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第五章[5]

 『最果ての村』。傾きかけた看板の文字には、そんな愛想のない二つ名が刻まれていた。
「エストの他にも『最果て』があるとは思わなかったな。ま、寂れ具合は似たようなもんか」
「失礼だぞ、用心棒」
 あけすけな感想を述べるラウルを窘めつつも、似たような感想を抱いてしまったことは否めない。
 苦難の道をひた進み、やっとのことで辿りついたトゥールの村は、まさに絵に描いたような寒村だった。《氷原》にほど近い村は、もう夏も近いというのに、草も木も冬の姿のまま立ち尽くしている。そんな乾いた大地にまばらに建つ小屋のいくつかは、倒壊したまま放置されているものもあった。昼日中だというのに村人の姿もほとんど見えず、辛うじて一人、馬の嘶きを聞きつけて駆けてきた子どもがいたくらいだ。
「わあ、お客さんだ、お客さん! ねえねえおじさん、どこから来たの? 何しに来たの?」
 久々の来訪者に頬を上気させてしゃべり続ける子どもに、御者が如才なく荷物の説明をし、村長を呼んでもらえるよう頼みこむ。その間、ラウルとメアリアは荷卸しの手伝いだ。
 せっせと荷物を降ろす彼らを横目に、ローラは一人、眩しそうに目を細めて辺りを見回していた。
「ここが、トゥール……」
 ローラの母ソフィアは十五の歳までこの地で暮していたという。たまたま村を訪れた魔術士に資質を見出され、彼の下で修行することとなった彼女は、ほどなくして才能を開花させ、若干十八歳にして宮廷魔術士入りを果たしたのだ。
 まだ魔術士ではなかった頃の彼女は、この北限の地でどのように過ごしていたのだろうか。
 無言で立ち尽くすローラの背中に、容赦なく声が飛んできた。
「おい、何ぼさっとしてんだ。お前も手伝え! ……怪しまれるぞ」
 小声で付け加えられた言葉に、はっと目を瞬かせる。この地まで指名手配書が回っているとは思えないが、ただでさえ訪れる者の少ない辺境の地だ。不審に思われるような振る舞いをするなと、到着前から口を酸っぱくして言われている。
「悪い! すぐやる!」
 そう答え、すぐに荷卸しの手伝いに回る。と言っても、酒樽は重すぎて降ろせないから、雑貨の詰まった木箱を降ろすのがやっとだ。
 メアリアと二人がかりで、どうにか最後の一箱を降ろし終えたところで、押取り刀で駆けつけてきた初老の男が、いやあ助かりますと笑顔を振りまいた。
「アシュトさんのお酒がないと祭りが始まりませんからなあ」
 降ろされた酒樽に顔を綻ばせているこの男が、トゥールの村長らしい。白髪混じりの頭に手をやって、これはいけないと頬被りを取る。どうやら畑仕事に精を出していたところを呼ばれてきたらしい。
「それにしても随分早いお着きで」
「ええ。村長さんが首を伸ばしてお待ちだろうからと、主人より言いつかりまして。ご注文頂いた酒樽四つと、あとは雑貨の箱が三つですね。どちらに運びましょうか」
「ああ、いつもの備蓄倉庫に……」
「分かりました。では早速運び入れましょう」
 てきぱきと話を進める御者は、何度もこの村を訪れたことがあるという。指示された備蓄倉庫の場所をラウル達に教えながら、新顔に好奇の視線を送る村長に「主人の知己で、用心棒を買って出てくださったんです」とさり気なく説明してくれたので、変に勘繰られることなく済んだのはありがたかった。
「なるほど、アシュトさんのお知り合いで。最近はこの辺りも物騒になりましたから、助かりますよ」
「あら、この辺りはとてものどかな場所だと聞いていましたけれど、物騒なこともあるんですか?」
 木箱を持ち上げながら尋ねるメアリアに、村長はそれがねえと頭を掻く。
「冬辺りから、狼やら熊やらが村の近くまで出るようになりましてな。今まではこんな人里近くまで出てくることはなかったんですが……」
