――夢を見ていた。途方もなく寂しい夢。
何が寂しいのかも分からずに、闇の中に立ち尽くしている。どこまでも昏く深い漆黒の空間は、果てなく広がっているようにも、ひどく窮屈なようにも感じる。
切なさが溢れて透明な滴となり、はらはらと目から零れ落ちては虚空に吸い込まれていく。
どれだけの間、孤独に涙していたのだろうか。
ふと頬を撫でられたような気がして顔を上げると、闇の彼方に光が見えた。
ちかちかと瞬く、淡い緑の光。
最初は星かと思った。しかし、それにしてはふらふらと不規則に揺れて、あっちに行ったりこっちに来たりと、まるで迷子が親を探しているような迷走具合だ。
夢だからだろうか。怖いとも、怪しいとも思わなかった。ただきれいだと、それだけ思った。
さっきまでの寂しさはどこへやら、なんだか嬉しくなってきて、その行く末をじっと見守る。
――と。
突如として光が勢いを増し、こちらへすっ飛んできたではないか。
(ええっ!?)
驚く間もなく、飛び込んできた光を咄嗟に抱きとめる。衝撃はなかったが、不思議と胸が高鳴って、思わずぎゅっと目を瞑る。
そして再び目を開けた時、そこには惚れ惚れするような美しい寝顔があった。
「ぅわっ――!!」
悲鳴を上げかけて、必死に口を押える。
狭い部屋に差し込む朝の光。舞い踊る埃と、窓の向こうから聞こえてくる広場の賑わい。
何か不思議な夢を見ていたような気がしたが、すぐ隣で眠る麗人の顔を見てしまったら、そんなことなどすっかりどこかへ行ってしまった。
(男の人だなんて、嘘みたい)
その美貌は瞳を閉じていても決して損なわれることはなく、むしろ神秘さを増してさえいる。
時間も忘れて眺めていたくなるような、冴え渡った美しさ。しかし、どこか彫像めいて見えるのはなぜだろう。しばし考えて、瞼を固く閉じているからだと気づく。
そこに意思という輝きがない限り、どんな美しさも石の塊と同じだ。そんなことを思いながら見つめていたら、その白皙の美貌にすう、と命が吹き込まれる瞬間を目の当たりにして、思わず息を飲んだ。
薔薇色に息づく肌、唇から漏れる吐息。長い睫毛が揺れて、その奥から現れたのは、宝石の如き青の双眸。途端に溢れ出す命の輝きに思わず見とれていたら、くすりと笑われた。
「おはようございます、エルク」
ありきたりな朝の挨拶を紡ぎながら、すっと手を伸ばしてエルクの頬に触れるリファ。
「そんなに見つめられると、照れてしまいますね」
「わっ、そのっ! あんまりきれいなんで、ついっ……!」
がばっと起きて、あわあわと弁解の言葉を紡ぐエルクに、リファはありがとうございます、と律儀に礼を言って、ゆっくりと半身を起こす。そしてふと隣の寝台に目をやった途端、盛大に吹き出したリファに、何事かと振り返ったエルクは、思わず声を張り上げてしまった。
「ええっ!?」
いつの間にか空になった隣の寝台。半分方ずり落ちた毛布の先を辿ると、二つの寝台の間に巨大な蓑虫のような物体が転がって、ぐーぐーと威勢のいい寝息を立てている。
「ラーンさん!? いつからそんなことに!?」
「本当に愉快な寝相ですねえ。ほらラーン! 朝ですよ、起きてください!」
毛布の端を持ってえいっと転がすと、中から寝ぼけ眼のラーンが姿を現した。ごしごしと目を擦って、子供のようにきょろきょろと辺りを見回す。そしてエルクの顔を認めると、ようやく眠気が覚めた顔でにかっと笑った。
「よお、エルク! 筋肉痛は平気か?」
「えっ」
言われて初めて、全身を包み込む鈍い痛みに気づく。まるで重い鎧を無理やり着せられたかのように、体がぎしぎしと悲鳴を上げていた。
途端、泣きそうな顔になったエルクに、二人は顔を見合わせて笑う。
「ずっと歩きづめでしたからね。少し体を動かせばほぐれますから大丈夫です」
「よっしゃ、朝飯の前にひとっ走り、広場まで行ってこようぜ!」
ほらほら、と腕を引っ張られて、寝台から降りる。勢いがついてしまえば、軋む体を動かすのは思いのほか楽だった。
「はい、靴を履いて、まだちょっと冷えますから上着を羽織ってくださいね。朝市が立っているでしょうから、何か美味しそうなものがあったら買ってきてください」
てきぱきとエルクの身支度を手伝い、自身は留守番を決め込むリファに、こちらも手早く身支度を整えながら了解、と答えるラーン。
「よっしゃ、行くぞエルク!」
「わわっ、待ってくださいよラーンさん! っいたたたた……」
元気に部屋を飛び出していくラーンと、悲鳴を上げつつ追いかけるエルク。朝から元気な二人をにこやかに見送って、リファはそっと窓を開けた。
朝の風が心地よく吹き抜けて、金の髪を揺らす。今日もいい天気になりそうだ。
「ほら、広場まで競争だ!」
「ま、待ってくださいってばー!」
外から響いてくる賑やかな声にくすくすと笑いながら、リファは窓から身を乗り出して、石畳を駆け抜けていく二人に手を振った。
「気をつけて行ってきてくださいねー!」
声に気づいてぶんぶんと手を振る二人。そしてラーンが疾風のように駆け出していき、慌てたエルクがわたわたと走り出す。
そんな二人に微笑みかけるように、東の空から昇った太陽が黄金の輝きを投げかけて、町が一気に活気づいていく。
今日もよい冒険日和になりそうだ。