第四章[15]
「……それでね、あの魔術士ったらわざと――もう、シェリルったら聞いてる?」
「聞いてるわよアンナ。あのジェドーとかいう魔術士の話でしょ」
 何度も繰り返される同僚の愚痴に、黙々と繕い物をしていたシェリルは肩をすくめて答えた。
「わざと顔を見せて、驚かせて楽しんでるってお話でしょう? 私もやられたもの」
「シェリルまで? んもう、本当に手当たり次第に驚かせてるのね!」
 ぷりぷりと怒ってみせるアンナに、シェリルはしょうがないわよと苦笑を浮かべる。
「あれしか楽しみがないのよ、きっと。実害があるわけじゃなし、気の済むまでやらせておけばいいわ」
「シェリルは大人ねえ」
 はあ、と溜息をつくアンナ。そばかすの浮いた愛くるしい顔立ちと気立てのよさで評判の彼女は、歳が近いという理由で、奉公に上がって間もないシェリルの面倒を見ている。しかし、これではどちらが面倒を見られているのか分かったものではない。
「それにしても、あの火傷の跡、随分古いみたいだけど、火事にでも巻き込まれたのかしらね」
 針を進めながら呟くシェリルに、アンナは思い出すのも嫌だという顔で吐いて捨てた。
「知りたくないわ、そんなこと! どうせ魔術に失敗でもしたんでしょうよ」
 魔術に馴染みのない彼女にとって、突然城にやってきたあの魔術士は御伽噺の悪役もかくやという位置付けになっているようだ。
「大体、城に来てからというもの、食事が不味いだの、お茶の淹れ方がなってないだの、なんやかんやと文句をつけて!」
 よほど鬱憤がたまっていたのだろう、アンナは誰それが驚かされて茶器を落としただの、躾がなってないと嫌味を言われただのと、怒った口調でまくし立てる。一体どこから聞きつけてくるのやら、ノレヴィス公爵家の召使いがしでかした失敗談まで語ってくれるから大したものだ。
 そんなアンナの話に相槌を打ちながらも、勤勉に仕事をこなしていたシェリルは、繕い終えた服をたたみながら、それにしてもと呟いた。
「どうして公爵様は、あんな魔術士をおそばに置いているのかしら?」
 小首を傾げるシェリルに、アンナは良くぞ聞いてくれましたとばかりに、訳知り顔で声を潜める。
「それがね、何でも十年位前に大火傷を負って行き倒れていたところを、通りがかった公爵様が周囲の反対を押し切って、救いの手を差し伸べたんだそうよ。お優しいわよねえ」
 うっとりと語るアンナの隣で、眉根を寄せるシェリル。そんな表情さえも様になる辺りが羨ましくて仕方ないアンナなのだが、シェリルはそんなアンナの胸中など知る由もなく、長いまつげを揺らして不思議そうに呟く。
「お優しいけれど、本当によく助ける気になったわね。私だったら近寄りたくもないけれど」
 ただでさえ物騒なご時世だ、行き倒れを助けるにも勇気がいるはずだが、さすがは筆頭公爵、懐が広いということか。
「本当よね。大体、魔術士だってだけで気味が悪いのに」
 ああやだ、と身震いするアンナに、部屋の入り口からくすくすと笑う声がした。
「おやおや。昔はこの城にだって、大勢の魔術士がいたものだよ。その頃に奉公に上がってたら、お前達は一月ももたなかったろうね」
「フリーダさん!」
 山ほどの衣料を抱えてやってきたのは、二人にとっては大先輩に当たる侍女フリーダだ。王子が産まれる前からこの城で働いている彼女は、乾きたての衣類をどさっと二人の前に積み上げた。
「はい、追加だよ」
「あら大変、食事の時間までに終わるかしら」
「本当。急がなきゃね」
 猛然と繕い物に取り掛かる二人を横目に、フリーダは懐かしいねえと笑った。
