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第五章[6]

 めったにない客人が来たとあって、黙っていられないのが村の主婦達だ。客人達がせっせと酒樽を運んでいる間に、各々自慢の腕を振るっていたらしい。
 かくして村長宅の食卓には持ち寄られたご馳走が並べられ、主菜には村長が自ら絞めた鶏の丸焼きが供された。
「なるほど、ソフィアの故郷を訪ねていらしたのですか。彼女が亡くなって久しいのに、こうして気にかけてくださる方がいらっしゃるとは、嬉しいことですなあ」
 焼きたての鶏を切り分けながら懐かしそうに微笑む村長は、ソフィアの両親と親交が深かったという。
「まあ、こんな小さな村のことですから、村人全員が親戚のようなもんですわ。特にイヴァン――ソフィアの父親ですが、あいつとは年が近かったもんでね。子供の頃から家族ぐるみの付き合いをしておりました」
 何を隠そう、彼とは恋敵でもあったと小声で打ち明けて、照れたように笑う。
「ソフィアの母親は、そりゃあもう気立てのよい娘でね。ソフィアも彼女に似たんでしょうなあ。あの子が生まれた時は、もう村中が歓声に包まれたほどですよ」
 その頃、父の跡を継いで村長になったばかりだった彼は、新たな命の誕生に沸き立つ村人達を落ち着かせるのにえらく苦労をしたという。
「そりゃあもう可愛い赤ちゃんでねえ。色が白くて、紅茶色の髪はまるで、雪の中に咲く一輪の野ばらのようでしたよ。村中のもんがお祝いに駆けつけて、我先に抱っこさせろとせがむものだから、イヴァンが怒ってねえ。『俺だってまだ抱かせてもらってないのに、なんでお前らに渡さなきゃならんのだ』と、そりゃあもうすごい剣幕で」
 そんな両親は十歳の時に流行り病で相次いで亡くなり、ソフィアは村長夫妻に引き取られた。子供のいない夫妻は、彼女を実の娘のようにかわいがってきたという。
「いずれ婿を取って、後を継いでもらうつもりでしたが、まさか国王に見初められるとは思いもよりませんでしたなあ」
 楽しそうに語りながら、鶏肉を手際よく取り分けていく。その手が、ローラの皿のところでふと止まった。
「おやまあ、よく見れば、お嬢さんは若い頃のソフィアによく似ているねえ」
「!!」
 その言葉に皿を取り落しそうになり、慌てふためくローラ。その向う脛を蹴り飛ばし、何食わぬ顔で「奇遇ですねえ」と相槌を打ったラウルは、そう言えば、と強引に話題を変える。
「ソフィア王妃の生家はまだ残っているんですか?」
 亡くなる間際にこの村を訪ねるようローラに言い残したソフィア王妃だが、具体的に何をしろとは語らなかったという。となれば、この村で何をすればよいのか探すところから始めなければならない。
 一番の手掛かりはおそらく生家だろうと見当をつけての問いかけだったが、残念ながらと村長は首を横に振る。
「十年ほど前に、隣家からのもらい火で焼けてしまいましてな」
 もっとも、両親が亡くなって村長宅に引き取られた時に、あらかたのものは整理してしまったのだという。わずかな私物も村を離れる時に持って行ってしまったから、彼女を偲ぶものはもう何もないのだと寂しそうに答えた村長は、ふと顔をほころばせて、一つだけと付け足した。
「彼女が亡くなった時に、この村にも墓を作りたいということで、わざわざ王都の神官様が見えて、ソフィアの墓を作ってくださったんですわ」
「墓?」
 目を見開くラウルに、ローラも初耳だとばかりに身を乗り出す。
「墓が、あるのか? この村に?」
 客人達の驚きように目を瞬かせつつ、村長はこくこくと頷いてみせた。
「え、ええ。とは言っても、棺は王族の墓地に埋葬されましたから、村の墓に眠っているのはソフィアの遺髪と、生前に愛用していた品物だけですがね」
 それは、王妃自身のたっての望みだったという。生まれ故郷の村に帰りたいという彼女の願いを叶えるべく、首都からやってきた神官達は荒れ放題だった村の墓地を整え、携えてきた王妃の遺髪と愛用の品々を埋葬した。
