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第二章[5]

 急な宴であったにも関わらず、夕刻から開かれた晩餐会には筆頭公爵をはじめとする錚々たる顔ぶれが集結していた。
 とはいえラウルには全く馴染みのない、名前すら聞いたこともない人間達だ。挨拶をされてもただひたすらに愛想笑いを浮かべて対応するしかない。
 そんなお歴々はというと、一様に惜しみない言葉をラウルへと投げかけてきた。なかでも今は亡き第一王妃の弟にあたるノレヴィス公爵や近衛隊長ヴァレルなどは何かにつけラウルを褒めちぎるものだから、あまりの恥ずかしさに一刻も早くこの場から立ち去りたい心境だった。しかし、巷で評判の美姫を拝める滅多にない機会である。これを逃がす手はない。
(肖像画通りの美貌なのか、ぜひとも確かめたいところだもんな)
 そう思ってひたすら彼らとの会話に耐え忍び、王女の登場を今か今かと待ちわびていたラウルだが、結局のところ気分が優れないことを理由に王子も王女も宴には顔を出さなかった。
 それが分かったところですっかり意気消沈したものの、だからといって宴の主役が早々に退席する訳にも行かない。食事や酒、そして楽師達の演奏などを楽しみながら過ごし、そうして辺りが一度落ち着いたところで、国王が促すまま彼は語った。一連の事件の顛末を。
 都合の悪いところは一切伏せたものの、丁寧に事の経過を追って話すラウルに、集った面々は真剣な面持ちで耳を傾け、話し終えた後は改めて惜しみない賞賛を送った。
「貴殿はまさに英雄であるな」
 誰かがそう言ってくるのを受けて、ラウルは静かに首を横に振ってみせる。
「いいえ。私一人では到底成し得ないことでした。数多くの仲間に支えられて、ようやく掴んだ未来です。その言葉は、どうぞ私ではなく彼等に贈って下さい」
 その言葉に益々沸いた宴の席は、月が空高く昇り、星々が夜空を彩るまで続けられたのだった。

