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その光景を見た瞬間、エスタスとカイトは思わず目を丸くした。 「……何やってるんですか?」 呆然と尋ねるカイトに対し、遥か下から返ってきたのは、 「座ってる」 という実にそっけない返事。間違ってはいないが、余りにも簡潔すぎやしないか。 「いや、そうじゃなくて……」 思わず頬を掻くエスタスとカイトの目の前には、深い亀裂。地震か何かで出来たのだろうそれは幅も深さもかなりのもので、道具なしには渡る事も降りる事も出来そうにない。亀裂によって分断された廊下はまだまだ続いているが、これでは先に進むのは難しそうだ。 そして、大人の背丈三、四人分はあろうかというその深い亀裂の底にちょこんと座り込み、二人を見上げているのが、先ほどの声の主だった。 足元に置かれた角灯の光によって照らし出された髪は深いこげ茶色をしており、見上げてくる瞳は角灯の揺らめきを映し込んで、まるで黄金のように輝いている。しかし何よりも目を引くのはその褐色の肌だった。この大陸ではまずお目にかかれない肌色は、少女が南方の血を継ぐ者である事を如実に物語っている。 そう、少女だ。恐らくはエスタスやカイトより年下の、すんなりとした体つきの少女。目にも鮮やかな刺繍の施された外套をまとい、そしてその腕には何やらぷるぷると身震いする生き物を抱えている。 「もしかして、精霊使いの人ですか? ドートの村から依頼を受けてここに来た……」 頷く少女。そして、すい、とさし上げた掌の上に、先ほどまで二人を導いてきた謎のつむじ風が現れる。 「じゃあ、さっきの炎も君か?」 今度は少女ではなく、そのつむじ風がくるくると回って答えた。どうやら肯定なのだと受け取って、ようやく二人は表情を和らげる。 「助かったよ。あのままじゃやられるところだった」 「ありがとうございました」 剣も効かない、唯一の武器となり得る松明は消える。少女の手助けがなければ、二人はあのまま水妖の餌食になっていた事だろう。口々に感謝の言葉を述べる二人に、しかし少女は首を横に振った。 「あれはお詫び」 「お詫び? 何がだ」 「この子が、うっかり松明を消したから」 どうやらつむじ風の事を言っているらしい。彼らにはただの風にしか見えないが、少女にはあれが精霊の姿に見えているのだろう。その風の精霊は、亀裂に落ちて身動きが取れなくなった少女に代わり、洞窟内の様子を偵察していたのだという。 「じゃあ、その前に危険って言ったのは……」 「この子が、近くに人間が来てるって教えてくれた。その近くに水妖がいることも。それで、この子に声を伝えてもらった。でもちょっと遅かったみたいだから、炎の精霊を送った」 淡々と喋る少女は、どこか世間離れした雰囲気を漂わせていた。喋り方がそっけないのは単に標準語に慣れていないせいかもしれないが、まるで木偶人形が喋っているかのように、全くといっていいほど表情を崩さない。緊張や警戒といったものでもないようだし、恐らくは癖なのだろう。 「なんだか変わった子ですねえ」 さしものカイトもそう感じたらしい。少女に聞こえないように囁いてくる彼に肩をすくめてみせてから、エスタスは再び亀裂の下を覗き込んだ。 「で、上がれないのか?」 「上がれない」 その答えを聞いて、エスタスは背負い袋から丈夫な縄を取り出すと、その片端をまとめて少女のもとへ投じた。本来なら杭か何かで固定するべきだが、少女一人くらいなら二人がかりで引っ張り上げる事が出来るだろう。 そうして降りてきた縄に、少女はまず抱えていた動物を括りつけると、上げてくれと合図をしてきた。苦笑しながらエスタスは縄を引き上げる。 「おや、この動物は……」 動物はびくびくと体を震わせながらも、大人しくされるがままになっていた。そうしてエスタスに引き上げられた動物をひょいと抱き上げ、まじまじと見つめて呟くカイト。それを横目にエスタスは再び縄を垂らす。しかし少女はただ首を振るばかりで、綱を掴もうともしなかった。 「どうしたんだ? 上がれないなら今みたいに引き上げるから、とにかく縄を……」 「動けない」 「? 怪我でもしてるのか?」 エスタスの問いかけに、しかし少女は首を横に振り、ほんの少しだけ恥ずかしそうな顔をして答えた。 