未来の卵・第六章[5]〜[6]没原稿

〜遺跡〜


「……いちゃま。おじいちゃまってば!」
 はっと気づいたとき、目の前にはお盆を持ったエリナと、疲れた顔のラウルが立っていた。
「お?おお、エリナ。どうした」
 考え事をしていたはずが、どうやら、いつの間にかうたた寝をしていたらしい。
 懐かしき60年前。あの最後の戦いの記憶が夢となって蘇ったのは、先日ラウルに事細かに話して聞かせたせいか。
「んもお、椅子に座ったまま寝たら風邪ひくでしょっていつも言ってるのに。はい、お茶よ」
 机の上にお茶を並べるエリナに、半ば椅子からずり落ちていたゲルクはすまんすまんと謝りつつ、体勢を整える。口やかましいのは誰に似たのか、しかし誰よりもゲルクを心配するエリナは、それこそ目に入れても痛くない最愛の孫娘だ。
 この少女がいるのも、そしてその孫娘の幸せそうな笑顔をこうして見られるのも、すべてはあの戦いを乗り越えた証。
 それなのにまた。あの「闇」は帰ってきたというのか。死の恐怖を引きつれ、命を踏みつけにして。
「ラウルさん。今日は卵くん連れなんですね」
 再び考え込みそうになったゲルクを、エリナの声が現実に引き戻した。
「ええ。見てのとおりですが?」
それが何か、と首を傾げるラウルに、エリナは慌てて
「その、最近あんまり外に連れて来ないから、ピート達が見たいみたいって騒いでて……。きっと理由があるのよって言っておいたんですけど」
「ええ、そうです。もう少ししたら本格的に孵化の準備に入るようで、今はあまり動かさない方がいいのではないかと思いましてね。今日は誰も留守番を頼める人がいなかったので、連れてきましたが」
「まあ、それじゃあもうすぐ、竜が孵るんですか?!楽しみですね」
「ええ、とても」
 そう。卵だ。「影の神殿」が狙う卵。それを守らんと、この若きユークの使徒は力を尽くしている。それを助けるのが、あの戦いを経験した自分のなすべきことなのだ。
「さて、それでは始めるかの」
茶を一口すすってそう言い出したゲルクに、エリナはお盆を抱えて扉に向かった。
「それじゃ、ごゆっくり。衣装が出来上がったら、すぐに届けに行きますから!」
「は、はい。楽しみにしていますよマリナ」
 引きつった笑顔で答えつつ、ラウルはゲルクの前の椅子に失礼、と腰掛ける。
 書斎の扉が閉められ、エリナの足音が聞こえなくなったところで、ようやくゲルクは口を開いた。
「……して、用件を聞こうか」
「はい。実は、明日から二、三日、出かけたいのですが……」
「卵に関わることか」
「はい。卵をか……」
 ラウルの言葉をゲルクは手で制した。
「全ては話さんでいい。あまり詳しく知ってしまっては、かえって危険じゃからな」
 影の神殿は死人から情報を引き出す禁呪を行使する。それは、ゲルク達ユーク神官にも、知識として教授されている術だ。それだけに、その危険性はよく知っている。死人に口なしという言葉は、彼らには通用しないのだ。
「分かりました。それでは、所用で明日から二、三日村を離れますので、その間、村の事をよろしくお願いします。村長にも出かける事は伝えてありますが、村長も数日、用事で村を空けるそうでして……」
なんでも収穫祭に向けて、近隣の村の長が集まって会合を開くらしい。そうでなくとも、この辺りの村は常日頃から連携し支え合って生活をしており、定期的に会合が開かれているという。そのため村長が村にいない事も時々あり、そういう時は前村長の一人娘であり、現村長の妻であり、マリオの母でもあるカリーナが代理を務めている。そう、あの村長は入り婿で、かつて冒険者としてこの村にやってきた人間なのだと聞かされて、ラウルは妙に納得したものだった。道理で、どこかこの村の人々とは違った印象を受けるはずだ。
「そうか。何事もない事を祈るが、なに、ワシとてユークに仕えるものの端くれ、奴らが襲ってきたところで返り討ちにしてくれるわ。安心して行って来い」
神聖術を、そして神の声を聞く力を失って早60年。しかしその間も彼はユーク神官として人生を神殿と村に捧げた。彼がすでに神官としての力を失っていることを知る者はほとんどいない。わざわざ言うまでもない事だったし、この村でユークの力を行使する機会などほとんどない。ただ、ゲルクはユーク神殿を守るものとして村に受け入れられ、そして暮らしてきた。後に功績を称えられ司祭位をいただいたものの、心の中では彼は今でも、ただの神官のまま。命を賭して村を守ったあの頃の気持ちのままなのだ。
「ありがとうございます」
 そんなゲルクの心中を知る由もなく、頭を下げるラウル。彼はその若さで侍祭の位をいただく、優秀な青年である。形だけの司祭であるゲルクは、彼の礼節溢れる態度に時折くすぐったくなる。
そのくすぐったさを隠すように、ゲルクは意地悪く尋ねた。
「して、収穫祭の衣装は何に決まったんじゃ?」
 途端に困った顔になるラウル。頭を掻きながら、慎重に言葉を選んで答えた。
「その、ですねえ……私もよくは知らないんですが、なんでもこの国にゆかりのある英雄だとかで……」
 顎を捻るゲルク。英雄と言っても、このローラ国は建国以来、英雄と呼ばれる人間を数多く輩出している。
 しばし頭をめぐらせていたゲルクは、はたととある人物を思い出した。
 途端になんとも複雑な顔になって、ラウルに憐憫のまなざしを向ける。
「……すまんのぉ」
「何がです?」
 珍しく謝罪の言葉を口にするゲルクに、訳が分からないラウルは首を傾げるばかりだった。



「ゲルク様にも教えてもらえなかったんですか」
 笑いながら言うエスタスに、ラウルは肩をすくめて見せる。エスタスの笑い声につられてか、背中の卵が
---らうっ。らうらうらうっ---
 などと声を上げていたが、ひとまず無視をした。いちいち付き合っていては疲れるだけだ。
