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「……魔法使いが高らかに唱えた呪文は、王女の戒めを解き、そして悪の死霊使いを打ち滅ぼしたのでした。めでたしめでたし」
 ぱたんと絵本を閉じ、膝に乗る小さな姫君の横顔を窺えば、いつもならすぐさま「もーいっかい!」とおねだりをする我が愛しの娘は、何やら難しい顔をして絵本の表紙を睨みつけている。
「もうおねむかい? 私のかわいいお姫様」
「ちがうもん」
 ぶんぶんと頭を振って、くるりと振り返る青い瞳。
 その宝石のような双眸がどこか潤んで見えるのは、きっと半分はもう眠いせいで、もう半分は何かに憤っているからだね。
 朝はこんな難しい顔をしていなかったから、昼過ぎに遊んでいた近所の子供に何か言われたかな。
「困っていることがあるなら話してごらん? 父様がずばっと解決してあげよう」
 こう見えても君の父様は、偉大なる魔法使いなんだからね。もっと頼ってくれていいのだよ?
「だってかあさまが、『とうさまはいそがしいのだから、あんまりむりをいってはだめよ』って」
「何を言うんだね! 仕事と愛娘とどちらかを選べと言われたら、私は迷わず君を選ぶんだよ、愛しの姫君」
 まったく、こんな幼子に気を使わせるなんて、なんて私は不甲斐ないんだ! 情けなくて涙が出てしまうよ。
「さあ、どうか父様に、君の悩みを打ち明けておくれ。どんな些細なことでもいいんだ。その憂い顔を笑顔に変えるためなら、私は世界を敵に回してもかまわないよ」
 そう、明日受け渡し予定の服がまだ仕上がっていないことなんて、君がその小さな胸を痛めているという事実に比べたら、なんでもないことさ。
「うん、わかった。おはなしするね」
 膝の上から降りて、目の前に立つ。そうすると、三歳という年齢よりも大人びて見えるね。ああ、こうやって君はどんどんと成長して、いつかは離れていってしまうんだなあ。
「ねえ、とうさま。どうしてリディアはまほうがつかえないの? とうさまのこなのに、どうしてリディアはまほうつかいじゃないの?」
 ああ――なるほど。
 それを気にしていたのだね。
 ……ふむ。魔力や魔術の才は親から子に遺伝しないものだと説明するのは簡単だが、それではつまらないから。
 だから、いいことを教えてあげよう。

「魔法が使えないなんて、そんなことはないよ。リディアは立派な魔法使いさ」
「うそだもん。リディア、まほうなんてつかえないもん!」
 ああ、泣かないで、私の小さな姫君。
 大丈夫、きっといつか分かる日が来るさ。だから今は、こう言おう。
「じゃあ、とっておきの魔法を教えてあげよう。この言葉を唱えれば、たちどころに魔法がかかるよ」
「ほんと? おしえて、とうさま!」
「ああ勿論さ。父様の後に続いて唱えてごらん」

『あ・り・が・と・う』

「ありがとう?」
「そう、最強の魔法だ。みんなをあったかい気持ちにしてくれる、素敵な魔法の言葉だよ」
「ほんとうに?」
「ああ、勿論だとも。ただしこれには発動条件があるんだ。誰かに親切にしてもらった時に、すぐさま唱えること。じゃないと効果がないんだよ」
 うーん、ちょっと難しかったかな?
「うん、わかった! とうさま、おしえてくれて、『ありがとう』!」
 ああ!
 なんて素晴らしい魔法だろう!
 ほら見てごらん、父様はいま、こんなにも胸がぽかぽかして、嬉しい気持ちでいっぱいだよ。今なら空だって飛べそうだ!
「わあ、やったあ!」

 やっぱりリディアは最高の魔法使いだ。
 さあ、その魔法はいつだって使えるんだよ。たくさんたくさん、使ってごらん。
 大丈夫、君なら出来るさ。私の小さな魔女よ。
 君が本当の力に気付く日まで、その魔法の言葉で世界中を笑顔にしておくれ。






 《gilders》本編では爆裂お姉ちゃんキャラのリダですが、こんなに可愛らしい頃もあったのだよ、というお話です(笑)
 『父様』ことステファン=カーマイルは「望まぬ再会」で登場した、これまた破天荒な人物ですが、恐らく十歳くらいまではかなりラブラブな親子だったのではないかと。
 文中でも語られていますが、この世界では魔術の才や魔力は遺伝しません。ただし、ごく稀なケースとして、親子や兄弟で魔術士になる場合があり、これは遺伝ではなく単なる偶然、または神の作為だと言われています。
 なので親子で魔術士となった彼らは極めて稀なケースなのですが、かたや宮廷魔術士の地位をかなぐり捨てて恋女房と仕立て屋家業、かたや宮廷魔術士の地位を捨てて(?) 『打倒! 金の魔術士』をスローガンに世界中を放浪中(笑) という、トンデモ人生を邁進しております(^^ゞ

* * *

 ちなみに、この「魔法の言葉」という表現は実際に英語圏で使われているそうで、例えば子供に「そこの水を取って!」と言われた時に、「”お願いします”でしょう!!」と怒鳴るよりも、“What’s the magic word?”(魔法の言葉はなにかな?)と問いかけて、自分で何が足りなかったのかを考えさせましょうということなんでしょう。
 この言い回しを知った時に、感心すると同時にこのお話を思いつきました(笑)
2010.01.27


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