| 未来の卵・第五章[10]没原稿 〜一つの提案〜 |
「同胞があれだけ懐いているのだ、お前は信頼に値する人間だと思っていいのだろう」 カイトが用意したお茶をすすりながら、青年は椅子にふんぞり返って言った。 「これが懐いてるっていうのか……」 未だにどんよりとした顔のラウル。その腕の中には卵が抱えられている。あれからこっち、離れると騒ぐわ揺れるわ光るわと、すっかりいつもの調子を取り戻していた。 「私も、及ばずながら力を貸そう。おっと、自己紹介がすっかり遅れてしまったな。私は炎の竜キーシェだ」 それを聞いて、こちらもラウル以外名を明かしていないことに気づき、わたわたと自己紹介をする三人。そしてようやく竜笛の持ち主の名を知る事が出来たキーシェは、嬉しそうにアイシャに笑顔を向ける。 「いい名だ。それは我らの言葉で"生"を意味する。どんな時でも力強く生きていくよう願いを込めてつけられたのだな」 （生、ねえ……） まあ、力強く生きていることは確かだ。標準装備の無表情と短いながらも人の心を抉る発言で周囲を振り回しているのが"力強い"と言うのなら、だが。 「さて、私もあまり長居は出来ない身なのでな。手短に話そう」 「長居が出来ない？」 「ああ、そうだ。我々も無為に日々を過ごしているわけではない。きちんと定められた使命をこなしている。私が担当しているのは中央大陸なものだから、竜笛の音色を聞きつけてもすぐには飛んで来れなかったのだ。許してくれ、アイシャ」 許すも何も、アイシャが竜笛を吹いたのは昼も過ぎた頃だったはずだ。そしてこの竜がやってきたのは夕の三の刻過ぎ。中央大陸からこの北大陸まで、ものの三刻でやってきたことになる。 （さすがは上位精霊、といったところか……） それにしても、そのとんでもない距離を隔てても聞こえる竜笛の音色というのも凄い。いや、凄いのは竜の聴力の方なのか。 「担当地域を長く離れていると叱られるからな、ひとまずは伝えるべきことを伝えよう」 「伝えるべきこと？」 「ああ。卵は既に第二段階まで進んでいる。あともうしばらくしたら、本格的な孵化の準備に入るはずだ。その際に気をつけなければならないことがいくつかある。まず……」 「わわっ、ちょっと待ってください！記録しますから」 慌ててカイトが紙と筆記用具を取り出すのを見て、キーシェは苦笑した。 「流石はルースに仕えるものだな。もういいか？」 「はい！ いつでもどうぞ」 「よし。まずは場所だ。竜の卵を孵すには、その属性に見合った場所を選ぶ必要がある。それに、孵化直前の卵は一番無防備となるからな。万が一を考え、誰も寄せ付けないような場所が望ましい」 その言葉に、表情を曇らせるラウル。 「そう、だな。ただでさえ卵を狙っている輩が横行してるんだ」 「……なに？」 眉をひそめる青年。 「どういうことだ、それは」 「そういえば、あんたここに来た時に、「再びこの地に舞い戻ってくるとは」とか、「悪しき暗闇の使徒め」とか言ってたな。６０年前の事を知ってるのか？」 青年の問いかけには答えず、ラウルは問いかけを返す。すると青年は、少々不機嫌そうな顔をしながらも答えた。 「ああ。といっても直接関わったわけではないがな。その時、影の神殿と戦った者の中に精霊使いがいた。彼はとある風の竜と懇意にしていた。その風の竜から事の顛末は聞いている」 なるほど、この小屋にかつて暮らしていたという精霊使いの事だろう。恐らくはこの卵も、ここに彼が住んでいた事を知っていたから、この地まで逃げ延びたのだ。 「それじゃ、本当に奴らが今、この地に再び現れた事については知らないんだな。奴らが、この竜を利用しようとした事も。そのせいで傷ついて卵になった事も」 「……なんだと？ そんなことが……」 「あったんだよ。