「城に上がりたての頃は、昼夜問わずうろうろしている魔術士達に手を焼いたものさ。宮廷魔術士なんて大層な肩書きを背負ってても、私から言わせれば奇人変人の集まりさね。研究に没頭してると平気で何日も風呂に入らない、洗濯物は溜め込む、部屋は得体の知れないもので埋まってて、掃除すると『余計なことをするな』なんて怒鳴られるし、もう手がかかったものだよ」
 まあ、と眼を丸くするシェリル。
「やっぱり、魔術士って気難しい人が多いのねえ」
「そりゃそうでしょう。王立研究院の研究員だって似たようなものだし」
 何度かお使いにいって酷い目にあっているアンナに、フリーダはいいや、と眼を細めた。
「皆が皆、そうだったわけじゃないさ。ソフィア様はとてもお優しかったし、長を務めていたオーグ様も、茶目っ気のあるお方だった」
「ソフィア様って、第二王妃の?」
「ああそうさ。宮廷魔術士として城に上がられた時も、この人が本当に魔術士なのかとびっくりするくらい普通の娘さんでね。よく一緒に洗濯をしたり、お茶をしたりしたものさ。王に見初められて第二王妃になってからも、全然変わらなくくてね。そんなんじゃ周りに示しがつかないよって、こっちが冷や冷やしたくらいだよ」
「まるでローラ様みたいね」
 笑いかけて、ふと表情を曇らせるアンナ。王女がこの城から姿を消したのは一月ほど前。国王が何者かに襲撃されて昏睡状態に陥った夜のことだ。
「……ローラ様、お辛い目にあっていなければいいけど」
「むしろ怪盗の方が大変な目にあってるんじゃないかと思うけどね」
 アンナはともかくフリーダの言葉は些か不可解だったから、シェリルはきょとんと首を傾げてみせる。
「フリーダさん、どうして誘拐犯の心配をするの?」
「そりゃあ……なんというかね。あんたは王女をよく知らないだろうから、分からないだろうけど……」
 珍しく言葉を濁すフリーダに、アンナが横から助け舟を出す。
「あのね、シェリル。王女様は世間では『深窓の姫君』なんて言われてるけど、実際のところは――」
 少年のような格好をして城内を駆けずり回り、兵士達と剣の稽古に励み、料理長の目を盗んでつまみ食いをしたり、変装して城下に遊びに行ったり――。二人の口から代わりばんこに飛び出る『武勇伝』に、シェリルの目は見開きっぱなしだ。
「――なんていうか、やんちゃなお方なんだよねえ」
 とても『やんちゃ』の一言では語り尽くせない所業を一通り語り終えて、フリーダは大きな溜息をついた。
「だからね、きっと誘拐犯も度肝を抜かれたと思うのさ。もしかしたら偽者をつかまされたと思うかもね」
 確かに、あれほど派手に告知を打ってきたのだから、城側が年恰好の近い侍女か何かを身代わりに仕立て上げることも可能だったはずだ。それをしなかったのは、近衛隊長ヴァレルが城内の警備体制に自信を持っていたからと、当然提案されたその案を王女自身が却下したからなのだが、怪盗《月夜の貴公子》が偽者と勘違いしてもおかしくないくらいに、ローラ王女は『世間一般の思い浮かべる王女像』からかけ離れている。
「そうなの……それは、怪盗も大変ね……」
 引きつった顔で答えるシェリル。しかしアンナは心配顔で呟いた。
「でも、ローラ様ももうすぐ十五歳だし、黙っていればお美しい方だから……やっぱり心配よ」
「大丈夫さ、きっとローラ様は無事に帰ってくるよ。その時のために、私らはお城をいつも通りに整えて、迎えて差し上げなきゃね」
 ほらほら手が止まってるよ、と指摘されて、大慌てで仕事に戻るアンナ。夕食の時間までに、この大量の洗濯物を全て繕い終えてしまわなければならないのだ、おしゃべりをしている暇などどこにもない。
「こんな時に大掃除をしなきゃならないだなんて……!」
