第六章[2]
 そもそも、ユースフやヒューゴがナジードの下を離れて行動していたのには理由がある。
 怪盗《月夜の貴公子》の足取りを追って辺境地域までやってきた捜索隊だったが、辺境地域は小村が点在しており、一つ一つを当たるのでは時間がかかる。そこで、拠点を定めて隊を分割し、それぞれ担当地域を決めて捜索と聞き込みを行うことにした。それが七日前のことだ。
 ユースフの隊は街道沿いの村を辿って、最後にローラ国最北端のエンリカで聞き込みをして戻ってきたばかりだが、彼らが聞き込みを行ったのは怪盗《月夜の貴公子》の目撃証言だけではない。

「隊長の読み通りですな」
 尚も詰め寄ろうとするヒューゴを脇に押しのけ、代わりに進み出たのは、指名を受けた古参兵だ。
「エンリカについた時は、乗合馬車が行っちまった後だったんでね。こんなところまで歩いて来るなんて酔狂な人間もいたもんだと笑われましたよ」
 エンリカはローラ国最北端の町として有名だが、北大陸で唯一、平原人と海人とが共存している町としても広く知られている。
 町中には水路が縦横に張り巡らされ、海人達はその水路を使って移動する。水路は大氷原にも繋がっていて、海人達はそこから北海へ漁に出て、彼らにしか取れない海産物を持ち帰り、それを平原人が加工して販売を行う。そうやって、彼らは共存生活を数百年に渡って続けているのだ。
 他に類を見ない形で発展した町だけに、辺境にも関わらず観光客が頻繁に訪れるため、旅人を装ったユースフ達がふらりと立ち寄っても不審に思われることはなかった。
「王女達が立ち寄った形跡は?」
「住人や宿の主人にも聞いたんですが、それらしき話は出てこんかったですな。少し前に乗合馬車でやってきた客の中に、赤毛の美女がいたとは言ってましたが、どう見積もっても二十歳は超えてたっていうから、年齢が合いませんや」
 美女、という単語に一瞬口元が緩みかけたが、すぐに真顔に戻って報告の続きを促すナジード。
「昔の話を聞きたいって態で村長を尋ねてみたんですが、数年前に代替わりしたばかりだそうでね。埒が明かなかったんで、古くから村のご意見番を務めてるっていう海人に話を聞きに行ったんですわ」

 教えられた酒倉へ赴くと、通された応接間には巨大な水槽が設けられ、そこでにこやかに出迎えてくれたのは二十歳そこそこにしか見えない海人の男性だった。
 虹色にきらめく尾びれを優雅に揺らして、こんな辺境までようこそお越しくださいました、と愛想よく迎えてくれた彼こそが『エンリカのご意見番』ことアシュト。巷では『氷結酒の酒倉』として有名な『アシュトの酒倉』の主である。
 そもそも海人を見るのが初めてだったヒューゴは呆気に取られて黙り込んでしまい、ユースフに脇を小突かれてようやく我に返り、あたふたと用意の口上を述べた。
「我々は古い伝承を研究しているのですが、実はその――『大氷原に王家の秘宝が眠っている』という噂を耳にしまして……。何か、心当たりはありませんか?」
 たどたどしいヒューゴの言葉に、アシュトは笑顔で首を横に振った。
「そんな話は聞いたことがありませんね。そもそも、そんなものが大氷原にあるのなら、とっくの昔に我らが見つけているでしょう。あなた方にとってあそこは氷に閉ざされた未踏の地でしょうが、我らにとって、あの大氷原は住み慣れた故郷ですから」
 そうしていたずらっ子のような表情を浮かべ、ちょいちょいと二人を手招きするアシュト。訝しげに近寄る二人に、ここだけの話ですが、と前置きをして、声をひそめる。
「実は――大氷原の分厚い氷の下には、我ら海人の都市があるのですよ」
 ええっ、と声を上げるヒューゴに、内緒ですよ、と片目を瞑ってみせるアシュト。
