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第五章[18] |
暗闇に沈む村でただ一つ、ほのかな明かりが灯る家を目指して夜道を進む。 もう眠りに就いているだろうと思いきや、遠慮がちに叩いた扉はすぐに開いて、心配そうな顔の村長が出迎えてくれた。 「ああ、良かった。お連れの方が青い顔で戻られたから、よもや何かあったのかと心配しました」 背後で安堵の息が漏れるのを捉えながら、せいぜい愛想のいい顔を取り繕ってまくし立てる。 「ご安心ください。墓地にたむろしていた浮遊霊はこいつが無事、輪廻の輪に還しました。ただ、メアリアの奴、亡霊を間近で見たのが相当堪えたようで、あまりに騒ぐんで先に帰したんですよ」 まことしやかに喋るラウルに、村長はそうでしたか、と何度も頷いて、そしてラウルの背中に隠れるように立ち尽くしていたローラへと、深々と頭を下げた。 「村人に代わり、心より感謝申し上げます。これでみな、安心して暮らすことが出来ます」 「いや、その……。私は、できることをしただけだ」 歯切れの悪い返答に、しかし村長はいやいやと首を振る。 「ご謙遜なさいますな。あなた様は我らの憂いをたちどころに晴らしてくださった。これでソフィアも静かに眠ることが出来ましょう」 「!」 思わず目の前の背中をぎゅっと掴むローラだったが、村長が続けた言葉はごく穏やかなものだった。 「あの歌声が聞こえるようになってから、みな墓地に近寄ろうともしませんでしたからな。ソフィアも寂しい思いをしたでしょう。どれ、明日にでも墓参りに向かいましょうか」 「うん。それがいいと思う」 ほっと息を吐き、そうとだけ答えて再び背中に引っ込むローラ。彼女も疲れ果てているはずだ。これ以上の負荷をかけるのはまずい。そう判断して、さり気なく話題を変える。 「そうだ、メアリアはどうしました?」 「お連れさんでしたら、二階に上がったきりですが……」 よほど怖い思いをされたのでしょうなあ、と心配そうに呟く村長に、背中を掴む手に力が入るのを感じながら、そうですかと相槌を打つ。 「俺達も疲れているので、今日はもう休ませてもらいます」 「ゆっくりお休みくだされ。ああ、何か温かいものでもお持ちしましょうか?」 「いえ、お気遣いなく。それではお休みなさい。良い夢を」 にこやかに挨拶をして、そそくさと階段を上がる。薄暗い板張りの廊下を進めば、宛がわれた部屋はすぐそこだ。 躊躇するローラの代わりに、そっと扉を叩きながら、声を絞って呼びかける。 「メアリア? 起きてるか?」 何度か繰り返したが、返事はなかった。落胆と安堵の入り混じった複雑な表情をしているローラを見やり、ひょいと肩をすくめてみせる。 「もう寝ちまったかな。じゃあ、俺の部屋で話そうか」 「ああ。そうだな」 すぐ隣の扉を開け、壁の金具に角灯を引っ掛ける。橙色に照らし出された部屋は、普段は客間として使っているのだろう。寝台の他には机と椅子が一脚、そして小さな収納家具が置かれているだけの小ざっぱりとした部屋だ。 やはり疲れたのだろう、動きが鈍いローラを椅子に座らせ、籠から取り出した夜食を並べてやると、どんよりとしていた顔がぱっと輝いた。 「わあ、どれもおいしそうだな!」 「お前な……」 相変わらず食い意地の張った彼女に苦笑いを浮かべ、さて、と寝台に腰を下ろす。 「食べながら話そう。半分こだぞ」 「う、うん!」 早速とばかりにパンに齧りつき、具材入りと気づいて歓声を上げるローラ。ラウルもまたパンをくわえながら、荷物からローラ国の地図を引っ張り出した。 「用心棒、お行儀が悪いぞ」 「うるせえ。いいか、今いるトゥールはここ。首都はここだ。最短距離で首都へ戻るためには、エルドナまで出て乗合馬車に乗るのが一番手っ取り早いと思うんだがな」 ルフィーリの馬車酔いが酷いため、また万が一、指名手配犯と見咎められた場合を懸念して避けてきた手段だが、今はなりふり構っていられない。 