼ら。数ヶ月前までは赤の他人だった仲間達は、突然のことに目を白黒させるレンの肩や背中をばんばん叩きながら、口々にお祝いの言葉を浴びせる。
「どうだい、驚いただろ? 副司令」
「こちとらデート蹴ってまで駆けつけたんだからな、ちったあ喜べよ!」
「レンさん、どうです? 初めて雪を見た感想は」
「え、だからその、これって一体……」
 どういうことだろう。特別ミッションではなかったのか?訳が分からないレンに、一番最初に飛びついてきた少女が満面の笑顔を浮かべて一言、
「ミッション『White Christmas』、大成功だねっ!」
 よかったぁ、と無邪気に喜ぶ彼女を見て、レンはしばし言葉を失った。
「……! まさか、このサプライズパーティ自体がミッションだったってこと?」
「そーゆーこと!」
 そう答えて少女が示した先には、いつの間にか用意されたテーブル。
 クリスマスカラーのテーブルクロスの上にはこれでもかと言わんばかりにご馳走が並び、うやうやしくシャンパンの栓が抜かれて、グラスが回ってくる。
 一方、少し離れたところでは、
「降雪装置の正常稼動を確認。引き続きチェックを続けます」
「雪の粒が少々粗いような気がするな。降り方も単調で趣がない。まだまだ改良の余地ありか」
「おーい、二人とも真面目に仕事なんかしてないでこっち来なよ」
 端末と顔を突き合わせていた花梨とクラリスを手招きするアレックス。やってきた二人にアリスンがグラスを渡し、水晶が金色の泡を注ぎ込む。
「さあて!」
 嬉しそうに声を上げる少女。シャンパンと同じ輝きを持つ髪をふんわりと揺らし、集まった隊員達の顔を一人一人見回して、彼女はグラスを掲げてみせる。
「聖なる夜に、乾杯!」
「かんぱーい!」
 グラスが打ち鳴らされ、パーティが幕を開ける。
 どこからか流れてきたクリスマスキャロル、それに合わせて変化する噴水を見て溜め息をつく者がいれば、特大のクラッカーから飛び出てきた紙吹雪に逃げ惑う者もいる。そして、頭上から舞い落ちる雪は、彼らの頭や肩をうっすらと染めていく。
 まるで夢を見ているようだ。そう思いつつもグラスを傾ければ、口の中で弾ける細かな泡。そう、これは紛れもなく現実だ。
「お兄ちゃん、どう?びっくりした?」
 突然響いてきた声に振向けば、そこには雪のようなドレスを身に纏った少女の姿。レンは苦笑を浮かべて、勿論だと頷いてみせる。
「びっくりしたよ。大体、パーティをやるなんて聞いてなかったし……」
「だって、お兄ちゃんを驚かせたかったんだもん」
 内緒で準備するの大変だったんだから、と笑う少女。そして、まだどこか納得いかないという顔のレンを見て、少々言い訳がましくこんな言葉を付け足した。
「それに、これはれっきとしたミッションだよ?このクリスタルドームの降雪装置が正常に作動するかどうか、あと初めて雪を見た人がどんな反応をするかを調べたかったんだ」
 ほらね、と少女が指差した先には、再び端末の前でなんだかんだと議論しているクラリスと花梨。時折こちらを指差しては何か囁きあっている二人を見て、なるほど自分はまた実験体にされたのかと納得する。
 しかし彼はそのことに憤慨することなく、ただ嬉しそうに笑った。
「じゃあ、これからは冬になれば雪が楽しめるんだ」
 それは楽しみだね、と呟くレンに、少女はそれだけじゃないよ、と瞳を輝かせる。
「春になれば暖かい風が吹くし、六月には雨が降るよ。夏には蛍を飛ばして、秋には枯葉が舞い散るの」
 ここは人工の楽園。本物の自然を味わう事は出来ない。
 それならば、せめても一時の夢を。そう考えて開発された公園であり、このドームなのだと少女は得意げに語る。そして、この公園の提案者は誰であろう、彼女自身だというのだから驚いた。