「お腹が空いて」 「……」 どっと脱力するエスタスの横で、なるほど、などと呟きながらカイトが荷物をがさごそとかき回し始める。 何をする気かと思えば、カイトは携帯食料の入った小袋を取り出すと、あろう事かそれを少女目掛けて放り投げたではないか。 「はい、どうぞ。大したものはありませんけど、お腹の足しにはなるはずです」 「そういう事じゃないだろうがっ!」 「遠慮なく」 「って、早速食べるなっ!ええいもう、今行くから!おいカイト、地盤固そうなところ探せっ」 「えー、だってお腹空いてるんでしょう?食べれば元気出るんじゃないですか」 「消化するまで待ってるつもりか?!」 「おいしい」 「だー……」 どうにも噛み合わない会話に頭を抱えつつ、エスタスは縄を固定するべく杭と金槌を取り出した。 * * * * *
「じゃあ、この子は土狼の子供なんですね?」 カイトの言葉に、少女は動物の頭を撫でてやりながら頷く。その腕に抱かれて気持ちよさそうに目を細めているのは、一見した限りではただの子犬にしか見えない、黒い毛並みの獣だった。右足を怪我しているらしく、少女が巻いたと思われる不器用な包帯からは血が滲んでいる。 「で?あんたはその子を親のところに連れて行こうとしてたわけか」 「そう」 少女がこの子供を拾ったのは森の中だった。土鬼と遭遇し戦闘になった折、そのうちの一匹がこの獣を抱えていた。土鬼を撃退し獣を保護した彼女は、近くに親がいるものと判断し、仲間の二人が放っておけと言うのにも構わず獣を連れて洞窟へ入ったのだという。 「あなた達を襲ったっていう土狼がそうなんじゃないんですか?」 「多分。でも、勘違いされたらしい」 「勘違い?」 「子供をさらった犯人だと思われて、襲われた」 その場は何とか逃げおおせたものの、逃げる途中で仲間とはぐれてしまった。仕方なく洞窟内を歩いているうちに子狼が亀裂に落ちてしまい、それを助けようとして降りたはいいが、疲れと空腹で立ち往生していたのだと、彼女は淡々と語る。 「で、何でいるはずのない土狼やら水妖が出てきたんだ?」 彼女に聞いたところで仕方ないとは思いつつ、尋ねてみる。すると少女はあっさり答えを返してくれた。 「多分、地震のせい」 彼女達はエスタスらより更に奥まで探索を進めていた。その途中には落盤でふさがれた道や大きく亀裂が入った壁、また新たに開いたと思われる通路がいくつかあったという。先日からこの辺りで断続的に起こっている地震のせいで、どうも奥にあった別の洞窟と繋がってしまったのではないかと話す少女に、カイトがなるほど、と腕を組む。 「もともとは別々だった住処が地震によって繋がってしまったことで、出会うはずのない者達が出会ってしまった。まあ恐らくは、土鬼が彼らにちょっかいをかけたか何かしたんでしょう。それで追い出されてしまったんですね」 「で、行き場を失った土鬼は森に散らばり、そのうちの一部が人里まで出てきたってわけか」 理由が分かったところで、さてこれからどうするか、とエスタスは少女が抱えている子狼に目をやった。 彼女が発見した時は土鬼に抱えられていたというから、食糧にでもされるところだったのか。そんな子狼は、自分の置かれている状況など分かっていないのだろう、見つめてくるエスタスにばさばさと尻尾を振りながら、前足でじゃれつこうとする。 「人懐こいな、おまえ。それだから土鬼なんかにさらわれるんだぞ」 くうん、と情けない声を上げる子狼。言葉を理解しているわけではないだろうが、その鳴き声はまるで「ごめんなさい」とでも言っているようで、エスタスは思わず笑みを浮かべた。 そして、しょげた様子の子狼をよしよしと撫でながら、少女はきっぱりと告げる。 「この子を親元へ送り届ける」 「ええっ。だって、土狼達はあなた達がこの子を連れ去ったと勘違いしてるんでしょう? 返しに行ったって襲われるのがおちですよ」 「それに、さっきの水妖だって倒したわけじゃない。あんなのがうようよしてるんじゃ、一人でなんて」 無茶だ、と言いかけて、エスタスは言葉を飲み込んだ。さっき、同じ言葉を投げかけられて、自分はなんと答えたか。 「他人が決める事じゃない、よな」 そう呟くエスタスを不思議そうに眺めつつ、少女は繰り返す。 「この子を親元へ送り届ける」 そういうが早いか、少女は子狼を抱いたまますっくと立ち上がった。