「守備隊に見つからずに乗り込めれば、もうこっちのもんだ。問題は、その後どうやって城に忍び込めばいいかってとこだな」 「なんで忍び込む必要がある? 真正面から入ればいいじゃないか」 きょとん、と小首を傾げるローラに、おいおいと溜息を吐くラウル。 「お前はよくても俺は入れないだろ。お前一人で国王に掛けられた禁呪をどうにかできるならそれでもいいんだがな」 「う……そうだった」 亀のように首をすくめるローラを睨みつけ、大体なあ、と続ける。 「国王に禁呪をかけた奴が誰かも分かってない状況で、たった一人で城に乗り込む気か? 無謀にもほどがあるぞ」 そう。考えなければならないことはまだまだたくさんある。迷っている暇はないが、失敗してやり直す暇もないのだ。 「そうだ、城から脱出する時に使った秘密の通路を逆にたどればいいんじゃないか?」 その提案に、ラウルは呆れたと言わんばかりの顔になって、げっそりと口を開いた。 「お前……その秘密の通路で散々迷ったのを忘れたのか?」 バツの悪い顔で沈黙するローラ。しかし彼女の言葉で一つ、閃いたものがあった。 「――そうか、盗賊ギルドに頼んでみるって手があるな」 「なるほど! ギルドなら城へ続く抜け道の一つや二つ、掴んでてもおかしくないもんな!」 「……喜ぶところじゃない気がするんだが……まあいい」 警備隊長辺りが聞いたら卒倒しかねない台詞だが、今はなりふり構っていられないのも事実だ。 「とにかく首都に辿り着くのが先決だ。まずはエルドナまで、強行軍になるが、いいな?」 「もちろんだ!」 ドンと胸を叩いてみせるローラに、よしと頷いて、地図を再び荷物の中にしまい込む。そしてひとまずは夜食を片付けようと机の上を見回せば、半分こだと念を押したのにもかかわらず、机の上の食べ物はあらかた食い尽くされていた。 「お前なあ……!!」 「だって、用心棒が全然食べないから!」 「喋ってたんだから食べられないのは当たり前だろうが! まったく……」 申し訳程度に残っていた蜜菓子を口に放り込んで、その優しい甘さにほっと表情を緩める。 「あの奥さんは本当に料理上手だな」 「だろう? ソフィアも料理は得意だったけど、あの味は出せないっていつも言っていた」 言いながらそろそろと手を伸ばすローラに最後の一つを譲ってやり、膝に散ったパン屑を叩いて立ち上がったラウルは、机の上をざっと片づけながら、ふと思い出したように口を開いた。 「そうだ。一つ聞いておきたいんだが」 「なんだ?」 「さっき言ってた……幻魔族だったか? あまり聞かないが、どういう種族だ?」 そもそも魔族という存在自体、一般には馴染みが薄い。冒険者や魔術士といった知り合いが多いラウルでさえ、魔術士が月より召喚する魔法生命体の総称である、程度の知識しか持ち合わせていなかった。 「そうか、用心棒も魔術関係はあまり詳しくないんだったな」 普段は教わってばかりの相手に説明出来るのがよほど誇らしいのだろう、いやに張り切った様子で、得々と話し出すローラ。 「魔族には六つの種類があるんだが、世間一般に名を知られているのは、よくお話の中で悪の魔法使いが従えている獣型の奴だな。獣魔族というんだが、一般的には魔獣と呼ばれているかな。あいつらはあまり頭が良くなくて、時々召喚主を食ってしまうことも――」 「そういう豆知識はいいから、とっとと本題に入れ」 鋭い突っ込みにしまった、と舌を出し、改めて解説を始める。 「幻魔族は変幻自在――まあ、簡単に言うと幻を操る種族だ。幻を生み出すこともできるし、物や人の姿形を変化させることもできるんだぞ」 どうだ、とばかりに胸を張るローラだったが、ラウルは眉をひそめて、ぼそっと呟いた。 「……使い道に困る魔族だな」 「そうか? 変装して街に出かけたり、お目付け役に見つからないように壁と同化して隠れたり、夜中に怪物の幻を廊下の向こうに張り付けておいて衛兵を驚かせたりとか、色々と役に立ってたぞ」 「……ソフィア王妃がどんな人だったか、よーく分かった」 しまった、と口を押さえるローラを尻目に何やら考え込んでいたラウルだったが、ふと思いついたように顔を上げる。 