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『乗組員の皆さんにお知らせいたします。まもなく夕食の時間です。食堂にお集まり下さい』
 5分ほど前から繰り返されている館内放送に背を押されるように、通路を駆けていく小柄な影。
「うわ、まずいな。このままじゃ個別呼び出しされちゃうよ」
 誰にともなく呟いたイサオは、わずかに速度を上げた。
 ケンに技術開発室を任せ、機関室までタカトウを呼びに行ったはいいものの、肝心の技術主任が入れ違いで医務室送りとなったことを知ったのは機関室に辿りついた後で、完全なる無駄足を踏んでしまった。しかも、船尾にある機関室と居住区にある食堂とは数ブロック分離れており、戻るだけでも一苦労だ。
『あと3分です』
 無情なアナウンスに慌てふためき、更に速度を上げようとした次の瞬間、どこからか聞こえてきた歌声に目を瞬かせて、イサオはぴたりと足を止めた。
「この声……?」
 素早く辺りを見回せば、図書室のドアが数センチ開きっぱなしになっていた。イサオ達がテランセラにやってくる前から故障しっぱなしのドアは、自動で開くがきちんと閉まらないという中途半端な状態で放置されている。利用者も少ないので急いで直す必要もなく、そのままになっているらしい。
(タカトウさんに言っておかないとなあ)
 今頃医務室で唸っているはずの人物に思いを馳せつつ、ドアの隙間からそっと中を窺うと、薄暗い図書室の片隅に立ち尽くす少女の姿が見えた。
 青白いスポットライトの真下に佇む彼女は、まるでホログラフィーのようだ。手を伸ばしたらすり抜けてしまうのではないかと思わせる、質感を感じさせないその姿。
 スクリーンに映し出された楽譜をなぞるように、低音から高音までよどみなく響く伸びやかな歌声は、聴く者の心にするりと入り込んで、その内側をひっそりと満たす。
 思わずうっとりと聞き惚れていたら、頭上から再び無情なアナウンスが降ってきた。
『あと1分です。これより個別呼び出しに切り替わります』
 うひゃあ、と口の中で呟き、名残惜しそうに図書室のドアから離れるイサオ。一方、ヘッドホンのせいでアナウンスが聞こえていないのだろうミーナは、端末を操作しながら違う曲を口ずさみ始めた。

『一夜だけの 夢を見て
 鏡の中で 踊りましょう
 わたしは踊る いつまでも
 わたしは回る いつまでも』

「あれ? この曲……」
 思わず足を止めそうになった瞬間、スピーカーから流れてきた『個別呼び出し』に首をすくめ、慌てて走り出す。
 名残惜しげに一度だけ肩越しに振り返れば、吐息と共にヘッドホンを外した少女が、大音量の呼び出しに顔をしかめたところだった。


