1 最果ての村
 質素な墓石に近くで摘んできた花を手向け、そっと目を閉じる。
 刻まれた墓碑名は『ゼッド=フォーゲル』。先代の盗賊ギルド長を務めた男の名だ。彼は四十五年ほど前に長の座を辞し、若き日に仲間と過ごしたエスト村へ舞い戻って悠々自適な隠居生活を送っていたという。
「時々、思い出したようにお前さんみたいなのが来るんだ。どうせならもっと頻繁に来んか、薄情者が」
 背後からぶちぶちと文句を言ってくる老人こそ、『エストの名物司祭』ことゲルクだ。偏屈爺を絵に描いたような男だが、六十五歳という年齢の割には足腰もしっかりしているし、真っ白な髪や髭も実に質感豊かだ。
「すみません」
 素直に頭を下げれば、墓碑銘の下に小さく刻まれた一文が目に飛び込んできた。
『闇の深さを知る者は光の眩さを知る』
 含蓄のある言葉は、生前の口癖か何かだろうか。興味を惹かれ、ゲルクへと問いかける。
「司祭様は彼と面識があったと聞いています。どんな方だったか、差し支えなければ教えていただけませんか?」
 その言葉に、ゲルク老は懐かしそうに目を細めて、ぼそぼそと語り出した。
「そうさな。一言でいえば、ひょうきんな爺様だったよ。亡くなった時はもう七十にはなっていたはずだが、身が軽くてなあ。木に登って降りられなくなった猫を軽々と下ろしてやったりしていたものだ」
 途端、顔を赤くしてそっぽを向くカリーナには気づかず、墓石に視線を落として続けるゲルク。
「あの『事件』で亡くなる前も、私達にしきりと助言をくれて――そのせいで目をつけられたも同然だ」
 四十年前、この辺境の地に蔓延ったのは、禁呪を操り世界に終焉をもたらさんとする、歪んだ闇の使徒。そんな彼らと対峙したのは、たまたま村を訪れた冒険者一行だった。そして死闘の末に生き残り、村に永住することを選んだ神官こそ、この偏屈爺ゲルクである。
「お前さん、知人の代理で墓参に来たと言ったな。それならこう伝えてくれ。彼の助言は今もここに生きている。どれだけ感謝しても足りないほどだ、と」
「――必ず伝えます」
 静かに、しかし力強く頷いて答えると、ゲルク老はもう用は済んだとばかりに踵を返して、足早に神殿へと引き揚げていった。
 こちらの用事も一つは片付いた。もっとも、墓参りはあくまでついで。本命はこれからだ。
「カリーナさん、案内をありがとうございました」
 改めて礼を言うと、カリーナはどういたしまして、と澄まして答え、そして思い出したように続けた。
「しばらくは村に逗留するんでしょ? じゃあ宿屋に案内するわね。あっ、それより前に父さんに挨拶に行った方がいいかしら」
 確かに、長く逗留するなら村長に顔を繋いでおいた方が何かと都合がいい。
「そうですね、これからしばらくはこの村にご厄介になるわけですし」
「決まりね!」
 嬉しそうに手を叩き、弾むような足取りで歩き出す。そんなカリーナの背中を追いかけて墓地を後にすれば、草原を渡る風が柔らかな金の髪を撫でていった。


「この馬鹿者が! 無茶にも程があるぞ!」
 顔を見るなり雷を落としてきた父に、ひゃっと肩をすくめるカリーナ。しかし、そのくらいでへこたれる訳もなく、すぐに顔を上げ、毅然として言い返した。
「テオが困ってるのに、私が行かないわけにはいかないでしょう! 大体、あの木は枝が細くて大人じゃ登れないんだから!」
「お前も立派な大人だろうが! 大体、お前だって枝から落ちかけたところを、旅人に助けられたそうじゃないか! でかい口を利ける立場か!」
 痛いところを突かれてぐっと黙るカリーナに、ふうと息を吐く。
「まったく、肝を冷やしたぞ。怪我がなかったからよかったものの……」
 そこでようやく、娘の後ろで所在なく立ち尽くす男の存在に気づいた村長は、ごほんとわざとらしい咳払いをして、おもむろに手を差し伸べた。
「村長のマシュー=エバンスだ。君が娘とテオを助けてくれたそうだな。村長として、そして父親として、心から礼を言わせてくれ」
「いえ、差し出がましい真似をしてしまいました。お二人に怪我がなくて何よりです」
 差し出された手を握り、人当たりの良い笑顔で答えれば、村長はほとほと困り果てた様子で、大きな溜息を吐く。
「いやはや、君が通りかかってくれて本当に良かった。この子は昔からおてんばでね。しょっちゅう無茶をしては周囲を困らせてばかりだ。もう年頃なのだから、少しはしとやかに振る舞って欲しいものだが……」
「ちゃんとした場ではそうしてるでしょう!? もう、ごめんなさいね、父さんったらいつもこうなの。二言目には『そんな調子じゃいつまで経っても嫁の貰い手がないぞ』と、こうよ」
 まさに今、それを言おうとしていたらしい村長は、むうと押し黙ると、形勢不利と見て話題を変えた。
「ところで、君は遺跡探索に来たと聞いているが、しばらくエストに逗留するのかね?」
「はい。村長のお許しさえいただければ、一月ほどご厄介になろうと思っています」
「なに、一月と言わず、好きなだけ逗留してくれたまえ。宿は一軒しかないが、店主は気のいい親父だし、飯も旨い。それに、村人の中には少し前まで遺跡探索をしていた者もいるから、彼らに遺跡のことを教えてもらうといい」
「ありがとうございます」
 これで足場は固まった。あとはここを拠点にして、情報を集めるだけだ。
「挨拶はもういいわよね? じゃあ宿屋に案内するわ!」
「こらカリーナ! 話はまだ終わってないぞ!」
「お説教はもうたくさん! ほらヒュー、行きましょ!」
 腕を引かれ、緩やかな坂道を転げるように走り出す。
 こうして、『探索者ヒュー』としての日々は、実に賑々しく幕を開けたのだった。