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Birthday Cake 〜ベネットの店〜

 そのお店は、街の片隅にありました。
 『ベネットの店』とだけ書かれた簡素な看板。古びた飾り窓の向こうには、いつも焼きたてのパンが並んでいます。
 そう、そこは街で評判のパン屋さん。パンの焼けるいい匂いに引き寄せられて、毎日大勢の人々がパンを買いにやってきます。
 そうして、飾り窓の一番真ん中、銀の盆に飾られたケーキを見ては、うっとりと溜息をつくのです。

「ああ、あれは売り物じゃないんだ。悪いがほかを当たってくれ」
 あのケーキを売ってくれとやってくるお客さんに、店主は必ずそう答えます。どんなにお金を積まれても、例え国王陛下がご所望だと言われても、頑として頷きません。
「昔、本当に陛下から売ってくれと言われちまってな。でも断ったんだ。あの時は打ち首になるかと思ったが、どうにか繋がってるよ」
 豪快に笑う店主に、焼きたてのパンを抱えた壮年の神官さんは不思議そうに首を傾げました。
「国王陛下の頼みすら断ってまで、あのケーキを飾る理由というのは、一体何なんだい?」
 そりゃあ簡単なことさ、と店主は笑います。
「あれは、誕生日を祝うケーキなのさ」

 『ベネットの店』の飾り窓には、こんな張り紙がしてあります。

『今日も誰かの誕生日おめでとう!』

 まるで詩の一節のようなそれは、店主の口癖でもありました。でも、殴り書いたような文字の下に小さく書かれた文章に気づいている人は、実はとても少ないのです。

『今日お誕生日の方に、こちらのケーキを差し上げます』


「あーあ、今日が誕生日だったらよかったのに!」
 お母さんに連れられてやってきた男の子は、飾り窓のケーキを見てがっかりと肩を落としました。今日のケーキは、男の子が大好きな船の形をしていたからです。
「坊主の誕生日はいつだ? その日はまた船の形にしてやるよ」
 店主はそう言って、壁に掛けられた暦をめくりました。暦に書き込まれた沢山の名前。それを見て、男の子は目を丸くしました。
「それ、みんな誕生日の子の名前?」
「ああそうさ。見てみろ、誰も生まれなかった日なんてどこにもない。毎日誰かが生まれて、毎日が誰かの誕生日なんだ。素敵だろ?」
 そう言いながら、店主はたくさんの名前で埋め尽くされた暦に、男の子の名前を書き入れました。

* * * * *

 『ベネットの店』はほとんど毎日、夕暮れ前には店を閉めてしまいます。なぜなら、その頃には全ての商品が売り切れてしまうからです。
 今日も日没の鐘が鳴り響く前に『売り切れご免』の札を出した店主は、すっかり空っぽになった陳列棚を丁寧に拭きながら、誰かを待っているようでした。
 やがて、店の掃除がすっかり終わった頃、カランカランと扉の鈴が鳴る音がしました。
 店の奥で一服していた店主がいそいそと店に出ると、そこには頭の天辺から爪先まですっかり煤まみれになった少年が二人、緊張した面持ちで佇んでいました。
「おじさん、来たよ」
「おお、よく来たな。ちょっと待ってろ」
 そう言って、店主は飾り窓にひとつだけ残っていた船の形のケーキを箱に入れると、少年に差し出しました。
「誕生日おめでとう、イアン」
「わあい、ありがとうおじさん! オレ、ケーキなんて食べるの初めてだよ!」
「そうか、ならお前達兄弟は最高に運がいい。初めて食べるのが、この街で一番うまいケーキなんだからな」
 にやりと笑う店主に、煙突掃除夫の兄弟は嬉しそうに頷きました。二人とも、表の張り紙を見て店に飛び込んだ日からずっと、この日を心待ちにしていたのです。
「本当に嬉しいよ。まるで夢みたいだ!」
「よかったな、イアン。ありがとうおじさん。でもこんなすごいケーキ、本当にもらっていいの?」
 不安げに見上げてくる兄に、店主は不器用に片目を瞑ってみせました。
「心配すんな。お前らから金なんて取らねえよ」
 その代わり金持ちには目一杯ふっかけるけどな、と笑う店主に、兄弟も一緒になって笑い声を上げます。
「でもおじさん、どうして誕生日のケーキを毎日焼いてるの? どうして、オレなんかの誕生日を祝ってくれるの?」
 まっすぐな瞳で尋ねられて、店主はちょっとだけ照れたように頭を掻くと、他の奴らにはナイショだぞと言って、二人の頭を引き寄せました。
「実はな……俺は昔、この誕生日のケーキってヤツが大嫌いだったのさ」