「これまで、弔いもそこそこに埋葬された者達も弔ってくださってねえ。責任者だという年配の神官さんは、なんと言ったかなあ。杖をついていらしたが、実に矍鑠とした方でね。ああ、思い出した、確か――」
 村長が告げた名前を聞いて得心が行った。北の地まで赴き、王妃と村人達を手厚く弔ったのは、当時すでに分神殿長だったレオニード=ハルマンだ。首都での葬儀が終わり次第、王妃の願いを叶えるべくやってきたのだろう。
「ハルマン分神殿長が、直々に……」
 こちらも意外そうに呟くローラに、村長はあれまあと目を丸くした。
「あの方が神殿長さんだったとはねえ。なるほど、実に立派な方だと思ってはいたけども、お偉い方だったんですなあ」
 連れてきた若い神官達と弔いの準備を行いながら、時間さえあれば村民と語らっていたというハルマン。村にいた頃のソフィアの話をしきりとせがんでは、村人と一緒に爆笑していたと聞いて、三人揃って首を傾げる。
「なんでそこで爆笑するんだ?」
 その問いかけに、精一杯しかつめらしい顔をしようとして失敗した村長は、笑み崩れつつ答えた。
「いやねえ、ソフィアは大人しそうでいて、そりゃもうお転婆な娘でね! 屋根の上を飛び回った挙句に煙突から落ちてみたり、ソリで丘から滑っては川に突っ込んだりと、もう男の子顔負けのやんちゃぶりでしたわ」
「なっ……!」
 絶句するローラの横で、おほほほほと高らかに笑い声を上げたのはメアリアだ。
「まあまあ、まるでどこかの誰かさんを見ているようですわあ」
「うるさいな、私はそこまでお転婆じゃない……はずだぞ!」
「どの口で言いやがる」
 呆れ顔で突っ込まれて口ごもるローラを横目に、色々やらかしてくれたけど、と当時を振り返る村長。
「因業婆の服に毬栗を仕込んだり、広場の真ん中に落とし穴を掘ってみたり、夏祭でこっそり酒を飲んでひっくり返ってたこともあったっけねえ。とにかく、話題には事欠かない子でしたわ。それが魔術の才があると言われただけでもびっくり仰天、まして宮廷魔術士になったなんて、それこそ青天の霹靂だったのに、更に国王に見初められるなんてねえ。どこまでも人の度肝を抜く子でしたなあ」
 なるほど、王女の破天荒さは両親から受け継いだものらしい。妙に納得顔のラウルとメアリアを睨みつけるローラに、村長はでもねえと笑う。
「誰から愛され、誰からも慕われていた、そんな子でしたわ。彼女が村を去ってしまったら、まるで灯が消えたようになりましてねえ。私らもずいぶん寂しい思いをしたもんだ」
 おっと、湿っぽい話をしてしまいましたと頬を掻き、どうぞ召し上がってくださいと勧めてくる村長に、遠慮なくと答えて皿に手を伸ばす。
「せっかくの料理が冷めてしまいましたな。年寄りの長話につき合わせてしまいまして申し訳ない」
「いえ、貴重な話をありがとうございます」
 心づくしの昼食を口に運びながら、そっと傍らの少女を窺えば、ローラはいやに神妙な面持ちでパンをむしっているではないか。
「おい。ちゃんと食べておけよ」
「分かってる。みんな美味しそうだから、どれから食べようか悩んでいただけだ!」
「おやおや、嬉しいことを言ってくださる。お代わりもたくさんありますから、遠慮せずにお食べなさい」
 これも美味しいからと、あれこれ取り分けてくれる村長に、目を輝かせて歓声を上げるローラ。初対面とは思えない馴染みようは、やはり母親の育ての親だからだろうか、などと考えていたら、傍らの侍女と目が合った。
「まるで孫とお爺ちゃんですわね」
 同じことを思っていたのか、誰ともなく言うメアリアに、そうだなと小さく笑う。
「そうそう、特製の焼き菓子もあったんだ。あとで奥さんに言って出してもらおうねえ」
「わあ、それは楽しみだなあ!」
 仲睦まじいやり取りを聞き流しつつ、さてと思案を巡らせる。
(わざわざ生まれ故郷に作られた墓、か……)
 そして、その村を訪ね、誕生日までに城に戻れという、母ソフィアの言葉。
(……ローラの誕生日に何か起こるのか? それを案じて、何か手段を講じた……?)
