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第三章 平行した世界(パラレルワールド)


1.

 いつもと比べると随分明るい表情で、船長は自室へ向かう廊下を歩いていた。
 彼の表情を明るくさせているのは、今日一日の乗組員との会話だ。いつもはほぼ無言で過ぎて行く勤務時間が、今日は明るい笑い声と和やかなムードで満ちていた。朝の「お茶事件」から始まり、今日は乗組員にとっても彼にとっても、驚きと笑いの一日だった。
(今日は久し振りに色々な話をしたな)
 考えてみれば、この調査船に乗ってから約一ヶ月、仕事以外の言葉を乗組員と交わしたことなどなかった。
 出身地のこと。家族のこと。この船に乗る前の話。この『アンディー』の食事のこと。沢山のことを話しているうちに、時間が過ぎていった。
 学生時代はヨットに乗っていた操舵士。その操舵テクニックを買われて操舵士になったという。
 柔道と空手を嗜んでいるという通信士。宇宙警察の婦人警官にならないかという誘いを断って通信士の資格を得たという。誘いを断ったのは、制服が嫌という単純な理由からだった。
 大スターの兄がいるという航法士。兄とは違う道を選んだ結果、地味な仕事に就いてしまったと笑った。
 その兄の大ファンでサインをほしがったオペレーターは、何と銀河に名だたる大財閥の末娘だと言う。だからそんなに世間知らずなのね、と通信士に言われて拗ねていた。
(次は、私のことを話してやらねばな。と言っても大した話ではないが……)
 一しきり皆の話を聞き、次は船長の番ですよと操舵士が言った時、アンディーが勤務時間終了を次げたのだ。
(何か面白い話は……)
 などと考えている間に、黒塗りのドアの前に辿り着いた。いつも通りにドアを開ける。
「あれ、また来たの? おじさん」
 目の前に、またあの空間が広がっていた。
 声は上から響いていた。見上げると、『星の子供』が彼を見下ろしていた。おかしいと思って振り返ると、すぐの所にはしごがある。今日は、はしごのすぐそばに出現してしまったらしい。
「ねえ、おじさんはどうやってここに来てるの?」
「どうやってと言われても、私はただ、自分の部屋のドアを開けただけだ」
 その言葉に、少年は眉をひそめた。
「おじさんの部屋のドアを?」
「そうだ。しかも昨日からな。ついでに言うと、私が勤務時間を終えて帰ってきた時だけなんだ」
 昨晩、操舵士が去った後に試してみたのだ。三回ほど廊下と部屋を行き来したのだから間違いはないはずだ。
「昨日から? ああ、そう言えば昨日、このはしごを移動されたっけ。そのせいかな。そうだ、それしか考えられないもん。動かした時に、通常空間と重なっちゃったんだ。おじさんがその時間にドアを開けるっていう条件付きでね」
 一人でそうかそうかと納得する少年。
「通常空間? では、ここは通常空間ではないのか?」
「当然。おじさんはここが普通の空間に見えるの?」
 からかうように答える少年。言われてみれば、空から電球が無数にぶら下がっていて、支えもないのにはしごが傾いて止まっている空間が普通な訳がない。
「ここは一種のパラレルワールドみたいな所だからね。しかもおじさんの世界とは隣り合わせだから、空間が重なることもありえるよ」
「……何やらよく分からんが……」
 少年は明るく笑った。
「まあ、大丈夫だよ。昨日は帰れたんだから、今日も帰れるって。だからさ、僕を手伝ってよ」
「手伝い? 何をだ」
 少年は彼の足元、つまりはしごの足元に置かれた大きなかごを指差した。かごの中には星形電球が入っている。どれも新品だ。
「僕の仕事は、この星形電球の点検と修理、取替え。この電球は放っておくとすぐに汚れたり壊れたりするからね。最近のは特に。だから僕が汚れを拭いたり、ひび割れを直したり、直せない物は取り替えたりするの」
「それを手伝え、と」
 少年は大きく頷いた。
「だって、星が消えちゃったら夜空が寂しくなるでしょ?」
「星? じゃあこれは本物の星なのか?」
 彼は尋ねた。だが心の中のもう一人は、そんなことはありえない、馬鹿馬鹿しいと叫んでいる。だが論理的思考は麻痺してしまっていた。そう、夢の中のように。
「そう。それに、最近どっかで戦争やってるでしょ? そのせいで壊れる電球が後を絶たなくて、僕もう忙しくって」
「どういうことだ?」
「この電球は命でもあるんだ。世界に存在する全ての命。この電球がつかなくなると、命は『死ぬ』。そして僕が新しいのと取り替えれば、新たな命となって生きて行く」
 淡々と語る少年の横顔は、どこか寂しそうに見えた。
「ええと、つまり――」
 彼は混乱している頭を整理しようとした。
(この電球は星であり、命)
(この少年は電球の管理をしている)
(『生きている者』は来ることの出来ない空間にいる)
(つまり――)
「君は『神』なのか?」
 無神論者であるはずの彼の口から出た結論は、『神』だった。
 少年はくすっと笑った。
「完全に違うとは言わないけど、適切じゃないね。一番適切な表現は――」
 不意に彼の視界がぼやけて来た。戻る時間が来たのだ。
「時間切れだね。じゃ、また明日!」
 少年のその言葉を最後に、彼は通常空間、つまり彼の部屋に戻った。
「星が命とは……」
 随分とロマンチックだと彼は思い、ふとあることを思い出した。
(『人は死んだら星になる』か……)
 脳裏に映像が映し出された。5、6歳の彼の手を握った母が、空に光る星の一つを指差している。
『ほら、おばあちゃんはお星様になったのよ。人は死ぬと星になって、いつまでも見守ってくれるのよ』
 そう、確か祖母の葬式の夜だった。
「人は星になるんじゃない。命はもともと、星なんだそうだよ、お母さん……」
 彼は窓の外を見て呟いた。
 窓の外に広がる宇宙は、少年の瞳に似て、どこか寂しげだった。

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