5.疾風のごとく
「くそ、ほとんど獣道じゃねえか!」
 生い茂る藪を掻き分けながら、道なき道をひたすらに北上する。先頭を行く赤毛の剣士はさんざん毒づきながらも、伸び放題の枝を掻き分け、下草を踏み固めて、後続のために道を確保することだけは忘れない。
 そうやって通りやすくなった道をすいすいと歩きながら、澄まし顔で解説するのは金髪の魔術士リファだ。
「だから言ったじゃありませんか、もう使われなくなって久しい旧街道だと。新街道が出来たのは百年ほど前ですからね。ここを知っている人間はほとんどいませんよ。だからこそ、先回りするにはちょうどいいんじゃありませんか」
 昼間に河原で出会った黒ずくめの一団。彼らより先に街道の先にあるダロスの町まで辿り着き、そこで待ち伏せて動向を探るため、三人は旧街道をひたすらに進んでいた。
 日暮れまでにオルソンの森まで辿り着ければしめたもの。そこで野宿をして、明朝から森を突っ切ろうというのがリファの提案だったが、この二人だけであれば、道なき道だろうが夜の森だろうが、難なく踏破してしまうのだろう。
 彼らの足を引っ張っているのは明らかで、しかしそれを責めたりする二人でないことも分かっている。ならばせめて出来ることを頑張ろうと、重い足を必死に動かすエルクだったが、自分が思っている以上に疲労が溜まっていたようだ。
「うわあっ!」
 跨いで避けたつもりの出っ張りに躓いて、盛大にひっくり返ったエルクの悲鳴に、軽口の応酬を続けていた二人はぎょっと振り返った。
「お、おいっ!?」
「大丈夫ですか?」
「だ、だいじょうぶ、です」
 とりあえず返事だけはしたが、妙な具合に体を捻って転んだせいでうまく立ち上がることが出来ずにいると、咄嗟に飛び上がって空中に退避したロキが、すちゃっと顔のそばに着地して、エルクを覗き込むように小首を傾げる。
『いたい? けがした?』
「大丈夫だよ。驚かせてごめんね」
 よしよしと緑色の頭を撫でてやると、きゅるきゅると嬉しそうな鳴き声を上げるトカゲもどき。記憶を失った大地の妖獣ロキが一行に加わったことで、気軽に話せる相手が出来たのは嬉しいのだが、惜しむらくは唯一ロキの言葉が分からないラーンと、それを知っていてわざとからかうような態度を取るロキとの間で、頻繁に喧嘩が始まることだろうか。
「ほら、そこどけチビ」
『ちび、ちがう! ロキ!』
 今も邪険にロキを追い払い、抗議の声を無視して手を差し伸べてくるラーンに、リファが傍らでやれやれ、と肩をすくめている。
「ほら、掴まれ」
「は、はいっ」
 力強い手に掴まって立ち上がった瞬間、左足首に鈍い痛みを覚えて思わず顔を顰めるエルク。慌てて平静を取り繕ったが、それを見逃す彼らではない。
「どこか痛めましたね。見せてください」
「い、いえ、大丈夫ですっ」
「大丈夫なわけないだろ! そこに座れ!」
 強引に近くの倒木へ腰掛けさせられ、革靴を脱がされる。そこで「私が診ましょう」とラーンを押しのけたリファが、てきぱきと脚絆を取り除き、顕わになった細い足首をそっと掴んで軽く動かした。
「ふむ、こちら側は大丈夫、と。……反対側は痛いかもしれませんよ」
 申し訳なさそうに断りを入れて、内側に捻るように動かした瞬間、小さく悲鳴を上げるエルク。すみませんと足首から手を離し、リファはきっぱりと診断を下した。
「捻挫ですね。これは後から腫れますよ。冷やすものがありませんが、とにかく固定しましょう」
 言うが早いか荷物を降ろし、救急道具を引っ張り出して手当てを始めるリファ。その手際の良さに感心しているうちに、あっという間に包帯が巻かれて、更に脚絆で固定される。
「はい、これでよし。靴は履かない方がいいでしょう」
「えっでも――」
 それでは歩けない、と続けようとしたら、ぬっと目の前に大きな背中が出現した。
「ほら」
 ラーンが目の前にしゃがんだのだと、遅れて気づく。しかも背負っていた荷物を外し、日除けの布も外す念の入れようだ。
「その足じゃ歩けないだろ。ほら早く」
「えっ、でもっ……」
 もし道中で倒れでもしたら、担いで運ぶのは骨が折れる、とからかわれたのはつい最近のことだったから、つい尻込みしてしまったら、今度はにやりと笑われた。
「それとも、お姫様抱っこの方がいいか?」
 身振り手振りまでつけて言われてしまい、思わず悲鳴を上げる。
「いやですよ! 恥ずかしいっ!」
「じゃあ大人しく背負われろ。日が暮れる前に森の入口まで行くんだから、時間がないぞ」
 ほれほれ、と急かされて、恐る恐るその背中にしがみつく。そんなエルクによし、と頷いてひょいと立ち上がったラーンは、地面に降ろしていた荷物を掴むと、それじゃあ行くか、とすたすた歩き始めた。
 その途端、ぐんぐんと背後に流れていく景色。人一人背負っているとは思えない速度で突き進むラーンに、思わず制止をかける。
「ち、ちょっとラーンさん! 急ぎ過ぎですよ!」
