第三章[9]
 旧街道の終点、セイシェルの森にほど近いセヴィヤの町に辿り着いたのは、五の月も終わりに差し掛かった頃だった。
「らうっ! あれなに?」
 先頭を歩いていた少女が指し示したのは、煉瓦色の城門から続く長い人の列。門の左右には強面の衛兵が立ち、行列に鋭い視線を投げかけている。その物々しい光景に、残りの二人もおや、と首を傾げた。
「町へ入るために並んでるのかな?」
「それにしちゃ随分と長くないか。これじゃまるで国境の関所だぜ」
 新緑の森を背景にそびえる堅固な城壁が、余計に緊迫した雰囲気を醸し出している。かつて城塞都市として機能していたセヴィヤの町は、首都に次ぐ守りの堅さで有名だ。そしてこの町にはもう一つ有名なものがあるのだが、彼らがそれを知っていたならば、この行列の意味も理解できたことだろう。
「きっと、怪盗騒ぎのせいなのだろうな」
 呟く王女の表情は暗い。ここまでにも各地で警備隊の取調べが行われていたが、これほどの行列は初めて見た。これまではうまく切り抜けられたが、そろそろ限界かもしれない。
(こんなことになるとは……)
 彼らが北を目指していることが知れたのか、このところ旧街道は俄かに騒がしくなっていた。街道沿いの集落には警備隊の姿が目立つようになり、迂闊に立ち寄れなくなってきている。
 それだけならまだしも、先日立ち寄ろうとした町ではなんと、怪盗が王女ともう一人、幼い少女を連れていることが知れ渡っていた。どこからそんな情報が出てきたのか知らないが、なまじ真実をついているだけに笑えない。
(このままでは正体がばれるのも時間の問題だ。何とかしないと……。それに、一体誰がそんな情報を……?)
 自然と足取りが鈍くなる王女の耳に、ふと飛び込んできた少女の喚声。
「るふぃーり、おなかすいたっ!」
 顔を上げれば、傍らでぴょんぴょんと飛び跳ねて主張する少女の姿があった。呆れ顔の青年を前に、少女はしきりと同じ台詞を繰り返している。
「おまえな、さっき食ったばっかりだろうが」
「だってぇ~」
 僅かばかりのパンと干し果実の朝食では、とても足りなかったのだろう。頬を膨らませる少女と、その頬をつついて遊んでいる青年の様子に、王女は思わず笑みをこぼした。
(この二人が一緒で、本当に良かった……)
 神職に就く者でありながら妙に世渡り上手な「用心棒」ラウル。そして、その場にいるだけで雰囲気を和ませてくれる「妹」ルフィーリ。この二人がいなければ、王女は道半ばで力尽きていたかもしれない。予想外の状況に当惑し、ただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかっただろう。
 計画を思いついた時は、城さえ抜け出せればあとは一人で何とかなると思っていた。しかしこの道中で、それがいかに浅はかな考えだったかを痛感した。そして同時に知った、世界の広さと深さ――。 (この世界には、私の知らないことがたくさんある)
 城に戻れば、再び自由の利かない身になる。ならば今は目を瞠り、耳を澄ませて、全身で世界を感じよう。この旅の最中に起こったこと、出会ったもの、たくさんのものを心に刻み込んで、そして城の皆に話して聞かせるのだ。世界中のどんな本にも書かれていない、自分だけの冒険譚を。
(そう言えば……)
 父王のひょうきんな笑顔を思い出し、左手首にはめられた腕輪をそっと撫でる。カチコチと響く微かな音。十歳の誕生日に父王が贈ってくれた魔法仕掛けの腕時計は、今日も正確に時を刻んでいる。
(父上はどうしておられるだろう。どうして……)
 あの日、侍女に託した父宛ての手紙。詳しい事情こそ書き記さなかったものの、あれが父の目に入りさえすればこんな騒ぎに発展しないはずだった。何かの事情で父の手に渡らなかったか、それとも手紙さえもが怪盗による捏造と思われたか。
(メアリアは――)
「ろーらぁ」
 呼びかけられて、はっと顔を上げる。いつの間に正面に回りこんだのか、そこにはこちらを覗き込むような新緑の双眸があった。
「ろーら、どっか、いたい? くるしい? おなかすいた?」
 先ほどから俯いてばかりの「姉」を心配したのか、そう問いかけてくる少女。何でもない、と首を振ってみせると、少女はぱっと笑顔になって、