「なあカイト、お前知ってるんだろう? 教えてくれたっていいじゃないか」
 少し前を行くカイトに呼びかけるが、カイトはにやぁと笑って首を横に振る。
「駄目ですよ。エリナから口止めされてるんですから。収穫祭になったら嫌でも分かりますから、もうちょっと我慢したらどうです?」
「そういわれると、余計気になるんだよ!」
 誰に聞いても、にやにや笑うだけで教えてくれないのだ。
 と、少し先を歩いていたアイシャがぴたり、と足を止めた。
「来る」
 相変わらず要点しか言わないアイシャの言葉に、一行も足を止めて周囲を見回す。
 荒れ果てた大地。ちらほらと点在する雑木林の向こうに見えるのは、廃墟となった白亜の都市。
 あの廃墟の片隅にある光の部屋へ卵を運ぶため、彼らが村を出たのは朝早くのことだった。表向きはエスタス達の遺跡探索にラウルが同行している形だったが、目的は違う。
兎にも角にも、エストからおよそ半日ほどの距離にあるルーン遺跡まで足を運んでいる最中の彼らだったが、まだ一名足りなかった。その最後の一人を呼ぶためにアイシャが笛を吹いたのは、出発してすぐの事。その場で待つのも何なので、先を急ぐため歩き続けていたのだが。
「おい、ほんとに……」
 ラウルが問いかけたその時。彼らの前に、突如として業火が熾った。
「ぅわっ……」
 一番近くにいたエスタスが思わず飛びのくが、すぐにその炎が熱を帯びていないことに気づく。そして炎が急速に静まると、その中から炎と同じ色の髪をなびかせた青年の姿が現れた。
「相変わらず、派手な登場だ……」
 思わず呟くラウルに一睨みきかせてから、炎の竜キーシェはアイシャにつかつかと歩み寄り、その手を取って口づける。
「おお、アイシャ。よく呼んでくれたな。お前の顔が早く見たくて、空を駆る翼にも力が入ってしまったぞ」
「そう」
 キザな言い回しにも動じずにいつもの調子で返すアイシャは、ある意味最強だ。
「相変わらず素っ気ない返事だな。しかし、それでこそレイサの血を引くもの、なるほど血というのは侮れぬものだ。あの懐かしい響きを時を越えて今、私に聞かせてくれるとは」
「なあ、前に来た時にもそんな事を言っていたような気がするんだが、アイシャの先祖もやっぱりこんな感じだったのか?」
 つい好奇心から尋ねてしまうラウルに、キーシェはよくぞ聞いてくれたとばかりに喋り出す。
「ああ、その面立ちや瞳もさることながら、どんなときにも自分を失わないその気高い魂や、言葉少なながらも表現豊かな言い回し、まさにそっくりだ」
あきれ果てた顔のラウル達。まったく、物は言いようである。
「といっても、レイサは男だったが」
 最後にそう付け足したキーシェに、カイトがずっこける。
「お、男の人で、アイシャそっくりって……なんかやだなあ」
「どういう意味」
 カイトに詰め寄るアイシャ。無表情がこういうときは一番怖い。
「わわ、じ、冗談ですよぉ〜」
 慌てて逃げ出すカイトをぐいっと捕まえ、こめかみをぐりぐりやっているアイシャ。無表情なアイシャだが、決して感情に乏しいわけではない。半年も付き合ってみると、それがよく分かる。
「我が同胞も元気そうだな。良いことだ」
 アイシャがカイトと戯れているので、キーシェはラウルに話を振ってきた。
---らうらうっ♪ らう〜---
卵も喜びの声を上げる。これからしばらくラウルの側から離れなければならないことを、周囲の会話から知り得ているはずの卵だったが、特に嫌がったり泣き叫んだりということはしなかった。少しは分別が付いたのか、それとも孵化に必要なことだから文句を言わないだけなのかは分からないが。
「おお、そうか。お前も早く孵りたいのだな」
---らうぅっ!---
「そうだな。私も早く、お前の優美な姿をこの目で見たいものだ」
---らうっ。らうぅ……?---
「まあそう言うな。しばらくの辛抱だ」
「ええい、人を挟んで喋るな、やかましい!!」
 しばらく黙って聞いていたラウルだが、いい加減耐え切れずに怒鳴りつける。
「お前らは意思が通じてるからいいだろうが、俺には何言ってんのか分からねえんだよ!」
 内容の分からない話を肩越しにされることほど、気に障る事はない。
 これがまだ、カイト達のように卵の声が聞こえないのなら、キーシェが一人でぶつぶつ喋っているだけの奇妙な光景で終わるのだが、どちらも聞こえているラウルにはそうも行かない。
「私が折角同胞との会話を楽しんでいるというのに……」
 怒鳴られてむっとするキーシェだったが、ようやくカイトを離したアイシャが、何事も無かったように歩き出したので、ころっと態度を変えてアイシャに走り寄っていく。
「おお、アイシャ。もう出発するのか。私を置いていくなんてあんまりな仕打ちと思わないか?」
「早くしないと、日が暮れる」
「おお、そうだな。早いところ目的を果たして、お前とゆっくり語り合いたいものだ」
 これが本当に、大いなる力を秘めた上位精霊なのだろうか、と真剣に考えてしまうラウル。傍目に見ればただの気障なナンパ男だ。顔がいいだけに余計そう見えてしまう。
 キーシェのとめどない歯の浮くような台詞を右から左に聞き流しつつ、スタスタと進んでいくアイシャに、カイトとエスタスは肩をすくめてラウルを見た。
「行きますか」
「……そうだな」
 ルーン遺跡は、まだ遠い。



 そこは、かつて魔法大国ルーンの首都として栄えていた。
都市の中心部には巨大な王城がそびえ立ち、それを取り囲むように網の目のような街が広がっていたという。
都市をぐるりと取り囲んだ壁は目もくらむほどに高く、魔術による強化が施されて侵入者を寄せ付けなかった。そして都市の四方に配置された結界の塔により、都市だけではなく周辺地域もが強大な魔術の結界に守られ、北大陸の厳しい気候から民を守っていた。
