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番外編 追憶の《青》 [序章]


 飛び込んできた鮮やかな《青》に、彼は一瞬目を見張った。
 目の醒めるような《青》。単調な色合いの小屋の中、そこだけ色を帯びているかのような、鮮烈な色彩。
 十の月。収穫祭も終わり、すでに冬の気配の立ち込める村を背景に、玄関でにこにこと笑う少年は、腕いっぱいに可憐な花を抱えていた。
「きれいでしょう?今日エリナが摘んできたんですよ」
 うちに飾りきれなかったんでお裾分けに来ました、と続けた村長の息子マリオは、反応がない事に首を傾げ、目の前で立ち尽くす彼をまじまじと見た。
「ラウルさん?どうかしたんですか」
 いつもなら打てば響くように言葉を返してくるこの神官が、今はやけに神妙な面持ちを浮かべている。
「いや……」
 ようやく口を開いたラウルは、動揺を隠すかのように髪に手をやりながら、いそいそと台所に向かうマリオをじっと目で追っていた。
 いや、違う。彼が見ているのは、マリオの抱えた花の方だ。
 この辺りではあまり見ない、青い可憐な花。
 黄色い花心を彩り、風にそよぐ青い花びら。空の青とも海の青とも違う、それは郷愁の青。
 華やかな、それでいて何故か物悲しい色合いの花を花瓶代わりの水差しに活けて、マリオは扉のところで立ち尽くしているラウルの事などお構いないなしに食卓へと飾り、満足げにそれを眺める。
「綺麗ですよね〜。これ、なんて花か知ってます? 僕、エリナから……」
「……キアだ」
「え?」
 答えなど期待してなかっただけに、マリオはラウルの呟きを聞き逃した。
「今、なんて?」
「フェリキア、だ……」
 そう答えたラウルの顔は、どこか寂しげな、それなのに怒っているような、そんな複雑な表情をしていた。
 そんなラウルに気付かず、マリオはいつもの調子でラウルをからかう。
「ラウルさんって花も詳しいんですか。ちょっと意外」
「やかましい。別に詳しいわけじゃないさ。たまたまだ」
 こちらもいつもの調子に戻ってやり返すラウル。そして、そっと花に指を伸ばす。
 繊細な花弁に触れたその瞬間、ラウルの脳裏に鮮やかに蘇る、声。
 ―――ラウルちゃん!―――
 艶やかな、それでいてどこか子供のような響きを含んだ声が、記憶の彼方から響いてくる。
 この青い花を、ラウルはかつて一度だけその手に摘んだ事があった。
 季節外れの青い花。時を経て、今再びラウルの目の前に飛び込んできた、追憶の《青》。
「なにか想い出でもあるんですか?」
 何の含みもなく尋ねてくるマリオに、花びらから手を離してラウルは静かに笑ってみせる。
 それは自嘲めいた笑み。そして、どこか寂しげな笑いだった。

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