「るふぃーりは、おなかすいた~」
「分かったわかった」
 苦笑して、駄々っ子のように繰り返す少女を宥めようと手を伸ばす。そんな王女の背中を叩いて、ラウルは行列の最後尾を示してみせた。
「ひとまず並ぶぞ。ここで食糧を調達しないとな」
 三日ほど前に仕入れたばかりの食糧は、すでに底をつきかけている。野宿が続いているせいもあったが、一番の原因は小さな大食漢の存在だった。
「らうっ! ごはんっ」
「町に入ったらな。それまで我慢しろ」
「らうっ。るふぃーり、がまんする♪」
 喜びの声を上げる少女の手を引いて、列の最後尾につく。列はゆっくりとではあるが、確実に進んでいる。この分ならそう待たずに町へ入ることが出来るだろう。
あくまでも入れたら、の話だが。 「ごはん~♪」
「こら、我が妹! じっとしてなきゃダメだぞ」
「お前らな……」
 落ち着きのない少女二人の首根っこを押さえ、ラウルは小声で釘を刺した。
「いいか、くれぐれも妙なことを口にするんじゃないぞ。その『我が妹』もやめろ、田舎芝居じゃねえんだから」
「分かった」
「らうっ!」
 返事だけは良い二人に嘆息しながら、前の人間に続いて歩を進める。前方から聞こえてくる衛兵の声は相当になおざりなもので、あの様子なら通り一遍の検査だけで済むかもしれない。
「らう、きょう、こことまる?」
 期待のこもった瞳で訪ねてきた少女に、ラウルはさあなと呟いた。ここ数日は野宿が続いており、口には出さないものの、少女らが疲弊していることは重々承知している。出来ればこの町でゆっくり体を休めたいところだが、状況如何によってはそれも叶わないだろう。
「とにかく食料の調達が最優先だ。あとは成り行き次第だな」
「ぶぅ~。るふぃーり、おふとんで、ねたい~」
「どうせはみ出すんだからどこで寝たって同じだろうがっ」
 そんな二人のやりとりに口を挟もうとして、ふと王女が眉を潜めた。
「ん? どうした」
「見てみろ」
 列から顔を覗かせた瞬間、衛兵に突き飛ばされるようにして列から弾かれる旅人の姿が目に飛び込んできた。それも一人ではない。立て続けに三人ほど、槍を構えた衛兵に追い立てられるようにその場を離れていく。
「別段怪しげでもないのに、どうして駄目なのだろう?」
 王女の言う通り、今また一人追い返された旅人は、どうにも冴えない風体の青年だった。武器も帯びていないようだし、見るからに頼りない感じで、町への出入りを禁じられるような危険人物には到底思えない。
「黒髪ってわけでもないしな。じゃあこれって、怪盗騒ぎで出入りが厳しくなってるわけじゃないのか」
「そうみたいだな。あ、まただ。今度は女の人だぞ?」
「どれどれ……お、別嬪さんじゃないか。なんで追い返すんだ、勿体ない」
「らうっ!!」
「だっ……いってぇな、何すんだ!」
 そんな会話を交わしているうちに、ようやく彼らの順番が巡ってきた。
「次の者……旅人、三名だな」
 門の左右に立った衛兵達は、まず三人を頭の天辺から足の先までじろじろと眺めた後、型通りの質問を投げかけてくる。
「名前と職業、旅の目的は」
「ラズ=ウルク、見ての通り旅の剣士だ。今は護衛の仕事をしてる。こっちはローラとルフィーリ。今はこいつらをエンリカにいる遠縁のところへ送っていく途中で、休憩と食糧の補充を兼ねてここに寄ろうと思ったんだが」
 すらすらと答えるラウル。これまでに幾度も繰り返された問答なだけあって、その言葉には淀み一つない。
「そうか」
 気のない相槌を打って、行ってよしと促す衛兵。そそくさと歩き出した三人だったが、
「――待て」
 もう一人の衛兵から呼び止められ、ラウルは内心ドキリとしながらも、迷惑そうな顔を作って振り返った。
「なんだよ、まだ何かあんのか? 疲れてんだから早くしてくれよな」
 そんなぼやきには取り合わず、すい、と手を伸ばしてくる衛兵。それは思わず身を固くする王女を素通りして、少女の前でぴたりと止まった。
「らう?」
 きょとんとする少女の髪をかき上げた次の瞬間、彼らの顔に緊張が走る。そして、
「立ち去れ!」
「??」
