3.幕間の町
「食った食った、結構うまかったな、ここの飯」
 腹をさすりながら軋む扉を開ければ、質素だがきちんと整えられた寝室が三人を出迎えてくれた。
 ラーンが取った部屋は宿の中でも極めつけに狭く、寝台と小さな机で埋め尽くされているような部屋だったが、町中で野営などという情けない羽目にならないで済んだだけ良しとせねばなるまい。
「本当に人が溢れてましたね。そんなすごいお祭りなのかな」
 祭見物の客で溢れ返り、まともな会話など出来ないほどに盛り上がっていた一階の酒場兼食堂を早々に退散して部屋へと逃げてきた三人だったが、ここにいても階下の賑わいが聞こえてくるようだ。
「なんでも、町興しの英雄を称えるお祭りだそうですよ。この辺りに巣食っていた怪物を退治して、ここに町を興したんだそうです」
 どこから仕入れてきたのか、得々と語るリファ。へえ、と投げやりな相槌を打ちながら、ラーンは剣帯ごと長剣を外して寝台の横に立て掛けた。
「寝る前に荷物の整理をやっとくか。買ってきたやつ、分けようぜ」
「その前にエルクの荷物を見てあげてください。その間に私はお守りを作っていますから」
「了解。ほら、荷物出せ」
「は、はいっ」
 言われるままに背負い袋を渡し、言われるままに中身を取り出して並べる。その間に、リファは先程の露店で買い求めた装身具を寝台の上に広げると、一つ一つを手に取って何やら呪文のようなものを唱え始めた。そのたびに掌の上で装身具が淡い紫色の光を帯び、やがて吸い込まれるように消えていく。
(すごい……! 本物の魔法だ……!)
「こら、余所見してないで荷物の整理するぞ」
 窘められて、はっとラーンに向き直る。そして言われるままに荷物を仕分け、必要なものだけを詰め直すと、背負い袋は半分ほどの量に収まった。
「結構減ったなあ。まったく、どこの秘境探検に行くつもりだったんだ?」
 からかうラーンに、かあっと顔を赤くするエルク。ラーンから必要なしと断言されたものはと言えば、主に調理道具や防寒具、寝具の類だ。特に愛用の枕は真っ先に却下された。
「でもほら、宿の枕が合わないと困るなって」
「そんな繊細な奴が冒険者になれるかっての。それに、これから暑くなるのにこんな真冬用の防寒具はいらないし、鍋だの皿だのは俺達が持ってるので足りただろ。というわけでこれは村に送り返すぞ」
「はいっ」
 そうして二人がかりで不要品を麻袋に詰め、口を厳重に縛る。あとは明日、あの薬草店の店主にでも頼めば村まで届けてくれるだろう。ついでに、黙って旅に出たことを手紙で謝ろうか、などとつらつら考えていたら、いつになく真面目な顔のラーンに両肩を叩かれた。
「いいか。最初のうちは、とにかく歩くことに慣れてくれ。重い荷物を持ったり、何か役に立とうとしたりするのはそれからでいい。途中でぶっ倒れられるのが一番困る。いくらお前が細っこくても、担いで旅するのは骨だからな」
「はいっ!」
 無理をする前に、まず自分のできることを。それがラーンから最初に教えられたことだったから、素直に頷くエルク。ラーンもよし、と頷き返して、やおら嬉しそうにエルクの頭をがしがしと撫でた。
「お前は素直でいいなあ。リファなんて、何か言ったら五倍くらいになって返ってくるもんなあ」
「何か言いましたか?」
 狙い澄ましたように飛んできた声に、うへえと顔をしかめるラーン。
「そういうところが怖いって話だよ」
「おや、どこがです? さあ、見てください。お守りが出来ましたよ」
 寝台の上に並べられた装身具の数々は、見たところ何の変化もない。しかしそれらには魔法の力が宿り、持ち主を守ってくれるのだという。
「これ、どうするんですか?」
「基本的には自分達で使いますが、望まれればお分けすることもあります。呪符と並んでいい収入源になるんですよ、これが」
 ほくほく顔で装身具を一つずつ袋にしまうリファ。幾つかは予備だと言ってそのまま荷物の中に入れたが、華奢な指輪は自分の指に嵌め、大ぶりの首飾りをラーンの首にかける。
「げっ、また派手なの作りやがったな」
「今度は迷子のお守りにしておきました。持ち主の居場所を探知できるようにしておきましたから、もう崖から落ちて行方不明になっても大丈夫ですね」
 このお、と怒ってみせるラーンだが、つい二日前にやらかしたことなのでそれ以上の文句は言えない。
「これはエルク、あなたに」
 そして最後にリファが差し出したのは、例の《竜の眼》に似た石が嵌めこまれた首飾りだった。
「ありがとうございます」
 おずおずと首にかければ、ふわりと優しい風に包みこまれたような、そんな感じがして、きょとんと首を傾げる。そんな様子に微笑を浮かべて、リファはこう付け加えた。
