2.律動する大地
「……今回はエルクを狙ってのことではありませんでした。しかし、もしエルクに、『黒き炎』に狙われる要因があるとしたら、このままこの村に置いておくのは非常に危険でしょう。エルクにとっても、あなた方にとっても」
 リファの言葉に押し黙った村長は、俯いてじっと考え込んでいるようだった。
「おい、リファ!」
「あらゆる可能性を考えておいて損はありませんよ。それが自分自身を、そして大切な人達を守るためなら尚更です」
「だからって、エルクにこの村を出ていけって言うのか? まだ成人もしてない、村から離れたこともない子供一人で、どうやって生きていけって言うんだよ!?」
 思わず声を荒げるラーンをまあまあと宥めて、リファはひょいと村長を振り返る。
「村長。我々は明日、この村を発ちます。このまま街道を西に進んで、土鬼の残党を退治しながら『黒き炎』の足跡を辿ります。それが我々の旅の目的ですから」
 やけに声を張り上げるリファに眉を顰めたラーンだったが、そんな相棒に小突かれて「そ、そうだなっ!」と若干裏返った声で相槌を打つ。
 そして村長もまた、得心が行ったように大きく頷き、そして二人へと深く頭を下げた。
「あなた方にこのようなことをお願いするのは大変に申し訳ないと思っております。ですが、老い先短い年寄りの頼みと思って、どうか聞いていただきたい」
 真摯な瞳を真っ向から受け止めて、旅の二人組は続く言葉を待ち侘びる。
「もしも  もしも、冒険に憧れる子供が、募る思いに家を飛び出したなら、温かく迎えてやってはくれませんか」


 夕餉の支度に勤しんでいたミルトアは、慌てふためいたように廊下を駆けていく愛し子の姿に、あらまあと目を白黒させた。
「エルク? 一体どうしたの」
 呼び止められて弾かれたように足を止めたエルクは、興奮冷めやらぬ様子であわあわと口を動かす。
「あのねっ、そのっ……えっと……」
 珍しく歯切れの悪いエルクの様子に首を傾げたミルトアだったが、ようやっと出てきた言葉に苦笑を漏らした。
「ラーンさん達、明日出発しちゃうんだって! だから、長持ちする食べ物を持たせてあげたくて!」
 何がいいかな、野菜は日持ちしないから、パンとか燻製肉とかかな、と忙しなく喋り続けるエルクの肩にそっと手を置き、大丈夫、ちゃんと用意しておくわと請け負う。
「何人分?」
「三人分!」
 元気よく答えて、あっと口を押える。しかしミルトアは分かったわと頷いて、それじゃあ何を詰めましょうかと棚を検分し始めた。
「地下倉庫も見に行かないと駄目ね。明日の朝までには用意しておくから、あなたは少し休んでなさい。今日は疲れたでしょう?」
 いつも通りの優しい言葉に、こくんと頷く。そして戸惑いを残しつつ台所を後にしようとしたエルクの背中に、ミルトアは何気なく声をかけた。
「まだ冷えるから、ちゃんと上着を持っていくのよ」
 振り向けば、てきぱきと夕飯の仕込みをするミルトアの姿が目に入る。くるくると忙しなく立ち回る姿は、まるで栗鼠のようだ。ずいぶんと小さくなってしまったのだと、改めて気づく。
 その働き者の背中にぎゅっと抱きついて、エルクは小さく呟いた。
「ありがとう――お母さん」
「なあに? 今日はずいぶんと甘えん坊さんね」
 ふふ、と嬉しそうに笑って、ミルトアは木の器と杓子を調理台から取り上げた。
「まだ元気が余っているようなら、たまには手伝ってもらおうかしら? 今日はあなたの好きな木の実の焼き菓子を作るから」
「うん! 手伝うよ!」
 先ほどまでの疲れはどこへやら、張り切って材料を混ぜ始めるエルクに、ミルトアもまた腕をまくり上げ、晩餐の準備に取り掛かった。