 年明けから響き出した謎の歌声というのも、何か関わりがあるのかもしれない。もし、首都への召喚がなかったとしても、どのみちこの一件には関わっていたかもしれないと思うと、妙な巡りあわせを感じてしまう。
(……まあいい。夜になれば、すべてはっきりするだろう)
 その前に一度、墓を調べに行ってみるのもいいかもしれない。そう提案しようとして顔を上げれば、口の周りをべたべたにしたローラが、追加の料理を持ってやってきた村長の奥さんに口を拭ってもらっているところだった。
「まあまあ、かわいいお顔が台無しですよ。ほら、これでいいわ」
「このご飯が美味しすぎるから、ついつい夢中で食べてしまうんだ」
「まあ嬉しいこと。でも食後の焼き菓子のために、少しだけお腹を取っておいてちょうだいよ?」
「甘いものは別腹だから大丈夫だ!」
 団欒に水を差すのも悪いので、メアリアに目で合図を送れば、察しのいい彼女はすぐに気づいて顔を寄せてきた。
「どうしました? あてられてお腹いっぱいですか?」
 それは否定できないが、今言いたいのはそういうことではない。違う違うと手を振って囁き返す。
「昼食が終わったら、ちょっと墓を見に行ってくる。お前さん達はどうする?」
「そうですねえ……」
 ちら、とローラに目をやって、メアリアは澄まし顔でこう答えた。
「食事が終わったら、きっとおねむの時間でしょうから、どこか部屋を貸していただいて、そこで休ませてもらいますわ」
 『お嬢様』の生態を熟知した上での、実に的確な発言に苦笑を浮かべつつ、そっちは任せたと頷いて、ラウルは目の前のご馳走へと向き直った。


* * * * *


「ここ、か……」
 村の北側、殺風景な共同墓地の片隅に、その墓はあった。
 白樺の木が目印だと聞いていなければ、うっかり素通りしてしまいそうな、質素な墓。飾らしきものはほとんどなく、刻まれた文字も名前と生没年だけという素っ気なさ。
 それが、第二王妃ソフィア・ジェイメインの墓だった。
 一礼して墓石の前に立ち、短く祈りの言葉を紡ぐ。その頬を撫でるように、ひんやりとした風が墓地を通り過ぎていく。
 ハルマンが直接指導して整備させたというだけあって、墓守のいない共同墓地にしては十分すぎるほどに整えられたこの場所は、ソフィアの墓が建てられてから村人達が交代で清掃や管理を行っていたという。それでも、例の歌声騒ぎが始まってからは昼間であっても近寄りがたいらしく、あちこちから雑草が顔を覗かせていた。ソフィアの墓も例外ではなく、まるで寝癖のように草が飛び出している。
 ここだけでもきれいにしておくか、としゃがみこみ、慣れた手つきで雑草むしりを始める。手際よく根っこまで引き抜いては集めを繰り返し、やがて裏側まで進んだところで、ふと墓石の背面に施された装飾が目に留まった。
「……なんだ?」
 よく目を凝らせば、それは円と線と記号、そして見たことのない文字で構成された、不思議な図案だった。二重の円の中に五芒星、太陽や月を模した記号――。これと似たようなものを、どこかで見たような記憶がある。
「……そうか、あの時だ」
 去年の秋、エスト村の収穫祭を台無しにした死人の襲来。その際に、集まった村人達を守るため三賢人のユリシエラが広場に描き出した、不思議な力を持つ陣。
(魔法陣……ってことは、何かの魔法がかけられてるってことか?)
 ラウルら神の御使いも、呪符などに力を込めるため特別な図案を用いることがあるが、魔術士達が用いる魔法陣は非常に複雑で、専門に学ばなければ描くことはおろか、読み解くことすらできないという。
 ここにあいつらがいればなあ、などと益体もないことを呟きかけて、やれやれと首を振る。
「いもしない人間のことをぼやいても仕方ないな。……しかし王妃さんよ。娘の危機か何か知らんが、もう少し手掛かりを残してくれてもよかったんじゃないか」
 巻き込まれたこっちの身にもなってくれよ、とぼやくラウルを笑うように、白樺の枝がざわりと鳴った。

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