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第二章[3]

 高台から見下ろすローレングの街並みは、まさに大迷路のような入り組んだ作りになっていた。これじゃ地図があっても迷うはずだよな、と改めて納得したラウルは、風が強くなってきたのを感じて窓を閉め、部屋の中央に置かれた椅子に戻る。
 ファトゥール城にやってきてから、もう半刻ほど経過していた。案内を終えたドゥルガーはさっさと帰ってしまい、取次ぎの間こちらでおくつろぎ下さいと小部屋に通されてから、ずっと暇を持て余している。
 暇つぶしにと応接間を見回せば、置かれた家具や美術品の数々は素人目に見ても値が張るものばかり。この革張りの椅子なども足や肘掛の部分に精緻な彫刻が施してあり、座るのが憚られるほどだ。
 どう見ても、ここは貴人専用の応接間だ。こんなところでおくつろぎ下さいと言われても、くつろげるはずがない。
「参ったなあ……」
 流石に足が疲れていたので遠慮なく椅子に腰掛けさせてもらい、ラウルは重いため息をついた。どうにも、こういう雰囲気は苦手だ。こうも高そうなものが並んでいると、壊しやしないかとつい心配になってしまう。何しろ、無造作に並べられた絵皿一枚が金貨何十枚、ものによっては何百枚というのだから、芸術に興味のないラウルにとってはまさに理解不能な世界だ。
 そんな豪華絢爛な部屋の中でも、特に目を惹く絵画があった。壁に飾られたそれは、一人の少女を描いた肖像画。
 夕焼けのような不思議な色合いの髪を優雅な形に結い上げ、薔薇色の頬や艶やかな唇は瑞々しさと愛らしさを存分に現している。豪奢な衣装に身を包み、宝玉の如き紫の瞳でラウルを見降ろしているのは、この国で最も愛されている少女。
「ローラ王女、か。なるほど、確かに美人だな。この絵がきちんと真実を描いてるなら、の話だが……」
 本人や城の者が聞いたら激怒しそうな、極めて不敬な感想を呟きつつ、ラウルはまじまじと肖像画を見つめる。
 描かれた少女は確かに美しかった。それもただ可愛らしいだけでない。強い光を宿した双眸は、絵画であっても人を圧倒する力を持っている。気高さと芯の強さを秘めたそれは、王女がただの飾り物ではなく、王者の風格を備えた人物であることをありありと表現していた。これなら彼女を次期国王に推す者がいるのも納得だ。
 下に小さく記された日付は、恐らくこの絵が描かれた日を示しているのだろう。それによればこれはおよそ二年前、十三歳の頃の姿だ。
「うまく育ってりゃ、今頃は相当な別嬪さんだな」
 もしかしたら、謁見の際に一目なりともその姿を見る機会に恵まれるかもしれない。そう考えて思わずにやつくラウルの耳に、扉を叩く音が聞こえてくる。
「失礼いたします」
 入ってきたのは、先ほどラウルをここまで案内してくれた若い兵士だった。
「国王陛下がお待ちです。どうぞこちらへ」


 色違いの大理石が織り成す幾何学模様の床。高い天井まで伸びた白い柱には精緻な装飾が施され、遥かな天窓から降り注ぐ日の光は色硝子を通り抜けて、鮮やかに彩られている。
 謁見の間に一歩足を踏み入れるなり、ラウルはその豪華絢爛な作りに眩暈すら覚えた。
(金かかってんなぁ……)
 とはいえ、それが下品に見えない辺りはさすが伝統ある王家の居城である。
 動揺を隠し、緊張の面持ちでもう一歩足を踏み出したその時、遥か遠くから賑やかな声が響いてきた。
「おお、お主か。我が国の民を恐怖から救ってくれた英雄は!」
(……へ?)