 妙なる楽の音に耳を傾けつつ、酒杯をゆっくり傾ける。滅多に飲めない上等の林檎酒は味もまたこの上なく上品で、どうにも飲んだ気がしない。
(もっと強い酒の方が好きなんだがなあ)
 などと呟きつつ、辺りをそっと眺めまわす。すでに夜も更け、広間に集った者達も半分ほどが退席をしていた。先ほどまでラウルの隣にいたハルマンやドゥルガーも、夜の礼拝を理由に席を辞している。
「楽しんでもらえたかのう?」
 ふと隣からそんな声がかかり、ラウルは慌てて居住まいを正す。いつの間にやってきたのか、手に硝子の杯を持った国王がにこにことラウルを見つめていた。
「は、はい、陛下」
 畏まるラウルによいよい、と手を振って、国王は空いていた隣の席に腰かける。
「年寄りばかりの宴になってしもうて、退屈じゃっただろう。すまなんだな」
「いえ、滅相もない」
 ローラ姫を拝めなかったのは残念だったが、料理も酒も最高に美味かったし、誰もがラウルを温かく迎えてくれた。何しろ、急なことで一番割を食っているはずの召し使い達もが皆ラウルに好意的で、城全体が彼を誠心誠意もてなそうとしてくれている気持ちが十分に伝わってくる。
(きっと、この人が王様だからなんだろうな)
 人懐こい笑みを絶やさない国王。そんな彼が治めているからこそ、この城だけでなく、国全体がこんなにも穏やかな空気に包まれているのだろう。まるで春の陽だまりにいるような、長閑な時間の流れる国。ローラ国とはまさに、牧歌的な理想郷そのものだ。
「して、神官よ」
 ふと国王が改まった口調で言ってくるので、ラウルは極めて真面目な顔を取り繕う。
「なんでしょう?」
「お主、年はいくつじゃ」
「……今年で二十七になりますが、それが何か?」
 余りにも唐突な質問に首を傾げつつ答えると、国王はそうか、と顎を掴む。
「うーむ、少々離れてはおるが、まあ問題はないかの」
「あの……?」
「わが娘ローラはもうすぐ十五になる。そろそろ相手を探さねばと思っておったんじゃが……」
 にやぁ、と笑う国王に、ラウルは一瞬目をまん丸にし、そして冷や汗を掻きながら言い繕った。
「も、申し訳ございませんが、私は神にこの身を捧げておりますので……」
 神官が結婚してはならないという規則はないのだが、実際神に生涯を捧げ、独身を通す神官は多い。しかしラウルは結婚願望こそ極めて希薄ながら、神に一生を捧げる気などこれっぽっちもなかった。
 とはいえ、まだ一人の女に縛られるつもりなど更々ない。ましてそれが一国の王女とあらば尚更だ。
 こういう時、「神に捧げた身」云々は都合のいい言い訳になる。まあ、ドゥルガー辺りが聞いたら頭から火を吐きそうな台詞ではあるが。
「なんじゃ、つまらんのう」
 さも残念そうに肩をすくめてみせる国王。そして、ラウルの背中をばんばんと無遠慮に叩く。
「お主はほんに欲のない男じゃな。全くもって、神官にしておくのは惜しいというものじゃ」
 陽気に笑う国王に、こちらはひきつった笑いを浮かべるラウル。と、近くの扉が開いて兵士が一人、二人の元へ走り寄って来た。
「失礼いたします。陛下、そろそろ……」
「む、そうか」
 途端に表情を引き締め、国王はすっくと立ち上がると、その小柄な体からは想像もつかないほど大きな、そして張りのある美声を響かせた。
「さあて、夜も更けてきた。楽しい宴であったが、何事にも終わりはつきまとう。それを告げて皆の者を落胆させる役どころにもそろそろ飽きてきたぞ。まっこと王とは損な役回りじゃな」
 どっと湧き上がる笑い。ラウルも苦笑を浮かべつつ、ふと街で囁かれているという後継者争いの話を思い出す。
 国王の具合が悪いという辺りはどうも流言飛語のようだが、王位を譲ろうとしているのはあながち噂だけではないのかも知れない。言動や身のこなしは若々しいものの、国王は六十にほど近い。そろそろ隠居してもおかしくない年齢だ。とはいえ遅くに授かった子供達が共に二十歳を越えていないのでは、まだ本格的な後継者選びには時期尚早と言ったところだろうか。
「はてさて、嫌な役目はとっとと終わらせるに限る。宴はこの辺りでお開きとしようではないか。あとはそれぞれ、夢の中で宴の続きを楽しむがよいぞ」
 茶目っ気のある台詞を残し、国王は兵士と共に広間を去っていった。両開きの扉が閉じ、辺りが動き出すのをゆっくりと眺めつつ、ラウルもまた椅子から立ち上がる。
 その頃には広間に残っていた人々も三々五々散っており、待ち構えていた召し使い達がせっせと片付けを始めている。彼らの邪魔をしては悪いと足早に広間を出ようとした矢先に、一人の侍女がラウルを見つけて小走りにやってきた。
「神官様、少しだけお耳をよろしいですか」
 人目を気にしながらそう言ってくる侍女に、ラウルは首を傾げつつも頷く。侍女は素早くラウルに近づくと、背伸びをしてその耳に囁いた。
「闇の三刻、東の渡り廊下、三本目の柱にてお待ちしております」
「は?」
 思わずそんな声をあげるラウルに、侍女は訳知り顔で、
「故あって名は明かせませんが、とある高貴な女性からの伝言でございます。確かにお伝えしました。それでは失礼いたします」
 とだけ言うとぺこりと頭を下げ、あっという間に走り去っていった。
「な、なんなんだ……」
 残されたラウルは呆然としながらも、耳元に囁かれた伝言を頭の中で反芻する。
『闇の三刻、東の渡り廊下、三本目の柱にてお待ちしております』
 お待ちしています、と言われても、相手が誰だか分からないのでは少々気味が悪い。まして闇の三刻といえば真夜中もいいところではないか。
(……大体、東の渡り廊下なんて言われてもどこだかさっぱり分からないぞ)
 これから与えられた部屋に戻るだけでも一苦労だというのに、そんな皆目見当のつかない場所を指定されても困る。
「参ったな……」
 口ではそう言いつつ、楽しげに瞳を輝かせながらラウルは広間を後にした。

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