近道しようと提案したのはラーンで、地図と睨めっこしつつ承諾したのはリファだった。
 新しい街道はえらく遠回りだし、ここのところ野宿が続いていたため宿屋が恋しかったのも事実だから、エルクも積極的に反対はしなかった。
 ――それ故に、霧の中で始まった泥仕合を、ただ眺めていることしかできない自分がもどかしい。
「一本道なのに迷うなんてありえないでしょう!」
「そんなこと言われたって、地図通りに来ただろうが!」
「地図通りに進んでいたら、今頃は宿屋で足を伸ばしている頃合いですよ」
「文句は道に言えよ! ここまで分かれ道なんてどこにもなかっただろ!」
 いつになく険悪な雰囲気なのは、朝から歩き詰めで疲れているからだろうか。それとも、この冷たい霧に体力や思考力を奪われているからか。
 旧街道を進むうち、いつの間にか迷い込んでしまった霧深い谷。最初はわずかにたなびく程度だった霧は、今や伸ばした手の先が霞むほどに濃くなっていた。
「大体、その地図が古すぎるんだよ! 旧道しか載ってない地図で先に進めるわけないだろ!」
 燃えるような髪を揺らして論点のずれた喧嘩を吹っかけているのは、赤髪の剣士ラーン。
「自分が道に迷った事実を地図のせいにしないでください。大体、あなたが地図に従った試しがないじゃないですか」
 呆れたと言わんばかりの顔でやり返したのは、金髪の魔術士リファ。
 邪教集団『黒き炎』を探して西大陸にやってきた二人が、エルクの暮らすランカ村にやってきたのは、半月ほど前のことだ。無理を言って仲間に加えてもらい、ようやく旅にも慣れてきたこの頃。彼らの賑やかなやり取りにも随分慣れたつもりだったが、今日はやけに殺伐としている。
『けんか、うるさい。ロキ、けんか、きらい』
 エルクの肩にちょこんととまったトカゲのような生き物が、ぼそっと呟く。大地の妖獣である彼の声を聞くことのできる者は少なく、故にラーンはそれをただの鳴き声と受け流し、リファは疲れた顔で振り返った。
「騒がしくてすみませんね、ロキ。それにエルクも」
「い、いいえ! それより、あのっ……」
「なんだよ!?」
 険のある表情で振り返ったラーンに、思わず体を強張らせる。それを見たラーンは小さく息を呑んで、ばつが悪そうに頬を掻いた。
「悪い。お前にあたってもしょうがないのにな」
「いえ! 大丈夫です!」
 慌てて頭を振り、そして努めてにこやかに提案してみる。
「あのっ! そろそろお腹も空いたし、疲れちゃったし、座れるところを探して休憩しませんか?」
 いつもならこんな弱音は吐かないところだが、このギスギスした空気を変えるにはこれしか思いつかなかった。
 幸い、エルクの言葉にようやく空腹を思い出したらしい二人は、至極あっさりと提案に乗ってくれた。
「そうですね。腹が減っては何とやらと言いますし」
「そうか、腹減ってるからこんなに苛々するんだな。よく気づいたな。でかした!」
 わしわしと頭を撫でられて、ようやくいつもの調子が戻ってきたことにホッとする。その無遠慮な手に抗議の鳴き声を上げていたロキが、何か思いついたように大きな瞳を瞬かせた。
『あっち、なにか、ある』
「えっ?」
『ロキ、みてくる』
 言うが早いか、たんっとエルクの肩を蹴り、宙に飛び出す小さな緑の体。その背に現れた翼で力強く飛び上がり、霧を切り裂くように進んでいく。
「うわっ、駄目だよロキ、勝手に行っちゃ!」
「あっ、こらエルク! 一人で行くな!」
 慌ててロキの後を追うエルク、そしてそれを追いかけて走り出したラーンの姿もまた、あっという間に霧の中に飲み込まれていった。足音さえも霧に吸い込まれて、彼らがどちらへ走って行ったかすら見当がつかない。
「二人とも、単独行動は……って、もう聞こえませんか」
 一人取り残されたリファは、やれやれと小さく溜め息を吐くと、すいと杖を掲げた。
「しかし、この霧は妙ですね。何やら魔力も感じますし。少し調べてみますか」
 少しだけ考えて、朗々と呪文を紡ぎ出す。その声に呼応するように、杖の先端に据えられた宝石が淡い光を放ち始めた。その光に怯えるかのように、とろとろと渦を巻く霧がわずかに勢いを失う。
「さあ、見せてくださいよ。あなたの正体を……!」
 最後の言葉と共に杖を振りかざせば、先端から放たれた稲光が周囲を明るく照らし出した。