 眼前に迫った鋭い穂先。きょとん、と目を瞬かせる少女の襟首を引き寄せながら、ラウルは衛兵を睨みつけた。
「おい、ちょっと待てよ。こいつが何をしたってんだ?!」
「だから、その子供を入れることは出来ないと言っている!」
 まるで汚らわしいものでも見るような目つきの衛兵達に、それまで黙っていた王女が口を開く。
「なぜ我々は良くてこの子は駄目なんだ。きちんと説明をしてくれなければ納得できないぞ」
 落ち着いた、しかし怒りのこもった声音に怯んだ様子を見せながらも、衛兵は厳しい表情で繰り返した。
「とにかく駄目だ。この町は、森人の血を継ぐ者を入れない決まりになっている。分かったらほら、さっさと行け!」
 犬でも追い払うかのように手を振る衛兵に、揃って首を傾げる三人。――と。
「ああ、そういうことか」
 途端にそれまでの怒気を引っ込め、少女二人を引っ張るようにしてそそくさとその場を離れていくラウル。
「用心棒、どういうことだ?」
「らう、るふぃーり、いけないこと、した?」
 少女らの問いかけには答えず、ただ黙々と進む。その足が止まったのは、城門から少し離れたところにそびえた木の根元だった。
「ここならいいだろう」
 そう呟いて木陰に腰を下ろたラウルは、落ち着かない様子の少女達に眉を潜める。
「なにやってんだ、座れよ。メシにしようぜ。確か最後の干し肉が……」
「用心棒、その前に教えてくれないか。なぜ……」
「ああ、そうだな」
 荷解きを中断し、少女を手招く。そして飛びついてきた少女を膝の上に乗せると、ラウルはその柔らかにうねる金の髪をかき上げてみせた。
「! そうか、そういうことか……」
 思わず息を飲んだ王女に、ラウルはその通り、と頷いてみせる。一方、まだ事態を理解していない少女は、ラウルと王女とを交互に見つめて、そおっと耳を押さえる。
「らう? るふぃーりのみみ、おかしい?」
「いや、おかしくなんてないぞ。そうか、我が妹には森人の血が流れているのだな。今まで全然気付かなかった」
「もりびとのち?」
 小首を傾げる少女。そう、彼女の変身術が未熟なのか、それとも竜族が人の姿を取ると必ずそうなってしまうのかは定かではないが、少女の耳はわずかに尖っていた。そしてその形は、森人と人間との間に生まれた混血児の特徴に極めて酷似している。
「いや、その、こいつも自覚がないらしくてな、俺もすっかり失念してた」
 慌てて誤魔化すラウル。そして間髪入れずに少女を見据えると、声には出さず念を押す。
(いいから黙っとけ。あとで説明する)
 有無を言わせぬ物言いに、不満げな顔ながらも肯定の意思を返す少女。そして、ラウルのいい加減な説明で納得したらしい王女は、しかし、と眉根をひそめた。そう、問題は少女の耳ではなく――。
「どうして森人や混血児は町に入れないんだろう?」
「仕方ないよ」
 突然降ってきた軽やかな声に、びくっと体を震わせる王女。
「誰だ!?」
 慌ててその場から飛びのきつつ、声の出所を探る。そして遥か頭上、木漏れ日の中に一人の少年を発見した王女は、おやと目を細めた。
「五百年以上も前から、そういう決まりになってるんだ」
 大人の腰周りほどもありそうな枝に腰かけて、親しげな笑顔を向けてくる少年。埃にまみれた服装、そして手に小ぶりの竪琴を抱えているところからして、旅の吟遊詩人というところだろう。そしてその緑がかった髪から突き出た、すんなりと長い耳――。
「森人か!」
 その言葉に、にこりと笑ってみせる少年。いや、森人の年齢は外見から推し量ることが出来ないから、もしかしたらラウルよりも遥かに年上かもしれない。
 そんな彼はよいしょ、という掛け声と共に枝から飛び降ると、三人の目の前に座り込んだ。そして、頼まれもしないうちからぽろぽろと竪琴を爪弾き始める。
「わぁ♪」
「綺麗な音だな」
 流れ出した軽妙な音楽に目を輝かす少女達。しかしラウルだけはそんな彼の様子を用心深く眺めながら、ゆっくりと口を開いた。
「あんたも追い返された口か」
「ううん、入れないのは分かってたからね。ここで仲間を待ってるんだ」
 彼の仲間達は町で食料の調達を行っているという。その仲間についてつらつらと話し始めた少年に、ラウルは苛立ちをぐっと押さえこみながら問いかけた。
