1.眠れる竜の目覚め
「まったくあなたは、もう少し考えてから物を言ったらどうなんですか」
 複雑に巻いた腰紐を解きながら、ぷりぷりと怒ってみせるリファに、額当ての結び目と格闘中のラーンはだってよお、と口をとがらせる。
「もうじき十四であんな細っこくて、ちょっとどついたら折れそうじゃないか」
「筋骨隆々の南大陸人と一緒にしないでくださいよ! 西大陸人は総じて華奢なんです。これだけ温暖で過ごしやすい気候ですからね、生き延びるために脳みそまで筋肉にする必要がないんでしょう」
「お前、さっきから何気なくひどいこと言ってるだろ!」
「おや、気づいてましたか?」
 悪びれもせずにそう答える相棒に反論する元気もなく、寝台に倒れこむ。エルクが整えてくれた敷布からは、太陽と草の匂いがした。
「いい村だよなあ、ほんと」
「そうですね」
 珍しく皮肉なしに答えて、リファはそっと杖を枕元に立て掛ける。
「純朴で人を疑うことを知らない――このご時世を考えると少々危なっかしい気はしますが、いい村です」
 ウォルンの村では終始、胡乱な目で見られ続け、怪物退治が終わったらお役御免とばかりに村を追い出された。約束の報酬をきちんと払ってくれただけましというべきか。
「村長の話だと、大地溝に眠る竜のおかげで怪物がいなくなったってんだろ? でも、最近になってまた出てきてるってことは……」
「まあ、竜が云々は眉唾としても、何らかの理由で怪物達を退けていた力が弱まった……と考えるのが妥当でしょうね」
「何らかの理由って、なんだよ? 誰かが竜を退治しちまったとか?」
 伝説の勇者ファーン以外にも、竜退治の伝説はファーン各地に伝わっているが、それはあくまでもお伽噺としてだ。そもそも、竜は非常に気難しい生物で、滅多に人前に姿を現すことすらないと言われている。
「何の悪さもしていない竜を退治したところで、世間からは白い目で見られるだけですよ。それに竜を倒したとなれば、もっと大騒ぎになっていてもおかしくありません」
「だよなあ。じゃあ一体……?」
 うーん、と腕組みをしたところで、控えめに扉を叩く音が聞こえてきた。
「遅くに申し訳ありません。少しよろしいですかな」
 落ち着いた男声に、どうぞ、と答えれば、静かに開いた扉の向こうには村長の姿があった。まだ寝巻に着替えていないところを見ると、夕食の後からずっと声をかける機会を窺っていたのだろう。
「こんな時間に無作法とは思いましたが……」
「いえ、かまいません。あの子には聞かせられないようなお話なのでしょう?」
 静かに答えるリファに、思わず目を見張る村長。すぐに苦笑を浮かべ、後ろ手に扉を閉める。
「察しの良い方だ。いや、先ほどのラーン殿のお話で、思い出したことがあるのです。あの子の出生にも関わる話でして、くれぐれも他言無用に願います」
 もちろんですと頷いて、椅子を勧める。村長が恐縮しながら椅子に座る間に、ラーンは起き上がって寝台の上に胡坐を掻き、リファはそんな相棒の隣にそっと腰を下ろした。
「少々長い話になりますが、よろしいかな?」
「俺が寝ない程度に頼みます」
「大丈夫ですよ、寝たらすぐに叩き起こしてあげますからね」
 おどけた様子の二人に少しだけ表情を和らげて、そして村長は滔々と語り始めた。
「あれはもう、十四年前のことになりますか……。乳飲み子を抱えた男が、この村にやってきました」
 燃えるような夕焼けの中、朱に染まった男の姿は、まるで血に塗れているようだった。そして実際に、男はいつ倒れてもおかしくないほどの怪我を負っていたという。
「男は私に赤子を託し、苦しい息でこう言い残しました。『妻は悪しき炎に殺された。この子を、どうか……』と」
「悪しき、炎!?」
「ラーン。続きを聞きましょう」
 思わず立ち上がりかけたラーンを制し、続きを促すリファ。村長も頷いて、再び十四年前に思いを馳せる。
「よほど子供のことが気がかりだったのでしょうな。赤ん坊を私に手渡した途端、男はまるで糸が切れた人形のように頽れて、そのまま息を引き取りました。身元が分かるようなものは何一つ持っておらず、どこの誰だったのか、なぜ瀕死の重傷を負っていたのかも、何も分かりませんでした」
 遺体は村の墓場に埋葬し、赤子は村長夫妻が引き取ることとなった。子のない夫妻は、初めての子育てに苦戦しつつも、日々成長していくエルクに心からの愛情を注ぎ、大切に育ててきたという。
「いいのか? そんな立ち入ったことを聞いちまって……」
 珍しく神妙な顔のラーンに、村長は静かに頷いてみせる。
「男から話を聞いた時は、一体何のことかと思いましたが……。男の言った『悪しき炎』が、あなたの追っている邪教集団のことならば、エルクも決して無関係とは申せません」