そして今も、卵を狙っている。目的は分からないがな」 「……奴ら……くっ、制約さえなければ、すぐにでも成敗してやるものを！」 苦々しい顔で拳を握り締める青年。 「制約？」 「ああ、我らはいかなる場合においても、命を奪うことは許されない。唯一つの例外は自分の身が危険に晒された場合のみだが、それは滅多にある事ではないからな」 竜は、神の力を世界に行き渡らせる役目を負った精霊の一種。その役目を果たすがために神々から与えられた力は、まさに計り知れぬほど。本来ならば、他の生命が竜の命を脅かすような事は起こり得ない。 「なるほど……。だからこいつも、こんなになっちまったって訳か」 その制約が仇となってしまったのが、この卵だったのだろう。 歪められた闇の力を使い、竜を追い詰めた彼ら。 光の竜であったことが更に、事態を悪化させたのかもしれない。光と闇は対極にある。闇は光を覆い、光は闇を照らす。闇の術を行使する影の神殿はまさに、最悪の敵だったわけだ。 「ともかく、そいつは狙われてる。だから、なるべくなら側においておきたいんだが……」 「この場所で卵を孵すのは、少々難しいぞ。いや、お前が闇の神に仕えるものだからというわけじゃない。人里では駄目なんだ。雑多な思念が飛び交う場所では集中に欠く。だからなるべく、人目に触れない場所がいい」 「しかも光の力が溢れているような場所、ですか……難しいですねえ」 箇条書きに言われた事を書きとめて、カイトが顎を捻る。 「光、ひかり……つってもなあ、天気だってころころ変わるわけだし、ずっと光が当たる場所なんて……」 「例えば我ら火の竜などは火山で孵化を待つんだが……光となると……」 キーシェも腕組みをして考え込む。 と。 「あそこなら……」 唐突に、それまで黙って聞いていたエスタスが口を開いた。 「え？」 「どこだ？」 「ルーン遺跡の中だよ。ほら、一日中光が差し込んでる変な部屋があっただろ？」 「ああ！ あの光の部屋ですか！ 確かに、いいかもしれませんね」 「それ、どこだ？」 「前にラウルさんを誘ったときに言いませんでしたっけ。ルーン遺跡の外れにある塔なんですが、もうほとんど崩れてて、一見してただの瓦礫の山なんです。その中に、どんな細工があるのか夜になっても光が天井から入ってくる奇妙な部屋があるんですよ。どうも魔術的な仕掛けが今も生きているみたいんですが……」 「俺たちしか知らない場所のはずだから、影の神殿も突き止められはしないと思いますよ」 なんでも、部屋に至るまでにも幾重にも渡って仕掛けが用意されており、それを抜けてたどり着いた部屋にも厳重な封印が施されていた。雨を凌ごうとしてそこに迷い込んだ彼らは思いがけず苦労する羽目になったのだという。 その場所は人が足を踏み入れた様子もなく、封印も手付かずで残っていた。恐らく、だれもこの瓦礫の山の下にそんな部屋があるとは思わなかったのだろう。彼らだって、突然の雨に見舞われなければ素通りしていたはずだ。 「魔術的な光じゃ駄目でしょうかね？」 そう尋ねるカイトに、キーシェはいや、と首を横に振る。 「現物を見てみなければ分からないが、恐らくは大丈夫だろう。人が入れぬ場所というなら、言うことはない。そこに卵を置いて孵化を待てば、恐らく年内には孵るだろうな」 「年内、か……」 となれば、長くてもあと三月もあれば、待ちに待った竜の勇姿を拝めることになる。 （そうすればこの、卵のお守りからも解放されるってか） ---らうっ！！--- 「うっ……」 怒っよう様な卵の声。そうだ、しばらく鳴いていなかったから忘れていたが、この卵は人の心を読むのだ。うかつなことは考えられない。 ---らう〜♪--- やーいやーい、と笑われているような気がして、思わず卵を睨みつける。 （我がまま卵め……いつか覚えてろ） ---らうぅっ！--- 覚えてるぞ、といわんばかりの返事が返ってきた。 「それで、卵はすぐに移した方がいいんですか？」 「いや、まだいいだろう。今は第二段階に進んだばかりだからな。そう……あと、半月ほどもしたら移せるだろう。それまでは、あまり動かさずに見守ってやってくれ」 「半月ですか。それじゃ、えーと……収穫祭のちょっと前になりますね」 指折り数えて言うカイト。収穫祭は十の月の半ばだ。 「あともう一つはお前達の不安を取り除くために伝える。孵化が本格的に始まると、卵はまた、先ほどまでのように、何の反応も示さなくなるだろう。だが案ずる事はない。それこそが、孵化の始まる合図だ」 「なるほど……分かった。あと半月ほどは、なるべく動かさずにして、それから孵化のために光の満ちた場所に移す。そうしたらそのうちまた静かになって、最後に卵から孵る。そういうことだな」 「ああ、その通りだ。しかし、その影の神殿が心配だな。直接の手出しは出来ないが、お前たちに手を貸すことだけなら出来る。もし何かあったら私を呼べ。すぐに駆けつけよう」 「ああ、ありがたいことだ。でも、なんでそこまで協力してくれるんだ？」 「同胞の命を守ろうとしている者に手を貸さないほど、私は薄情ではないつもりだ。その卵が今まで無事でいられたのは、お前たちが懸命に卵を守ってきたからだ、そうだろう？」 「あ、ああ……」 「ならば私は、神聖なる竜の名において、お前たちに対し助力を惜しまぬことを約そう。これは竜の盟約。決して違える事はない。我が名はキーシェ。炎を纏うもの。紅蓮の焔にて焼き尽くすもの！」 そう高らかに宣言し、キーシェの姿がふわりと光を帯びる。揺らめく幻の炎に包まれて、紅蓮の髪が焔の如く舞う。 『さらばだ、人の子らよ』 「お、おいっ！！ ちょっと待てっ」 ラウルの声もむなしく、キーシェの姿は光に包まれ、そして消えた。炎を吹き消したかのように、ほのかな熱さだけをその場に残して。 「帰っちゃったんですかね」 残念そうに呟くカイト。 「ったく、登場も退場もド派手な奴だ……」 疲れた顔で椅子にぐったりと背中を押し付けるラウル。まったく、今日という日はどうかしてる。 「さあ、卵もすっかり元気になった事ですし、これで安心して収穫祭に望めますね、ラウルさん！」 と、まるで図ったかのように、玄関から明るい声が響いてきた。 「ラウルさーん！ エリナでーすっ！！」 「うっ……」 思わず顔を歪ませるラウル。エリナが来たと言う事は、すなわち……。 「衣装の相談に来ました♪」 やってきたエリナは、裁縫箱を手に満面の笑みを浮かべていた。 「あ、あの……ラウルさんも往診で疲れてるだろうから明日にしなよって言ったんですけどぉ……」 その後ろから申し訳なさそうなマリオが現れる。その手には、恐らくエリナに持たされたのだろう布地の束が抱えられていた。どれもこれもド派手なものばかりだ。一体どんな衣装を作るつもりなのだろう。 （勘弁してくれよ……） 頭を抱えたくなるラウルに、アイシャがぽん、と肩を叩く。 「厄日だな」 「もう、どうにでもしてくれ……」 情けない顔で呟くラウルを尻目に、エリナはカイト相手に意気揚々と衣装について語っている。それはもう嬉しそうなエリナは、うなだれたラウルなど目に入っていない様子だ。 「もう、どんな衣装にしようかと思ったら夜も眠れなくって！ やっぱり、王子様みたいな素敵な衣装とか、それとも伝説の勇者みたいなかっこいい衣装とか！ あ、ここは意表をついて、女装とかっ！！ きゃー！」 叫びたいのは、ラウルの方だったに違いない。 |
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