「そんなことを聞いてるんじゃない。何でだってそんな決まりが――」
「"ヴァダー・ドラクゥ・テルング"」
 聞き慣れない言葉は、どこか物悲しい響きを伴っていた。首を捻るラウルと少女の横で、ただ一人その意味を解したらしい王女がポンと手を打つ。
「そうか、あれはこの辺りの話だったのだな」
「なんだ?」
「アイシグ――北大陸語だ。しかも古語の方だな。共通語にすると『水竜の伝説』になる」
「竜!?」
「りゅう?」
 図らずも声を揃える二人に、王女は目を瞬かせながらもそうだ、と頷く。
「小さい頃に本で読んだことがあるが、てっきりただの御伽噺だと思っていた」
「うん、みんなそう思ってるみたいだね。かくいう僕も最近知ったんだけどさ」
「だから、どんな話なんだよ? っていうか、なんでその『水竜の伝説』が森人を町に入れないことと関係してるんだ」
 森人は西大陸を起源にした長命の種族である。華奢な体躯と長く尖った耳が特徴的な彼らは、森の中に集落を作って暮らしている。他種族との交流を避ける傾向にある彼らは、森を荒らす人間達としばしば対立することがあった。
 そういった軋轢が生み出した決まりごとならともかく、と首を捻るラウルに、吟遊詩人は肩をすくめてみせる。
「僕も詳しいことは知らないんだけど――伝説っていうのはこうさ」

 昔々、とある深き森に
 それは美しい娘が暮らしていたという
 黄昏の森の乙女 そは かぐわしき一輪の薔薇

 乙女に恋焦がれた男は星の数
 とろけるような笑みに 銀鈴の如き歌声に
 何より美しいその姿に 誰もが心奪われた
 されども彼女は微笑むだけ
 手折ること叶わぬ 麗しき花
 失意の涙は大河に注ぎ
 眠れる竜を目覚めさせん……


 肝心な部分に差し掛かったところで急に手を止めた吟遊詩人は、不満げな少女達の顔にごめんよ、と肩をすくめてみせた。
「これ以上弾くと、あそこの兵隊さんになにを言われるか分からないからね」
 振り返れば、先ほどラウルらを追い返した衛兵がこちらを睨んでいる。吟遊詩人は竪琴を傍らに置くと、今度は小声で続きを語り始めた。
「男達にこれほどの涙を流させた森人の娘とはどのような者か、気になった竜は青年の姿に化けると、旅人を装って森を訪れた。青年は娘の姿を見て一目で恋に落ち、二人は恋人同士となった。そうして二人は城塞都市セヴィヤ――当時は小さな都市国家だったらしいよ――そこに居を構え、ごく普通の人間として暮らし始めた」
 ここまでは、至極ありふれた物語に思われた。幻獣や精霊が人間の姿に化け、清純な乙女や純朴な青年と恋に落ちるといった類の御伽噺は、様々な形で世界各国に溢れ返っている。 「ところが――」
 と、声を落とす吟遊詩人。ごくり、と息を飲む少女二人を前にして、少年はわざとらしく眉根を寄せる。
「ある時、些細なことで水竜の怒りを買ってしまった娘は、水竜が引き起こした大洪水によって町もろとも濁流に飲み込まれてしまいましたとさ」
 おしまいおしまい、とありきたりな文句で話を結んだ吟遊詩人に、難しい顔をして黙りこくるラウルと少女。そして王女はといえば、なるほど、と大きな溜め息をついた。
「私の知っている話とは少し違うが……でも、あの話は真実だったのだな」
「さあ、どうかな」
 あっけらかんと答えて、吟遊詩人は尚も続く人の列に目を向ける。
「物語は物語さ。でも、この辺りが五百年以上前、大洪水に見舞われたのは本当らしいよ。だからあながち『ただの御伽噺』とも言い切れない。そんなわけで、この町は未だに森人や混血児だけじゃなく、おんなじように耳が尖ってる草原人まで一緒くたにして「災いを呼ぶ者」呼ばわりした挙句、ああやって拒絶してるってわけ」
 とんだ言いがかりだよねえ、と同意を求められて、少女は困ったように視線を彷徨わせる。
「おっと、お嬢ちゃんには難しかったかな。ごめんよ」
 優しく頭を撫でられて、途端に笑顔を浮かべる少女。そして吟遊詩人は、ふと真面目な顔をして呟いた。
「全く、馬鹿馬鹿しいことをするもんだよ。精霊の長たる竜族が人に恋をするってだけで眉唾物なのに、そんな伝承を真に受けるなんてさ」