 必死に手を動かしながらも、ぶつくさと文句を言うアンナ。そう、彼女らがこんなにも繕い物に精を出さなければならないのは、勿論天気がいいせいもあるが、大掃除の季節がやってきたからだった。
 冬の間に溜まった汚れを落とし、冷気を遮断していた重い垂れ幕や綴れ織りの壁掛け、絨毯などを取り払う。また冬物の衣類をすべて洗濯して繕い、しまい込むという大作業である。
 国王が倒れ、王女が誘拐されているこの時に、そんなことをやっている場合ではないという声も勿論あったが、この大事な時だからこそ、いつも通りの仕事をして気を紛らわせた方がいいと言ったのは、現在国王の代理として一切を取り仕切っているノレヴィス公爵だった。
「公爵様が仰ってただろう? 国王が目覚め、王女がお戻りになったその時に、城が暗く沈んでいてはさぞ落胆されることだろうから、お二人のためにも城を磨き上げ、春の装いでお迎えしようじゃないかってね」
 窓の垂れ幕という大物に取り掛かりながら、窘めるように言うフリーダに、アンナは更に口を尖らせる。
「ただでさえお城が広くて大変なのに、人手は足りないし。本当に終わるのかしら、今回の大掃除」
 最後は溜息交じりのアンナに、フリーダもそうだねえと肩をすくめた。
「この忙しい時期だってのに、メアリアまでいなくなっちまうしね。彼女がいないとローラ様の衣替えが出来ないし、困ったものだよ」
「メアリアさんって、確かお母様が危篤状態だとかで里下がりをした人よね」
 ちょうど入れ違うようにして城に上がったシェリルは、当然メアリアとは面識がない。しかし、あまりにも急な里下がりは召使い達の格好の話題となっており、聞かずとも色々な話が耳に入ってきた。
「そうそう。よりによって、国を揺るがす大事件の直後になんて、悪いことって重なるものよね」
「これ、利いた風な口をきくんじゃないよ」
 フリーダに窘められて首をすくめるアンナ。しかしフリーダも、かわいそうなことだよと溜息をついた。
「あの子が家族の話をしたことは殆どなかったけど、頻繁に外と手紙をやり取りしていたからね。最初は故郷にいい人でもいるのかってからかったりしてたけど、あれはお母さんの様子を尋ねていたんだろうね」
「そういえば、シェリルもよくお手紙を出してるけど、やっぱりいい人がいるの?」
 不躾な質問にフリーダがこれ、と眉を吊り上げたが、シェリルは笑って首を降った。
「いやねえ、そんなのじゃないわよ。父が心配性でね、手紙を遣せってうるさいのよ。それなのに向こうは全然手紙をくれないんだもの、酷いわよね」
「分かるわ、だってシェリル、とてもきれいなんだもの。お父様が心配されるのも無理ないわよ」
 当然のことながら城内には男性が多い。まして、現在の国王は二人の王妃と死別して以来後添えをもらっておらず、世継ぎの王子は結婚適齢期だ。妙齢の娘を持つ父親にとって気を揉む材料は山ほどある。
 ましてシェリルは、アンナが絶賛した通りの美貌である。質素なお仕着せに身を包んでいても、匂い立つような美しさは隠しようがない。ひっつめた亜麻色の髪は輝くばかりに艶やかだし、白磁の肌にはしみ一つない。その艶やかな唇で微笑まれれば、男でなくとも胸が高鳴ってしまいそうだ。
 しかしそんな美貌の侍女は、やめてよと手を振った。
「私なんて、ただの田舎娘よ。たまたま伝手があっただけで、そうでもなかったら王城なんて一生縁がないところだわ」
「シェリルはアグワート男爵の紹介で入ったんだったね。そういえば確かメアリアも、ノレヴィス公爵の口利きで勤めるようになったんだっけ」
 フリーダの言葉に、アンナが驚いて声を上げる。
「ええっ、そうなの?」
「おや、知らなかったかい?」
 むしろびっくりだと言わんばかりに目を見開いてみせたフリーダは、懐かしそうに語り始めた。