「え、これ全部レミーが?!」
「うん。だって、お兄ちゃんずっと前に言ってたじゃない。『一度で良いから、この目で雪が降るところを見てみたい』って」
 確かに、以前この少女とそんな話をした記憶がある。
 現在氷河期に突入している地球では、いやというほど見られるだろう雪。しかしレンは生まれも育ちも火星のコロニーで、季節感とは無縁の生活を18年間送ってきた。
 そんな故郷に比べ、この《LUNA-01》はまるで本物の地上と錯覚するくらいに自然に満ち溢れている。
 しかし――。
『惜しむらくは、雨や雪までは再現できていない』
 何の気なしに、ただ思ったままを口にしたレンに、少女はどこか悔しそうな顔をして『そうだね』と答えていた。それでその会話は終わったものだと思っていたのに。
「それじゃ、僕に雪を見せるために……?」
 わざわざ公園まで作ったというのか。途方もない話だが、彼女ならやりかねない。
「そうだよ?おじいちゃまに相談したらいいアイディアだねって言われたから、お父様にお願いして許可をもらったの。あとはSeleneやクラリス達に協力してもらってドーム部分を設計して、公園部分の設計や実際の施工はプロの人達に任せたけどね」
 彼女の言う「おじいちゃま」は竹之内財閥名誉会長、「お父様」は竹之内財閥総帥という肩書きを持つ。
 そしてマスコミにつけられた彼女の通称は「Moon Princess(かぐや姫)」。天真爛漫、自由奔放なプリンセス。それが彼女、レミー・キャロル=竹之内。
「だって、お兄ちゃんが見たいものなら、きっと他の人だって見たいんじゃないかな、と思ったんだもん」
 唖然とするレンを見て、レミーはえへ、と笑ってみせる。
「このコロニーで暮らす人間の38%は地球以外の生まれで、本物の雪を見たことがないっていう調査結果も出てたし、これだけのロケーションでこの設備なら観光の新名所にもなり得るだろうし、それなら充分に採算が取れると踏んだの。だから、純粋にお兄ちゃんのためってわけじゃないんだけどね。……レミーってば、ちゃっかりしてるでしょ?
 なるほど。単なる思い付きではなく、経済効果まで視野に入れている辺り、彼女もただのわがままなお嬢様ではないというわけだ。
「確かに、ちゃっかりしてるなあ」
 苦笑しつつ、むしろ自分のためだけに作られたものではないのだと分かってほっとする。そんな恐れ多い真似をされたら、それこそ竹之内財閥に足を向けて寝られなくなる。まるごと全部が竹之内財閥と言っても過言ではないこの《LUNA-01》で、そんな器用な寝方が出来るわけもない。
 まあ、それは冗談として、こんな嬉しいクリスマスプレゼントは初めてだったから、レンは照れたように笑いながら、素直に感謝の言葉を口にした。
「ありがとう、レミー」
「どういたしまして! ほら、折角のクリスマスパーティなんだから、もっと楽しもうよ!」
 そう言ってレンの腕をぐいと引き、仲間達の輪に飛び込んでいく少女。たわいない話で盛り上がっていた彼らは、やってきた二人を笑顔で迎える。
「お、来たねご両人」
「何こそこそと話してんだよ、怪しいなあ」
「おや、妬いてるんですか?」
「ば、馬鹿言え! なんでオレがっ」
「顔が赤い」
「これはシャンパンがだなあ……」
「ノンアルコールのはずですが」
「うっ」
 弾ける笑い声。いつものようにじゃれ合いながら、彼らは料理と酒に舌鼓を打ち、時折飛んでくるクラッカーの紙テープに閉口しつつ、シャンパンに溶ける雪の一片に目を細める。
 そうして、楽しい時間はゆったりと流れていった。