「そもそも、あなた方はあの氷原のどこまでが大地で、どこからが海に張り出した氷なのかも分かっておられない。そんな状態で、目印のつけようもないあの白銀の地に、王家の財宝などという大事なものをおいそれと隠せるでしょうか? 私がその場に居合わせたら『悪いことは言わないから峻嶮イル・ファーレの洞窟にでも隠しなさい』と忠告するでしょうね。埋める場所を少し間違えたら、まさに海の藻屑となり果てますよ? まあ、そうなったら我々がちゃっちゃと回収して売りさばくでしょうけどね」
 恐ろしいことをさらりと言ってのけた海人は、ヒューゴの慄きっぷりに笑顔で「冗談です」と付け加えたが、どうにも目が笑っていない。
「そもそも、この大氷原に我らの先祖が住み着いたのは、ローラ国建国以前の話です。まして、エンリカの町が出来る前まで、この辺りに来る平原人自体が稀でしたからね。やってくれば目立ちますから、すぐ気づいたでしょう」
 ローラ国がこの地に興ったのは今から三百年ほど前。それ以前はドゥガル帝国が北大陸全土を支配していた。その頃は北部の大氷原並びに北の大山脈は女神アイシャスの住まう地とされて立ち入りを禁じられ、まともな地図さえ作られていなかったという。
 ちなみにエンリカが出来たのは百五十年ほど前で、その頃からアシュトはこの地に住み着いているというのだから恐れ入る。
「――ところで、あなた方はその秘宝を、どんなものだと考えておられるのでしょう?」
 思いがけない問いに、目を瞬かせるヒューゴ。
「え? そ、そりゃあ……王家の秘宝っていうからには、金銀財宝なんじゃ」
「お前は発想が貧困だなあ。もしかしたら、王家の一大事に備えて、どえらい秘密兵器を隠したのかもしれないぜ?」
 訳知り顔で言ってのけるユースフ。そしてアシュトも面白そうに、うんうんと頷いてみせる。
「私もね、まずそれを考えちゃったんですよね。ローラ国の祖はドゥガルの双子姫。大陸の東西に分かれて建国したのは、腐敗した帝国を立て直して分割統治するためだったと伝わってはいますが、一方ではこの姉妹、とんでもなく仲が悪く、国を二分した壮大な姉妹喧嘩の果てにこうなった、なんて話もあります。もしまたお姉ちゃんが難癖をつけて来た時のために、隠し玉を用意しておいた、なんてオチだったりすると、面白いですねえ」
「いや、面白くないですよそれ」
 思わず突っ込んでしまってから、すみませんと頭を掻くヒューゴ。
「いやはや、年寄りの与太話だと思って聞き流してください。ただねえ、もし巨大兵器か何かだとすれば、ますます大氷原に隠すのは無理があるというものです。こんなところに隠して、いざ使おうとしたら凍りついて使い物にならなかった、なんて、笑い話にもなりませんしね」
 あっはっはっは、と笑ってみせてから、アシュトは水槽の縁にもたれかかると、実に楽しそうに話を締めくくった。
「というわけで、王家の秘宝というのは、噂が肥大化して出来上がった、ただの作り話でしょう。遠路はるばるいらっしゃったのに、夢を打ち砕くようで申し訳ありません。お詫びにと言ってはなんですが、うちの酒を味見して行ってください。今年の氷結酒は十年に一度の出来なんですよ」

「……というわけで、酒を仕入れてきました。表に詰んでありますから、後で飲みましょうや」
 ホクホク顔で報告を終えたユースフに、ナジードがそうかそうかと頷く。
「氷結酒か、新酒にありつけるとは幸運だな」
「隊長!! 俺達は珍しい酒を仕入れに行ったんじゃないんですよ!」
 ヒューゴの怒鳴り声に、おっといけないと顔を引き締め、こほんと咳払いをするナジード。