「まあ、そうでしたの」
「今年は天候不順だから、森で食べ物が不足しているのかもしれないな」
 樽を転がしながら呟くラウルに、村長もうんうんと頷いてみせる。
「墓場の歌声といい、今年は妙なことが多くてねえ、なんぞ呪われているんじゃなかろうかと、口さがないことを言うものもおりましてなあ。困ったものですわ」
「!!」
 思わず声をあげそうになったローラを横目に、これは好機と先手をかけるラウル。
「ああ、アシュトさんから聞きましたよ。何でも、墓場で夜な夜な歌声が聞こえるとか……?」
「そうそう、そうなんですわ。いやはや、ほんと困ったもんでしてねえ」
 村長はよほどこの話題を誰かに話したかったと見えて、どこか嬉しそうに滔々と語り出した。
「私もこの耳で聞きましたから、間違いありません。あれはいつ頃からだったか……そう、二の月の終わり頃からでしたかねえ。夜になると、どこからともなく聞こえてくるんですわ。透き通った、美しい歌声がね」
 いくら探しても姿は見えず、そうこうしているうちに歌声は風に溶けるように消えてしまう。その繰り返しだ。
「なんだか怖いお話ですけど、村の皆さんは怯えたりしていませんの?」
「ええ、年寄り連中はすわ先祖の祟りだ、村の危機だと騒ぐわ、子供らはそれを聞いて震え上がるわでねえ」
 とはいえ、現段階ではただ「夜に墓地から歌声が聞こえる」だけで、そのせいで何か被害が出ているわけでもない。墓地は村の外れにあるため、わざわざ出向かない限りは歌声も聞こえないわけで、直接的な被害がない分、手が出せないのだと唸る村長は、ほとほと困り果てた様子でこう続けた。
「実は、アシュトさんの知り合いに腕のいいユーク神官さんがいらっしゃるというので、ご助力願えないか聞いて頂いているんですがねえ。お忙しい方だそうで、なかなか来てはいただけないようで」
 まさか当人を目の前にしているとは知らずにさらりと愚痴る村長に、御者も知らん顔で「ええ、そのようで」などと相槌を打つものだから、ラウルはひきつった顔で咳払いをして、さり気なく切り出した。
「その腕のいい神官さんには及びもつかないでしょうが、実はこいつもユークの神官でして」
「!?」
 急に指差されて目を瞬かせるローラをぐいと村長の前に押し出し、立て板に水と続ける。
「と言ってもまだまだ駆け出しの未熟者ですが、これも何かの縁です。こいつにやらせてみちゃくれませんか」
「ちょ、ちょっと用心棒……!?」
「ほら、お前からもお願いしろよ。こういうのは場数を踏むのが何より大事だって言ってただろう?」
 抗議は無視して話を進めつつ、メアリアに素早く視線を送る。察しのいい侍女はすぐさま意図を組んで、「そうよ、これも修行のうちじゃない」と励ますようにローラの肩を抱く。
「ほほお、こんな若い娘さんがユークの神官さんとは珍し――いやいや、実にご立派なことで。そういうことでしたらこちらからもぜひお願いしたいですわ」
 よろしくお願いしますと手を握られて、反射的に「任せておけ!」と答えてしまってから、実に不安そうな瞳で振り返るローラ。
「大丈夫だ、俺達も手伝うから」
「自信を持ちなさいな」
 二人に太鼓判を押され、もうやけくそだとばかりにどんと胸を叩く。
「この私が必ずや、歌声の正体を暴いてみせようじゃないか!」
 これは頼もしい、と喜ぶ村長に、つきましては夜まで休む場所をお借りしたく、と抜け目なく交渉を始めるラウル。なんとまあ調子のいいことだ、と呆れていたら、メアリアがこつんと肩を寄せてきた。
「あの用心棒さんは本当に、大した役者ですこと」
「……メアリアもな」
 あらいやだおほほほほ、と軽やかに笑い声をあげる侍女に、この二人には勝てないなと改めて思うローラであった。

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