第四章[7]
「おーい!! チビー!!」
「いもうとー! どこへ行ったー!?」
 人気のない街道に、二人分の声が響く。
「おかしいぞ、そんなに先に行ったはずないのに」
「あいつ、どっか隠れてるんじゃないだろうな!?」
 きょろきょろと周囲を見回しながら、街道を進む二人連れ。本来ならばもう一人いる同行者は、陽気に浮かれて走り出し、そして戻ってこない。
「一本道だし、迷うことはないよな?」
「どこの方向音痴だ、そりゃ。あいつは少なくとも、そういう器用さは持ち合わせちゃいない」
 褒めているのか貶しているのか分からない言葉を吐きながら、黒髪の青年はじっと意識を凝らす。
(おいこらチビ! 怒らないから戻って来い!!)
 怒り口調では説得力の欠片もないが、少なくとも喉を嗄らして呼ばわるよりは効率よく伝わるはずだ。いつもならこれで、尻に帆をかけて戻ってくるのだが。
 いくら待っても賑やかな応答はなく、そして少女の姿も見えてこない。それどころか、繋がりあう意識の底に差し込んでくる、あの春のような光が、今はどこにも感じられない。
(おい――ルフィーリ?)
 滅多に呼ぶことのない名を呼んでも、答えはなかった。その事実が、まるで墨をこぼしたかのように胸に染み込んで、その冷ややかな感覚に小さく身震いする。
(馬鹿な……なんで、俺はこんなに動揺してる?)
 虚無の暗闇に囚われたかのような、恐れと焦り。そして心細さ。
 思いのほか打ちのめされている自分が、どうにも滑稽で――。しかしそれを笑い飛ばす余裕もなく、全身を満たす寂寥感に足が竦む。
「……本当に、どこ行きやがった……?」
 突然立ち尽くした青年に、王女が怪訝な顔をして立ち止まった。
「どうした、用心棒?」
「……まずいぞ。本気で見失ったらしい」
 何を今更、と首を傾げる王女。どう説明していいものか悩みながらも、とにかく言葉を紡ごうとして口を開きかけた青年の顔が、奇妙に歪む。
「? どうかしたのか、用心――」
「こっちに来い。振り返るなよ」
 その険しい表情に、むっと押し黙って小走りに近づいてくる王女。その細い腕をがしっと掴んで背中側に追いやり、そして何食わぬ顔で前方を睨む。
 丘の上に整然と並ぶ、濃緑の一団。およそ三十人ほどの集団は街道を塞ぐ形で整列し、こちらを窺っている。険しい顔つきからして、野外訓練の一環で、旅人の荷物を抜き打ち検査する練習の最中、などという状態ではないことは明白だ。
「先回りされたか」
 迷いの森を抜けて来たことで、大分引き離したと思っていたのだが、それだけ向こうも必死ということか。
「……しかし、どうして分かったんだろうな?」
「それより、早く逃げよう!」
 今にも駆け出しそうな気配に、掴んだままの腕をぐいと引いて押し留める。
「ここで逃げたら余計に怪しいだろうが。どうにかして切り抜けるぞ。話を合わせろよ」
 小さく囁きながら、注意深く彼らを見回す。王都を護る守備隊は精鋭揃いと聞いている。その中でも特に厄介なのは、境界と静寂の神セインの聖印を胸に刻んだ者達だ。彼らは捕縛や結界といった神聖術を自在に行使する。
 さて、どうしたものか、と考えを巡らせていると、兵士達を掻き分けるようにして、一人の男が姿を現した。
 どうにもぱっとしない中年男。それが第一印象だった。上背はあるが横幅がないため、どうにもひょろりとしていて頼りない印象を受ける。しかも、無精髭のせいで年齢も表情も今ひとつ掴めない。
 しかしその背になびく濃紺の外套は、彼が大隊長であることを示している。
「ナジード!」
 小さく叫ぶ王女に、おいおい、と顔をしかめる。
「顔見知りか?」
「剣術の指南役だった。ああ見えて、かなり強いぞ」
「そりゃあマズい」
 幸いにして、深窓の姫君であるローラは国民に広く顔を知られていない。知らぬ存ぜぬで押し通せば切り抜けられるかと思ったのだが、まさか指南役が王女の顔を忘れるわけもないだろう。
 こうなると、取れる手段は限られてくる。しかも、かなり気の進まないものばかりだ。
「……この手だけは使いたくないんだがなあ」
 ひどく疲れた声を出す青年に、王女が背後で不思議そうな声を上げた。
「どんな手だ? 有効な手段ならばやってみる価値はあると思うぞ」
「……それには、お前の協力もいるんだが」
「なんでも言ってくれ!」
 自信満々な返答に、やれやれと溜息を一つ。
 そして青年は、げんなりとした口調で作戦を説明し始めた。