* * * * *

降りしきる雪の中、笑い声だけが響く。
 やがて日付が変わると、彼らは一斉に歓声を上げ、遠い昔、彼方の地で産声を上げた聖者を祝った。
「Merry Christmas!」
 聖なる夜。満月の下に雪は舞い、気の知れた仲間達と共に歌い、踊る。
 この夢のようなひとときが、たまらなく嬉しくて。
「レミー」
 躊躇いがちに少女の名を呼べば、レミーは弾む足取りでやってきて、無邪気な笑みを浮かべながら何?と尋ねてくる。
「レミーはサンタクロースみたいだね」
 本人すら気づいていなかった『願い』を言い当て、魔法のように叶えてくれる。それはまさに聖夜の夜に家々を訪れ、幸せを運ぶ聖人のよう。
「サンタクロースかあ。だとしたら」
 にっこりと微笑み、ぴっと指を立てて。
「お兄ちゃんがいい子にしてたから、来たんだよ!」
「そう、か」
 この歳で「いい子」もないもんだ。レミーもそう思ったのだろう、二人して顔を見合わせ、くすくすと笑いあう。
 そして。
「ありがとう、僕のかわいいサンタクロース(my dear Santa Claus
 レンの呟きはアレックスが歌う調子外れのクリスマスキャロルにかき消され、他の誰にも聞こえなかった。

* * * * *

「は?」
 熱っぽい顔をなんとか上げて、告げられた言葉に首を傾げる。ぶり返した風邪のせいだろうか、何か今、とんでもない聞き違いをした気がする。
 夜中過ぎまで続いたパーティ。上機嫌で寮に戻ったレンに襲い掛かったのは、熱と咳のダブルパンチだった。
 考えてみれば、ただでさえ寒いところに雪を降らせて、その中で何時間も騒いでいたのだ。無理もない。
 そんな彼を見舞うべく、午後になってひょっこりと顔を出したレミーは、昨日渡し忘れたの、と大きな箱をいくつも部屋に運び入れ、そして――
「だから、今日の夜にある、おじいちゃま主催のパーティにレミーのパートナー役で出てね♪」
 にこやかに繰り返す少女に、レンは聞き間違いではなかったのかと肩を落とした。
「ちょっと待ってよ、なんで僕が」
「だって、レミーのパートナーはお兄ちゃんじゃない」
 それは《Shining k-nights》の中だけでの話ではないのか、と反論しようとした矢先、
「それにほら、レミーはおにいちゃんの"my dear"なんでしょ?」
 ぽかんと口を開けるレン。一瞬なんのことか分からなかったが、悔しいくらいに記憶力のいい補助脳がおよそ12時間前の出来事を鮮明に思い出させてくれた。