「他の隊からの報告も同じだった。少なくとも、この辺りに『王家の秘宝』にまつわる噂話やら、それに関する情報は一切出てこない。別口で『専門家』にも問い合わせてみたが、答えは同じだったよ。『そんなもんがあるなら、とっくに狙ってる』とさ」
「……」
 一体どんな『専門家』に聞いたのか、恐ろしくて聞けないヒューゴだった。
「魔法大国時代やドゥガル帝国時代のお宝の噂はわんさか出て来るのに、だ。あまりの情報の多さに、守備隊なんざ辞めて探索者にでも転向しようかと思ったくらいだ」
 とんでもない軽口を叩き、そしてナジードは、まるで夕飯の献立でも聞くような気安さで、こう問いかけた。
「なあ、ヒューゴ。王家の秘宝が存在しないとしたら、怪盗《月夜の貴公子》は何が目的で王女を誘拐し、北へ向かったと思う?」
「そ、それは……」
 当初、怪盗《月夜の貴公子》はそれを目的に王女を誘拐し、北へ向かっていると推測されていた。その情報を元に、ナジードらも北へ北へと捜索の手を伸ばした。実際、彼らの足取りは北へ向かっていたわけだが、その目的について、ローラは「どうか追わないでくれ。私は必ず戻る。そう信じて、今は待っていてくれ」と懇願しただけだ。
 その様子から、王女は誘拐されたのではなく、自らの意志で北へ向かっていること。そこに何か事情があることは明白だ。
「怪盗に誘拐されたのではなく、王女自身が王を暗殺せんとし、失敗して逃げたのだとしたら、怪盗《月夜の貴公子》は何のために王女と行動を共にしている? いや――この前提条件は間違っているんだ。そもそも、あの神官が怪盗《月夜の貴公子》であるはずがないからな」
 何気ないその一言に、平然と頷く隊員達。ただ一人、ヒューゴだけが逆に動揺してしまい、お前もまだまだひよっこだなあと笑われる。
「怪盗の出現時期と、西部が雪に閉ざされていた時期が重なるなんて、ちょっと考えれば分かることだからなあ」
 顎髭を撫でつつ言ってのけたのは、ユースフと並んでナジードの片腕を自負するカイウスだ。
「ヒューゴ、お前も西部の生まれなら、あの辺りが豪雪地帯で、冬場は街道が封鎖されて雪解けまで陸の孤島と化すことくらい知ってるだろう」
「ええ。特に今年は雪が深くて、俺の村のあたりは三の月後半まで雪に埋もれていたそうです。四の月になってようやく手紙が届いて、妹から散々『なんで雪かきに来てくれなかったのよ』となじられましたよ」
 ヒューゴの生まれ故郷はエスト近郊のラトク村だ。伝令ギルドの配達状況や街道の封鎖状況もほぼ同じと考えていいだろう。
 一方、守備隊の記録によれば、三の月二十四日の夜には、首都のとある男爵家に怪盗《月夜の貴公子》が忍び入り、初代女王ローラより賜ったという家宝の指輪を盗み出していることになっている。
「あの神官が瞬間移動の出来る腕利きの魔術士だっていうなら話は別だが、そうでもない限り、首都で怪盗として暗躍するのは無理ってわけだ」
 そう結論付けるカイウスに、ナジードがよくできました、とばかりに手を叩く真似をしてみせる。
「何より、王女も神官も、国王が襲われたことを知らなかったわけだからな。だとすれば、怪盗による一連の騒ぎと国王襲撃事件は全くの別物として考えなければいけない」
「つまり、王女と神官さんが何らかの理由で城を出たのと同時に、別の誰かが国王を襲撃し、その罪を神官さんになすりつけた……?」
 そこで話が終われば、まだましだった。事件の矛盾を決定づけたのは、昨夜届いたばかりの緊急指令書だ。
「ところがどっこい、今度は『すべての元凶は王女を騙った魔族の仕業でした』なんて、突拍子がないにも程がある」
 それはまるで、演じるそばから脚本の変わる芝居のようだ。となれば、話の筋を捻じ曲げているのは、脚本家なのか、それとも役者の方なのか。