そう、この地にこれほどまでに魔術の粋が結集したのは、厳寒の土地で生きていくため。中央大陸で生まれた人間たちにとって、北大陸の気候はまさに厳しさの極み。それを乗り切るために、、中央大陸からの移民には、魔術士や精霊術士、火の女神パリーの神官などが大勢含まれていた。そして彼らは極寒の地をより住みやすくするために様々な手段を講じた。やがて魔術士達が結界による外界との隔絶を成功させ、そのことがきっかけで彼らの地位が向上していく。
そしていつしか、この地に興った国は魔法上位主義が蔓延し、魔術士を選民、それ以外を平民と区別して、選民による支配が確立されていったのだ。
ファーン復活暦45年、一夜にして壊滅した魔法大国ルーン。その原因については魔術の暴走だとか、行き過ぎた魔術至上主義の崩壊によるものだとか諸説あるが、恐らくはこの謎の壊滅がなかったとしても、そう長くは続かない栄華だったであろう、と後世の歴史学者は語る。それは、魔術士の素質が血統によるものではなく、全くの偶然から生まれるものだからで、後年のルーンでは魔術士の数が激変し、時の支配者は各地から半ば強制的に魔術士を集めていたとも言われている。
一夜にして消えた魔法大国ルーン。後世に残したものは、数々の魔術研究の成果と、高度な魔法の品々。前者は魔術士達によって綿々と受け継がれて入るが、あまりにも行き過ぎた術は禁呪として、厳しく使用を禁じている。また、当時作られた魔法の品には、すでに失われた魔術が封じ込められているものも多々あり、魔術士や好事家がこぞって収集している。
エスタス達はまさに、そういった品々を探し出しては金銭を得ているわけだ。大体月に一度遺跡にもぐっている彼らだが、遺跡は一千年の間、様々な探索者によって調べ尽くされており、お目当ての品にめぐり合えるのは三度に一度あればいい方だという。
ただでさえ難しい宝探しだが、それに拍車をかけているのはカイトの存在だ。知識欲の塊であるカイトは、宝探しよりも当時の文化や風俗、果ては建築様式の研究に余念がなく、時にはエスタス達を無視して研究に没頭するので、目下悩みの種らしい。zz
しかし彼の知識が宝探しを支えているとも言える。おかげでエスタスも強く出られないらしく、これまた気ままなアイシャも時折勝手にいなくなったりして、エスタスが一人、気を揉んでいることが多々あるらしい。
「ほら、ここですよ、ここ!」
 そんな苦労症のエスタスが足を止めたのは、まさに瓦礫の山の前だった。
 広大なルーン遺跡の片隅。おそらくは立派な建物がひしめき合っていたのであろうその場所は、すべてが瓦解し無残な姿を晒している。とても、そのどこかに不思議な部屋が隠れているとは思えない。
「今日はもう遅い、明日にした方がいいな」
 暮れ行く空を見上げて、キーシェがそう提言する。
「そうですね。それじゃ、もうちょっと先まで移動しましょう。オレらが休憩に使っている場所があるんです」
 そう行ってエスタスが案内してくれたのは、辛うじて屋根と壁が残っている建物だった。
 そこで火を焚いて明かりと暖を確保すると、手分けして食事の準備にかかる。さすがにエスタス達は慣れたもので、ラウルがほとんど手出しすることもなく暖かな夕食が出来上がる。それをカイトが配っていったが、キーシェだけは
「私は食事を必要としない。お前達で分ければいい」
と言ってきっぱりと断っていた。竜は肉体こそもっているものの、ラウル達のような生命体とは構造が違うのだという。水も飲まないし食事も取らない。眠りすら必要とはしない。そう言って、夜の火の番を申し出てくれたのはありがたかった。
 明日は早い。キーシェに火の番を頼んで毛布に包まったラウル達だが、どうにも寝付けない。エスタス達が早々と寝息を立て始め、卵すら静かになっても、ラウル一人が眠れずにいた。
「なんだ、寝ていないのか。明日は早いのだろう?」
 そんなラウルに気づいて、焚き火の側にいたキーシェが声をかけてきた。
「ああ、そうなんだけどな。色々考える事がありすぎて、眠れないんだ」
 こういうときは無理に眠ろうとしない方がいい。ラウルは起き上がって、毛布を肩からかけ直す。
「考え事か。似合わんな」
辛辣な言葉にむっとするラウル。
「うるせえ」
「考えたとして、答えは出るのか? 答えを持たない疑問なら、労力の無駄だ」
 おや? と目をやるラウル。
「あんた、俺が何を考えてたか、分かるのか」
「分かるわけがないだろう?」
憮然とした顔のキーシェ。
「だって、この卵は人の考えを勝手に読みやがるんだぞ?だから、竜ってのはみんなそうなのかと……」
その言葉に、キーシェは猛然と首を横に振った。
「我等は必要もないのに人の心を勝手に読むような不躾なまねはしない!」
「ってことは、出来る事は出来るわけだ」
「まあ、な。元々我ら竜同士では、言葉を必要とせず心の声だけで会話をする。勿論それでは他の種族には通じないから、こうして肉体で言葉をつむぐ事も出来る。まあ、恐らくあの卵はあまり他種族との交流に慣れていないのだろう。竜と同じ感覚で意思の疎通を図れば、人の心をつい読んでしまうのは仕方ないことかもしれないが、お前達にとっては迷惑な話か」
「もう慣れちまったからいいけどな」
苦笑しつつラウル。
「そうか。ならばいいが……」
会話が途切れ、沈黙が流れる。夜風が火を揺らし、そっと頬を撫でていく。
心地よい沈黙を不意に破ったのは、キーシェの方だった。
「聞いていいか、人の子よ」
「? なんだよ」
「卵が孵ったら、どうする?」
「どうって、どういうことだ? 孵ったら、あいつは自分の生活に戻るだけだろ?」
何を分かりきった事を聞いてくるのだろう、と首を傾げるラウル。
「それでいいのかと言っている」
「いいもなにも、そういうものなんじゃないのか? あいつにはあいつの暮らしがあって、俺には俺の生活がある。今はたまたまそれが交わっているだけで、もともと同じ道を歩いているわけじゃねえんだ」
