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番外編 追憶の《青》 [3]

 朝日に照らされた神殿が目に眩しい。
 物憂げに手で日光を遮り、目の前にそびえる建物を忌々しげにねめつける。
 そんな青年の姿を見咎めて、門番達が一瞬身構える。しかし、すぐに警戒を解いて、代わりに呆れたような表情を浮かべた。
 こんな早朝にユーク本神殿へ戻ってくる者など滅多にいない。まして、こうも悪目立ちしている人間など、本神殿広しと言えど一人しかいない。ラウル=エバスト正神官。又の名を「神殿長のどら息子」である。
「……なんで白い建物なんか建てたんだ……闇の神なら黒だろ、黒」
 そんな事をぐちぐちと呟いているラウル。その道理で行くと、炎の女神を祭る神殿は真っ赤に染めなければならなくなるのだろうか。まあ、二日酔いの頭からひねり出される屁理屈にいちいち口を挟んでも詮ない事だ。すっかり顔馴染みの門番はそう思い、いつもの言葉を口にした。
「また朝帰りか。いいご身分だな」
「おかげさまでね」
あっさりと言葉を返し、門番の横をすり抜けてスタスタと歩いていくラウル。門番達はやれやれ、と肩をすくめ、仕事へと戻っていった。

 固く閉ざされた正面玄関を迂回し、脇にある勝手口から中へと入る。がらんとした神殿内を、自室のある棟へと歩いていると、廊下の向こうで待ち構えている人影が目に入った。
「……二日も神殿を空けた挙句に朝帰りとは、いい度胸だな。エバスト神官」
 押し殺したような声が薄暗い廊下に響く。
 目を凝らすと、見慣れた顔ぶれがそこに並んでいた。どの顔も渋面を浮かべ、一様にラウルを睨みつけている。
「お褒めに預かり光栄です、ドゥルガー副神殿長」
 馬鹿丁寧にそう答えながら、ラウルは内心舌打ちをする。
(よりにもよってこいつがお出迎えかよ……)
 神殿において、恐らく一番に彼を嫌っている人物。それがこの副神殿長だ。神殿内でもっとも規則と規律を重んじる人物で、それ故にラウルのようなはみ出し者には極めて厳しい。後ろにぞろぞろくっついているのは彼の取り巻きで、やはりラウルの事を毛嫌いしている連中が揃っている。
(わざわざ待ち構えてるだなんて、暇人だよなあ)
「その髪はなんだ」
 不意にそんな事を言ってくる副神殿長に、ラウルは一瞬目を瞬かせ、そして後ろにたらした髪を引き寄せて顔をしかめる。
「なんだよ、これ……」
 いつもはただ適当に結わえている髪が、いつの間にやら三つ編みになっている。しかも赤い飾り帯つきだ。その犯人の目星はすぐについた。
(あいつか……!)
 フェリキアだ。恐らくは不覚にも彼女の膝の上で眠りこけていた間にやられたのだろう。普段から髪になど気を払っていないから、今の今まで気づかなかった。
 忌々しげに飾り帯をひっぱり、三つ編みを解くラウルに、副神殿長は言ってくる。
「ラウル=エバスト神官。貴様は神殿の規律というものを未だに理解しておらぬようだな」
「はあ。何分、若輩者ですから」
 しれっと答える彼に、取り巻き達が何を、と色めき立つ。それを片手で制して、副神殿長は淡々と続けた。
「昨日より、神殿長が公務で留守にされているのは知っておろうな?」
「……そうだったな」
 しまった、と口の中で呟くラウル。養父である神殿長がいない。それはこれから起こる事を意味していた。
「規律を乱した者は罰せられる。そうだな?」
 含みのある台詞に、ラウルは口の端を引き上げて笑ってみせた。
「……ああ、そういう事になるだろうな。しかも、それを咎めるくそじじいもいない。まさに、あんたのやりたい放題って訳だ」
「なっ……!!」
「貴様、口の利き方に気をつけろ!」
 いきり立つ取り巻き達をせせら笑って、ラウルはくるりと踵を返す。
「懲罰房に行けってんだろ?分かってるさ。お手柔らかに頼むぜ」
 スタスタと歩き出すラウルの背中を、副神殿長は深い憎悪のこもった瞳で睨みつけた。