「何よこれ!?」
 耳をつんざくような声。怒り成分が多量に含まれた怒声の発生源は、『大遅刻してきたアイドル』ことミーナに他ならない。
「遅れてきた奴が悪い。出来立てならまだマシだったんだ」
 ぬるいスープを口に運びながらの恨み節は、向かいの席に座ったケンのものだ。よりによってアモエナのレパートリーの中で一番不評な献立――ポテトグラタンとトマトスープ――だったものだから、それを更に劣化させてしまったミーナに文句の一つも言いたい気持ちは分からないでもない。
「客にこんな不味いご飯を食べさせるなんて!」
 憤慨しながらも、せっせとポテトグラタンを口に運んでは、そのたびにねちねちと文句をつけるミーナ。真正面で延々とそれをやられては、ただでさえ美味とは言い難い食事がなおのこと不味くなる。
「あのなあ――」
 いよいよ耐えかねて口を開いたその矢先――。
「ねえアモエナ、次はこの曲をかけてよ」
 唐突な声に机の端を見れば、イサオが携帯端末をいじっているところだった。食事時は基本的に和やかな音楽がかかっているが、これももちろんリクエストを受け付けてくれる。即座に音楽がフェイドアウトして、次に流れ始めたのは『回転木馬の夢』だった。賑やかな前奏に、それまで黙々とスープを口に運んでいたハンスが物珍しそうに呟く。
「この曲、船内BGMでも流れていたな」
「これってイサオ君のリクエストだったのかい?」
 意外そうに聞いてくるラスティに、いやあ最近ハマっちゃって、などと頭を掻くイサオ。じゃあ部屋でのあのやり取りは何だったんだ、と問い質そうとしたケンは、ふと目の前の少女が妙に静かなことに気づいて眉を顰めた。
 先ほどまでの勢いはどこへやら、むすっとした顔でポテトグラタンをつつき回しているミーナ。ようやく諦めの境地に達したらしい彼女に嫌味の一つでも言ってやりたかったが、また騒がれても面倒なのでやめておく。
 そうして黙々と食事を片付けていると、空の食器を載せたトレイを手にしたイサオがやってきた。
「なんだ、もう食べ終わったのか?」
「うん。ポテトグラタンは大好物だからね。お代わりしたいくらいだったよ」
 けろりと言ってのけたイサオに、思わず顔をしかめるケン。そんな彼の反応などお構いなしに、イサオはそうそう、と話題を変えた。
「ケンもこの曲、いいと思うでしょ?」
 唐突な質問に首を傾げつつ、まあな、などと曖昧な答えを返すケン。そもそも音楽を聴く習慣のないケンには、日頃流れているクラシックも今流れているデジタルアイドルの曲も大差ないように感じるのだが、それは言わぬが花だろう。
「そう言えば、ミーナさんの新曲ってどんな歌なんですか?」
「!!」
 朗らかな問いかけに、ちょうどグラタンを口に運んだ瞬間だったミーナは奇妙な声を出して目を白黒させ、詰まらせかけたグラタンをどうにか飲み込むことに成功すると、顔を真っ赤にしてイサオを睨みつけた。
「き、急に何よっ!! びっくりするじゃないの!」
 そこまで驚くことでもないと思うのだが、タイミングが悪かったのは事実だ。
「いえ、新曲のレコーディングって聞いたから、どんな曲なのかなーと思って。僕はあまり詳しくないけど、ポップスとかテクノとか、色々あるんでしょう?」
 噛みつかんばかりのミーナを柳に風と受け流し、にっこりと笑うイサオ。その笑顔に毒気を抜かれたのか、ぷいとそっぽを向いたミーナは、ぶっきらぼうに答えた。
「企業秘密よ」
「なるほど。そうですよね」
 納得したように頷いて、ふと思いついたように手を打つイサオ。
「そうだ。折角だから、乗船の記念に何か一曲歌ってもらえませんか?」
「駄目よ!!」
 ヒステリックな叫び声に、自分でも驚いたのだろう。食堂中の注目を浴びて、ミーナはしゅん、と小さくなり、慌てて平静を取り繕う。
「事務所の許可なしに、勝手に歌っちゃいけないことになってるの」
「そうなんですか、すいませんでした。じゃあ、新曲が発売されたら教えて下さいね。絶対聞きますから」
 あっさりと引き下がり、軽快な足取りでカウンターへ食器を下げに行くイサオ。その背中を眩しそうに見つめていたミーナだったが、ふと思い出したようにフォークを握り直すと、冷え切ったポテトグラタンの攻略を再開した。

