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Happy Bath Day

「いやー、やっぱ風呂はいいなあ」
 変わった形の扇でパタパタと顔を扇ぐエスタスに、カイトはすっかり曇ってしまった眼鏡を磨きながら頷いた。
「ほんと、生き返りますね。蒸し風呂もいいけど、僕はやっぱりこっちの方がいいなあ」
 思わず長湯してしまったため、暖められた部屋の空気が熱く感じるほどだ。火照った体を冷まそうと窓を開ければ、冷たい風が体から立ち上がる湯気を一層際立たせる。
 彼らが肌着姿で寛いでいるのは、卵神官ことラウル=エバストの暮らす小屋の一室だった。
 この小村エストで風呂のある家は村長宅と宿屋、そしてこの小屋だけ。あとは共同浴場とは名ばかりの粗末な小屋があるのみで、そちらは春の突風騒動で半壊して以来、修理されずに放置されたままになっている。
 故に、この村できちんと湯を使いたいと思ったら、三軒のうちのどれかに借りるしかない。
「蒸し風呂はどうも、息苦しくなって苦手なんだよな」
「エスタインにはああいうの、なかったですもんね」
 普段『見果てぬ希望亭』に寝泊りしている彼らは、勿論そこで風呂に入っているのだが、北大陸式の蒸し風呂に馴染めない彼らは嬉々として、度々こちらに『お呼ばれ』しているのだった。
「あー、喉渇いたな」
「水でも汲んできましょうか」
 珍しくいそいそと台所に向かおうとして、カイトはちょうど台所へ続く扉から入ってきたラウルと正面衝突しそうになった。
「おっと、わりぃ。前見えなくてな」
 さきほどまで裏庭で洗濯をしていたラウルは、朝に干した分の洗濯物を大量に抱えていた。無論、彼一人の洗濯物でこうも山盛りにはならない。
「ったく、このくそ寒いのにどうして泥まみれになって遊ぶんだ、あいつらは!」
 一日二回の洗濯を恒例にした『原因』達は、朝から昼まで寒さも厭わずに転がり回り、見事泥だらけになって帰って来て、有無を言わせず風呂場に放り込まれたばかりである。
 今も窓の向こうから響いてくる賑やかな声に、エスタスは思わず苦笑をもらした。
「アイシャもチビも元気ですよねー」
「風呂でも遊んでるみたいだしな」
 本日二回目の洗濯物を干している最中から、風呂場からは激しい水音ときゃいきゃいはしゃぐ少女の声が響き渡っていた。これで髪でも洗っていればもっと静かなのだが、そこに至るまでにどれだけ遊び倒すつもりだろうか。
「さっきマリオにお風呂に浮かべるおもちゃもらってましたからねえ」
「だからなかなか出てこないのか……」
「ったく、湯あたりしても知らねえぞ」
 呆れ顔で呟きつつ、よっこらしょと洗濯籠を持ち上げる。そうして自室へ引っ込んだラウルを見送って、二人は再び窓の外に視線を投じた。
「おチビちゃんが来てから、アイシャも明るくなりましたね」
「笑いこそしないけど、楽しそうだもんな」
 出会ってから二年。朗らかな笑い声どころかくすりと漏れた笑声すら聞いたことのない二人ではあったが、それでもこれだけ長く一緒にいれば、機嫌の良し悪しは読み取れる。最近のアイシャがとびきり上機嫌であることは、度々聞こえてくる竜笛の音からも明らかだ。
「これで、彼女の笑顔でも見られれば言うことな――!?」
 カイトの言葉を遮るように、何やら賑やかな音が台所の方から響いてきた。
 けたたましい足音、そして珍しくも慌てた様子の声。そしてバンッと乱暴に開け放たれた扉から飛び込んできたのは――
「らうっ! おふろ、たのしー♪」
「わっ、チビ――」
 飛び込んできた勢いそのままに居間を駆けずり回る少女を捕まえようとして空振りに終わったエスタスの横を、遅れて追いかけてきた足音が行き過ぎる。
「ほら、ちゃんと拭こう」
 ペタペタと素足で居間を横切り、少女に布を差し出すアイシャ。その褐色の肌を覆う白い布が目に眩しくて、思わず目を細めた、次の瞬間。

 はらり、と落ちる、白い布。

「―――!!!」

 声にならない悲鳴は、誰のものだったのか。

「??」
 まるで時が止まったかのように固まる三人に挟まれて、一人きょとん、と立ち尽くす少女。
 耐え難い沈黙を破ったのは、寝室の扉だった。
「何やってんだ、おまえら」
 ひょい、と寝室から顔を出したラウルは、何事もなかったようにスタスタと彼らのもとへやってきて、
「風邪引くぞ」
 さっと上着を脱いでアイシャに着せかけ、その足元に落ちていた布を拾い上げて少女の頭をがしがしと拭いてやった。そして一通り拭き終わった少女をアイシャに押し付けると、
「ほら、あっちで着替えて来い」
 そう言って二人を寝室に追いやり、扉を閉める。その瞬間、どっと気が抜けたように息を吐く二人を見て、ラウルは呆れた、とばかりに肩をすくめた。
「情けねえなあ、お前ら。何年も一緒にいて、今更裸くらいで動揺するなよ」
「動揺しますよっ! 当たり前じゃないですかっ」
「そういや今まで、アイシャの着替えてるとことか見たことなかったような……」
「僕らだって一応、年頃の男なんですからねっ。お互い、色々気を配ってですねえっ」
 真っ赤な顔で弁明する二人にやれやれと首を振って、ラウルはいいか、と続けた。
「こういう時が男の上げどころだぜ。覚えとけ」
 いかにさり気なく振舞えるかで男の価値は決まるんだと、したり顔のラウルに、おおー、なるほどと頷くエスタス。
「さすがはラウルさん」
「女たらしは伊達じゃありませんね」
 褒めているのか貶しているのか分からない二人の言葉を右から左に聞き流し、ラウルはふと寝室に目をやった。難しい顔をして顎に手をやり、そしてぽつりと呟く。
「しかしまあ、アイシャの奴もなかなかいいむ――」
 げしっ。
「ぅげっ……」
 次の瞬間、寝室から飛んできた洗濯籠に頭を直撃されて床に沈むラウルの姿に、二人は揃って深い溜息をついたのだった。
「折角かっこよかったのに……」
「一言多いんだよな、いつも」

「うるせー……」
Fin.
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