「ありがとう、僕のかわいいサンタクロース(my dear Santa Claus

 頭を抱えるレン。ああ、確かに言っている。
 アルコールを摂取したわけでもないのに、何故あんなこっぱずかしい台詞が口を衝いたのか。恐らくはあの雰囲気に酔ってしまったのだろうが、それにしても……。
「あ、あのねレミー。あれはその……」
 "dear"という単語には"いとしい人"という意味合いもある。しかしあの場合は――
「レミーもお兄ちゃん大好きだから、とっても嬉しかったんだ♪」
 そう言いながら、レミーは自ら運んできた箱の数々を片っ端から開けていく。
「だから、そうじゃなくって……」
 困り果てたレンの前に、次々と並べられていく箱の中身は、黒のタキシードにエナメルの靴、黒い蝶ネクタイにシルクのカマーバンド――。
「レミーが見立てたの!きっと似合うよ、お兄ちゃん」
「いや、その……」
「あ、タキシード着るの初めて? 大丈夫、着替えるの手伝うから。レミーにどーんと任せて!」
「……だから、あのね」
 そもそもの論点からしてずれているのだが、少女はそこのところを全く理解していない。
(参ったな……)
 大体、竹之内財閥名誉会長の主催するパーティと言えば、各界の著名人が一堂に会する盛大な催し物である。そんな大層なパーティに列席するだなんて、身分不相応もいいところだ。いくら個人的にレミーやその家族と親しくとも、レンは一介の学生に過ぎないのだし、まして「パートナーです」と出て行ったら最後、どうなることか……。
(冗談じゃない、ただでさえ学内で変な噂立てられてるのに、これ以上……!!)
 何とか少女を思いとどまらせようと、レンは必死に言葉を紡ぐ。
「その、仮にも謎の警備隊に所属する人間が下手に顔を覚えられるわけにも行かないだろ?それにほら、熱も引かないし咳も止まらないし、この状態じゃあとてもパーティなんて」
「なあに、心配無用だ」
 唐突にドアの方から飛んできた声に顔を上げれば、そこには白衣を引っかけたクラリスと、何故かナースの格好をした花梨の姿。
 そしてクラリスの手には、怪しげな薬瓶――。
「それだけはやめてくれぇー!」
「あっお兄ちゃんっ!!」
 一気に青ざめ、ベッドから飛び出したレンのパジャマの裾を、すかさず掴むレミー。
「駄目だよ、逃げちゃあ」
「レミー、離してっ……お願いだからっ!!」
「だーめ」
 こう見えてレミーはレンに負けない腕力の持ち主だ。ましてレンは風邪のせいで力が出ず、あっさりと根負けしてベッドに逆戻りする。そこに、つかつかと歩み寄ってきたクラリスがずいと瓶を突き出し、
「新開発の風邪薬『LUNA−ゴールドα』。効き目は――」
「クラリスの持ってくる薬は信用できないんだよぉぉぉっっ!!」
 今にも泣き出しそうな顔で抗議するレン。すると彼女はさも心外だと言わんばかりに、
「これは市販薬」
 とのたまった。
「……本当?」
 疑いの眼で、クラリスではなく花梨の方を見やるレン。相変わらず無表情な彼女はこくんと頷き、
「事実です」
 ようやくほっと息をついた途端、今度は
「じゃあ、早く飲んで風邪治して、レミーとパーティー出てね♪」
「そ、それはっ……」
「レミーとじゃ、いや?」
(うっ……!)
 上目遣いに見つめてくる瞳に浮かぶ、悲しげな輝き。今にも透明な雫となって溢れ出しそうなその光に、ぐっと胸が詰まる。
 そう。良心の塊であるレンは、こういう状況にとことん弱かった。
「嫌って訳じゃ」
 焦って言うレンに、ぱっと笑顔を取り戻すレミー。
「じゃあ決まりね!」
 しまった。まただ。
(……どうしていつもこうなるんだろう)
 深い溜め息をつきつつ、箱の中身を広げ始める少女の心底嬉しそうな顔に、まあいいか、と口の中で呟く。
 彼女に踊らされるのはもう慣れっこだし、最近ではその対処策もようやく掴めてきた。即ち――
(楽しんでしまうこと、だよね)
 どうせ巻き込まれるのは分かっているのだ。ならばハチャメチャな状況を丸ごと受け止めて、楽しんでしまえ。
 それがこの数ヶ月で出した、レンなりのやり方。
「では、ぐいっと」
 間近で響いた声にはっと顔を上げれば、目の前には薬瓶を握ったクラリスの手。
「分かったよ」
 覚悟を決めて薬瓶に手を伸ばしたレンは、ふとラベルに目をやって、思わず動きを止める。
「……『試作品』?」
 商品名と効能が印刷されたラベルにでかでかと書かれた赤い文字。胡乱な瞳で見上げるレンに、クラリスはさっとラベルを引っ剥がし、何事もなかったかのように再びレンへと差し出した。
「気のせいだ」
「うそだっ! 確かに試作品って書いてあったぞ?!花梨、どういうことか説明してよ!」
「正確には、来春発売予定の風邪薬です」
「クラリス!」
「なに、効能は問題ない。現在は最終調整を行っているところで……」
「そんなものを飲ませようとするなー!!」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん! 今のところ味と臭いに問題があるだけで、効能はばっちりなんだから」
「味と臭いに問題があるってだけで充分すぎるよ!」
「そうかなあ?」
 かくして、十分以上にも渡る押し問答が続いた後、結局折れたのはレンだったことは言うまでもない。

 怪しげな薬はきちんと効力を発揮し、熱も咳も治まったレンは渋々ながらレミーの手をとってパーティ会場に姿を現し、集まった招待客だけでなく各メディアまでも驚かせることになるのだが、それはまた別の話だ。


 幻想のホワイトクリスマス
 泡沫の夢だって、いいじゃないか
 だってほら、みんな笑ってる
 笑顔は、大いなる力 
 奇跡を起こし、幸せを呼ぶ
 だから
 全ての人に Merry Christmas!
 幸せよ、雪のように降り積もれ――


「何はともあれ、クリスマスおめでとう。えっと……キャロルって呼んだほうがいい?」
「うん! お兄ちゃん」
「じゃあ……。おめでとう、キャロル」
「おめでとう、レン!」


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