「その首飾りには守りの魔法をかけておきました。鎧の代わりとまではいきませんが、小さな怪我は防げるはずです。できる限り肌身離さずつけていてくださいね」
「はい。でも……こんな貴重なもの、いただいていいんですか?」
「勿論です。でも、それがあるからと言って過信しないようにね。それは所詮お守りに過ぎません。効力には限度がありますし、かけた魔法もいずれは消えてしまいますから」
「はい! 大事にします!」
 飾りの石をそっと掌に包み込み、大きく頷くエルク。その横で、ラーンが欠伸をかみ殺す。
「わりぃ、先に寝るわ」
 言うが早いか革靴を脱ぎ捨て、上着を放り投げて寝台へと潜り込むラーン。そう言えば、バタバタしていて気づかなかったが、村にいた頃だったらとっくの昔に就寝していた時間だ。そう気づくと途端に眠くなって、エルクの口からも欠伸が漏れる。
「疲れたでしょう。先に休んでください。私はもう少しやることがありますから」
 リファの言葉に甘えて先に眠ろうとして、はたと気づく。この狭い部屋には、寝台が二つしか置いていない。一つはすでにラーンが占領しているし、まさかリファを差し置いて寝台を独り占めするわけにはいかない。
「あのっ、僕は床で寝ますから、寝台はリファさんが使ってください」
 そう言って荷物から毛布を引っ張り出そうとしたエルクだったが、当のリファに止められた。
「駄目ですよ、ただでさえ慣れない道中で疲れているのに、床で寝たりしたら疲れが取れません。ちょっと狭いかもしれませんが、私と一緒に寝ましょう」
「えええっ! いやっ、その、でもっ……」
 途端に顔を真っ赤にして口ごもるエルクに、リファは小首を傾げつつ、ラーンと一緒はお勧めできませんよ、と笑う。
「何しろ、ラーンの寝相の悪さには定評がありますから」
「悪かったなあ! 寝てる時のことまで責任持てねえよ!」
 ふんっ、と子供のように拗ねてみせるラーン。寝相の悪さは本人も自覚しているようだが、確かにそればかりは自分ではどうしようもない。
「いっそ芸術的と呼んでいいくらいですからね、ラーンの寝相は」
 からかいながら、無造作に上着を脱ぎ始めるリファ。ぎょっとして、急いで目を逸らそうとして間に合わず、逆に目が釘付けになる。
 ゆったりとした長衣に隠されていた白い肌は傷一つなく、しかし予想以上に引き締まっている。それより何より目についたのは、その平坦な胸板――。
「リファさん……男の人だったんですか!?」
 素っ頓狂な声を上げるエルクに、ラーンはやれやれと盛大な溜息をついた。
「気づいてなかったのか。だから村でも妙なこと言ってたんだな」
「だって! すごい美人だし、物腰も優雅だし、その……ごめんなさいっ」
 がばっと頭を下げるエルクに、寝巻に着替えたリファはくすくすと笑いながら、いいんですよと、手を振る。
「間違われるのはいつものことですし、その方が都合のいい時もありますからね。気にしないでください」
 そう答える声も柔らかく、男声とも女声とも取れる不思議な響きを持っている。これで体の線が分からない服を着ていれば、女性に見えない方がおかしい。
 思い返してみれば、露店で姉ちゃん呼ばわりされても否定しないどころか、そう見られていることを承知の上で艶やかに微笑んでみせたりと、自身の容姿を最大限に活用している節があった。
(なんか……色々な意味で凄い人だなあ……)
 引き攣った顔のエルクに、寝転がったまま大げさに肩をすくめてみせるラーン。
「こいつの笑顔に騙されて、何人の男が泣きを見たことか」
 そんな相方の嘆きに、脱いだ上着をたたんでいたリファはおやおやと意地悪な瞳を返す。
「あなたもですよね、ラーン?」
「うっせえ!」
 思わぬ反撃に顔を真っ赤にして怒鳴ったラーンは、毛布を巻きつけるようにぐるりと体を返して、ふて寝の体勢に入ってしまった。
 そんな相棒を面白そうに見つめながら、リファはいけしゃあしゃあと言ってのける。
「何しろこの顔ですから、色々と面倒に巻き込まれることも多くてね。腕力では勝てませんし、それ以外で身を守る術を身につけざるをえなかったわけです。あなたも人を煙に巻く話術は覚えておいて損はないですよ」
「はあ……」
 果たして自分にリファばりの舌戦ができるようになる日など来るのだろうか。曖昧な相槌を打つエルクに、脱ぎ散らかされたラーンの服を拾い集めていたリファは、空いた寝台を指し示す。
「さあ、明日も早いですからね。もうお休みなさい」
「はい。お休みなさい」
 あれだけ不要なものが入っていたというのに、ろくな着替えどころか寝巻すら持ってきていなかったのは不覚だった。少ない着替えを消費するのも勿体ないので、肩布と頭布だけ外して荷物の上にまとめ、そっと寝台に滑り込む。
 リファの分を空けて、壁にくっつくようにして体を横たえたエルクは、あっという間に深い眠りの海へと飲み込まれていった。