 思わず声のした方を見ると、玉座のすぐそばに一人の男が立っていた。満面の笑顔を浮かべたその男は、後ろに控えた近臣らが慌てふためくのにも構わず、一目散にラウルへと歩み寄ってくる。
 小柄な体を毛皮で縁取られた真紅の外套に身を包み、薄くなりかけた頭にきらびやかな王冠を載せた中年の男。彼こそ、ローラ国王ヴァシリー三世その人であった。
 ずんぐりした体型からは想像できないほどの俊足でラウルの目の前までやってきた国王は、目を丸くして立ち尽くすラウルの手を両手で握り締めながら言葉を続ける。
「ハルマンから報告を受けた時は、目が飛び出るかと思ったわい。卑しき影の使徒どもが世界の破滅を目論んでいたことだけでも驚いたものを、それをたった一人の神官が阻止したというのだから二度びっくりだ。いやはや、良くやってくれた。ワシからも礼を言わせてくれ」
「は、はあ……」
 余りにも予想外な国王の人となりに、そう答えるのがやっとだった。その頃になってようやく追いついてきた近臣達が、顔をしかめて王を諌めにかかる。
「陛下!」
「なんですか、落ち着きのない。ほらごらんなさい、神官殿が目を剥いておられますぞ」
「ささ、どうか玉座にお戻りくださいませ」
 臣下の言葉に顔をしかめてみせる国王。
「別にわざわざあんな椅子に座らんでも構わぬだろう。なあ? 神官よ」
「え、いや、その……」
 唐突に話を振られておたおたするラウルを見かねて、近臣達が一斉に国王へとつめ寄っていく。その様子たるや、まるで悪戯をしでかした子供をこっぴどく叱らんとする親達のよう。とてもではないが、国王と臣下のやり取りとは思えない。
「陛下! いい加減になさい!」
「そのようなことでは、陛下のご威信に関わりますぞ」
「宰相の言う通りです。さあさ、玉座へ……」
「しかしなあ、人に感謝するのに頭の上からでは、ちっとも気持ちが伝わらんだろう?」
「王には王なりの、礼の尽くし方というものがございます!」
 尚もごねる王を、とうとう力づくで玉座まで引っ張っていく近臣達。
(……なんか、想像と違うな……)
 王様というのはもっと、偉そうにふんぞり返っているものだと思っていた。そしてその臣下というものは王の機嫌を取るのが仕事だとてっきり思っていたのだが。
 呆れ返るラウルの前でようやく玉座に腰を降ろし、ずれた冠の位置を直して体裁を取り繕ったヴァシリー三世は、ごほん、と咳払いをしてラウルを見た。
「すまん。嬉しさの余り、ついはしゃぎ過ぎた」
 まずそう言い訳をして、国王はラウルを手招きする。
「そこではろくに顔も見えんからな。近くに参るがいい」
「は……」
 立ち上がり、招かれるままに玉座へと歩み寄る。どこまで近づけばいいもんか、と思案しながら歩いていくと、一段高くなった玉座のすぐ目の前に来るまで王は招く手を止めなかった。
 そうして、お互いの顔色まではっきりと窺える距離で、国王はにっこりと人懐こい笑みを浮かべる。
「ワシがローラ国王ヴァシリー三世じゃ。なに、国王とはいえただのじじい、そう畏まらずともよいぞ。楽にせい」
 そうは言われても、まさか国王の前でだらけた態度を取るわけにも行かない。強張った表情のラウルに、彼は続ける。
「ハルマンから報告は受けた。お主はこの国を救ってくれたも同然。いわば、救国の士というわけじゃ」
「いえ、そのような……」
「謙遜せずともよい。お主にその気がなかったとして、結果人々を恐怖から救ったことに変わりはないのじゃ。とはいえ一連の事件を国民の前で発表するにはユーク神殿としても色々と不都合があるじゃろうて、このことは国民には伏せてある。お主の働きを世間に知らしめることが出来ぬは真に残念じゃが……」
 心底残念がっている国王に、ラウルは慌てて首を横に振った。
「私はユークに仕える者として使命を果たしただけです。人々から賞賛を得ようとして行ったことではありません。むしろ、この事件で人々の心に巣食う影について、改めて思い知らされました。これを教訓に、これからも一層の修行に励む所存でございます」