「普通に歩いてるだけだぞ? それよりほら、ちゃんと掴まってろよ」
 平気な顔をして答えるラーンは、尚も速度を上げていく。心配になって後ろを窺えば、エルクの靴を手にぶら下げ、肩にロキをとまらせたリファが、涼しい顔でぴたりとついて来ている。
(……僕の足に合わせてくれてたんだ)
 彼らだけなら、もっと早く先に進めるのだ。それは分かっていたが、こんな風に本物のお荷物状態になってしまうと、自分の未熟さが際立って、申し訳なさと恥ずかしさで顔が赤くなってしまう。
「ん? どうしたエルク。ちゃんと掴まれよ」
 腕の力が緩んだことに気づいたラーンが、肩越しに様子を窺って来たので、大慌てではいっ! と答え、しっかりとしがみつく。こんな情けない顔を見られたら、ますますもって恥ずかしい。
「……重くないですか?」
「ちっとも! むしろ軽すぎるくらいだ。お前、もう少し肉つけた方がいいぞ」
 快活に笑いながら、巧みに枝を避け、藪を掻き分けて進むラーン。肩越しに見える道の先には、茜色に染まり始めた空が広がっていた。
「お、そろそろ林を抜けるな」
「はい。ここを抜けてしまえば、オルソンの森はすぐそこですよ」
 リファの声に背中を押されるように、最後の枝を掻い潜って一歩踏み出せば、そこは夕焼けに照らされて黄金に輝く草原だった。その少し先には鬱蒼とした森が広がっている。あれがオルソンの森だろう。
「ようやく歩きやすいところに出たな」
 ふう、と息を吐くラーン。草原には辛うじて、かつて人々が足繁く行き来していた頃の痕跡が残っていた。これをそのまま辿っていくと森を迂回することになってしまうから、途中からは森を目指して本当の道なき道を進むことになる。
「さあ、日暮れまでにあそこまで行きましょう。野営地を見つけたら、そこでもう少しちゃんとした手当てをしますから、辛抱してくださいね」
「い、いえ。大丈夫です! もう痛みも引きましたし、自分で歩けますから」
 そう言って降ろしてもらおうとしたが、ラーンは頑として譲らなかった。
「駄目だ。無理して悪化させたら大変だろ」
「でも!」
「いいか、ここで意地を張って余計に足を痛めたりしたら、ダロスの町でお姫様抱っこして練り歩いてやるからな」
「いやですってば!」
 とんでもない脅し言葉に震え上がり、ぎゅっとしがみついてくるエルクに呵々と笑って、ラーンは背負い袋のように、ひょいとエルクの体を担ぎ直す。
「じゃあ大人しくしてろ。どうせもうすぐ着く」
「野営できる場所に心当たりがあります。先に行きますからついて来てください」
 そう言ってするりと前に出たリファが、夕日に輝く草原を掻き分けていく。草原と同じ輝きを放つ金の髪を見失わないよう、急いでその背中を追って歩き出したラーンは、ふと何か思いついたように、ああそっか、などと気の抜けた声を上げて、前を見つめたままぼそりと呟いた。
「足手まといになって、とか思ってるんだろ。変な遠慮はいらないぞ。助け合うのが仲間ってもんだろ」
 何気ない一言に、情けない思いでいっぱいだったエルクの心がふわっと浮き上がる。
 さらりと紡がれた『仲間』という言葉。それは長いこと憧れて、それでも決して手の届かぬものと、心の奥底にそっとしまっておいた、宝物のような響き。
「仲間で、いいん、ですか……?」
 恐る恐る問いかけたら、何を今更、と鼻で笑われた。
「お前が『仲間にしてくれ』って押しかけてきたんだろうが」
 そう言って、ニヤリと悪戯小僧のような笑みを浮かべるラーン。
「俺は肉体労働担当だからな、こういうことならいくらでも頼れ。その代わり、難しいことを考えたり、気を遣ったりするのは専門外だからな。そこはお前らを全面的に頼るぞ。いいな」
 胸を張って言う台詞でもない気がするが、実にラーンらしい言葉に、思わずくすくすと笑ってしまう。
「はい! たくさん頼って下さい!」
 ようやく元気な声が出たエルクに、その調子だと頷いてから、はたと足を止める。
「いっけね、見失った」
 話しているうちに、先行するリファの姿は草原に埋没してしまっている。慌てて目を凝らせば、黄金にうねる草の波の中、緑に輝く一点があった。あの輝きは間違いない、夕日に照らされたロキの背中だ。
「あれ、あそこじゃないですか?」
 背中から身を乗り出すようにして前方を指し示すと、ラーンもようやくリファの姿を捕捉出来たようだ。
「でかした! 急いで追いかけるぞ。掴まってろ!」
 そう告げるが早いか、リファとの距離を一気に縮めにかかるラーン。振り落とされまいと、急いでラーンの背中に貼りついたエルクは、二人がついて来ないことに気づいて立ち止まってくれた魔術士に、威勢よく手を振った。
「リファさ―ん、待ってくださいよー!!」
「おいこらリファ、置いてくなー!!」
 疾風のごとく駆け抜けていく二人の背中を追いかけるように、夕日が西の空へと沈んでいく。
 夜は、もうすぐそこだ。