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[7]


 晴れ渡った青空の下、街道をひたすら北上する。予定より多く金を稼げたこともあって、二人の足取りは軽い。
「首都へ着いたら、まずはルース神殿に挨拶に行って、それから図書館と博物館と……ああもう、行きたいところがたくさんありすぎて、迷っちゃいますよ」
「そういう台詞は着いてから言ってくれよな」
「だってエスタス、シュトゥルムブルクは広いんですよ。今から考えておけば時間を無駄にせずに済むじゃないですか。特に見てみたいのは銃の製造過程なんですが、あれはギルドの人間ですら……」
 いつものように他愛もない会話を交わしながら、しかし二人はどこか落ち着かない様子だった。時折そっと後ろを見ては眉をひそめ、こそこそと囁き合う。
「……やっぱり、ついてきてるよな」
「ですねえ」
「偶然か?」
「さあ……。でも、ここまで二度も分かれ道を過ぎてるんですからねえ、偶然とは思えない気がするんですけど」
 彼らの後ろをぴったりとついてくる人影。たまたま進む方向が同じなだけかもしれないが、不可解なのはその動きだ。二人が止まると、同じように止まる。そしてわざと歩調を落としてみても、追い越していったりせず、彼らの後ろを離れようとしない。
「何か用なんでしょうか?」
「だったら近寄ってくれば済む事だろ?別に追いつけないほどの速さで歩いてるわけじゃないんだし」
「ですよねえ」
 追いかけてくる人影。それは紛れもなく、昨日共に戦ったあの少女だった。彼らより少し遅れて宿を出たのだろう。村を出発して半刻ほどして、エスタスが追いかけてくる少女の姿に気づいてからというもの、ずっとこの状態が続いている。最初はただ単に進む方向が同じだけかと思ったが、それにしてはどうにも不自然だ。
「どうします?」
「そうだなあ……」
 困ったように頭をかいて、エスタスは何か、足を止めるきっかけがないかと前方を見回した。そんな彼の目に、街道を少し離れたところにひっそりと佇む小さな丘が飛び込んでくる。丘の上には一本の木。そして緩やかな斜面を彩るのはタンポポの黄色。
「あそこで昼飯にしよう」
 少々わざとらしく声を上げて、エスタスは街道を外れると丘を目指して歩き出した。カイトがその後を追いかけながら、ちら、と後ろを伺う。
 これでついて来なければ、きっと偶然だ。ついてくるのなら、何か思うところがあるのだろう。
 そうして、少女は予想通りに二人の後を追いかけてきた。


