4 夏祭
 角を曲がった途端、どっと溢れる音と光。賑やかな音楽に乗って、人々が篝火を囲んで踊っている。
「おっ!? おおっ! どうしたよお前達!」
「なんだヒュー、お前も隅に置けないなあ」
 カリーナを抱き上げたまま堂々とやってきたヒューに、周囲から驚きや冷やかしの声が上がる中、少し離れたところから踊りの輪を眺めていたマーティンが、満面の笑みで駆けつけてきた。
「おおっ! お前――」
「その話は後で。実はさっき……」
 ぴしゃりと話を遮り、ここまでの経緯を掻い摘んで話す。
 さっと表情を引き締めたマーティンは、ヒューの説明が終わるやいなや、近くにいた村人数人を掴まえて二、三言指示を出した。彼らが慌てた様子で散って行き、指示通り動いているのを確認して、よしと頷くマーティン。
「伸びてる連中の回収はトニー達に任せた。出入り口の警備も人を増やす。村長もすぐに来るから、お前の口からもう一度詳しい話をしてやってくれ」
 そこまで一気に喋って、そうしてカリーナに向き直ると、心配そうに話しかける。
「怖い目に遭ったな、カリーナ。大丈夫だったか? 変なことされなかったか?」
「うん。ヒューが助けに来てくれたから」
 そうかそうかと頷きつつ、カリーナには聞こえないように声を潜めて囁くマーティン。
「な? 行って良かっただろう?」
「はい。ありがとうございました」
 あの時マーティンに発破をかけられなければ、カリーナを助けることは出来なかった。彼がそこまで見越して発破をかけたはずもなく、全ては偶然の積み重ねでしかないが、ここは素直に感謝するところだろう。
「しかし……とうとうエストにも来やがったか」
 怒り心頭のマーティンに、カリーナが困惑顔で補足を入れる。
「ねえ、あいつら、自分達を盗賊ギルドだって言ったわ。盗賊ギルド《笑う髑髏》だって」
 その言葉に、ぽかんと口を開くマーティン。
「なんだそりゃ? 聞いたことないぞ、そんなギルド名」
「ええ、まったくです。大方、盗賊ギルドの名を出せば、報復を恐れて言うことを聞くとでも思ったのでしょうが、愚の骨頂としか言いようがありませんね」
 力が入らないよう気をつけたつもりだが、やはり声が固くなっていたのだろう。マーティンもカリーナも驚いたような顔をしたが、二人が何か言う前に、広場の向こうから響いてきたけたたましい声が、人々の注目を一気に引きつけてくれた。
「カリーナ!! カリーナ、無事かっ!?」
 踊りの輪をぶっちぎって駆けつけたのは、誰であろう村長だ。抗議の声などどこ吹く風と、脇目も振らずに娘のもとへ駆けつけた村長は、未だ抱き上げられたままのカリーナを見て目を吊り上げる。
「カリーナ! どうした、どこか怪我でもっ……」
「大丈夫よ。ちょっと足をくじいちゃって、ヒューが運んでくれたの。それだけ!」
「そうか、それならいいが……」
 いつもならもっとしつこく問い詰めるところだが、さすがに今はそんな場合ではないと弁えたらしい村長は、表情を引き締めて問いかける。
「ヒュー、野盗が出たというのは本当か?」
「はい。どうやら……」
 マーティンに説明したことを繰り返すと、村長はどんどんと険しい顔になっていき、カリーナの話になったところでぐっと拳を震わせた。呪詛でも吐きたいところを、必死に抑えているのだろう。
「……というわけで、カリーナさんをお連れした次第です」
 一通り話を終え、そっと反応を窺う。娘に何事もなかったと分かって、ようやく落ち着いた村長は、どっと息を吐くと、固い表情で聞いてきた。
「ところで、連中は何人だった?」
「五人です。これまでの目撃証言から考えて、奴らは二十人以上いるはずですから、仲間が帰ってこないと気づけば大挙して押しかけてくるかもしれません」
村長もそれを懸念したのだろう。そうだなと頷いて、苦い表情で腕を組む。
「まったく、折角の祭だってのに!!」
 拳を震わせるマーティンをまあまあと宥めつつ、何気なく尋ねる。
「ところで、祭は何時までですか?」
「へ? ああ、日付が変わるまでだよ。やっと踊りが始まったばかりで、盛り上がるのはこれからなのに――」
「でしたら、ちゃんと最後までやりましょう」