 ユークに仕える神官と光の竜。もともと、決して出会うはずのない存在が、何の因果かこうして共に過ごしている。ただそれだけのこと。
 卵から孵ったら、竜は元いた場所へと帰るのだろう。そう、ただ単純にラウルはそう考えていたのだが、何か違うのだろうか。
 そう考えたラウルは、嫌な考えに行き当たった。
「……なあ、もしかして、竜って卵から孵っても当分、保護者が必要だなんていわないよな?」
 だとしたら、孵ってからも当分面倒を見なければならないのか。そうだとしたら、かなりの誤算だ。
「いや、それはない」
 すっぱりと否定するキーシェに、胸を撫で下ろすラウル。
「我らは卵の状態であっても、記憶や意思はそのままだ。そもそも、卵に戻っている時というのは、卵の中で肉体を再構築しているだけだからな」
ん? と首を傾げるラウル。
「……ってことはよ。あの卵の中身は赤ん坊でもなんでもなくて、れっきとした大人の、っていったらおかしいかもしれないが、ともかく成熟した竜なんだよな?」
「そうだ」
「……それならどうして、あんなに駄々をこねたりぐずったりするんだ」
その質問に、キーシェはぐっと答えに詰まった様子で、頬を掻いた。
「……それは……まあ、私はあの竜と知り合いでもなんでもないから推測にしか過ぎんが……」
「ああ、それでいいさ。教えてくれよ」
 真剣な瞳で見つめるラウルに、キーシェはとても歯切れ悪く答えた。
「……その、な。おそらくは、だが……」
「なんだ、早く言えよ」
「……生来そういう性格なのではないかと……」
ラウルは口をあんぐりと開けて、キーシェを見る。
「まあ、竜にもそれぞれ個性があるわけだからして、もともと人懐こくて天真爛漫な性格の竜なのだろう、な」
「ってことは……孵ってもあのままってことか?赤ん坊だからわがままなんじゃなくて、もともとだってのか?!」
勘弁してくれよ、と頭を抱えるラウル。
あの夜鳴きに耐えた日々。少しでも離れるとびーびー泣き喚き、どこへ行くにも背負って連れて行かざるをえず、あちこちで笑われながら過ごしてきた日々。
それもこれも、赤ん坊のようなものだからと思って辛抱してきたものを。
「冗談じゃないぞ、こら。え?」
 凄むラウルに笑みを引きつらせながら、キーシェは手をパタパタと振る。
「い、いや……あくまでも推測だからな。今だけ甘えているのかもしれんし……」
「成熟した竜が人間に甘えてどうすんだ!!」
「わ、私に言われても……」
 たじたじのキーシェ。そう、確かにキーシェに言っても始まらない話なのだが。
「くっそぉ……」
 これはもう、なんとしても孵化させて、たまりに溜まった文句をぶつけなければ気が済まない。
「なあ、卵から孵れば、あいつの言葉も分かるようになるんだよな?」
 そうじゃなかったらただじゃすまない、と顔に書いてあるラウルに、キーシェはこくこくと首を縦に振る。
「ああ、それは大丈夫だろう。今はまだ生育途中だからアレなだけで、きちんと孵化すれば、元通りの竜になるはずだからな」
「よし、それを聞いて安心したぜ。なんとしてもとっとと孵化させて、文句をつけてやる!!」
 妙な決意を固めるラウルに、呆れたようなキーシェだったが、不意に笑みを漏らす。
「まったく、お前のようなものに拾われて幸運だったというべきだな」
「あぁ? どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。お前のようなお人よしに拾われていなければ、今頃どこかの店先で幸福の卵とかなんとか題名をつけられて陳列されていたかと思うと、まさにこれは幸運としか言いようがない」
「出来る事ならそうしてたさ。あいつが人の考えを読んでびーびー喚きやがるから、できなかっただけだ。俺はとにかく、早いとこ平穏な日々を送りたい一心なんだ」
 僻地に飛ばされて面白みのない日々を送る羽目になったと思いきや、やってきた途端に卵にまつわる騒動に巻き込まれまくり、まさに怒涛の日々を過ごしてきたラウル。
 これはこれで、退屈しなくて済んだと言えば嘘ではないが、彼はこんな日々を送る予定などこれっぽっちもなかったのだ。この辺境の村でせいぜい大人しく過ごし、ほとぼりが冷めたらとっとと中央大陸に戻って楽しくやるのが、彼の思い描いていたこの先の未来だったのに。
 とんだ誤算の日々が続いて、いつの間にか半年も経っていた。
 しかし卵のおかげでより早く村に溶け込めたのも、色々な人間と知り合えたのも事実だ。
滅多に人前に現れないという竜にすら出会い、こんな風に気軽に話せる機会を得たのは、卵のめぐり合わせ。
 まあ、影の神殿などという余計なものとも出会ってしまったのは少々痛いが、それでも卵から得たものは大きい。
(ま、少しは感謝してるんだぜ……。少なくとも退屈はしてないからな)
 今はラウルの横で静かに眠っている卵を見つめ、そんな心の呟きを送る。
---……らぅー……---
 寝ぼけたような声が思いがけず返ってきて、ラウルとキーシェは揃ってくすりと微笑んだ。
「あんたたちにも、役目があるんだよな」
「ああ、そうだ。我らは、神の息吹を世界に行き渡らせるべく存在するもの。この命は、この生は神に捧げられたものだ。言ってみれば、お前達と同じようなものかな」
そうかもな、と呟くラウル。彼の人生もまた、ユーク神に捧げられている。神の声を聞いたあの日からずっと、彼はユークと共に生きてきた。
 いや、もしかしたら。もっと前から。彼が貧民街で暮らしていたあの頃から、ユークは側にいたのかもしれない。暗闇の中、世間の陰を流離い、ただひたすらに生きていた幼い頃から、ずっと……。
 闇と死を司る少年神ユーク。彼がもたらすのは安らぎ。そして、明日への希望。
 裏返せば、それは死のもたらす安息とも取れる。ユークの力はまさに表裏一体。悲しみと、希望を司るもの。