「イサオ君、ちょっといいかしら?」
 カウンターにトレイを置いて踵を返したところでちょいちょいと袖を引かれ、ぴたりと足を止める。
「なんですか、船長」
 イサオを呼び止めたのはマリナとユンだ。出来る限り静かに食事を取りたかったのだろう、ミーナから離れた席に陣取っていた二人だが、先程からのやり取りは筒抜けだったようだ。
「ねえねえイサオ君、どうやって彼女を大人しくさせたわけ?」
 からかい交じりに尋ねてくるユンに、やだなあと頭を掻きながら答えるイサオ。
「僕はただ、歌ってくれませんかってお願いしただけです」
「え、歌……?」
 マリナとユンが双子のように首を傾げたところで、マリナの手首に嵌ったコムリングが短い電子音を響かせた。
このパターンはブリッジからの緊急呼び出しだ。
「マリナです。どうかしたの?」
『レーダーに反応。距離1200。小型船舶と推測。識別コードは不明です』
 アモエナの報告が終わらないうちに、マリナとユンは同時に席を立っていた。
「船長、先に行ってます」
「ええ、お願い。アモエナ、第二種警戒態勢を発令。ラスティさん、アルさん!」
「聞こえてたヨ」
「すぐに配置につきます」
 すでに食事を終えて寛いでいた二人がユンを追うようにして食堂を後にする。そのタイミングで、アモエナが警告音と共に第二種警戒態勢を告げた。
「え? 警戒態勢?」
「第二種って何だっけ?」
 途端にどよめく年少組のうち、一人だけ経験の長いハリーが立ち上がって、説明を求めるようにこちらを振り返る。
「船長!」
「正体不明の船が近づいてきているようです。総員配置について! ミス・マミヤはお部屋へお戻りください」
「わ、分かったわ」
 緊急事態に、ミーナも素直に頷いて席を立った。そしてあっという間に誰もいなくなった食堂に、マリナとイサオだけが取り残される。
 その場を動こうとしないイサオに眉を顰め、問いかけようとした矢先――。
「船長。僕だけ配置が決まってないんですけど、どうしましょう?」
 しまった、と息を呑むマリナ。元々新規のバイト三人は小型艇のパイロットとして雇い入れていたが、手違いで雇ったイサオは免許を持っていなかったため、配置を保留していたのが裏目に出た。
 悩んでいる暇はない。咄嗟にマリナが下した決断は――。
「一緒にブリッジへ来てください。臨時のブリッジ要員として登録します」
「拝命します!」
 びし、と敬礼してみせるイサオ。そして、早速とばかりに走り出したものだから、ついいつものように声を上げてしまった。
「ちょっとイサオ君!」
「緊急事態につき、お小言は免除でお願いします」
 澄まし顔で答えられ、もうっ、と吐き捨てるように呟いて、その小さな背中を追いかける。確かに彼の言う通りだ。今は『廊下を走らない』という船内規則に従っている場合ではない。
 そうして食堂からエレベータホールまで続く長い廊下を一気に走り抜けた二人は、ちょうどやってきたエレベータに飛び乗ると、先を争うようにブリッジ階のボタンを押した。


* * * * *

 空気を押しやる鋭い音とともに、エレベータの扉が開く。
「状況は!?」
 飛び込んできたマリナに、ユンが素早くレーダー画面をメインスクリーンに映し出した。
「つかず離れずって感じですね」
 『テランセラ』は曲がりなりにも元軍艦だ。搭載されているレーダーは一般の宇宙船に比べて探知範囲が広い。それ故にこの『追跡者』を補足できたわけだが、問題はその正体だ。
「どこの船かしら」
「まあ、真っ当な船じゃないのは確かでしょうけどね」
 無用のトラブルを避けるため、航行時は常に識別コードを発信するのが決まりだが、画面には識別コード不明を示す赤色のアイコンが点灯している。
「アモエナ。この不明船はどのくらい前から後をつけてきてるの?」
『最初に姿を捉えたのは40分前です。その時は周辺に浮遊物が多く、またすぐにレーダーから反応が消えたため、浮遊物の一つと判断しました。次に捉えたのは5分前です。それからは距離を保った状態で本船の後方を航行しています』
「彗星の尾でも引っ掛けたかな?」
 冗談めかして言うラスティだったが、そのスペースジョークを笑い飛ばせる余裕のある者はいなかった。
 緊張の走るブリッジで、誰もがレーダーに映る謎の追跡者を食い入るように見つめている。そんな、吐く息さえも響くような静寂の中、一人ブリッジの隅で何かごそごそやっている少年に気づいたマリナは、次の瞬間目を吊り上げた。
「イサオ君! 何をやってるの!?」
「何って、席を作ってもらってたんですよ」
 椅子の微調整をしながら答えるイサオ。何でもないことのように言ってのけたが、生憎とマリナは今の今まで、そこに臨時のオペレーター席があることすら知らなかった。
 壁から引き出されたデスクと各種モニター類の調子をすばやく確認して、何やらデータを呼び出したイサオは、ああやっぱり、と呟きながら隣の席に座るハンスに話し掛けている。
「ねえハンスさん。もう少し行くと例の小惑星帯ですよね。もう一度航路を確認した方がいいんじゃないですか?」
 能天気な声に、切れ長の目を更に細める航宙士。ハラハラと見守る周囲をよそに、イサオはいつもの無邪気な笑みでハンスの返事を待っている。
「……再確認が必要か? イサオ=ヨシダ」
「ええ。ほら、なんか宙が荒れてるみたいだし」
 ふむ、と頷いて、ハンスはイサオが転送してきたデータに目を通すと、僅かに片眉を持ち上げてみせ、そしておもむろに船長席を振り返った。
「船長。現在の『天候』を鑑みて、航路の変更を提案します」


