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花 冠 を 君 に

伝説の卵神官シリーズ「未来の卵☆☆☆
36 etude」 31:「花冠」


 亜麻色の髪に、色とりどりの花冠。
 花に囲まれ、はにかんだように笑う少女。穏やかな光を映す瞳は、まるで琥珀のようにきらいている。
 最後の一筆は、柔らかな唇。淡い桃色をうっすらとひいて、マリオは筆を置いた。
「……よし」
 下絵を描き始めたのが三の月頃だったから、優に五ヶ月ほどもかかった事になる。もともと人物画よりも静物画を好むせいもあるが、勿論それだけではない。
 この絵は特別なのだ。これまで思うままに描いてきた作品とは違い、とある目的のために描いたものだったから、余計筆に力がこもってしまった。
「間に合ってよかったぁ」
 あともう少し遅れていたら、折角の機会を逃すところだった。
 この地方には夏祭の風習がある。そしてその祭の夜、思いを寄せる相手に心のこもった贈り物をするのが、若者に受け継がれるもう一つの風習だ。相手が贈り物を受け取れば思いを受け止めた証。かくして祭の夜は、若者達の思いが交錯する熱く長い夜となる。
(でもなあ)
 『男は顔!』と言い切るあの幼馴染の少女は、果たしてこの絵を受け取ってくれるだろうか。そもそも、まず恋愛対象として見られているかどうかも怪しいのだ。
 それでも。彼女にとってはただの幼馴染でも、マリオにとって彼女は――。
「お姫様、だからね」
 思い出したようにくすりと笑って、描きあがったばかりの絵に目を向けた。
 光の中で微笑む少女。その笑顔が、幼い日の彼女と重なる。
 今も昔も変わらぬ笑顔で、彼女は常にマリオのそばにいてくれた。
 一つ年下の、こまっしゃくれた口を利く少女。小さな村の中で彼らは、まるで兄弟のように育った。そんな彼女に、それまでとは違う感情を抱き始めたのは、いつの頃からだっただろう。
(そう……あの頃にはもう、気づきはじめてたんだ)
 脳裏に過ぎるのは、色あせた過去の風景。納屋の裏で膝を抱えた幼い少年の嗚咽。そして――。


「もうっ。マリオったら、どうしてやられっぱなしなのよ!」
 泣きべそをかく少年に、腰に手を当てて叱咤する少女。耳の上で二つに結わえられた茶色の髪が、威勢のいい彼女の台詞に合わせて揺れている。
「いやな事はいやって、ちゃんと言わなきゃ駄目なのよ。じゃないとあいつら、余計調子に乗るんだから」
「いいんだ」
 ぐい、と涙を拳で拭い、その場に立ち上がる少年。ぱんぱんと膝の埃を払い、少女へとぎこちない笑みを向ける。
「どうせいつものことだもん」
 そう、隣村の少年らにいじめられるのは、いつもの事だ。
 エストの村に暮らす子供達は、週に一度隣村に通っては簡単な読み書きを教わっている。それが終われば、夕の一刻を知らせる鐘が鳴るまでを遊んで過ごすのが常だった。
 そんな中、いつも一人離れたところで黙々と絵を描いているこの少年が、隣村の子供達にしてみればどうにもお高くとまっているように映るらしい。
「だからって、なんで何も言い返さないのよ?」
「だって……、けんかするの、きらいだし」
 少年は同じ年頃の男の子とはしゃぎまわる事よりも、絵を描く事が好きだった。それが楽しいのだからと言っているのに、彼らは聞こうとしない。そんなことをやってないで一緒に遊べと、描きかけの絵を破ったり黒炭を折ったりして、強引に少年を遊びに引き入れようとする。
 さすがに最近では慣れてきたが、今日は描いていた帳面ごと取り上げられてしまい、しかも描き途中の絵が特にいい出来だったものだから、悔しくて、悲しくて、涙が溢れた。
 そんな少年を「女々しい奴」と罵り、さっさとどこかに行ってしまった彼ら。一人残された少年はこうして、誰にも見つからないところでこっそりと泣いていたのだが、幼馴染の少女にはお見通しだったようだ。あっという間に見つかって、こうしてお説教をされている。
「んもぉ」
 困ったわね、と肩をすくめつつ、少女は後ろに隠し持っていた一冊の帳面をすっと差し出した。
「取り返してきたわ」
 目をまん丸にして見上げてくる少年へと得意げに言ってのけ、更に帳面を突き出す。慌ててそれを受け取った少年は、おずおずとお礼の言葉を口にした。
「あ、ありがとう、エリナ」
「どういたしまして。あいつらったら、それを教会の暖炉に突っ込もうとしてたのよ?まったく、いたずらするにもほどがあるわよねっ」
 よく見れば、少女の服はあちこち埃まみれになり、頬には煤までついている。帳面を取り返すために、年上の少年達と一悶着あったのは一目瞭然だ。
「エリナ、大丈夫? 怪我してない?」
 心配そうに尋ねてくる少年に大丈夫と頷いて、少女はすっと人差し指を突き出すと、少年のおでこを小突いた。
「大切なものは、ちゃんと守らなきゃ。でしょ」
「うん、でも……」
「でもじゃないの! 大切なものを守るためなら、どんなに勝ち目のない相手にも立ち向かうのが、本当の男ってものなのよ! おじいちゃまがいつもそう言ってるもの。だからマリオも頑張って、あいつらなんかに負けないくらいに強くならなきゃ駄目。分かった?」
 物凄い剣幕でまくし立てられて、少年はあたふたと頷いた。けんかは苦手だし、いじめっ子も怖い。でも、この幼馴染の少女に嫌われる事に比べたら、なんでもない。
「うん、これからは、頑張る……」
「約束よ?」
 そう言って、少女はさあと手を差し伸べてくる。きょとんとする少年に、少女はとびきりの笑顔を向けた。
「この近くに、素敵なお花畑を見つけたの! マリオにだけ教えてあげる」