 どういうことだ、と尋ねる前に、吟遊詩人はひょいと行列を指差した。
「お兄さん達は町に入れるから、用事があるなら早いとこ並んだ方がいいよ?」
 見れば、行列は先ほどの倍以上に膨れ上がっている。この調子では、門をくぐるのにも一苦労だろう。
(仕方ないな、俺だけで行くか)
 少女二人を残していくことには一抹の不安を感じるが、ここで食糧を調達できなければ日干しになってしまう。腹が減ったと延々喚き続ける少女の姿を想像してしまい、ラウルは小さく首を振って立ち上がった。
「お前ら、ここで待ってろ。俺一人で行って来る。くれぐれも目立つような真似をしないこと、遠くへ行かないこと。いいな」
「らう」
「ローラ、チビから絶対に目を離すなよ」
「分かった」
 神妙な顔で頷く二人に手を振って、更に長く伸びた列へと向かうラウル。その後姿が行列に吸い込まれるまでを見送ってから、王女はくるり、と吟遊詩人を振り返った。
「吟遊詩人。一つ聞いてもいいか?」
「なに?」
 面白そうな瞳で答える少年の前に改めて座り直し、先ほどの話だが、と切り出す。
「竜が人に恋をするのは、そんなにおかしいことなのか?」
「じゃあ聞くけど、君はずんぐりむっくりとした山人や、自分の掌に乗るような花人に恋愛感情を抱くかい?」
「それは……」
 思わず口ごもる王女。少年は穏やかな笑みを浮かべて続ける。
「同じ人族であっても、種族を越えた愛情というのは芽生えにくい。僕達森人と君達人間との間には結ばれるものもいるけど、それだってごく少数だよ。それなのに、種族どころか存在そのものが異なる者同士が惹かれ合うなんてこと、ありえないと思わない? 例えて言うなら、魚と馬とが恋に落ちるようなものさ」
「う……」
 そう言われてしまうと確かにその通りなのだが、なにか釈然としない思いが込み上げてきて、王女はうーんと腕を組んだ。
「確かにそうかもしれないが、中には変わり者の魚や馬だっているんじゃないか?」
 真面目な顔で言ってのける王女に、吟遊詩人は一瞬目を丸くして、あははと笑う。
「確かに、いないとも言い切れないね」
 でもさ、と少年は傍らの竪琴を手繰り寄せる。
「まず竜そのものが滅多に人前に姿を現さない、気難しい種族のはずなのに、美女の噂を聞きつけてのこのこやって来るなんて、あまりに軽率だと思わない?」
 あまりの言い様に、思わず噴き出す王女。その横では、少女が不思議そうに首を傾げている。
「確かになあ。でも、それを言ってしまったら、物語に出てくる王様や王子様はどうなるんだ? みんな軽率だぞ」
 王女の言葉に朗らかな笑い声を上げて、吟遊詩人は待ってました、とばかりに弦をかき鳴らした。
「こんな王子様もいるからね!」
 そうして歌い出したのは、滑稽な王子の冒険譚。理想の妃を捜し求めて旅に出た王子は、とある国で美姫と誉れ高い王女の噂を聞く。そこで、その麗しい姿を一目見ようと塔によじ登った彼は、賊と間違われて塔の屋根へと追い詰められ、湖へと飛び込む羽目になるのだ。

 錦の服も 金の冠も
 すべては深い湖の底
 ずぶぬれ王子は とぼとぼと
 国へ帰っていったとさ


 陽気な旋律で締めくくり、気取った仕草で礼をする少年。
「素晴らしい歌だった。それほどの腕前なら、宮廷にだって抱えてもらえるだろうに」
 惜しみない拍手に、少年は冗談めかして片目を瞑ってみせる。
「これはどうも、お褒めに預かり光栄です、麗しき姫君」
 思わず頬を引きつらせる王女には気づかず、少年は屈託のない笑みを浮かべて続けた。
「だけど、僕はこうやって空の下で歌うのが大好きなんだ」
 ではもう一曲、と竪琴を構えた吟遊詩人。ところが一小節も弾かないうちに手を止めたかと思うと、きょろきょろと辺りを見回して困ったように頬を掻く。
「どうかしたのか?」
 王女も真似をして周りを見てみたが、先ほどのように衛兵が睨んでいるわけでもなく、曲を中断する要因はどこにも見当たらない。
「吟遊詩人、どうし――」
「あの子がいない」
「!」
 弾かれたように立ち上がり、周囲を見渡す。しかし、穏やかな影が落ちる城壁のそばにも、そして色とりどりの花が咲き乱れる草むらにも、少女の姿を見出すことは出来なかった。
「ルフィーリ!?」