6.空を翔るもの 地を駆るもの
 交代で顔を洗い、ついでに宿の中庭を借りて汚れた衣類を洗濯し終えたところで、気のいい店主が三人を呼びに来た。
「おーいお客さん方。食事の準備が出来たよ」
 ロキの鳴き声を腹の音と勘違いされたのは不本意だが、実際に昼食を取り損ねていたので、店主の気遣いは非常にありがたい。
「ありがとうございます」  ぺこりと頭を下げると、店主はぱちりと片目を瞑ってみせる。
「たくさんあるから、腹の虫が音を上げるまで目いっぱい食わせてやんなさい」
 あはは、と笑ってごまかすしかないエルクをぐいぐい押して、食堂へと入っていくラーン。
「早く行こうぜ! もう俺腹ペコで……」
「はいはい、あなたはいつでも腹ペコですよねえ」
 賑やかに食堂へと向かえば、がらんとした食堂の片隅に大量の食事が並べられていた。
どれだけ空腹だと思われたのか、三人がかりでも食べきれないような量だったが、珍しい料理の数々に思わず目が輝く。
「うわあ、おいしそう!」
「何だこれ、魚の姿揚げか? 初めて見るなあ」
「お皿があるんですからちゃんと取り分けてくださいよ。ああエルク、それは小骨がありますから気をつけて」
 賑やかに食卓を囲む三人をしばらく見守っていた店主だったが、夕食の仕込みがあるからと厨房に引っ込んでしまった。他に客はいないので、食堂は貸し切りも同然だ。
「今日は買い出しと、あと周辺地域の地理を把握したいですね」
 上品に固まり肉を切り分けるリファに、魚の小骨と格闘していたラーンがそれなら、と申し出る。
「あとで親父さんに手伝いをさせてくれるように頼み込んでみるから、そのついでに色々聞いてみるさ」
「ええ、お願いします。あとは町中もある程度把握しておいた方がいいでしょう。今日のうちはまだ彼らもやってこないでしょうから、あとで買い出しついでに町をぐるっと回ってみましょうね」
「はい!」
 平パンを千切りながら頷くエルク。そして、周囲を気にしながら声を潜めて続ける。
「あの、明日から薬売りついでに人の出入りを見張るのはいいんですけど、実際に彼らがやってきたら、僕はどうすればいいんでしょう? 跡をつければいいんですか?」
 そうは言っても、まさか商品を放置したままでその場を離れるわけにもいかないし、訓練を受けたことのない素人が無闇に尾行などしても、すぐに気付かれてしまうだろう。
「いいえ、それでは逆に怪しまれてしまいますからね。これを渡しておきますから、彼らが来たらこれで知らせてください」
 そう言って、リファはおもむろに小刀を置くと、右手首に揺れていた腕輪を引き抜いて差し出した。
「なんですか? これ」
 それは一見して、何の変哲もない腕輪だった。細い金属の輪に、よく見ると細かい紋様が刻まれている。しかしリファはよくぞ聞いてくれましたとばかりに、嬉々として説明を始めた。
「これは私が作った魔法道具です。同じものがもう一つ、ここにあります」
 そう言って示してみせたのは、左手首に輝く腕輪だ。こちらも同じような細い金属の輪だが、色合いが若干異なっている。
「合言葉を唱えると、もう一方の輪が振動して知らせる仕掛けになっています。遠く離れていても合図が送れますから、彼らを見かけたら、気づかれないように使ってください。合言葉は……」
 そっと耳打ちされた複雑な音韻に、思わず眉根を寄せるエルク。
「それって、魔法の言葉ですか?」
「はい。我々魔術士が使う魔術語――『ルーン』といいます。この合言葉は単純に『作動せよ』という意味ですが、古代遺跡の仕掛けなどもこの言葉で動くものがありますから、覚えておくといいかもしれませんね」
 その言葉に俄然張り切って、声にならないように気をつけながら何度もその言葉を反芻する。幸い、短い言葉だったし、何とか覚えていられそうだ。
「でも、これって魔法が使えない人間が唱えても、ちゃんと効果があるんですか?」
 不思議そうに尋ねるエルクに、リファはもちろんです、と頷いてみせる。
「魔術にも色々と種類があるのですが、この腕輪には魔法の力を宿らせてあります。合言葉は単純に、この腕輪に込められた術が発動するためのきっかけですから、魔力のない人が唱えても効果があるんですよ」
 そもそも、このファーンの地において、魔術士――つまり魔法が使える人間というのはかなり稀有な存在だ。まず『その身に魔力を宿している』という第一条件を満たしている者が少ない上、それを使いこなすためには天賦の才能と、そして血のにじむような努力が必要となってくる。
 かつて、北大陸に栄えていた魔法大国ルーンでは、世界各国から魔術士を集めて優遇し、逆に魔力のない人間を奴隷のように扱っていたと言われているが、そんな大国の全盛期であっても、国内に暮らす魔術士の数は百に満たなかったという。
「魔法って便利ですねえ」
 ほう、と息を吐くエルクに、でもよおと肉刺しを振り回すラーン。
「小難しい呪文を覚えなきゃいけなかったり、訳の分からん勉強をしなくちゃならなかったりするのを考えると、俺は魔法が使えなくてよかったと思うぜ」
「人には向き不向きがあるんです。それでいいんですよ」
 確かに、机にかじりついて呪文を暗記しているラーンなど、似合わないにも程がある。
「さて、食事を終えたら二手に分かれて行動しましょう。我々は……まずは古着屋ですね」
「え?」
 首を傾げるエルクに、リファは澄ました顔でこう告げた。
「その恰好では薬師に見えませんから、なにか衣装を見繕わないとね。大丈夫、あなたに一番似合うものを選んで差し上げますよ」