 色とりどりの花が咲き乱れる、秘密の花畑。
 村はずれの雑木林を抜けた先に広がっていたその光景に、思わず目を見張る。
「どお? すごいでしょ」
 自慢げに言ってくる少女に頷いて、少年は恐る恐るその花畑に一歩足を踏み入れた。
 初夏の日差しを浴びて、いっぱいに花びらを広げる花々。一見ばらばらに見えて、実に調和の取れた色彩は、まさに自然の生み出した絶対の美。
「すごいや」
 感動に打ち震える少年を横目に、少女は花を摘んでは持ち上げた前掛けに集めていく。そうして摘んだ花をひょい、と少年の髪に挿して、うんうんと頷く少女。
「マリオってばきれいな髪だから、お花がよく似合うわよねっ」
「そ、そうかな」
 花が似合うと言われてもあまり嬉しくはなかったが、まあ悪い気はしない。
「エリナの方が似合うよ」
 そう言いながらかばんを地面に置き、少年もまた花を摘み始める。手当たり次第に摘んでいた少女とは違い、色や形を選びながら慎重に花を手折る少年。その間に少女は幾つもの花冠やら首飾りやらを編んでは、出来上がりに満足して笑顔を浮かべていた。
「そんなにいっぱい作ってどうするのさ?」
「トルテとお母さんと、あとおじいちゃまにあげるの!」
「ゲルク様に?」
 エストの名物、ユーク分神殿を守る頑固じじいことゲルク老人が、その禿げ上がった頭に花冠を乗せているところを想像してしまい、思わずぞっとするマリオ。
「あら、おじいちゃまって意外にお花好きなのよ?」
「そ、そうなんだ」
 あまり深くは考えない事にして、花を摘み終えた少年は器用に花を編んでいく。それをしばし眺めていた少女だったが、ふと手を止めて口を開いた。
「ねえ、マリオは将来、何になりたい? やっぱり、画家を目指すの?」
 十歳にもなれば、それまでただ毎日を楽しく過ごすことに夢中だった子供達も、先々のことに目を向けるようになる。とはいえ、まだ夢や憧れの域を出ないようなものばかりで、やれ冒険者になるだの、父の跡を継いで鍛冶屋になるだの、幻想と現実の入り混じった話を繰り返しているわけだ。
 絵の得意なマリオならば画家になるのだろうというのは、子供らしい素直な発想だ。しかし、少年は気弱な笑みを浮かべて呟く。
「画家かぁ。なれたらいいけど、どうなるのかな」
 絵が上手いと褒められる事はよくある。それでも、自分の腕が世間に通用するようなものだとは思っていなかった。
 きっとこのまま、ごく普通に年を取って、ごく普通の村人として生涯を終えるのだろうと思う一方、それでも大好きな絵の道を諦める気にもなれなくて、少年の心は日々揺れている。
 そんな少年の葛藤に気づいているのかいないのか、少女は屈託ない笑顔で、自らの夢を口にした。
「私はね、いつかお姫様になりたいの! それで、かっこいい王子様と結婚して幸せになるのよ」
 それは幼い少女ならば一度は見る夢。とはいえ、日頃は誰よりも現実的でおませな少女が抱く夢にしては、随分と子供じみているようにも思える。
 しかし、少年はその夢を笑い飛ばす事なく、ただ頷いた。
「エリナなら、きっと素敵なお姫様になれるよ」
「本当? そう思う? 絵本に出てくるような、きれいなお姫様になれるかな」
「うん」
 嬉しそうな少女の頭に、編み上がった花冠を乗せる。そうして、おもむろに少年はかばんの中から帳面を取り出すと、空いた頁に黒炭を走らせていく。
 ほどなく描き上がった一枚の絵。花冠を頂き、花をあしらった服をまとった少女がそこには描かれていた。その面影はどことなく、目の前の少女を思わせる。
「ほら、お姫様だ」
 絵本に描かれたものとは比べ物にならないほど稚拙な絵。それでも、少女にとっては何よりも嬉しい贈り物だった。
「ありがとう、マリオ! 大好きよ」
 ぎゅうっと飛びついてくる少女。その勢いで後ろにひっくり返りそうになって、慌てて体勢を整える。
 間近で揺れる柔らかな茶色い髪。少年の編んだ花冠が、瑞々しい香りを辺りに振りまく。
「私、きっとお姫様になる。そうしたらマリオ、また絵を描いてね」
「うん、もちろんだよ。でも……」
「え?」
「できれば、僕の……」
 呟きかけて、はっと口を閉ざす少年。不思議そうに見上げてくる鳶色の瞳に、なんでもないと頭を振る。
「そろそろ帰ろうか」
 迫り来る夕方の気配を風の中に感じ取って、マリオはかばんを取り上げた。少女もそうね、と頷いて、そっと少年の手に自らの手を重ねる。
「帰りましょ」
 小さな手をぎゅっとつないで、花畑を後にする二人。
 遠ざかっていく二つの影を見送るように、色とりどりの花びらはいつまでも風に揺れていた。


