番外編・Daydream Believer
「最初はね、ここに立てこもろうとしてたのよ」
 懐かしそうに目を細め、居心地良く整えられた居間を見回す。
「だって、村でちゃんと鍵がかかる家なんて、うちか、この小屋くらいしかなかったんだもの」
 当時、この村外れの小屋には年老いた精霊使いが暮らしていた。かつてゲルクと共に、村に蔓延る影の神殿と戦った精霊使いグラン。生涯独身を貫いた彼は、ふらりと出ていって二月も帰ってこないかと思えば、半月も小屋にこもりっぱなしという時もある、絵に描いたような変わり者だった。
「こっそり小屋を使わせてもらおうかと思ったのに、グラン様ったらそういう時に限って戻って来てるんだもの。『そんなことのために俺の家を貸せるか』って怒られちゃってね」
「らう、きっと、おなじこと、いう」
 たどたどしく話す少女の頭をよしよしと撫でながら、でもね、と楽しそうに続ける。
「『鐘つき堂も鍵がかかる』って教えてくれたのは、グラン様なのよ」
 ぼそりと呟かれた言葉に、弾かれたように小屋を飛び出したのは言うまでもない。そして鐘つき堂で寝泊まりしていたルファス神官を拝み倒し、そこに立てこもったのだ。
「神官様には悪いことをしたけど、あの時は必死だったの」
 勿論、あの件では周囲に多大なる迷惑をかけたと自覚しているし、反省もしている。それでも、後悔したことは一度もない。
「好きでもない人と結婚するなんて、まっぴらごめんだもの」
 力説するカリーナに、うんうんと分かったような相槌を打ってみせた少女は、まだ結婚の概念どころか恋心さえ理解していないだろう。
「恋する乙女は最強なのよ。敵に回したらいけないの」
 不敵な笑みで断言すれば、背後から咳払いが響いてきた。
「カリーナ、何の話をしているんだい?」
「あら、あなた。マリオも早かったわね」
 満面の笑顔で振り返るカリーナに続けて、少女も歓声を上げる。
「らうっ! おかえりっ!」
「何やってんだ、お前」
「母さん、なんでここにいるの?」
 呆れ顔の面々に、あらあら、と憤慨してみせるカリーナ。
「柵の補修作業で疲れてると思って、昼食の差し入れを持って来たついでに、お留守番のおちびちゃんと昔話をしていただけよ?」
 示してみせた机の上には、確かに大きな籠が置かれている。
「ごはん! はやく、たべたいっ!」
「だったら準備を手伝え!」
「あ、僕も手伝いますよ」
 賑やかに台所へと向かう彼らを見送って、村長は愛する妻を振り返ると、やれやれと肩をすくめてみせた。
「カリーナ、おちびちゃんに妙なことを吹き込まないでくださいよ。私がラウルさんに叱られるじゃないですか」
「あら、いけない? おちびちゃんだっていつかは恋をするでしょう。その時、周囲の言葉に流されて自分の気持ちを無視してしまったら、一生後悔するんだから」
「だからと言って……」
 眉根を寄せる夫にずい、と顔を寄せ、にんまりと笑う。
「私は一度だって、後悔してないわよ?」
「……私もですよ」
 華奢な背中に腕を回せば、躊躇いもなくぎゅっと抱きついてくる細い腕。
 あれから十数年。まだ、この夢は醒めないままだ。
「また敬語に戻ってる。それ、やめてって言ってるのに」
「すいませんね。あなたと二人でいると、昔に戻ったようで」
「じゃあ、昔みたいにヒューって呼びましょうか?」
「二人だけの時なら、喜んで」
「……お二人さん。そういうことは自分の家でやってくれ」
 飛んできた冷ややかな声に、しかし二人は慌てふためくこともなく、悠然とやり返す。
「悔しかったら早いところお相手を見つけてくださいね」
「そうそう。ラウルさんもエストに骨を埋めましょうよ」
 息の合った返答に、げんなりと手を振るラウル。
「ご馳走様! 一生やってろ!」
「勿論、そのつもりですよ?」
 真顔で返されてしまったら、ぐうの音も出ないではないか。

 結論。恋する二人は最強だ。敵に回してはいけないのだ。