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第五章[15]

 紅茶色の髪が、微風に揺れる。
 どこか満ち足りた表情で空を見上げる少女に、ラウルはなるほど、と呟いた。
(魔族ねえ……)
 言動こそ若干ぶっ飛んでいるが、どこからどう見てもただの人間にしか見えない彼女が、強大な力を持つ魔族だと言われても、俄かには信じがたい、のだが――。
(……もっと『らしくない』連中がいるからなあ。それに比べりゃ、いくらかましだよなあ……)
 その筆頭――今ここにはいない金髪の少女の能天気な笑顔が脳裏を掠めたが、今はそれどころではない。
「で? その上級魔族が何でまた、王女様なんて似合わない立ち位置に収まってた?」
 身も蓋もない問いかけに、似合わないって言うな! と頬を膨らませてから、少女はふうと息を吐いた。
「そうだな。私もまだ思い出したばかりだからちょっと混乱してるけど……聞いてくれるか?」
「ああ。聞かせてくれ」
 長い話になるだろうと踏んで、少女の隣に腰を下ろす。そんなラウルに、組んだ腕に顔を埋めながら小さく笑った少女は、記憶の断片を辿るようにぽつりぽつりと語り出した。
「どこから話せばいいのかな……。そう、そもそも私は、ソフィアに呼ばれてやってきたんだ」
 瞼を閉じれば、今も鮮明に蘇る記憶。
 あれはそう、今から二十年前のこと――。


 ローラ国の北、寒村トゥールで暮らしていた彼女を見出したのは、宮廷魔術士の長オーグだった。
 貴重な薬草を採取しに行った帰り、たまたま立ち寄った北限の村で彼が目撃したのは、牧場の片隅で不思議な『影』と戯れる娘の姿。
「私にしか見えないお友達なんです。満月の夜に呼ぶと来てくれるの。でも、すぐに消えてしまうんです」
 旅人の問いかけにあっけらかんと答えた娘の名はソフィア=アストゥール。数年前に両親を亡くし、村長夫妻に引き取られて暮らしていると答えるその横には、常人の目には映らない『影』が心配そうに佇んでいる。
 それはまさしく、月より切り離された魔力の塊。魔術士達が《魔族》と呼び、使役する異形のモノは、複雑な術式と魔法陣によって地上へと召喚される。術者の力量が及ばなければ呼び出した魔族に食われる場合もあり、また契約には代償――時として、術者自身の生命も含まれる――が必要だ。習得の難しさと代償の大きさ故に召喚魔術は不人気で、修めている者は数少ない。
 そんな困難かつ危険な術を、この娘は自力で成功させたことになる。
 勿論、術は不完全で、あちこち綻びが生じていることは明白だ。娘が嘆く通り、これではいくら呼び出したとしても数日かそこらで月へ還ってしまうことだろう。
(誰に教わることもなく、召喚の儀をやってのけたというのか……)
 そもそも、訪れる旅人もほとんどない辺境の村に、師事できる魔術士がいるはずもない。故に彼女は溢れる才能を生かすこともなく、他の村人と共に家畜と畑の世話に追われていた。
「なんとまあ……」
 驚きを通り越して、最早言葉も出ない。
 呆然と立ち尽くす老魔術士を、娘は不思議そうに眺めている。
 衝撃が過ぎ去って、代わりにふと脳裏を過ったのは、かつて東大陸に君臨した魔法大国、その最後の女帝ルシエラ・エル=ルシリス。彼女もまた、その才能を持て余していたところを旅の魔術士に見出され、やがて宮廷魔術士を経て女帝の座に就いたという。
 ルシエラを見出したという魔術士は、きっと今の自分と同じことを考えただろう。
 この類稀なる才能を埋もれさせてしまうことは、大いなる損失だ、と――。
 そして月明の魔術士オーグは人生で初めて、弟子は取らないという主義を曲げた。
「ソフィアといったな。そなたには召喚魔術の才がある。研鑽を積めば歴史に名を残すような魔術士となるだろう」
「はあ……そうなんですか?」
 冷静さを装って必死に紡ぎ上げた台詞は今一つ心に響かなかったようなので、慌てて口説き方を変える。
「そなたにしか見えない『友達』を、きちんと呼び出す方法を学びたくはないか」
「学びます!」
 即答した勢いで村長夫妻を掻き口説き、その日のうちには出立の準備を済ませてしまったソフィア。
 あまりの展開の早さに、提案したオーグの方が心配になったほどだったが、ソフィアはあっけらかんと笑って言った。
「見知らぬ相手に嫁がされるより、魔術士になる方がよっぽど楽しそうですもの」
 つい先日成人したばかりのソフィアには、そんな話もちらほら出ていたのだろう。となればオーグの提案は彼女にとってまさに渡りに船だったわけだ。
「なるほど、利害が一致したというやつだな」
 苦笑するオーグに、笑って頷くソフィア。
「それに、ずっと思ってたんです。この友達がもっと長くそばにいてくれたらって。その方法を教えてもらえるんですもの、こんなに嬉しいことはありません」
 そのためなら、どんな辛い修行にも耐えてみせる。そう語った彼女の決意は固かった。
 まるで海綿が水を吸い込む如く、あっという間に必要な知識や技術を習得し、腕を上げていったソフィア。わずか半年足らずで召喚魔術を修めた彼女は、あの日熱く語った通り、見事に『友達』――魔族を月より召喚してのけたのだ。

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