 そして、そのユークと対を成す少女神ガイリアが司るは、光と命。その使徒である光の竜、今は卵となっているこの竜もまた、神に仕えるもの。
「卵から孵ったら、こいつは自分の役目を果たしに行っちまうんだよな」
「ああ、そうだな……やはり、寂しく思うか?」
 にやりと笑って聞いてくるキーシェに、ラウルは何を言う、と鼻を鳴らす。
「静かになっていいさ」
 口ではそう言いながらも、ラウルの顔はどこか寂しそうに見えた。
 それは揺れる焚き火の影が見せた、一瞬の幻か。
 もう寝る、と言ってごろんと横になったラウルを、キーシェは慈愛に満ちた瞳で見つめていた。



「え? 一緒に行かないんですか?」
 意外そうな顔をするエスタスに、ラウルは頷く。
「ああ。万が一の事を考えてな。俺が詳しい場所を知っているとまずいかもしれない。お前達だけで行って来てくれ。ここで待ってっから」
「そうですか……。分かりました。ラウルさんがそう言うなら」
そう快諾してくれるエスタスに、すまない、と感謝を述べつつ、ラウルはおんぶ紐に収まった卵をアイシャに渡す。
…らうぅ?…
 不思議そうな卵の声に、ラウルは殻をぽんぽんと叩いてやりながら、今朝、丁寧に言い含めた事を繰り返す。
「いいか。お前をやつらから守るために、あえて俺はお前と一緒に行かないんだ。これはお前の命に関わることだから、文句を言うんじゃねえぞ。何かあったら力の限り叫べ。お前の声は、どんなに離れていても俺に届く。いいな」
 影の神殿は、死者の記憶を引き出すことを厭わない。どんな尋問・拷問に耐える訓練を積んだとして、彼らには全く通用しないのだ。口を割らない者は殺し、その魂から無理やり情報を引き出せばいいのだから。
 考えられる危険は可能な限り回避するべきだ。卵が孵り、ラウルの手を完全に離れるまでは、出来ることは全て手を打っておく必要がある。
…らうぅ。らうらう、らう……ぶぅぅ……
 まだ納得がいかない様子の卵だったが、見かねたキーシェが何事かを囁き、それでようやく、渋々といった様子で静かになった。それをアイシャが背負う。
「いいか。何かあったらすぐに呼ぶんだぞ」
 アイシャに背負われた卵に呼びかける。うまく行けば、この卵の状態を見るのは今日が最後だ。次に会う時は、立派な竜の姿を見せてくれるだろう。
(あともう少しの辛抱だ。いいな。俺はお前を待ってる。お前が卵から孵るのを、待ってるから……)
 そんな心の呟きに、
…らうっ!!…
 力強い答えが返って来た。どうやら、腹を決めたらしい。
「それじゃ、行ってきますよ」
 そう言ってエスタスを先頭に歩き出す四人。
「三刻くらいはかかるでしょうから、それまで待ってて下さいね」
 カイトが言って、たいくつ凌ぎにどうぞ、と一枚の地図を取り出す。
「このルーン遺跡内部の地図です。見て回るんだったら、参考にどうぞ」
「ああ、ありがとよ」
 カイトの手書きらしい地図を受け取り、ラウルは四人の姿が瓦礫の山の向こうに消えるのを黙って見送った。
(早く、孵るといいんだがな……)
 見上げる空は曇天。分厚い雲に阻まれて、太陽の光を見る事も出来ない。
「さて、と……」
 たいくつ凌ぎに遺跡を見て回る前に、ラウルは一度、彼らが置いていった荷物のところまで戻った。
 必要のない荷物はまとめられ、昨晩夜を明かした場所に置かれている。その中にあった、布に包まれたものを、ラウルは慎重に取り上げた。
 丁寧に布をはがすと、そこからあの卵と寸分違わぬ形をしたものが出てくる。
 勿論、卵な訳はない。粘土で作られた、卵の贋物である。
 卵がこの遺跡で孵化の時を待つことは、今のところラウル達しか知らないことだ。
 卵が孵化するまでは、この贋物を卵と偽って保護しているように見せかける。その方が、ただ孵化場所を秘密にしておくより安全だと提案したのは、他ならぬラウル本人だった。それには、ここにおいていく卵の代わりに、ラウルの手元においておく「卵」が必要になる。そこで、そのラウルの提案に即座に賛同し、せっせと贋物を作り上げたのがカイトだった。
 几帳面なカイトによって、寸分の狂いもなく作り上げられた卵の贋物は、大きさや形だけで言えば確かにそっくりなのだが、粘土を固めただけでは、本物に比べてかなり重くなってしまう。そこで半分に割って内側をくりぬき、再びくっつけて、中が空洞になった卵を作り上げた。境目をうまくごまかして色を塗り、乾燥させて出来上がった贋物は、本物と比べても遜色ない出来になっている。
 ただ、やはり近くで見ればどこか違う。まあ、並べてみない限り分からないだろうが、表面の光沢や質感、何よりも、触れた時の暖かみがこの贋物にはない。当たり前だが。
 そして勿論、この卵の中身は空っぽだ。それが最大の相違点である。
(しばらくは、この贋物で人の目をごまかさなきゃいけないからな……)
 村人まで騙すのは少々気が引けたが、これも卵の、そして村人達のためだ。影の神殿に奪われるようなことがあってはならないし、そのために村に被害が及ぶことも避けなければならない。
「せいぜい活躍してくれよ。贋物」
 卵の殻をぽんぽん、と叩く。しかし勿論、返事は返ってこない。
 そんな贋物を再び布に包んで荷物の中に戻すと、ラウルは立ち上がって背伸びをした。
「さあて、ちょっとぶらぶらしてみるか」
 三刻もの間、荷物と一緒にこんなところに座っているのは性に合わない。
 カイトがくれた地図を開きながら、ラウルはあてもなく歩き出した。
 久しぶりに訪れた、卵も、そしてエスタス達もそばにいないたった独りっきりの時間。
(なんか、つまらねえな……)
 ふとそう考えてしまった自分に、苦笑を禁じえない。
「いつの間にか、当たり前になってたんだよな……やれやれ」
 この村に来てから、一人でいた時などなかった。いつも側に卵が、そして誰かしらがいて、そんな日常にラウルも慣れきっていたのだ。