 ヒューの言葉に、マーティンだけでなく村長やカリーナまでもが目を瞬かせた。
「呑気に踊ってる場合じゃないだろう?」
「いえ。もし奴らの仲間が村の近くで見張っていた場合、祭が予定より早く終わったら不審に思うかもしれません。それなら、何事もなかったように祭を続けていた方がいい」
「……なるほど。その通りだな」
「でも、村のみんなに何て言えばいいんだよ?」
「酔って羽目を外したやつがいた、ということにしておいてください。……ここで下手に話をばらまいたら、傷つくのはカリーナさんですよ?」
 後半の台詞は、マーティンと村長にだけ聞こえるように声を絞る。それが効いたのだろう、神妙な顔で頷く二人に頷きを返し、そしてどこか落ち着かない様子の村長にカリーナを預ける。
「まだ足が痛むでしょうから、しばらくは大人しくしていてくださいね」
「わ、分かってるわよ!」
「こ、こらカリーナ、暴れるな」
 数年ぶりに娘を抱き上げる羽目になり、その成長ぶりによろめきつつ、どこか嬉しそうに抗議の声を上げる村長。そんな微笑ましい光景に目を細めながら、マーティンへと向き直る。
「マーティンさん、夜の見張りはいつも通りにやってください。私はこのことを近隣の村に知らせてきます。あちらも手薄になっているはずです。連中がそれを狙っている可能性もありますからね」
「分かった。でも、一人じゃ危ないだろ、誰か一緒に――」
「いえ。折角のお祭りですから、楽しんでください。私はほら、居候みたいなものですからね。こういう時にこそ扱き使ってくださいよ」
 では、と踵を返せば、その背中を押すようにマーティンの声が響いた。
「ヒュー! 無茶するんじゃないぞ!」
 振り返らず、手だけ振って返し、広場を後にする。
 事は一刻を争う。これ以上、村に被害が及べば――己を抑えていられる自信がない。
「《笑う髑髏》ですか。まったく、命知らずな連中だ」
 わざと物騒な笑みを浮かべ、腹の中で煮えたぎる怒りを誤魔化しながら、夜道を駆ける。
 向かう先は――そう、あの月の下だ。


 足早に去って行った友の背中を見送って、マーティンはやれやれと肩をすくめてみせた。
「まったく、大人しい顔して無茶する奴だよな」
 夜になれば野獣も出るし、それこそ新手の野盗に出くわすかもしれない。そんな中、夜道を駆けて近隣の村を回ること自体、どれほどの危険が伴うことか。
「俺達にも手伝わせろっての」
 引退したとはいえ、まだ腕は衰えていないつもりなのだが、それでも彼はマーティン達に頼ろうとしなかった。いや、彼らを『エストの住人』と認めているからこそ、あえて手出しをさせなかったのかもしれない。
「余計な気を遣いやがって」
 友達甲斐のないやつ、と嘯くその横で、もう大丈夫だと言い張って降ろしてもらったカリーナが、照れくさそうに礼を言っている。
「ありがとう、父さん」
「なに、礼なら私ではなくヒューに言いなさい」
 そこまで言ったところで、急にそわそわし始めた村長は、怪訝な顔をする娘へと、意を決して詰め寄った。
「その、カリーナ。お前、穀物倉庫で彼と何をしていたんだね?」
 くわっと目を剥いたカリーナが口を開く前に、マーティンが訳知り顔で村長の背中をばんばん叩く。
「村長! 野暮なことは言いっこなしだぜ!」
 この台詞にますます目を吊り上げたカリーナは、噛みつくような勢いで二人を怒鳴りつけた。
「何もしてないわよ! もう、みんなそういうことしか考えないんだから!」
 そのままぷりぷりと怒りながら踵を返すカリーナに、ますます楽しそうな表情で声をかけるマーティン。
「おいカリーナ、踊っていかないのか?」
「足をくじいたって言ったでしょ! それに……相手がいないんじゃ踊れないじゃない」
 最後の台詞は、ここにいない誰かに宛てたものだと、言った本人も恐らく気づいていない。
 どすどすと、足音も高らかに広場を後にするカリーナを心配そうに見つめる村長。その肩をぽんと叩いて、マーティンはさあて、と獰猛な笑みを浮かべた。
「村長。ヒューに負けてられないぜ。俺達は祭を成功させるために、出来ることをしよう!」
「ああ、そうだな」
 力強く頷く村長。その声に答えるように、広場から大きな歓声が上がった。