 妻を殺され、自身も瀕死の重傷を負いながら、我が子を守ろうとした男。どんな理由があったのかは分からないが、『悪しき炎』とやらと何らかの因縁があることは間違いない。
「改めてお聞きしたい。『黒き炎』とは一体、どんな連中なのですか。今後、あの子が狙われる可能性は……」
 村が、ではなくあの子が、と問いかけるところに、愛情の深さが感じられる。その真摯な言葉に、リファは静かに口を開いた。
「私達も情報を集めて回っているのですが、何分おおっぴらに活動をするような連中ではありませんから、情報自体がとても少なくて……」
 そうですか、と息を吐く村長に、リファはしかし、と続けた。
「これまでに集めた情報をつなぎ合わせてみると、彼らは邪竜復活の儀式のためと称して、力のある人物や品物を集めているようなのです」
「力のある人物や品物、ですか……?」
 はて、と首を傾げる村長に、ラーンが拳を握りしめながら口を開く。
「俺の母親はケルナの神官だった。ケルナ本神殿に奉納されていた、炎の力を持つ扇を『黒き炎』に狙われて、それを守ろうとして命を落としたんだ」
 かれこれ三年も前の話だ。当時、傭兵として独り立ちしたばかりのラーンは中央大陸の国境争いに駆り出されており、知らせを受けて駆けつけたものの、最期どころか葬儀にも間に合わなかった。
「母さんが守ろうとした扇は、一振りすれば炎が舞い踊る神器だった。使いようによっては兵器にもなる危険な代物だったから、本神殿の地下宝物庫で厳重に保管していたらしい」
 ラーンの母は炎の術に長けた神官だった。賊を最初に発見したのが彼女で、周囲が止めるのも聞かずに賊を追っていったという。神器『炎舞扇』は神事で舞を披露する際に使われており、ここ十年ほどはラーンの母が舞手を務めていた。それだけに、神器に対し深い思い入れがあったのだろう。
「……で、神殿長から聞いた話なんだけど、どうも近年、他の神殿なんかでも神器を奪われたところがあるらしいんだ」
 被害が多発しているとあって、どこの神殿も警備が強化されていたが、賊は未知の術を使うらしく、厳重な警備を掻い潜って神殿内へと侵入し、目的を果たすためには死をも辞せず、また無関係のものにも容赦なく刃を向ける。
「今まで聞いただけで五、六ヶ所かな。どこも力のある神器を保管していた神殿ばかりだった」
「しかし……そんな騒ぎになっているのであれば、噂になっていてもおかしくないのでは?」
 首を傾げる村長に、ラーンはいやあ、と頭を掻いた。
「どこの神殿も、自分とこの神器が怪しげな連中に奪われたなんてこと、大っぴらにしたくないみたいでさ。こっちの事情を話して、やっと教えてくれたところだけで五、六ヶ所だ。本当はもっと多いのかもしれないな」
 それに、と続きを受け持ったのはリファだ。
「神器だけでなく、高位の神官が何者かにさらわれたり、腕ききの魔術士が行方不明になっていたりと、あちこちで誘拐事件が頻発しているのです。すべてが『黒き炎』の仕業というわけではないでしょうが、ここ数年で急に増えたことは間違いありません」
 加えて、妙な儀式を行った跡があちこちで見つかっていたり、貧民層に妙な宗教が広まっていたりと、『黒き炎』の姿は徐々に――しかし確実に、人々の暮らしの端々に見え隠れし始めている。
「なんとも……恐ろしいお話ですな」
 唸るように呟く村長に、リファは静かに頷いてみせた。
「エルクの両親が『黒き炎』に追われていたと仮定するのなら、彼らは何らかの特別な力を持っていたのか、それとも何某かの秘宝の手掛かりを知る人物だったのかもしれません」
「じゃあ、あいつも何か特別な力を持ってたりするのか?」
 安直なラーンの疑問に、村長はいえいえ、と穏やかに首を降った。
「あの子はごく普通の子です。特別変わったところなどありません。優しすぎるきらいもありますが、素直で真面目な良い子ですよ」
 目を細めて話す村長からは、エルクを慈しむ心がひしひしと伝わってくる。思いがけず授かった赤ん坊を、夫妻はそれこそ宝物のように、大事に育ててきたのだろう。
「エルクの生い立ちを知る者は、私と妻のミルトア、あとはその場に居合わせた数名のみです。彼らには箝口令を敷きましたから、村人達はただ、行き倒れの男から赤子を託されたとしか知りません」
 あれだけの重傷を負ってなお子供を守ろうとしていた男の様子から、何らかの追手がかかっているのではないかと考えた夫妻は、村人達にもあえて詳しい話はしなかった。