「お、おい! どこに行くんだよ」
「何って、決まってるでしょ! 船室でじっとなんてしてらんないわ。状況が知りたいの!」
 廊下に響く足音が、図らずも綺麗な二重奏を奏で出す。
 格納庫で待機中、うっかり通路の向こうを横切るオレンジ色の髪を目撃してしまったのが運の尽きだった。意外にも俊足なミーナとの距離をなかなか縮めることが出来ず、気づけばブリッジはすぐ目の前だ。
「だからって――おわああ!?」
「きゃあっ!!」
 唐突に船体が大きく揺れ、バランスを崩す二人。ケンは持ち前の運動神経でどうにか持ち堪えたものの、目の前で派手に転びかけた少女を咄嗟に抱き止めてしまったものだから、耳をつんざくような悲鳴を至近距離で浴びることとなった。
「キャ―――! どこ触ってんのよ!!」
「どこも触ってないだろうが!」
 これ以上叫ばれては堪らない、と肩を支えていた手を離せば、ばっと飛び退いたミーナは顔を真っ赤にしてこちらを睨んできた。
「んもう! 何なのよ、今の揺れは!」
 さすがに助けられた事実を否定することは出来なかったようで、怒りを違う方向に転嫁したようだ。
「知るかよ、エアポケットにでも落ちたんじゃないか?」
「何よそれ? 空にポケットなんかあるの?」
 ちょっとした冗談のつもりが、真顔で尋ねられてしまい、いやその、と頭を掻く。
「ええと、エアポケットっていうのは――」
『全乗組員にお知らせします。本船はこれより小惑星帯に突入します。激しい揺れが予想されるため、ただちに体を固定し耐衝撃態勢を取ってください』
 切迫したアナウンスに、ケンとミーナは揃ってあんぐりと口を開けた。
「はああ?」
「小惑星帯に突入!?」
 思わず顔を見合わせてしまい、お互いの間抜け面に噴き出しそうになったが、直後再び襲い掛かる激しい揺れに、そんなことをしている場合ではないと思い直した。
「行くぞ!」
「行くって、どこへ?」
「決まってるだろ!」
 廊下では体を固定することが出来ない。そしてここから一番近い部屋はブリッジだ。となれば、向かう先は決まっている。
 まだ呆然としたままのミーナの手を掴み、猛然と走り出すケン。さすがに今度は文句を言われなかったことにホッとしつつ、ケンは不安定に揺れる廊下を駆け抜けていった。