 タンポポの咲き乱れる丘。その柔らかな黄色い絨毯の上へと、思いっ切り両手足を投げ出す。
 頭上には晴れ渡った空。吸い込まれそうなほどに深く澄み切った空に、ふと遠い日の思い出が過ぎった。
 流れ行く雲の彼方に胸を躍らせ、虹の生まれる場所を探して駆け回ったあの頃。楽しい時が永遠に続くと信じていた幼い頃と何一つ変わらない瞳で、彼らは空を見上げている。
「おいしかったですねえ〜」
 腹をさすりながら満足げな笑顔を覗かせているカイト。店主が持たせてくれた籠には食べきれないほどの食事が詰め込まれていた。なんとか全部を平らげて斜面に横になれば、昼下がりの穏やかな日差しが心地よく降り注いできて、うっかりすると眠ってしまいそうだ。
 彼らから遅れてやってきた少女もまた、少し離れたところで食事を取り終えていた。こちらはむき出しの地面に腰を下ろし、空に舞う鳥達をじっと見つめている。
 そんな彼女の横顔がどこか寂しそうに見えて、エスタスはそっと口を開いた。
「どこへ行くんだ?」
 唐突な問いかけに、少女はゆっくりと立ち上がる。その手には、すっかり綿毛になったタンポポが握られていた。
 唇をすぼめ、静かに息を吹きかけると、吹き飛ばされた白い綿毛は穏やかな風に乗り、彼方へと流されていく。そんな綿毛の向かう先を、少女は黙って指差した。
 ふわり、ふわりと漂う白い綿毛。風が吹けばあらぬ方向へ飛ばされてしまうような儚い道標を頼りに、彼女は進むというのだろうか。
(つまりは、風まかせってことか)
 苦笑を浮かべるエスタスの横で、カイトが嬉しそうに跳ね起きる。
「それなら、僕達と一緒です!」
 白い綿毛を乗せて、風は街道をなぞるように北上していく。
 偶然か、それとも運命のいたずらか。はたまた、作為的なものなのか。さっぱり分からなかったが、はっきりしている事は一つ。
 彼らの道は今、確かに重なっている。
「じゃあ、一緒に行かないか?」
 さらり、と言ってくるエスタスに、少女は目を瞬かせる。
「当分この道は続くんだ。方向が一緒なら、しばらく手を組むのも悪くないだろ」
「旅は道連れ、世は情けといいますしね。どうせなら大勢で旅した方が面白いですよ」
「そんなこと言って、お前は単に精霊の事だの何だのを色々聞きたいだけなんだろうが」
「そんなことは!……ありますけど。でも、仲間が増えるのは楽しいじゃないですか」
 図星を指されて慌てふためくカイト。そんな彼をからかいながらも、どうだい?と笑顔を向けてくるエスタス。
 二人の顔を交互に見比べて、そして少女は首を縦に振った。
「よろしく」
 ただ一言、そう言ってくる少女に、二人はこちらこそ、と頷いてみせる。
 「改めて自己紹介といきましょう。僕はカイト。カイト=オールス。大地の女神ルースに仕える神官で、今は修行の旅の途中です。生まれたのはライール山脈の向こう、エスタインという国なんですけど、そこは……」
 嬉しそうに喋り続けるカイト。放っておくと生まれてからこれまでを延々と語りかねない幼馴染に、エスタスはやれやれ、と肩をすくめて立ち上がった。
「オレはエスタス。見ての通り旅の剣士で、こいつの幼馴染だ」
 自己紹介を終え、期待に満ちた瞳で見つめてくる二人に、少女は躊躇いながらもゆっくりと唇を動かした。
「アイシャ」
 ただそうとだけ答える少女。旅の目的も、なぜ一人旅をしていたのかも教えてはくれなかったが、何もそう急ぐ事はないだろう。
 彼らの旅は、始まったばかりなのだから。
「それじゃアイシャ、エスタス。行きましょうか。早くしないと、日暮れまでに次の村にたどり着けませんよ」
「そうだな」
「行こう」
 こうして重なり合った三人の道。いつかは分かれる日が来るとしても、今は共に、まだ見ぬ明日を目指して歩いていく。
 そうして歩き出した三人を、柔らかな風が追い越していった。

 ファーン新世暦138年、晩春。
 風は北へと吹きぬけ、冒険者らを未来へと誘う。
 時に回り道をし、時に立ち止まり、たくさんの出会いと別れを繰り返しながら、いつしか当初の目的も忘れて、夢を見るように現実を彷徨う彼ら。
 やがて風の示すままに北の大地へと渡った三人は、そこで一人の神官と不思議な卵に出会うことになるのだが、それはまた別の話だ。


「ところで、知識の旅っていつまでなんだ?」
「あれ? 言いませんでしたっけ。気が済むまでですよ」
「げっ……まじかよ……」
「次はどこへ行きましょうか。中央大陸もいいし、本神殿のある西大陸にも一度は行きたいですしねえ。ああ、今からもう楽しみで楽しみで」
「楽しいのはお前だけだ……」
「じゃあ、二人はどこへ行きたいんですか?」
「そうだな……んーっと」
「どこまでも」
「あ、いいですね、それ!」
「勘弁しろ、マジで」


 終わらない夢。どこまでも続く道。そして、果てなき未来。
 三人の旅は、今もなお続いている。

 
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