 久々に被る猫は今のところ好調だ。殊勝なラウルの態度に、国王だけでなくその側近達、そして広間を守る近衛兵達もが歓声を上げる。
「……なんと崇高な志を持った神官だ」
「なるほど、流石は影の神殿と単身渡り合っただけのことはある……」
 辺りから聞こえてくるそれら賞賛の声に、ますます居たたまれなさを感じて冷や汗を掻くラウル。そんなラウルに、国王は尚も言葉を続けた。
「お主の功績に報いるにはとても及ばぬが、せめて今晩は宴を催させてくれ」
 その言葉に、後ろに控えていた側近達が色めき立った。
「陛下! このような時期に宴など、もっての他ですぞ」
「そうです、今夜は……」
「何を言うか。遠方よりわざわざ出向いてもらった彼をもてなすことも出来ぬとあっては、それこそワシの威信に関わるわ」
 先ほどまでの温和な表情とは打って変わり、厳しい視線と言葉で側近達を黙らせると、国王は再びにっこりと笑みを浮かべてラウルを見る。
「今宵は城に滞在して、旅の疲れを癒すといい。そして、あの地で起こった全てを語ってくれまいか。ワシにはそれを知る義務がある」
 その笑顔の中に施政者としての真摯な姿勢を感じ取り、ラウルは表情を引き締めて頷いた。
「承知いたしました」
「では決まりじゃな。今宵は宴じゃ!」
 ほくほく顔で国王がそう宣言したちょうどその時、広間の扉が開いてハルマンと、そして先ほど城の入り口で別れたドゥルガーが入ってくる。馴染みの顔を見た国王は彼らへときさくに言葉を投げかけた。
「おお、ハルマン達か。ちょうど良いところに参ったな。今宵は宴を催して彼を労おうと思うのじゃが、勿論お主らも出席してくれるな?」
「陛下のお言葉とあらば、断れませんな。しかし、よいのですか? 今宵は例の……」
 確か、さっきも側近がそんなことを言っていた。一体何のことだろう、と思ったのが顔に出ていたのか、国王はなあに、と笑う。
「お主もここまで来る間に聞き及んでおるのではないか。初代ローラ姫の遺した物ばかりを狙う怪盗の話を」
「はい、確かに道中で何度か耳にしました。まだ捕らえられていないと聞きましたが」
 その言葉に、国王は渋面を作る。
「そうなのじゃよ。わが国の守備隊は優秀な兵士を揃えておるのじゃが、彼奴はそれを嘲笑うかのように警備の目を掻い潜り、あまつさえ人を小馬鹿にしたような予告状まで寄越してくる始末じゃ」
 そこまで聞いて、ラウルは先ほどシルビアに聞いた話をようやく思い出した。
――しかも今度の目標は、ずばり「王女ローラ」その人だっていうんだから――
 初代ローラ姫の血を受け継ぐ王女ローラをいただきに、怪盗はやってくる。それも、恐らくは――。
「予告状によれば、満月の夜、月が最も光輝く刻に、王女ローラを狙って奴はやってくる。そして今宵こそがその満月の夜なのじゃ」
 まったく、予告状まで気障な奴じゃ、と憤慨している国王を横目に、ラウルはやれやれ、とこっそりため息をついた。
(よりにもよって、とんだ時に来ちまったなあ……)
「しかし、この城は蟻の子一匹通れぬ厳重な警備を敷いておる。王女をみすみす怪盗などに連れ去られてたまるものかよ」
 自信満々に言ってのけた国王は、だから、とラウルに頷いてみせた。
「お主は安心して、宴を楽しんでくれ。久々の宴じゃ、我が子供達も喜ぶじゃろうて」
「陛下! 何を仰っておいでです!」
「奴が約束の時を守るとも限りません。お二人の身に何かあったら……」
 再び悲鳴を上げる側近達を手で制して、国王はにやり、と笑ってみせる。
「なに、万が一宴の席に怪盗が乱入したとして、こちらにはあの影の神殿さえ退けた英雄がいるんじゃ、心配はいらぬよ。なあ?」
 ぱちり、と片目を瞑られて、ラウルは何も言えずにひきつった笑いを浮かべるのみだった。

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