 貧民街で生まれ育ったジョン=ベネットは、自分の誕生日を知りませんでした。両親の顔も、どこで生まれたのかも知りません。色々と悪さもやらかして、それでもどうにか真っ当な働き口を見つけて必死に働き、やがて自分の店を持つような歳になっても、彼は誕生日を祝うことが出来ませんでした。
 そんな彼のもとに、「誕生日のケーキを焼いて欲しい」という注文が舞い込んだのは、店を構えてから三月後のこと。
 妹の誕生日を祝いたいの、と言ってケーキを注文したのは、豪邸に暮らす貴族の娘でした。屋敷の料理人はケーキを焼くのが下手だからあなたにお願いしたいのと言われて、若き店主は絶対にお断りだとそっぽを向いたのです。
「どうして? 誕生日を祝うケーキは特別なのよ。なくてはならないものでしょう?」
「自分の誕生日も祝えないのに、人の誕生日なんか祝えるもんか!」
 思わずそう叫んでしまった店主に、貴族の娘は不思議そうに首を傾げました。
「なぜ自分の誕生日が祝えないの?」
「自分がいつ生まれたのか知らないからだよ、お嬢さん。世の中には、望まれて生まれてくる子供ばかりじゃないってことを覚えておくんだな」
 吐き捨てるように言ってしまってから、しまったと娘の顔を見れば、娘はしばし考え込んでから、突然ぽんと手を叩いてこう言ったのです。
「だったら、毎日お祝いすればいいじゃない!」
「はあ?」
「だって、考えてもみてよ。あなたが知らないだけで、必ずあなたには誕生日があるのよ。だから毎日祝えば、どこかで正解に当たるわよ」
 突拍子もない言葉に息を呑み、そして店主は吹き出しました。
「はは、なるほどな。それは考えなかった」
 なんと前向きな発想。苦労を知らない貴族の娘らしい、実に呑気で楽天的な考え方でしたが、いつだって心のどこかで燻っていた思いが、一気に解き放たれたような、そんな気がしました。
 涙をにじませて笑い転げる店主に、いい考えでしょうと胸を張り、そして娘は高らかに、こう続けました。
「世界にはこれだけ人がいるんだから、毎日が誰かの誕生日なのよ。毎日が誰かの特別な日。そう考えたら、とても素敵なことじゃない?」

 その日から、『ベネットの店』には誕生日のケーキが飾られるようになりました。
 毎日まいにち、誰かの誕生日を祝うために。
 そして、自分の誕生日を祝うために。


「そっか。それじゃあ、もしかしたら今日がおじさんの誕生日かもしれないんだね」
「そうかも知れないな。まあ、もう誕生日を祝うような歳でもなくなったけどな」
「そんなことないよ! いくつになっても、誕生日は特別なんだよ!」
 そう言って、イアンはケーキの箱を開けると、飾られた旗の形のクッキーを一つ取って、はい、と差し出しました。
「誕生日かもしれない日、おめでとう!」
 差し出されたクッキーをぱくりとかじって、店主はありがとよ、と少年達の頭を撫でました。