「ずっと独りでいたこと、忘れてたぜ」
 そう。ここに来るまでの彼は、いつも独りだった。独りが当たり前だったから、寂しいともつまらないとも思わなかった。
 それなのに今は、独りでいることが心に響く。まるで胸にぽっかりと穴が開いてしまったかのように、空虚な思いが心を吹きすぎていく。
 


 昼過ぎに四人が戻ってきた時、彼らの中に、卵の姿はなかった。そのことに安堵を覚えると共に、一抹の悲しみも寄せてくる。それをぐっと押さえ込んで、いつもどおりの口調でラウルは尋ねた。
「大丈夫だったんだな?」
「充分すぎるくらいだった。本人もいたく気に入ったようでな」
「ああ、それは聞こえてる」
 どんなに遠く離れていても、ラウルの耳には竜の声が届く。今も上機嫌で歌う卵の声が、ラウルには確かに聞こえていた。
「ちゃんと言い含めておいたから、駄々をこねるような事はしないだろう。あとは時が至るのを待てばいい」
「ああ」
「さ! それじゃ、行きましょうか」
 妙に元気なカイトの言葉に、首を傾げるラウル。
「行くって、どこにだよ」
「決まってるでしょう? 遺跡探索ですよ」
「え……そうなのか?」
 エスタスが呟く。
「遺跡探索は方便で、卵を置きに来ただけのつもりだったんだけど?」
「何行ってるんですか! 折角ここまで来たのに、何もしないで帰るなんて出来ませんよ。ほら早くっ! 今日は南側を中心に攻めて行きましょうっ!」
 一人張り切るカイトに、エスタスはどうします?とラウルを見る。
 ラウルは肩をすくめて、贋物卵を収めたおんぶ紐を背負った。
「仕方ない。確かにこのまま帰っちゃ怪しまれるだろうしな。付き合うよ」
「やったぁ! それじゃ行きますよ、ほらほらっ」
 さっさと歩き出すカイトを、やれやれといった顔でエスタスが追いかける。
 ラウルもそれに続こうとして、ふとキーシェを振り返った。
 そのキーシェはアイシャの手を取って、何事かを囁いている。そしてそれに頷くアイシャに笑顔を向けると、やってきた時のように揺らめく炎に包まれた。
「もう、行くのかよ?」
「ああ。お前たちに付き合いたいところだが、そうもいかない。さらばだ」
 そう言って、炎はキーシェを一瞬のうちに包み込み、そして消えた。
「行こう」
 アイシャが動き出す。あわててラウルはそれを追いかけた。途端におんぶ紐が肩に食い込む。
「おい、ちょっと待てよ! この贋物、結構重いんだぞ?!」
「頑張れ」
「それだけかよっ! おい、カイト! エスタス! 置いてくなっつーの!!」


 
「ただいま〜!」
 元気よく扉を開けたエスタスに、奥にいたレオーナが顔を上げる。
「おや、お帰りみんな。どうだったの?今回は」
 エスタスを先頭にぞろぞろと店に入ってくるのは、すでに常連客を越えて家族同然もいいところの遺跡探索三人組と、卵を背負った若き神官の姿。
「ああ、そういえば今回はラウルさんも一緒に行ったんだったわね。どうだった? ルーン遺跡は」
「ええ、想像以上の場所でした。残念ながら、何も見つける事は出来ませんでしたが」
 卵を背中から下ろしつつ、ラウルが答える。
「あら、収穫なしだったわけね」
 しかし、それはよくあることだ。一千年に渡って探索され尽くした、いわゆる「枯れた」遺跡である。そうそう金目のものが出てくるわけはない。
「次はもっと、王城の辺りを行ってみましょうよ」
 いつもの席に座って帳面を出しながら、カイト。その使い込まれた帳面には、遺跡探索の記録が詳細に記されてある。このカイトのマメさがあってこそ、彼らはもう探索しつくされたと言われる遺跡から新たな発見をする事が出来るのだ。
「それにしても、随分収穫祭の準備が整ってましたね。かえって来たら飾り付けまで始まってて、びっくりですよ」
 エスタスの言葉に、注文をとりに来たレオーナは、そうなのよ、と相槌を打つ。
「だって、もうあと十日よ? 今年は例年になく盛り上がりそうだからって、村長が張り切っちゃって張り切っちゃって……」
 秋の収穫祭は、豊穣を祝い、大地の女神に感謝を捧げる祭。穀倉地帯の村や町なら必ずと言っていいほど行われる祭だ。食べ物や飲み物が振舞われ、踊ったり歌ったり。夏祭りとさほど内容は変わらないが、変化のない日常を送る村人にとっては、待ちに待った日なのである。
「あ、そうそう。これ。北の塔からですって」
 ふと、レオーナが服の隠しから書簡を取り出し、ラウルに差し出す。
「手紙ですか?」
封蝋を切って開くと、そこには書きなぐったような文字と几帳面な文字が交互に綴られていた。
「アルさんとユラさんからですね」
 横から覗き込んで苦笑するカイト。そんな横で、アイシャがちゃっかりとレオーナに遅い昼食を頼んでいる。
「なになに……ちょっとラウルさん、ちゃんと広げて下さいよ、読めないじゃないですか」
「先に読ませろよ、俺宛なんだから……ん?収穫祭に来るだって?ったく、来なくていいっつーの……」
 ラウルが、レオーナに聞こえないように呟いて机にへたり込んだ。その手から手紙を取り上げて読み出すカイト。
「なんて書いてあるんだ、カイト」
「こないだ僕が出した手紙のお返事ですね。私達を差し置いて、本物の、アレに会うなんてずるいとか、今度アイシャの笛を研究させろとか……」
 レオーナがいる手前、竜という単語を飲み込んでカイト。キーシェの来訪は幸い誰にも目撃されなかったため、彼らだけの秘密にしてあった。下手に騒がれると困るし、それが原因で今度はキーシェが狙われたりしたら洒落にもならない。
そして、先日尋ねてきたときに、その竜とすれ違いになってしまったアルメイアとユリシエラ。アイシャの吹いた竜笛に答えて火の竜が訪れた事をカイトの手紙で知らされて、かなり憤慨している様子が文面から見て取れる。
「大体、いつの間にそんな手紙送ってたんだ?」