「あの時は、ローラ様はおいくつだったか……まだ十にもなってなかったはずだね。ちょうど、ずっと側仕えをしていたばあやが腰を痛めて隠居なさることになってね。だったら、ぜひとも歳の近い侍女をつけてくれって言い出してね。いや、正しくは『友達になれそうな子がいい』って聞かなかったんだけどね」
 あらまあと眼を丸くするシェリルに、さもありなんと頷いてみせるアンナ。この反応の違いが、王女との付き合いの有無をはっきりと浮かび上がらせる。
「それで、ノレヴィス公爵が心当たりがあると言って連れてきたのがメアリアさ」
 親戚の屋敷で働いていた召使いに、非常に気の利く娘がいたのを思い出したので、是非にと言って王女に引き合わせたのだという。
「メアリアは本当に気立てのいい娘だったから、すぐに王宮での暮らしにも慣れたし、ローラ様も実の姉のように懐いてねえ」
 どこへ行くにも一緒だった二人。城を抜け出す時も、教師を煙に巻いて授業を抜け出す時も、乗馬の練習だと言って郊外まで駆け出していく時も、メアリアは必ずそばにいて、世間慣れしていない王女をさりげなく助け、時には無茶をする王女を窘め、時には叱り付けるという重要な役目を立派にこなしていた。
「侍女というよりは『ねえや』って感じだったねえ。ローラ様をあれほどこっぴどく叱れるのもメアリアだけだったよ。時には王様まで一緒になって叱られてたっけね」
「そうそう! 王様もローラ様もしゅんとなって、しおらしくお説教を聞いてたわ。それなのに……」
 再び顔を曇らせるアンナ。結局のところ、どんなに楽しい話題であっても終着点は同じだ。
 すっかり暗くなった雰囲気を盛り上げるように、フリーダが声を張った。
「さあて、そろそろ二の鐘が鳴るよ。私はもう少しやっていくから、お前達は先にお茶にしておいで」
「あら、もうそんな時間? シェリル、行きましょう」
 僅かに許された休憩時間を無駄にしてはいけないと、勢い良く立ち上がるアンナ。シェリルも手早く裁縫道具を片付け、フリーダに頭を下げて部屋を後にする。
「今日のお茶請けは何かしら。もうこれだけが楽しみなのよ」
 先程までの暗い顔はどこへやら、跳ねるような足取りのアンナ。シェリルもそうねえと好みの菓子をいくつか口にして、楽しそうに笑いあう。
 と、廊下の向こうからやってきた女官長が、二人を認めて声をかけてきた。
「アンナ、シェリル。ここにいたのね。王子のお部屋へお茶をお持ちして。ノレヴィス公爵もいらしているから、くれぐれも粗相のないように」
「ええー!? これから休憩時間なのに」
 不満たらたらのアンナとは対照的に、シェリルは承知しましたと頭を下げる。
「ほら、早く行きましょうアンナ。じゃないと本当に休憩時間がなくなるわ」
「わ、待ってよシェリル!」
 急ぎ足で蒸留室へと向かった二人を見送って、女官長はやれやれと溜息をついた。
「アンナも、少しはシェリルを見習って欲しいものだねえ」
「無理ってものですよ、女官長」
 小部屋からひょいと顔を出したフリーダが朗らかに笑う。
「それは、雀に向かって孔雀になれと言うようなものです」
「あなたもひどいことを言いますね、フリーダ」
 窘めるように言うものの、女官長の目も笑っている。
「城に上がって一月足らずだというのに、本当に良く仕えてくれて。このまま長く勤めてくれればいいのですがね」
 おや、と首を傾げるフリーダ。
「アンナと違って、すぐに音を上げるような子じゃないと思いますがね」
「ええ、それは分かっていますが……何となくね。長くは居てもらえないような、そんな気がするのですよ」
 だから今のうちに色々と仕込んでおかないとね、と張り切る女官長に、フリーダはどうぞご随意に、と優雅に一礼してみせた。