「――隊長、一体どうするつもりですか」
 真剣を通り越して悲壮な顔で問うてくるヒューゴに、ナジードはひょい、と肩をすくめてみせる。
「どうするもこうするも、俺らは一介の兵隊に過ぎん。兵隊は上からの命令に従うしかなかろう?」
 あっさりと答えられて、ヒューゴは思わずバンッ、と机を叩いた。
「そんな、訳の分からない命令でも、ですか!?」
「おい、ヒューゴ――」
「ローラ様が魔族だったなんて、ただでさえ信じられないのに、それを討ち取れ、生死は問わないだなんて……そんな……そんな命令、従えませんよ!!」
 ぐっと拳を握りしめるヒューゴに、ナジードはにやり、と意地の悪い笑みを浮かべてみせる。
「おいおい。あまり下手なことを言うと、お前さんも『魔族に加担した』かどで処罰されるかもしれないぞ?」
「隊長!!」
 息巻くヒューゴを尻目に、懐から紙巻き煙草を取り出すナジード。もちろん火はつけず、咥えたそれを揺らしながら、からかうように続ける。
「まあ冷静になれ。俺達は兵隊だ。上からの命令には従う義務がある。――だがな」
 おもむろに立ち上がり、固唾を飲んで見守る隊員達をぐるりと見渡して、ナジードは朗々と言い放った。
「俺は国王陛下に忠誠を誓った兵士だ。陛下の命令ならば命を賭しても全うするが、『国王代理』なんて訳の分からないモンの命令に、これ以上従うつもりはない」
「隊長!」
 ぱあ、と顔を輝かせるヒューゴ。その後ろから地鳴りのように湧き上がる歓声は、いつの間にやら増えていた隊員達のものだ。天幕の外からも聞こえてくるところを見ると、どうやらヒューゴ達が抗議に行ったのを目ざとく見つけて、じっと耳をそばだてていたようだ。
「その言葉を待ってたぜ、隊長!」
「ったく、あんたも腰が重くなったもんだ。昔なら指令書なんぞさっさと破り捨てて、『俺はやりたいようにやる』なんて啖呵を切っててもおかしくないのによ」
「おいおい、人の決め台詞を取ってくれるなよ」
 苦笑しながら立ち上がり、集まった仲間達の顔をざっと見まわして、ナジードはきっぱりと宣言した。
「只今をもって、捜索隊は解散する! 解散するが、俺はこのまま真相を追及する。ついてきたければ勝手についてこい!」
 再び歓声に包まれる天幕。ただでさえ狭い天幕の中で、荒くれ者どもが拳を振り回してがなっているものだから、喧しいことこの上ない。
「ったく、お前らも酔狂な奴らだな」
「なに、命令違反はいつものことでしょうが」
「隊長についていった方が、面白そうだからなあ」
 突然の解散宣言にも動じず、そんな軽口を叩き合う隊員達。そんな彼らに混じって歓声を上げているヒューゴに、ナジードはぐしゃりと丸めた指令書を無造作に投げつけた。
「うわっ、何するんですか隊長!」
「その『紙屑』は処分しておけ。あと半刻で出発するぞ。ついてきたい奴はさっさと準備に取り掛かれ。それと――」
 外にいた隊員達がどっと押し寄せたせいで、すっかりまくれ上がった天幕の入口。その向こうで、こそこそとこちらの様子を窺っていた魔術士に目をやり、にやりと笑うナジード。
「――魔術士殿は慣れない長旅でお疲れらしい。そういや近くの村に温泉があったなあ。そこでしばらく逗留して、ゆっくりと体を休めていただくとしようか」
「了解しました!」
 びし、と敬礼をし、足早に天幕を出ていくヒューゴ以下数名。やがて天幕の向こうから何やら騒がしい声が聞こえてきたが、すぐに静かになる。
「あいつもすっかり、うちに馴染んだなあ」
 実に楽しそうに呟いて、再び椅子にどっかと腰を下ろしたナジードは、咥えていた紙巻き煙草を懐にしまい込むと、やれやれとぼやいてみせた。
「早いとこ、心置きなく一服できる日が来てほしいねえ、まったく」