3 夏の訪れ
「速達ですね。はい、確かに。明後日には届けますからね!」
 愛想のいい空人に、よろしくお願いしますと笑顔を向けて、伝令ギルド支局を後にする。
 遺跡探索にかこつけた調査の帰り道、エストの南東にあるラトク村の伝令ギルドに託した手紙は、これまでの調査報告をまとめたものだ。
 バダート村が野盗の襲撃を受けて十日。さすがに同じ村に何度も顔を出すほど浅はかではなかったらしく、また警備隊が街道だけでなく辺境地域の村々も巡回するようになったためか、野盗達はぱったりと姿を見せなくなり、ここしばらくは平穏な日々が続いている。
 とはいえ、連中がこれで引き下がるとも思えない。思うように動けない苛立ちも高まっていることだろう。
「このまま引いてくれれば楽なんですけどねえ」
 そんなことをぼやいていたら、昼を知らせる鐘の音が響いてきた。
 今からエストに戻ったのでは昼飯に間に合わない。仕方なく、村外れの木の下に陣取って携帯食料を齧りながら、たった今出してきた報告書の写しを読み返す。
 これまでの調査で分かったことは、連中が二十名ほどの集団であること、中央大陸から流れてきた傭兵崩れであること、そして盗賊ギルドとは関わりがないということだ。
 盗賊ギルドにとっては最後の一つがもっとも問題視されている。こちらの縄張りで勝手な行動をされては困るからこそ、こうして調査員を派遣しているのだ。
「……それにしても、可能であれば駆逐せよ、とは長も無茶をいうものです」
 当初はもう少し小規模の集団を想定していたため、一人でも駆逐が可能かと思われたが、二十数人を一度に相手にするには少々骨が折れる。まして、警備隊があちこちを巡回している今、いきなり二十数体の死体を生み出しては、余計な騒ぎを引き起こしかねない。
 よって、報告書の結びは『引き続き監視を続けるが、駆逐にあたっては増援を乞う』とした。返事が来るまで、連中には大人しくしていてもらいたいものだが、そう上手く事が運ぶだろうか。
 ささやかな食事を済ませ、写しをしまい込む。続いて取り出したのはローラ国西部から中央荒野までの地図だ。
 中央荒野はかつて、魔法大国ルーンが支配していた一帯である。何らかの魔術的事故により一夜にして廃墟と化した、という伝承が残るルーン。今日『ルーン遺跡』と呼ばれているのは首都の遺跡に過ぎない。周囲にはそれ以外の町や村の遺跡が点在しているが、過酷な環境を踏破してまでそれらを調査しようとする人間がいなかったのか、詳細な地図は存在しなかった。
 そこで、彼自身が足を運んで調査した分と、エストを含め周辺の村で聞き込んで得られた情報を総合して、どうにか近郊の遺跡については位置を特定することが出来た。
 そのうちの幾つかにつけられた赤い印は、調査の段階で連中の痕跡を見つけた場所だ。
「このうちのどれかで間違いないんですがねえ」
 野盗達も警戒しているようで、一か所に留まらず不定期に根城を変えているようだった。とはいえ、そう都合よく大人数での寝泊まりに適した遺跡がある訳もなく、大体のところまでは絞り込めた。
 そのうちの一つが、ルーン遺跡から南に二刻ほど歩いたところにある遺跡群だ。風化が激しい遺跡群の中では比較的原形を留めており、野盗が根城として利用するにはまさに打ってつけの場所だ。しかし、一人で制圧するには些か広すぎる。
「せめてあと一人いれば楽なんですがねえ」
 つくづく、この辺りにギルドの支部がないことが悔やまれた。
 遥か昔、エストが遺跡探索の冒険者で賑わっていた頃には、エストにも支部があったと聞く。しかし村が寂れて支部も撤退を余儀なくされ、以降はエストの東にあるダレス村を拠点にしていた盗賊団が周囲に目を光らせていた。
 その盗賊団も、三十年ほど前に内部分裂を起こして壊滅。以来、辺境地域は事実上の空白地帯となり、時折こんな事件も起こるようになってしまった。
 ここから一番近い支部はリトエルの町にあるが、エストからだと馬車を使っても十日以上かかる。手紙を出そうにも、各村への配達と手紙の回収は十日に一度あればいい方だ。急ぎの手紙を出そうと思ったら、こうして窓口のある村まで出向くしかない。