そしてくるり、と踵を返す。 「助けてくれてありがとう。それじゃ」 背中を向けたままそう告げて、スタスタと歩き出す少女。慌てて止めようと踏み出しかけたエスタスより先に、 「待って下さい」 カイトの声が通路に響き渡った。 無言のまま足を止める少女。何? と言いたげな彼女の前で、カイトはまるで自分に言い聞かせるように呟いていた。 「このままにしておいたら、土狼までもが村を襲いかねませんよね。そうなる前に、なんとしてもその子を親のところへ送り届けなければ。それに、こんな折角の機会をみすみす逃すわけにはいきません。特に水妖なんて滅多に出会えない希少種なんですから、危険を冒してでも行く価値があるでしょう。どのみち戦うのはエスタスなんだし」 「こらまて」 思わず突っ込むエスタスをきっぱりと無視して、カイトは少女へと不器用な笑みを向ける。 「だから、手伝わせて下さい。もともと僕達はあなた方の後任で土鬼退治を頼まれたんです。この事態を収拾しないことには報酬なんてもらえないでしょうし、むしろこんな状況ですから、うまくいけば報酬を上乗せできるかもしれませんよ?」 最後の方はエスタスに向けられた言葉だった。やれやれ、とエスタスは頭を掻く。 ごちゃごちゃ言ってはいるが、要するにカイトは彼女をこのまま放っておけないのだろう。まあ、半分くらいは本当に知識欲から来るものだろうが。 一見してただの気弱な青年と勘違いされがちのカイトだが、一度こうと決めたらてこでも動かない頑固者であることは、幼馴染であるエスタスが誰よりもよく知っている。 返事を渋っているエスタスに、カイトは胸に下げたままの首飾りを握り締めて、小さく頷いてみせる。 「ここまで来て知らん顔なんて、出来ないでしょう?」 「……ったく」 胸に下げたままの首飾りをつまみ上げれば、そこに煌くのは勇気と信念の証。それをぐっと握り締め、再び服の中に落として、エスタスはカイトに頷いてみせる。 「分かったよ。一緒に行こう」 報酬がもらえなくなるのは勿論ごめんだし、何よりエスタスもまた、カイトと同じくらいには少女を心配していた。彼女がそれなりの使い手であることは分かるが、それでもたった一人で水妖やら土狼やらと渡り合えるとは思えない。 「一人じゃ危なくても、三人いれば何とかなるかもしれませんからね」 「そういうことだな。ま、一つよろしく頼む」 二人の言葉に、少女は初めて、ほんの僅かではあるが笑みを浮かべた。その笑顔は思いのほか可愛らしくて、おや、と目を見張る二人の前で少女はすぐさま元の無表情に戻ってしまう。そして。 「行こう」 ただ一言そう答え、少女はてくてくと歩き出した。そんな少女のすぐ後ろにつき、松明を掲げて進むエスタス。そしてその横で、帳面に鉛筆を走らせながら歩くカイト。 剣士に神官、そして精霊使い。急ごしらえではあるものの、冒険者一行としてはそこそこ釣り合いのとれた構成になったわけだ。 「道は分かってるのか?」 「多分、こっち」 少女が指し示したのは、まだエスタス達が足を踏み入れていない通路だった。緊張の面持ちで歩き出すエスタスとは対照的に、少女はまるで近所にお使いにでも行くような足取りで、スタスタと通路を進んでいく。 「うわぁ、もうちょっとゆっくり歩いて下さいよぉ。線が歪んじゃうじゃないですか」 抗議の声を上げるカイト。エスタスは呆れたように振り返り、手元に集中するあまり足取りがおぼつかない幼馴染を睨みつけた。 「だから、そんな緻密なもんはいらないんだって……ったく仕方ないな。悪い。少し速度落としてやってくれ」 こればっかりは譲れませんと言いたげなカイトの顔に苦笑を浮かべ、少し先を行く少女へ声をかける。 「分かった」 ぴたりと立ち止まり、カイトが追いつくのを待つ少女。そして、やってきたカイトの帳面を一瞥した彼女は、なるほど、と口の中で呟くとこう付け足した。 「次の角を左。そのあとはしばらく直進」 「左で、しばらく直進ですね。分かりました!エスタス、もうちょっと灯りをこっちに」 「はいよ」 ぎこちなくも、仲間として足並みを揃え始めた三人は、洞窟の奥へ、奥へと進んでいった。 |
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