「ただ……エルクを託された日と前後して、村周辺で黒い狼のような怪物がうろついているのが目撃されておりまして……よそ者を、まして曰くつきの人間を迎え入れれば災厄を招くなどと、迷信じみたことを言う者もおりました」
 幸いにも、すぐに怪物の姿は目撃されなくなり、赤子を迎え入れることに難色を示した者も村長の説得に渋々ながら応じて、エルクは無事ランカ村の一員となった。そして十四年、穏やかな時間はあっという間に過ぎて、成人まであと一年というところまで漕ぎ着けたのだ。
「今までは何事もなく過ごして来ました。しかし……この平和がずっと続くとは限りません」
 両手を握りしめ俯く村長に、リファは努めて明るい声を出した。
「エルクに何か特別な力がないのだとすれば、連中に付け狙われることもないでしょう。まして、十四年前の赤ん坊から今の姿を想像するなんてことはそうそうできませんからね」
 その言葉に、安堵の表情を浮かべる村長。そして、おっといけないと頭を掻く。
「肝心な話を忘れておりました。エルクの生い立ちについてはお話した通りですが、もう一つ、最近街道沿いで起こっている異変について、気になる話を聞いているのですよ」
「気になる話?」
 首を傾げるラーンに、村長はそれまでの慈父の顔から一転し、険しい表情で続けた。
「街道沿いに土鬼が姿を現し始めたのは半月ほど前からですが、その少し前から、街道で怪しげな集団が目撃されているというのです」
「怪しげな集団だって!?」
 目撃談はいくつかあるが、共通しているのは黒装束の小集団が街道に出没しているというものだ。巡礼の旅だと称していたり、旅芸人だと名乗ることもあるそうだが、街道沿いの村に立ち寄ったりすることはほとんどなく、気づけば姿を消しているという。
「その集団が何か怪しげな動きをしていたという話はまだ聞きませんが、少々気になりましてな。幸い、まだこの近くでは目撃されていませんが、念には念を入れて、村の警備を強化しようという話もしています」
「怪しい、この上なく怪しいぜ!」
 拳を固めるラーンをうるさいですよと叱りつつ、リファも相棒の意見に同意を示した。
「『黒き炎』でないとしても、まっとうな連中でないことは確かでしょうね。警備を強化するのは賛成です。牽制にもなるでしょうしね」
「早速、明日から始めましょう。明日は村の者が大地溝に降りて薬草摘みをすることになっているのですが、それにも護衛をつけた方が良いでしょうな」
「ああ、それなら俺達がやるよ。こう言っちゃなんだけど、村の連中よりは腕が立つと思うぜ!」
 褐色の腕を叩いてみせるラーン。長身と燃えるような髪に目が行きがちだが、その体躯は鍛え抜かれ、無駄なく引き締まっている。ふざけているようで身のこなしには隙がなく、さり気なく武器を手元に置いている辺りはさすが、歴戦の剣士と言ったところか。
「そうですね。下手に人数を増やして動きにくくなっても困りますし、我々が護衛を務めれば一石二鳥です。薬草の採取もお手伝いしますから、こき使ってやってください」
 そう続けるリファもまた、言動の端々から滲み出る聡明さは、まさに賢者と呼ぶにふさわしい。楚々とした佇まいからは想像もつかないが、高位の魔術を難なく操っていたとエルクからも聞いている。見かけに惑わされて侮れば痛い目を見ることは、難なく想像できる。
 この時期に彼らが村にやってきたのは、何という巡り合わせだろうか。これも風の女神のお導きか、と心の中で嘯いて、村長は助かりますと頭を下げた。
「ずいぶんと長居をしてしまいまして……」
「いえ、こちらこそ貴重な情報をありがとうございました。ところで……エルクはご両親の件を知っているのですか?」
 リファの問いに、村長はいいえと静かに首を振る。
「今はまだ早かろうと思いましてな。成人してからきちんと話そうと、妻と決めました」
「分かりました。というわけで、ラーン。エルクの前で迂闊なことを言わないように」
「分かってるよ! 俺だってそのくらいの分別はつくって」
 どうだか、と白い目で睨まれて、ごほんと咳払いをするラーン。そんな二人のやり取りをほほえましく見守っていた村長は、窓の外から響いてきた梟の声に、はたと思い出したように席を立った。
「遅くまで申し訳ありませんでした。それではお休みなさい」
 音が響かぬよう慎重に扉を潜る村長の背中を見送って、どちらからともなく顔を見合わせる。
「やっぱり、西に来て正解だったろ?」
「……そうですね。あなたの直感は動物並みですからね」
 褒められた気がしない、とふて腐れて寝台に転がったラーンは、あろうことかそのまま寝入ってしまい、リファはやれやれと、あっという間に眠りに落ちた相棒が風邪をひかぬよう、そっと毛布をかけてやった。
眠れる竜の目覚め・終