終章 夢の続き
「……こうして、今に至るわけですよ」
 長く甘い昔話を終えて、どこか照れくさそうに頬を掻く村長。
 その向かいで、どっと机に突っ伏したラウルは、すっかり温くなった酒を呷って気を取り直すと、げんなりと感想を述べた。
「なんか……前に俺がカリーナさんから聞かされた馴れ初め話と、かなり違うんだが?」
 少なくとも十日も立てこもったような話が出てこなかったことは確かだ。
「さすがの彼女も、あれはやり過ぎたと反省していましたしね。いわゆる若気の至りという奴ですし、そこは誤魔化したんでしょう」
 そう答える村長とて、しつこく詰め寄らなければ話そうとはしないような内容だ。無理もない。
「……しかし、その後ずっとエストに居ついてるんだろ? どうやってギルド長になったんだ? いや、そもそも巡回に来ただけなのに居ついちまったんじゃ、それこそギルドから吊るし上げにあったんじゃないのか」
「そりゃあもう、当時はこっぴどく怒られましたとも。それどころか、離反の意思ありと疑われて危うく暗殺されるところでしたよ。ま、きっちり『説明』して最終的には分かっていただきましたけどね」
 事も無げに答える村長。どんな『説明』だったのかは怖いので聞かないでおく。
「でもまあ、当時の支部長はあまり細かいことにこだわらない男でね。次期村長の座が確実なら、これほど利用価値のある《草》はないだろうと言ってくれたので、どうにか首の皮一枚で繋がりまして」
 それからはあなたも知る通りですよ、と穏やかに笑う村長に、どうだか、と肩をすくめ、わずかに残った酒を飲み干す。
「辺境支部の《草》がローラ国のギルドを束ねる長にまで登りつめた経緯も、そのうち聞かせてもらいたいね」
「それを語り出したら、それこそ一晩じゃ終わりませんよ」
楽しそうに笑って、空になった盃を机に戻した村長は、ふと窓の外に目を向けた。
 すっかり夜も更けて、天鵞絨の空に輝く三日月は、まるで夜空がにんまりと笑っているようだ。
「さて……そろそろお暇しましょうか。ラウルさんも早いところ身を固めて、この村に骨を埋めて下さいね」
 にっこり笑ってとんでもないことを言ってくる村長に、けっと毒づくラウル。
「誰がこんな片田舎に骨を埋めるかよ。俺は早いとこ中央に帰って――」
「お父様の跡を継ぐんですか?」
「誰がだ!」
 おやおや、と人の悪い笑みを浮かべ、すいと立ち上がる。
「まあ、人生なんていつどう転がるか、誰にも分かりませんからね。特にあなたはお人よし過ぎて流されやすい傾向にありますから、ちょっと心配ですが……」
「やかましい」
 不貞腐れたような顔で睨んでくるラウルを横目に、軽やかに上着を羽織った村長は、思い出したようにこう問いかけてきた。
「ここで問題です。どんなに優れた詐欺師とて、たった一人だけ嘘がつけない相手がいる。さて、それは誰でしょう?」
「そんなの簡単だ。『自分』だろ」
 ふん、と鼻を鳴らして答えれば、村長は楽しそうに正解です、と頷いた。
「自分に嘘はつけない。だから直感でいいんです。己の心のみに従いなさい。先輩からの助言はそのくらいですね」
 ご馳走様でしたと手を振って、足音もなく去っていく村長の背中に、精一杯の嫌味を込めてこう投げかける。
「こちらこそ、ご馳走様だ! まったく」
 興味本位でうっかり首を突っ込んだのは失敗だった。独り身の侘しさが募るだけではないか。
 つい扉を閉める手に力が籠ってしまい、深夜にも関わらず派手な音を立ててしまったが、ここは村外れの一軒家だ。扉の開閉音がうるさいと言って怒鳴り込んでくるご近所さんもいない。
 やれやれと息を吐き、居間へと戻ってくると、寝室の方から何やら声が聞こえてくる。
「おい、どうしたチビ――」
 訝しげに寝室の扉を開ければ、寝台から転がり落ちて、床の上で涙目になっている少女と目が合った。
「らう、いたぁい」
 額を押さえて訴えてくる少女に、大きな溜息を一つ。
「お前なあ……」
「おっきいおと、びっくり。だから、おきた」
 しまった、と顔を押さえ、そうだったと呟く。同居人のいる暮らしには、どうもまだ慣れていない。
「その……驚かせて悪かったよ」
 ひょいと抱き起こして、ざっと怪我の有無を確かめる。幸い、額が赤くなっている程度で、特に問題はなさそうだ。
「大丈夫だ。まったく、心配させんなよ」
 ぽんぽんと頭を叩きつつ、そうぼやいてしまってから、はたと口を押えた。
 その『失言』には気づかず、嬉しそうに笑ったかと思うと、そのままこてんと寝てしまう少女。慌ててその小さな体を抱き上げ、そっと寝台に戻すと、床に落ちていた上掛けをかけてやる。
「……んー、もっと、たべるぅ」
 何の夢を見ているのやら、むにゃむにゃと寝言を呟きながら幸せそうに眠りこける横顔に苦笑を漏らしていると、村長の言葉が不意に蘇った。
「直感でいい、か……」
 謎の卵を拾って育てたのも、命を賭して影の神殿から守ったのも、突き詰めれば直感のなせる業だ。
「……そういや、あのくそじじいも似たようなこと言ってやがったな」
 かつて自分を拾って養子にした司祭は、何故そんなことをするのかという問いかけに「何となく」と答えていた。当時はなんていい加減なやつだと呆れたものだが、今になってようやく、その意味が分かったような気がする。
「己の心のみに従え、か。何とも含蓄のある言葉だな」
 一人の女と添い遂げる気もなければ、この村に骨を埋める覚悟もない。だが、この先どんなことが起ころうと、目の前ですやすやと眠る小さな命だけは守らなければと思う。
 出会った時から、変わらぬその思い。
 それが何故なのかは、自分でもよく分からないけれど。
「何となく。直感で。……そうだな、それしか言いようがないよな」
 言葉にするとやけに軽薄な響きだが、そこに込められた決意は、決して軽いものではない。
「……一度拾っちまったんだ。途中で放り出して、何かあったら寝覚めが悪いもんな」
 自らに言い聞かせるように呟きながら、柔らかな金の髪をそっと撫で、照れくさそうに笑う。
「ちゃんと面倒見るさ。お前が俺を必要としなくなるまではな」
 さあて、と大きく伸びをすれば、立てつけの悪い窓から忍び込む夜気が髪を揺らす。
「もう寝るか」
 あと数刻後には、日の出とともに起床する少女との賑やかな一日が幕を開ける。睡眠不足でふらついたりしていては、彼女の相手など到底務まらない。
 神官衣を乱暴に脱ぎ捨て、寝台に滑り込めば、ほどなく心地よい眠りの波動が全身を包み込んだ。
「お休み。良い夢を」
 すでに眠りの世界へ旅立ってしまった少女の背中にそう囁いて、自らも瞼を閉じる。

 今夜はきっと、甘酸っぱい夢を見るに違いない。
眠リ猫ノ夢・終