 なんでもない日の、なんでもない光景。
 幼かったあの頃と変わらない笑顔で、少女は今も笑いかけてくる。
 ただの幼馴染でいる事はもう出来ない。あの頃から胸に抱き続けていた恋心は、今にも胸の奥からあふれ出してしまいそうで――。
 だから、この絵を描いた。ありったけの思いを込めて。
 と、玄関から物音がした。ほどなく扉が開く音がして、マリオは慌てて描き終えたばかりの絵に布をかけ、画材一式と一緒に小屋の片隅に片付ける。
 彼女に渡すまで、他の誰にも見せるわけには行かない。そうして慌しく片付けを終えたのとほぼ同時に居間へと現れたのは、この小屋の主である神官服の青年。その背中には、白く巨大な卵の姿もある。
「おかえりなさい、ラウルさん」
「なんだ、いたのか。ちょうどいい、ちょっと肩もんでくれよ」
 いささか乱暴におんぶ紐を外し、卵を机の上に放り出して首を回す神官。外では礼節溢れる態度を崩さない彼も、マリオをはじめとする一部の人間の前では本性をさらけ出している。口は悪いし態度はでかいし、女と見るとすぐに鼻の下を伸ばすような人間だが、その実かなりのお人よしである事は、マリオが誰よりも知っていた。そしてそんな彼を、今では兄とも慕っている。
「そんなに重くないんでしょう?」
 そう答えながらも、神官の後ろに回りこんでその肩をもみ始めるマリオ。だらしなく背もたれに寄りかかっているだけでなく、机の上に足まで上げてくつろいでいるこの姿をエリナ達が見たら、なんと言うだろうか。
「もお、靴のままで足乗せないでくださいよ!」
「脱ぐのがめんどくせーんだよ。どうせ後でもう一度、衣装のことでエリナのところに行かなきゃならないんだ」
 ったく、まいったなあ、と呟くラウルに肩をすくめて、マリオは肩をもみ続ける。凝り性のエリナに見込まれたのが運の尽きだ。毎夜毎晩、寝る間も惜しんでラウルの衣装を縫っている少女の、その執念にも似た情熱は、たとえマリオであろうと止める事は出来ない。
「そういやマリオ、なんていって告白するつもりだ?」
 唐突な問いかけに、思わず顔を赤らめるマリオ。それが見えているわけではあるまいに、ラウルは意地悪な笑い声を上げて続ける。
「なんなら殺し文句の一つや二つ、伝授してやろうか」
「結構です! 僕には僕のやり方ってもんがあるんだから」
 珍しくはっきりと答えるマリオに目を見張りつつ、ラウルは分かったよ、と手を上げた。
「ん、もういいぜ。ありがとな。さあて、夕飯でも作るか」
 のろのろと足を降ろし、台所へと向かう神官。手伝いをするべくその後を追いかけながら、マリオは部屋の片隅に立てかけられた絵を振り返った。慌てて片付けたものだから、布の合間から乾きかけの絵がちらりと覗いている。
「お姫様、か……」
 描かれているのは、マリオの思い。こめられているのは、あの幼い日に言いかけた言葉。
「おーい、暇なら手伝えよ」
「はい、今行きますからっ」
 駆け出す少年の後姿へと、絵の中の少女は微笑みを投げかける。花々に彩られ、至福の笑みを浮かべて、まるで絵本に出てくるお姫様のように――。
 そう、絵本の終わりはいつだって、幸せな結末。しかし現実の世界は、そう甘くはない。夢見るだけでは空も飛べないし、胸躍る冒険だってどこにも転がっちゃいない。王子様は都合よく目の前に現れたりしないし、初恋は得てして実らない。
 でも。
 たまになら、そんなおとぎ話のような出来事が起きたっていいじゃないか。
(おとぎの国のお姫様、そう僕だけの――)

 僕だけのお姫様でいて
 野花の花冠に、ちっぽけな絵
 贈れるものは、これだけしかないけど

 白い馬もいないし、お城だってない
 どうあがいたって、王子様になんてなれっこない
 でも、僕にとって君は、誰よりも素敵なお姫様だから

 あの日編んだ花冠
 儚い美しさを、絵の中へと永久に閉じ込めて
 ありったけの思いを、君に――

 花冠を、君に。


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