「そこの金髪のお兄さん!」
 人込みの中で呼び止められて、リゲルは一瞬遅れて足を止めた。声に聞き覚えがなかったから、それが自分を呼ぶ声である事にすぐには気づかなかったのだ。
 どこから呼ばれたのかと辺りを見回すと、少し離れたところから彼に駆け寄ってくる人物が目に入った。
「ああ、良かった。あなた、この間ラウルちゃんと一緒にいた人よね」
 息を切らして駆け寄ってきたその姿に、一瞬息を呑む。
「あんた、この間の……」
 淡い金髪に青い瞳。それは紛れもなく、三日ほど前にラウルが助けた「彼女」だった。
 昼下がりの中央広場。からくり時計の下で再開したその姿は、変わらず美しかった。とてもではないが男には見えない。
「ごめんなさい、ちょっと聞きたい事があって」
「あ、ああ。なに?」
 相手が男と分かっているだけに、どうにもぎこちない態度になってしまうリゲル。そんな様子にはお構いなしに、彼女は話しかけてくる。
「三日くらい前にね、ラウルちゃんが私の落し物を届けに来てくれたの。その後、一座の興行を見ていってくれて、一座のみんなと明け方近くまで飲んだんだけど」
「へぇ……」
 意外そうな顔をするリゲル。
(なんだかんだ言って、やっぱり届けに行ったのか、あいつ)
 さすがはお人よし、と本人が聞いたら嫌がるだろう賞賛を心の中で送りつつ、まだ続いている彼女の言葉に耳を傾ける。
「……それでね。その時ラウルちゃんがこれを落としていったから、次の日にユーク神殿まで届けに行ったの。でも、面会は禁止されているって追い返されちゃって……。どうして会わせてくれないのか、あなた達なら知っているかと思って、探してたの」
 そう言って彼女が見せたのは、ラウルが愛用している小刀だった。それを落としていった事自体がラウルにしては珍しい事だ。よほど酔っていたのか、それとも彼女に気を許していたのか。
(いや……だって男だもんな、気を許すも何もないよな……)
 そう思いつつ、リゲルは不安そうな顔をする彼女を見て、慌てて答えた。
「ああ、それなら多分、謹慎中なんだと思うよ。よくあるんだ。ユーク神殿は規律が厳しいのに、あいつはそれを破りまくってるから」
 その言葉に、彼女は目を見開いた。そして、
「……私が、一緒に飲みましょうなんて誘ったからいけないんだわ」
 今にも涙ぐみそうな彼女の様子に、慌てふためくリゲル。
「いや、そんな事は……。それにこんなことしょっちゅうだし、あいつも慣れてるから心配しなくても」
「そういうわけには行かないわ。教えてくれてありがとう、えっと……」
「リゲルだよ」
「私はフェリキアよ。ありがとうリゲル。私、行ってくるわ」
「え、ちょ、どこ行くんだよ?!」
「ユーク神殿よ。私が悪いんですって言いに行くの。だってラウルちゃんは何にも悪くないのに、謹慎処分だなんておかしいわ」
「いや、それは……」
 何も悪くない、というには多分に語弊があるだろう、と言おうとした時には、すでに彼女の姿は小さくなっていた。見かけによらず俊足である。
「……ま、追い返されるのがオチだよなあ」
 二度も追い返されれば彼女も諦めるだろう。あとは、そうだ。ラウルの謹慎が解けて街に現れるようになったら、彼女に会った事、そして小刀は彼女が持っている事を教えてやればいい。
「ん?そういえば……」
 ふと先ほどのフェリキアの台詞を思い出して、リゲルはこみ上げてくる笑いを必死に押し殺した。
(あのラウルをちゃんづけ出来る奴がいるだなんて……!!こりゃ傑作だ)
 ジェットに会ったら教えてやろう、とにやにやしつつ、リゲルは遅い昼食を取りに、再び中央広場を歩き出した。

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