「ということは、お前のその姿とか、俺の姿も変えられるってことだよな?」 魔術での変身が可能なら、こんな小手先の変装など必要なくなると思ったのだが、ローラはそれがなあ、と腕を組んだ。 「さっき、記憶と力を封じてソフィアの胎内に宿ったという話はしたよな」 「ああ。人間として生きるにはそれしかないからだろ?」 「それもあるんだが、この人間としての体を維持するためでもあるんだ」 幻魔族は本来、実体を持たない種族だ。故に、実体を維持するには魔力で肉体を形作る必要がある。 「封じた魔力は実体を維持するために使っているから、この体のままで魔法を使うのは難しくて――」 「だったら、一度元の姿に戻ればいいじゃないか」 そう難しいことではないように思えたのだが、ローラはそうなんだけど、と言葉を濁す。 「その、な……何しろ十年以上、力を使ってなかったから……」 もじもじと指を突き合わせるローラに、まさか、と呟くラウル。 「……お前、力の使い方を忘れたとか抜かすなよ?」 「――忘れた」 「あほか!!」 思わず叫んでしまったラウルを、誰が責められようか。 「お前、魔族が魔法の使い方を忘れるって、魚が鰓呼吸の仕方を忘れるくらいありえないだろうが!」 「仕方ないじゃないか! 用心棒だって、長い間料理をしなかったら、卵の割り方を忘れたりするだろう?」 「そんなわけあるか!!」 全力で否定してから、つい夜中にも関わらず大声を出してしまったことを恥じ入り、こほんと咳払いをしてごまかす。 「まあいい。要するにお前は今まで通りってことだな」 何も考えずにそう言っただけなのに、ローラは妙に嬉しそうな顔をして、大きく頷いてみせた。 「ああ。変わらない。記憶が戻っても、人間でなくても、私は私だから」 「そりゃそうだ」 何を当たり前のことを、と呆れ顔で呟きつつ、大分逸れてしまった話を本筋に戻す。 「とにかく時間が惜しいからな。明日は早くに村を発って、まずはエンリカに戻ろう」 エンリカでうまくエルドナ行きの乗合馬車を捕まえることが出来れば、移動時間は大幅に短縮できる。それが無理でも、アシュトに頼み込めば近くの町まで荷馬車に乗せてもらえるかもしれない。 「うん、そうだな」 明日の予定が決まったところで、ここで一つ、避けては通れない問題がある。 「……メアリアにはいつ話す?」 「今しかないだろ。寝てるところ悪いが、叩き起こして今後の説明をしないと。ほら、行くぞ」 「で、でも……」 怖気づくローラを追い立てるようにして隣の部屋へ向い、再び扉を叩く。 「メアリア! 入るぞ」 返事を待たず、扉に手をかけるラウル。横から抗議の声が上がったが、構うことなく室内に一歩足を踏み入れ――息を呑んだ。 「……用心棒?」 喚くのを止めて、横からひょいと顔を出したローラが、同じように息を呑み、その場に立ち尽くす。 「メアリア!?」 窓から差し込む僅かな光が、誰もいない部屋を静かに照らしていた。 「寝台を使った形跡はないが……一度は部屋に戻って来たことは確かだな」 すばやく辺りを見回し、床に散乱した荷物に目を止めて、そう断言する。 「メアリア……、まさか、一人で……」 青ざめるローラに、いいやと首を振るラウル。 「これだけ荷物が残ってるんだ、村から出てはいないだろう」 散乱こそしているものの、着替えや身の回りの小物といったもの、挙句は財布の類まで、そっくりそのまま残されている。恐らくは荷物の中から何かを探し出して、元に戻す余裕もなく出て行ったのだろう。 「探してくるから、お前は先に寝てろ」 「用心棒! 私も――」 「いいから任せとけ。俺の方が夜目が利くしな」 更なる抗議が飛んでくる前に扉を閉め、さっさと階段を下りる。真っ暗な廊下を進み、裏口に回ろうとしたところで、台所から漏れる明りに気がついた。 「村長?」 そっと声を掛けると、ごそごそと棚を漁っていた村長が驚いたように顔を上げた。 