* * * * *

 口さがない連中は、店の宣伝のためにあざとい真似をすると言います。
 誕生日だと嘘をついて、ただでケーキをせしめようとする者もいます。
 それでも店主は毎日、ケーキを焼きます。そして時折街を歩いては、出会った子供達にこう言うのです。
「お前ら、誕生日はいつだ? 誕生日になったら、俺の店を訪ねて来いよ」
 ある日、いつものように街をぶらついていた店主は、貧民街の片隅で見かけない顔の少年を見つけました。まだ年端も行かない黒髪の少年は、店主を見るなり脱兎の如く逃げ出そうとしました。
「おいおい、待てよ。何もお前さんを取って食おうと言うわけじゃない」
「じゃあ何の用だよ」
 つんけんした言葉に目を細めて、店主は少し離れたところで様子を窺っている少年に、こう尋ねました。
「坊主、誕生日はいつだ?」
「……そんなもの、あるもんか!」
 苦々しく吐き捨てる少年の姿が、昔の自分と重なります。
 くるりと踵を返して走り去ろうとする少年の背中に、店主はこう呼びかけました。
「誕生日が分かったら教えてくれ。お前のために、とびきりうまいケーキを焼こう」


 次にその少年を見かけたのは、数年後のことでした。
 相変わらず飾られているケーキは、今日も誰かの誕生日を祝っています。すっかり有名になったベネットの誕生日ケーキを求めて、毎日のように誰かが店を訪れます。
 それでも月に数日は、誰にも引き取られることなく終わる日がありました。そういう時は店主が、「誕生日かもしれない日おめでとう」と自分を祝いながら、夕飯代わりにケーキを食べるのです。
「今日はとびきりうまく焼けたんだがなあ」
 などとぼやきつつ、ケーキを箱にしまっていた店主は、ふと飾り窓の向こうからこちらを覗きこんでいる人影に気づいて、おやと目を瞬かせました。
 張り紙を読んでいるらしいその人物は、神学生の制服に身を包んでいました。首の後ろできちんと結ばれた髪は、艶やかな黒。そう、数年前に街で見かけた、あの少年ではありませんか。
 思わず店の外に飛び出した店主に、少年はハッと顔を上げると、気恥ずかしそうに目を逸らしました。
「よう、久しぶりだな。大きくなったじゃないか。俺のこと、覚えてるか?」
「……出会い頭に誕生日を聞くような変わり者、忘れるわけないだろ」
 ぶっきらぼうな口調は相変わらずですが、あの時、深い闇に囚われていた瞳には今、溌剌とした光が宿っています。
絶望の淵から抜け出したのだろう少年を見つめ、店主は尋ねました。
「坊主、誕生日はいつだ?」
 あの時と同じ問いかけに、少年は何故か顔を赤くして、そして呟くように答えました。
「……今日、だってさ」
 養父が勝手に決めたんだと、わざとらしく怒ってみせる少年。それでも、その顔はどこか嬉しそうです。
 その時、通りの向こうから少年を呼ぶ声がしました。見れば、子供のようにぶんぶんと手を振っているのは、時折パンを買いに来る壮年の神官さんです。その隣には、なにやら大荷物を抱えた若い神官がいて、同じように少年を呼んでいます。
 踵を返そうとする少年を制して、店主は手にしていた箱を渡しました。
「こいつはお前さんのケーキだ。誕生日おめでとう、坊主」
「坊主じゃない。ラウルだ」
 差し出された箱を反射的に受け取ってしまってから、ぶすっとした顔で訂正する少年。それでも、ラウルと名乗った時にちらりと見せた誇らしげな表情に、店主はうんうんと頷きました。
「そうか、ラウルか。よし。ちゃんと暦に書いておくからな」
 忘れないように今日の日付と少年の名前を頭に刻み込み、そして店主は嬉しさと戸惑いで怒ったような顔になっている少年の背中をばんと叩きました。
「また来年も寄ってくれ、ラウル」
「……気が向いたらな」
 慎重な手つきで箱を抱え、石畳を蹴って走り出す少年。
 その、どこか嬉しそうな横顔に目を細め、そして店主は満足そうに笑いながら店の中へと戻っていきました。


 きっとこれからも、店主はケーキを焼き続けるでしょう
 世界中の誕生日を祝うため
 世界中の奇跡を讃えるために――

 『今日も誰かの誕生日おめでとう!』


おしまい

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