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第五章[12]

 夜空には細い月。またぞろ沸き出した雲に今にも隠れそうになりながらも、必死に青白い光を投げかける。
 ごうごうと吹きすさぶ風に紅茶色の髪を揺らしながら、ローラは母の幻影が消えた墓をじっと見つめていた。
「母様……」
 死の淵で、この地に向かいなさいと告げた母。あの時、彼女は何を思っていたのか。ここに来れば分かると思ったのに、謎は深まる一方だ。
「ローラ。こっちに来てくれ」
 呼ばれてはっと顔を上げると、いつの間にか墓の裏側に回っていたラウルが険しい顔で手招きをしていた。
「どうした、用心棒」
「これを見てくれ。昼間のうちに見つけてはいたんだが」
 指し示されたのは、質素な墓石には不釣り合いな、複雑な紋様。それは紛れもなく――。
「魔法陣じゃないか!」
「そうだ。お前なら何か分かるかもしれないと思ったんだが、どうだ?」
 そう問われ、ローラは残念そうに首を横に振った。
「無理だ。いくら魔法語を教わったことがあるからといって、魔法陣となると話は別だ。しかもこんな複雑なの、オーグのところでも見たことがないぞ」
 その答えを半ば予想していたのだろう、そうだよなあと肩を竦めるラウル。そんな彼の横顔を何とはなしに見上げたローラは、ふと目を瞬かせた。
「……なあ、用心棒。残留思念というのは、強い想いが焼きついたものだと言ったよな?」
「ああ、そうだ。死者の霊と混同されがちだが、残留思念はその強い想いが場所や物に焼きついたものなんだ。よくあるのは死んだ瞬間の思いが場所に焼きつくってやつだが、他にも思い出の品とか、その時身につけていた衣服や武器防具の類にも――」
「用心棒!」
 思わず大声を出してしまい、その勢いのままラウルの腕を掴む。
「な、なんだよ」
「母が亡くなったのは王城ファトゥールだ。しかも、母は王宮魔術士になってから一度たりとも、この村に戻ったことはないんだぞ!」
 突如詰め寄ってきたローラに面食らった様子のラウルだったが、その手を振り払うことはせず、なるほど、と呟いた。
「確かに妙だな。これが王都ならまだしも……もしくはもっと昔の――この村に暮らしていた頃の残留思念か?」
「それにしては外見が違う。さっきのはどう見ても、私が知っている母だったぞ」
 二人して眉をひそめ、じっと墓を睨む。そこに手掛かりが残されていないか探るように、段々と弱まってきた月明かりの下、目を凝らして――。
「埋葬品か!」
「埋葬品だ!」
 お互いの声に驚いたように顔を上げ、そして再び墓に視線を落とす。
 ここにはソフィアの遺髪と、生前に愛用していた品物が納められている。村長は確かにそう言った。それが何かは分からないが、愛用品ともなればそこに想いが残っていてもおかしくない。
 となれば、やるべきことは一つ。
「用心棒!」
 掴みっぱなしだった腕をぐいと引き寄せ、その黒い双眸を真正面から見据える。
「用心棒、ユーク神官であるお前にこんなことを頼むのは、とても心苦しい。でも、お願いだ。――墓を暴くのを手伝ってくれ!」
 真摯な表情に思わず息を呑んでしまってから、おいおいと苦笑を漏らすラウル。
「随分堂々とした墓荒らし宣言だな」
 途端にしゅんとなるローラの頭に手を乗せ、そしてわざと生真面目な表情を作った黒髪の神官は、荒野に佇む墓を振り返って続けた。
「確かに、ユーク神官として墓荒らしを見逃すわけにはいかない。だが、俺達は墓を管理する役目を負ってることも忘れるな。墓に異常があるならその原因を突き止める義務がある。そういうことだ。変な気を使うな」
 ほら、さっさと取り掛かるぞ、と墓に向き直るラウルに、ぱあと顔を輝かせたローラは、せめて自分が率先して作業をしようとラウルの隣に膝をついた。
「どうやって動かせばいい?」
「なに、これだけ簡単な作りの墓だ。墓石の下に、遺髪と遺品を納めた箱か何かが埋められてるだけだろうな。だからこの墓石をどかせばいいだけだ。お前、そっち側を持て」
 そう言われて、墓の側面に回る。さほど大きな墓石ではないから、二人がかりなら動くだろう。