 有事の際、迅速に行動するためには、せめていくつかの村に《草》――その地に定住し、住民に溶け込んで諜報活動を行う人員が必要だ。
 この一件が片付き次第、早急な配置を検討してもらおうと心に決めつつ、地図を折り畳んで懐に戻す。
「さて。帰りますか」
 いつの間にか当たり前になっていた「帰る」という言葉に何の疑問も持たないまま、荷物を担ぎ直したヒューは昼下がりの道を足早に歩き出した。


 五日ぶりのエスト村は、不思議な熱気に包まれていた。
 広場の中央には木の台が組まれ、それを囲むように簡素な屋台が並んでいる。男達が汗にまみれて忙しなく働く中、子供達は妙に浮かれて走り回っているし、逆に村の女性陣の姿がどこにも見当たらない。
「よお、ヒュー! やっと戻ったか」
 陽気な声に振り返れば、そこには資材を肩に担いだトニーの姿があった。
「トニーさん。これは一体……?」
「夏祭の準備さ。なかなか盛大だろ?」
 そう言えば、初めて会った時も祭がどうのと言っていた気がする。思えば、調査に打ち込んでいるうちに、いつの間にか八の月が目前に迫っていた。
「夏祭ですか。一体どんなことをするんですか?」
「どんなも何も、普通の祭だよ。飲んで食って踊る! それだけだ」
 単純明快な回答に思わず苦笑すれば、何やら思わせぶりな笑みを浮かべたトニーは、わざとらしい仕草で耳打ちをしてきた。
「で? カリーナには何を贈るんだ?」
「はい?」
 訳が分からず首を傾げていると、横から伸びてきた細い手に、ものすごい勢いで引っ張られる。
「もうっ! 暇人の戯言に付き合ってないで、来て!」
 見れば、真っ赤な顔をして腕を引っ張っているのは誰であろうカリーナで、そんな彼女をトニーはニヤニヤと見つめているではないか。
「カリーナさん?」
「いいからっ!」
 ぐいぐいと引っ張られ、あっという間にトニーから引き離されて『見果てぬ希望亭』の前まで連れて行かれたヒューは、ようやくそこで手を離してくれたカリーナに、おずおずと尋ねてみた。
「夏祭の日に贈り物をする風習でもあるんですか?」
 トニーの口振りでは何かあるようだったが、カリーナはぷい、とそっぽを向いて、吐き捨てるように答える。
「くだらない風習よ! 気にしないでいいの!」
「はあ……そうですか」
 やはり何かあるようだが、彼女の機嫌をこれ以上損ねるのは得策ではない。
「それより、夏祭まであと五日だっていうのに、今までどこにいたのよ!?」
 妙にとげとげしい口調のカリーナに、すいませんと頭を掻く。
「夏祭がいつなのか知らなかったものですから」
「あら、いやだ。誰もちゃんと教えてなかったのね。もう、余計なことを吹き込む暇があったら、肝心なことを伝えなさいっていうのよ! エストの夏祭は毎年八の月十日に行われるの。短い夏の到来を祝う盛大なお祭なのよ。近隣からも人が集まって、すごく賑やかなんだから」
 ぷりぷりと怒りつつ、ちゃんと説明してくれるところは実に彼女らしい。そして最後に、なぜか怒った口調のままで、こう付け足された。
「あなたも参加してよね! 絶対よ!」
 人の集まるところは苦手なのだが、こうも熱烈に誘われては断るのも失礼だろう。
「ええ、折角ですから参加させていただきます。いやあ、今から楽しみですねえ」
 にっこり笑って答えたら、カリーナはなぜかそっぽを向いて、そうね、とか何とかごにょごにょと言っていたかと思うと、思い出したように顔を上げて、忙しいからまたね、と逃げるように去っていった。
「うーん……何なんでしょうね?」
 きょとんと首を傾げていると、屋台の方からトニーの声が飛んできた。
「おーい、ヒュー! 手が空いてるなら手伝ってくれよ!」
「やれやれ、人使いが荒いですねえ。探索から帰ってきたばかりなんですけど」
「なぁに言ってんだ、まだ元気そうじゃないか! 終わったら一杯おごるからよ」
 その申し出は魅力的だったし、トニーの言う通り、疲れ果てて動けないというほどでもない。
「その言葉、忘れないでくださいよ?」
 腕まくりをしながら、作りかけの屋台へと向かっていく。そんな彼らの頭上で、傾きかけた太陽が白く輝いていた。