「おお、これは……。いかがしました?」 「驚かせてすみません。寝付けないので、夜風にあたろうと思いましてね」 「そうでしたか。私はちょっと、喉が渇いてしまいましてな。ついでに小腹も空いたので、妻には内緒で何か摘まもうかと……」 いたずらがばれた子供のように、照れくさそうに笑う村長。血のつながりがなくとも、ソフィアやローラの気質はまさにこの人から受け継がれたものなのだろう。 「村長。急な話で申し訳ありませんが、明日早くに出立することになりまして……」 そう切り出すと、村長は実に残念そうにそうですか、と肩を落とした。 「しばらく逗留いただければ、村の者もさぞ喜んだでしょうに、いやはや残念ですなあ」 「すみません、急な用事ができてしまったものですから。暁の三刻には発とうと思います。早朝からお騒がせしますが、ご容赦ください」 「なに、その時間でしたらもう、年寄りは起き出しておりますでな。朝食の用意はちと間に合わないかもしれませんが、簡単な弁当でも用意しましょう」 「いえ、そこまでご迷惑をおかけするつもりは……」 そう言って辞退しようとしたのだが、村長はいやいや、と手を振った。 「妻が張り切っておるのですよ。あのお嬢さんの食べっぷりを大層気に入ったようでね。ほれ、普段は年寄り二人の侘しい食卓ですからな。こう賑やかなのはソフィアがいた時以来で、なんだか嬉しくてねえ」 目を細めて笑う村長。そして、ふと思い出したようにこう尋ねて来た。 「そう言えば旅の方、お名前を伺っておりませんでしたな。よろしければお聞かせ願いませんか?」 これはうっかりしていた、と頭を掻くラウル。 「名乗りもせずに失礼しました。俺はラズ。そしてあいつは――ローラと言います」 「ほお……そうでしたか」 うんうんと何度も頷いて、嬉しそうに微笑む村長。ローラという名は北大陸、特にこの国ではごくありふれた名前だ。 「良い名ですな。ラズ殿は他国の方のようですが、ご存知ですかな? 建国王ローラ一世は、勇猛果敢な姫将軍と謳われたお方。あのお嬢さんも、まこと名に恥じぬ勇敢さをお持ちだ。将来が楽しみですなあ」 何気なく紡がれた言葉に、胸が痛む。将来を夢見ることすら、彼女にはもう許されていないのだ。 「……ええ、そうですね」 ただそうとだけ答え、それではと会釈をして裏口へと進む。鍵すらついていない木戸を開けて外へ出れば、青い闇が押し寄せてきた。 「さて……と。あの姉さんはどこへ消えたもんかな」 月明かりを頼りに、注意深く辺りを見回しながら歩き出す。そうしてしばらく進んでいくと、敷地の外れに立つ物置小屋の陰で、何かが揺れているのが見えた。 『……闇を見通す瞳を貸し与えたまえ』 素早く唱えれば、ぐんと見通しの良くなった視界の先に揺れているものが、女性服の裾であるとはっきり見て取れる。間違いない、メアリアだ。 (そう遠くには行ってないと思ったが、当たりだったな) 足音を忍ばせ、距離を詰めていく。小屋の隅に座り込んだ彼女はこちらに背を向けており、その顔を見ることは出来なかったが、風に乗って途切れ途切れに聞こえてくるのは嗚咽だろうか。 (ずっと傍にいたんだ、そりゃあ驚いただろうなあ) 長年仕えてきた相手が本当の王女ではなく、まして人間でもないと知らされたのだ。その驚きは、つき合いの短いラウルとは比べ物にならないだろう。 気が咎めたが、今は時間がない。つかつかと歩み寄り、声を掛けようとした瞬間、夜風に乗って聞こえてきた声に足を止める。 「……ええ……確かに、……そうです……王の子……魔族だと、そうはっきりと……!」 嗚咽などではない。はっきりと紡がれた声に思わず目を見開きながら、咄嗟に暗がりへと身を潜ませる。幸い、こちらに気づいた様子のない彼女は、僅かに震える声で話を続けている。 そんな彼女の小さな背中をじっと見つめながら、ラウルは無言で歩を進めていった。 |
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