「……さっきの魔法陣、盗掘防止用の罠だったりしないよな?」
「怖いことを言わないでくれ!」
 角と角をしっかりと支え、合図で一気に持ち上げる。向かい合うラウルも緊張の面持ちだったが、墓石は何事もなく持ち上がり、そしてその下からは剥き出しの地面が姿を現した。
「掘る道具を借りてくれば良かったな」
「なに、棺桶を掘り返すわけじゃないんだ、そんなに手間はかからないさ」
 持ち上げた墓石を脇に降ろし、手が汚れるのもいとわずに土を掘り返す。
 ラウルの予想通り、ほどなくして土中から現れたのは古い木箱。土まみれになった蓋を手で払うと、精緻な模様で彩られた三日月の紋章が見て取れた。
「開けてみろよ」
 優しく促され、ごくりと喉を鳴らす。
「ああ!」
 まずは土まみれになった手を服の裾でごしごし擦って汚れを落とし、そして恐る恐る蓋に手をかければ、蓋は拍子抜けするほどにあっさりと開いた。
「開いた!」
 青い天鵞絨で裏打ちされた箱の中に納められていたのは、細帯で纏められた紅茶色の髪が一房と小ぶりの水晶球、そして白い石で出来た仮面のようなもの――。
「なんだ、これは……?」
 なかでも目を引いたのは、愛用の品と呼ぶにはあまりにも異質な石の仮面。月明かりに照らされて、どこか泣いているようにも見えるその面差しに、なぜか胸がどくん、と震える。
 そんなローラの隣で、箱の中身を興味深そうに見ていたラウルが、こいつはすごい、と尻上がりな口笛を吹いた。
「見てみろよ、この水晶球。中に何か模様が浮かんでる。どういう細工なんだろうな」
「これは……音の封印球じゃないか」
 危ないからと触らせてもらえなかったこともあり、魔術道具にはあまり馴染みのないローラだが、これだけは使い方を知っている。
 何度も同じ歌や話をせがむ幼い姫のためにオーグが作ってくれたそれは、合言葉を唱えると予め封じ込めておいた音を再生してくれるという便利なおもちゃだった。
「ええと、合言葉は……『夜啼き鳥のさえずり』だったかな」
 遠い記憶を探り、魔法語で構成された合言葉を紡ぐ。
 やがて聞こえてきたのは、透き通る歌声。そう、あの子守歌だ。
 しばし耳を傾けていると、歌声は最後の旋律を何度か繰り返し、そして消えて行った。
 ほう、と息を吐き、愛おしそうに水晶球を掌の上で転がすローラ。
「懐かしいなあ。小さい頃、眠れない夜にはずっとこれを聞いていたんだ」
 忙しい母の代わりに、何度も歌ってくれた水晶球。いつの間にかなくなっていたと思ったら、こんなところに納められていたとは。
「さっきの歌声とまるっきり同じってことは、思念が焼きついていたのはこれだったみたいだな」
「ああ。……でも、それならなんで、今年に入って急に聞こえるようになったんだろう?」
 この封印球に残留思念が焼き付いていたというのなら、この墓が作られた時から歌が聞こえていてもおかしくない。
「よくは分からんが、これだけじゃないのかもな。何かの条件が重なって急に――」
 唐突に口を閉ざしたラウルに、どうした? と尋ねかけて、はっと息を呑む。
 沈黙したはずの封印球から聞こえてきたのは、懐かしい声。

『……シル……、セシル』

 水晶球が閃光を放ち、それと呼応するように墓石の魔法陣が青白い光を帯びる。
「なにっ!?」
 鮮烈な輝きは複雑な紋様を宙に浮かび上がらせ、脈打つようにその大きさを増していく。
 大きく展開した光の魔法陣は、あたかも異世界へ通ずる門の如く超然と佇み、見る者を圧倒する。しかし、それで終わりではなかった。
「ああっ、どこへ行く!?」
 ローラの手の中からふわりと浮かび上がった水晶球が、門へと吸い込まれていく。光の波紋が生まれ、そして――。

『セシル』

 囁くような、柔らかな声。
 まるで目の前にいるかのように、鮮やかに響き渡るそれは、紛れもない母の声――。

『セシル。よくぞ無事に、ここまで辿り着きました。この時のために、伝言をここに遺します。誰にも告げられなかった、ただ一つの真実を――』

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