「キーシェさんが来た、次の日くらいだったかな? 教えてもらった事をまとめたものを、送っておいたんです」
「マメだね、お前も」
 ラウルの言葉に、えへんと胸を張るカイト。
「知識を追い求めるものとして、同じ対象を研究する同志と情報を共有するのは当然の事ですよ!そっちも進展ありましたかって聞いたんですけど、何にも書いてないところを見ると、かわらずってとこみたいですね」
 手紙には、竜に会えなかった憤りがアルによってつらつらと綴られた後、収穫祭に合わせて、またそちらにうかがいますという丁寧なユラの言葉でしめられていた。
「ま、あの人たちだって、竜について調べてる以外にも色々と仕事があるんだろうしな」
 あの二人を見ていると俄かには信じがたいが、そもそも「魔術士の塔」の「賢人」と言えば、魔術士の頂点に立つもの。塔は各大陸の魔術士ギルドをも総括しているから、塔だけではなくその大陸全土の魔術士を束ねているも同然だ。それだけに魔術士としての才能だけに優れていればいいというものではなく、その人柄や社会性、統率力なども問われる。   そんな賢人の座を、あの二人はすでに五年もの間維持しているという。となると十代にして賢人に選ばれた、まさに選りすぐりの魔術士なわけだ。
「ユラさんはいいとして、あのアルさんが三賢人ってのは、ほんとに信じられないよなあ……」
 苦笑交じりのエスタスの前に、どん、と食事と飲み物が運ばれてきた。
「はい、お待たせ」
 相変わらず美味そうな料理の数々に、ここ数日携帯食料でしか腹を満たしていなかった四人は、我先にと手を伸ばす。
 がっつく四人を満足げに見ていたレオーナだったが、ふと思い出したようにラウルに歩み寄った。
「ちょっとごめんなさいね」
 そういうが早いか、ラウルの背中に手を伸ばす。あっと思ったときには、いつもゆるく一本に編まれている髪がほどけ、一気に背中に広がっていた。
「い、一体何を……」
 慌てふためくラウルに、髪をまとめていた紐をもてあそびながらレオーナは、ラウルの顔と髪を眺めてうんうんと頷いている。
「レオーナさん?」
「長さは問題ないわよね。でもちょっと揃えた方がいいかもしれないわね」
「あ、あの……?」
 訳の分からないラウルに、一人納得したレオーナはラウルの背中に回り、てきぱきと髪を結び直してくれる。
「一度ちゃんと衣装を着てもらって、検討しなくっちゃ!」
 力のこもった台詞に、こりゃ駄目だ、とげんなりする。エリナだけならまだしも、レオーナには下手に逆らえない。商売柄、頭と口の回転が滅法速い彼女を言いくるめて思いとどまらせることなど、いかなラウルでも難しそうだ。
(どうも、俺を着せ替え人形か何かと間違えているような気がするんだよなあ、みんな……)
 人を着飾らせる事はそんなに楽しいものなのだろうか? 普段からさほど服装や外見に頓着しないラウルには、今一理解できない。
 と、カイトが唐突に尋ねてきた。
「そういえば、なんでラウルさんって髪を伸ばしてるんですか?ユークの教えとか?」
「そんな教えがあるわけないだろうが……」
 呆れ顔のエスタス。
「あら、分からないわよ?」
 レオーナも興味津々で、ラウルの答えを待っているようだった。
 ラウルは苦笑しつつ、その質問に答える。
「願掛け、みたいなものですね」
 意外な答えに、レオーナが目を丸くする。
「願掛け?それは随分、古風な事をしてるのね」
「そうかもしれませんね」
 半分くらいは、面倒くさくて伸ばしているというのがある。短いと、ちょっと伸びただけで鬱陶しくなるのが判っているし。。
 しかしもう半分は、今言った通り願掛けだ。八歳の折、ユーク本神殿に保護された時からずっと、ただ一つの願いのために伸ばし続けた。
「何のお願い事なんですか?」
カイトの問いかけに、ラウルは苦笑を浮かべる。
「願いを口にしてしまうと叶わなくなるので、秘密です」
「ちぇっ、つまらないんだ」
 子供のように口を尖らせるカイト。それを笑うエスタスに、一人興味がないかのように黙々と食事を口に運んでいるアイシャ。
 こうしていると、影の神殿の恐怖に晒されていることなど嘘のようだ。世界はまだ平穏に満ちていて、彼らの日常はこともなく過ぎ去っていく。
 しかし、それは見せかけの平和。上辺だけの幸福。
 光ある場所には必ず、影が落ちる。光と闇は表裏一体。しかしその闇を捻じ曲げ、命を弄ぶ者達が、今、確かにこの空の下に存在することを、ラウルは知っている。
 のどかで退屈な辺境の村。ここがまた、戦場と化す時が来るかもしれないと知ったら。死の恐怖が迫ってくると知ったら。
 レオーナは、子供たちは。そして素朴で優しい村人たちは、どうするだろう。
 ラウルと卵を疫病神と罵り、追い出そうとするだろうか。迫り来る恐怖に怯え、逃げ出すだろうか。
(どっちにしても、彼らを戦いに巻き込むよりはいい、な)
 罵られることには慣れている。適うはずのない敵を相手にした時、逃げる選択肢しかない場合があることも知っている。だから、どんな反応を彼らが見せようとラウルは村人たちを嘲るつもりはない。それは、至極当然の事だから。ここは、平和な村なのだ。常に死と隣りあわせで生きてきたラウルのような人間とは、根本からして違っているのだから。
 しかし、そんな事になる前に、なんとしても影を根絶やしにしなければならない。
 悲劇から立ち直った村を、再び絶望の底に陥れるような事にならないためにも。
 そのためなら、どんな手段を講じることも厭わない。それがたとえ、自分の命を危険にさらす事になってもだ。
(これはもう、幕の上がった舞台なんだ。途中で降りることはしない。とことん付き合ってやるさ)
 卵が小屋の前に落ちていた時点で、全ては定められていたのかもしれない。