 突然ブリッジに飛び込んできた二人を振り返る余裕のある者は、一人しかいなかった。
「あれ? どうしたの二人とも」
 呑気な声に腰が砕けそうになり、この調子に飲まれてはいけないとぐっと腹に力を入れる。
「どうしたのじゃねえだろ! 何だよこれ!」
「何って、ちょっと近道をね」
「小惑星帯を突っ切るのが近道っていうのかよ!?」
 目の前のスクリーンに映し出されているのは、古いSF映画さながらの光景だった。迫りくる浮遊物を右に左にと華麗に躱しながら、速度を緩めることなく宙を駆け抜け――ていたのは、確かホタテガイに似た小型の宇宙船だったはずだ。元駆逐艦のテランセラが真似できるはずもないのだが、それを現実のものにしているのは、ひとえに操舵士の腕によるものだろう。
「ラスティさん……実はすごい人だったんだな」
「そうだよね。まさかここまでやってくれるとは思わなかったよ」
 ははは、と他人事のように笑うイサオに詰め寄り、パーカーの襟元を掴んで締め上げる。
「またお前が無茶なこと言ったんだろ!」
「やだなあ、人聞きの悪い。僕はただ、こっちの方が早く目的地に着けるんじゃないですかって言っただけで」
「目的地に着く前にあの世に着きそうだぞ!」
「大丈夫だって、ラスティさんの腕を信用しなよ。それにほら、そろそろ抜けるよ」
「は?」
 ひょい、と前方を指差すイサオにつられてメインモニターを振り返れば、そこにはもう漆黒の宇宙空間が広がっていた。
「お疲れ様、ラスティさん。しばらく休んでください」
 労いの声に、操舵席のラスティは大きく息を吐き、やれやれと大仰な身振りで操縦桿から手を離してみせる。
「久しぶりに緊張しましたよ。アモエナ、しばらく頼んだよ」
『了解。自動操縦に切り替えます。見事な操船でした』
 アモエナがこんなことを言うのは実に珍しい。それほどに彼の操縦が神がかっていたということか。
「うまく撒けたかしら?」
「ええ、もう反応はありません。これで超空間航行に入れば、もう追ってこられないでしょう」
 レーダーを注意深くチェックしていたユンが太鼓判を押したので、マリナもほっと息を吐いた。
 まさか堅物のハンスが小惑星帯を通る航路を提案してくるとは思わなかったが、『追跡者』にとってもそれは同じことだろう。戦時中の作戦行動でもあるまいし、安全な航路が確立されている現在、わざわざ危険を冒してまでこんな無茶をやる船はそうそういない。
「一体なんだったのかしらね……」
 今回の仕事はごくまっとうなものだ。何某かに追跡されるような謂れはない。
「今のところ、商売敵もいないし、探られる腹もないですしね」
「社長がどこかでいらぬ恨みでも買ったのかもしれん」
「いやー、案外ハリー君の熱烈な追っかけとか?」
 正体不明の船に追跡され、それを小惑星帯に突っ込んで撒くという非常識な行動をとった直後にしては、会話が呑気すぎやしないか、と一抹の不安を覚えつつ、それで? とイサオを睨みつけるケン。
「結局なんだったんだよ?」
「そう言われても、僕にもさっぱり分からないよ」
「嘘つけ、何か知ってるだろ」
「やだなあ、ホントに知らないってば」
 少年達の楽しげな会話にぎょっと振り返ったマリナは、そこにいるはずのない人物を認めて目を見開いた。
「ケン君!? どうしてここに?」
「いやその、こいつが勝手に――あれ?」
 さっきまで隣にいたはずの少女の姿が見当たらないことに気づき、慌てて辺りを見回すケン。とはいえ狭いブリッジの中、隠れる場所などないに等しい。
「おい! ――って……どうしたんだよ?」
 ブリッジの片隅で小さくなり、膝を抱えて俯く少女。その姿はまるで、遊園地で親とはぐれて途方に暮れる幼子のようだった。
「具合でも悪いのか?」
「違うわ。何でもないから、気にしないで」
 硬い声で答え、のろのろと顔を上げるミーナ。その顔色は紙のように白く、どう見ても大丈夫そうには見えなかったから、ほらよと手を伸ばす。
「無理するなよ。医務室に案内するから――」
「大丈夫だって言ってるでしょ!」
 伸ばされた手を邪険に振り払おうとして、その手が力なく床に落ちる。その唇から、もうやだ、という呟きが零れ落ちて、強化樹脂の床にぽたりと小さな染みを作った。
「お、おい?」
 慌てた声を出すケンに、ミーナはぐい、と目元を手の甲で擦ると、膝を抱えたままそっぽを向く。
「……追われてるのよ」
 掠れた言葉の意味が一瞬理解できず、思わず目を瞬かせるケン。
「へ?」
 思わず間の抜けた声を出してしまったら、それが起爆剤になったらしい。
「追われてるって言ってるの! 悪質なパパラッチに!!」
 憤然と立ち上がり、高らかに宣言したミーナに、一瞬静まり返るブリッジ。そして――。
「はああああ?」
「なにそれ!?」
「どういうことだ?」
「どこに蚊がいるノ?」
 怒声と疑問符が飛び交う中、アモエナが極めて冷静に警戒態勢解除をアナウンスし、ブリッジ中央のライトがオレンジから白色に切り替わる。
 そして、船長席からゆっくりと立ち上がったマリナは、ミーナに向かってにっこりと――それはもう、怖いくらいに――問いかけたのだった。
「どういうことか、きちんと説明していただけますね? ミス・マミヤ」

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