 運命という言葉をラウルは好まないが、世界がある流れによって動いていることは否定できない。偶然も必然も飲み込んで、ただ悠然と流れるそれは、言い換えれば「歴史」という大きなうねり。ある時は気紛れに奇跡を呼び、ある時は無情に絶望を与え、ただただ流れていくもの。
 その流れが今回、卵とラウルを引き合わせた。
 それならば、最後までとことんつきあってやろうじゃないか。
 汚れた手でも未来をつかめる事を、証明してやる。
「ラウルさん? ラウルさんってば」
 はっと顔を上げると、心配そうなレオーナの顔がそこにあった。
「大丈夫? 難しい顔をして、なにか悩み事でもあるの?」
 いつの間にかこわばっていた表情を無理やり和らげて、ラウルはそっと被りを振った。
「いえ、大丈夫です。少し、考え事をしていただけですよ」
「そう? ならいいんだけど……。悩み事なら一人で抱え込んじゃ駄目よ?」
 親身になって言ってくれるレオーナ。その心遣いがかえって心苦しい。
「ええ、ありがとうございます」
 礼を言うラウルの表情が少し翳っていたのを、レオーナは気づいただろうか。

 三人組とはレオーナの店で別れ、一人小屋へと戻る途中で、ラウルはばったりとエリナに出くわした。
「あっ、おかえりなさいっ! ラウルさんっ!」
 それはもう満面の笑みを浮かべてエリナ。その手には大きな布の包みがしっかりと抱えられている。
 どうやら村長の家へ向かっているらしい彼女の荷物がなにか、想像するのは容易かった。
「今から、マリオに衣装を届けに行くんです! あとでラウルさんの所にも届けますからねっ!!」
 予想通りの答えに、やっぱりかと内心ため息をつく。
「そういえば、エリナ自身の衣装はちゃんと間に合ったんですか?」
 ふと気になって尋ねてみると、エリナは大きく頷いた。
「もっちろん! あ、でも、お母さんにちょっとだけ手伝ってもらっちゃいましたけどね」
 ということは、都合三人分の衣装を一月弱で縫い上げた事になる。やれやれ、たいしたものである。
「エリナは何を?」
 尋ねるラウルに、エリナは首を横に振る。
「教えませんっ。当日まで、他の人に教えちゃいけないんですよっ。だって、楽しみがなくなっちゃうじゃないですか」
「そういうものなんですか……」
「はいっ。だから、ラウルさんも誰にも言っちゃ駄目ですからね」
 それじゃ、と言って村長の家へ走って行くエリナを見送って、ラウルも歩き出す。
(……やれやれ……)
 見世物にされるのは苦手だが、エリナの楽しそうな顔を見ると、今更いやですとも言えない。
(ま、たった一日だけだしな。そう変な格好をさせられるわけじゃないし……)
 仮縫い段階では、赤が基調のぴったりした上下の上に、ゆったりとした黒い外套を羽織らされた。色糸での縫い取りがまだ終わっていなかったからかもしれないが、さほど奇抜な格好ではなかったと思う。エリナの話では、マリオと二人揃って初めて成り立つ仮装なのだというが、マリオの衣装はまだ見ていない。
(しかし一体、なんの仮装なんだか……)
採寸をしながらエリナは言っていた。
「やっぱり、ラウルさんはアレで決まりよねー。長身で黒髪となれば、アレしかないでしょう!」
 そのアレが何なのかが分からない。いくら聞いてもエリナは、「ローラ国の英雄です」というところまでしか教えてくれず、それを他の人間に聞いても、何故か一様に奇妙な顔をされた挙句、結局教えてもらえないのだ。
(黒髪で長身の人物ってもなあ……)
 伝説の英雄や昔語りの登場人物には、長身で黒髪の者など掃いて捨てるほど存在する。伝承にさほど詳しくないラウルですら、ちょっと思い出すだけでも、南大陸の少年王や中央大陸の覇者ラルス王、竜の友と呼ばれた偉大なる精霊使いエルクなど、このくらいの心当たりは思いつく。ところが、「ローラ国の」と言われるとお手上げだ。北大陸の歴史には詳しくない。
 北大陸は大きく分けて、東をローラ国、西をライラ国が統治している。その中間地点にはどちらにも属さない荒れ果てた荒野が広がり、またライラ国の西端には、元ライラ国の都市が独立して興った自由都市国家メイルが存在する。
 北大陸は、中央大陸から人間が移民した最初の大陸。最初の移民団が作り上げたのが、今は遺跡となった魔法大国ルーンだ。それが崩壊し、荒れはてた大陸の上にはいくつもの国家が興っては滅びた。そして三百年ほど前にローラ、ライラ両国が興り、今日に至るいう。ラウルが知っているのはその程度だ。
(そういや、ローラとライラって名前は、それ以前に北大陸を統治してた国のお姫様の名前だってどっかで聞いたような気がするな……)
 ふと思い出したその事を、しかしラウルはすぐに頭の片隅に追いやってしまった。それは、背中の卵(贋物)が重くて早く小屋に帰りたいせいもあったのだが、さほど重要なことと思わなかったというのが大きい。
この時、曖昧な記憶をそのままにせず、きちんと調べていれば、きっとラウルはエリナに嫌われても何でも、強硬に仮装を断ったであろう。
 運命の収穫祭は、間近に迫っていた。



←関連作品『一つの提案』


 これも話の流れ上、あえなく没となった話。なぜ没になったかといえば、ラストシーンの展開を重視したから。
 これを書いている時点では、ラストは荒野の本拠地で巫女を倒し、それとほぼ同時にルーンの方角から光の柱が立ち上り、そこから光の竜が飛んできてラウルに飛びつく、という設定でした。
 しかしこうやってしまうと、その前の巫女との一戦の印象が薄れてしまうような気がしたのと、ラウルをどうやって最終決戦の地に導くかで迷って、現在の形に。結果、この話は全面的に没。そしてアイシャの「爆弾発言」が生まれることとなったわけです。

 ルーン遺跡内部は全然本編に出てこなかったので、いつか出してみたいと思ってます。


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