<<  >>
第一章[4]

 それは、でーんと玄関前に落ちていた。
 いや、誰かが置いたのであろうか。そう思わせるほどに、それは見事にそこにあった。
「……これは何かの風習か?」
 思わず素の言葉使いに戻って尋ねるラウルに、マリオがぶんぶんと首を横に振る。
「とんでもないですよ! 第一、これ何なんでしょう?」
「卵、だろうな。何かの」
 そう。「それ」は、何かの卵であることは間違いなかった。
 しかし大きさが尋常ではない。ラウルが両手を回してようやく抱えられるくらい大きい、真珠のような光沢を放つ、見るからに何かの卵である。
 しかし、こんな巨大な卵を産み落とす生き物を、少なくともラウルは知らない。
 そんなどでかい卵が「待ってました」と言わんばかりに玄関に置いてあるのである。いや、もしかしたら、玄関前の階段にめり込むような形で立っている辺り、空から落ちてきたのかもしれなかった。
「落し物、でしょうか?」
 マリオの言葉に、しかし何とも答えられないラウルだった。
「前にここに住んでいた奴の忘れ物っていうセンは?」
 それはないですよ、とマリオは断言する。
「ここは、十年くらい前から誰も住んでないんです。僕が時々掃除しに来るんですけど、二日前に来た時にはこんなのありませんでしたよ」
「そうか……」
 ということは昨日か今日に落ちてきたことになるが、まさか突風で運ばれてきた訳でもあるまい。第一、階段にめり込んでも壊れない強度の殻というのも前代未聞だ。
「しかし、困ったな。どかさないと入れないじゃねえか。もしかして、新手の嫌がらせか?」
 頭を抱えるラウルに、マリオが苦笑する。
「どうして神官様に嫌がらせしなきゃなんないんですか。それとも、心当たりでもあるんですか?」
「心当たりなあ。何しろ、色恋沙汰絡みで貴族のお坊ちゃまと大喧嘩した挙句、神殿のクソ坊主どもに厄介払いされて、こんなとこに飛ばされたくらいだから、色々……あ」
 ようやく、自分が思いっきり地を出して喋っていることに気づいたラウル。しかも、ついつい飛ばされた訳まで口走っている。
「いやあの」
 弁解しようとしてももう遅い。どんな反応をするかと思いきや、マリオは満面の笑顔でラウルを見上げていた。
「なあんだ。堅苦しくってとっつき難い人かと思ったら、普通なんじゃないですか。良かったぁ。そういう話し方の方がいいですよ」
 気まずそうに頭を掻くラウル。
「いや、そういうわけにも……」
「それにしても、そんな理由でここに赴任してきたんですか? 意外だなあ」
 感心しているかのようなマリオの言葉。その反応は少々意外だったが、いきなり罵倒されるよりは遥かにマシな反応だ。
「まあな。ちょいと揉めて、謹慎処分の代わりに何処でもいいから遠くへ飛ばせってことで、たまたま要請があったこの村に来ることになったわけだ」
 開き直って素直に答えてやると、マリオは納得したようにうんうんと頷いた。
「そうですよねえ。ここは北の果てですもんね。それでも昔は探検家で賑わってたらしいですけど、すっかりのどかな村になっちゃってますから」
 一千年も前の廃墟は、長い年月の間に探索し尽くされてしまったのだ。大半の人間は見切りをつけて、別の場所へ行ってしまったという。
「今でも定期的に行っている人達はいますけどね。きっとすぐに会えますよ」
 何しろ小さな村のことだ。村人全てが顔見知りという、都会育ちのラウルには考えられない世間の狭さである。
「でも、一体何をやって飛ばされたんですか?」
 野次馬根性丸出しのマリオに、ラウルは肩をすくめてみせた。
「ちょっと綺麗なお姉ちゃんに声をかけたら、それがたまたま貴族のお坊ちゃんの思い入れてる歌姫だっただけさ。神殿も、上からの圧力には弱いってことだ」
 貴族や王族から寄付金を頂いている神殿としては、なるべく機嫌を損ねたくない相手である。
「ふぅん……。なんだか、都会って凄いですねえ〜」
 妙な感心の仕方をするマリオ。まあ、こんな小さな村では、そんな出来事はそうそう起こらないだろうから仕方ないのか。
「それにしても、どうしましょうね?」
 そう、今は卵である。
「動かすしかないだろうな。これじゃ中にも入れない」
 そう言ってラウルは腕まくりをすると、恐る恐るその卵に手を伸ばした。
 そっと殻に触れる。なんだかほんのりと暖かいような気がした。
「持てる重さならいいんだけどな……。お?」
 両手を伸ばして抱え込むと、腰を入れて持ち上げる。
「やけに軽いな」
 それは、腰に力を入れるまでもなく持ち上がる軽さだった。少々拍子抜けしながらも、卵を抱えて半壊した階段を上り、玄関の脇にとりあえず卵を降ろす。
「良かったじゃないですか。持ち上がらないほど重いのかと思いましたよ」
 階段のど真ん中に空いた穴をひょいひょいと避けて、マリオがやってきた。手馴れた様子で鍵を開け、扉に手をかけたところで、
「あ! ちょっと待ってて下さい。軽く片付けてきますから!」
 マリオは突然何かを思い出したかのように、慌てて鍵を開けると中に入っていった。
「散らかってるのか? 掃除ぐらい自分で……」
「いえ、いいんです! すぐですからちょっと待ってて下さい!」
 そう言って、ご丁寧にもバンッ、と扉を閉めるマリオ。
(ははぁ、なんか見られちゃいけないもんでも隠してるってのか?)
 そういう年頃か、と妙な納得をして、とりあえずその場に座り込むラウル。隣村から半日ほど歩きづめだったのだ。さすがに足が痛む。
(ほんと、のどかな村そのものだな……)
 小高い丘の上に建つ小屋から見下ろせば、北大陸の遅い春にとっぷりと浸かった村の景色が広がっている。
 次第に迫り来る夕暮れに染まる畑や民家は、まるで一枚の絵画のようだ。
 もっとも、その絵画につけられる題名は『辺境の春』か『田園風景』だろう。何ともありふれた題材だ。
(こんなところでいつまで暮らさなきゃなんねえのかなあ……)
 赴任に当たって、本神殿長が彼に贈った言葉は、
「頭が冷えるまで戻ってくるな」
 であった。しかもぽかりと一発げんこつのおまけつきである。
(ま、確かに、ほとぼりが冷めるまではここで大人しくしてるしかねえよなあ)
 ユーク本神殿があるのは、中央大陸はラルス帝国の首都ラルスディーン。
 そのラルスディーンで生まれ育ち、そして、つい二ヶ月ほど前に些細なことから発展し、怪我人まで出す騒ぎを起こした張本人こそ、彼ラウル=エバストだった。
 ただの喧嘩なら数日の謹慎くらいで済んだだろうが、喧嘩した相手が帝国貴族のお坊っちゃまだったものだから、相手が悪かったとしか言いようがない。
 しかも喧嘩の理由は、ラウルにとってみれば些細なことだ。
 彼は軽い気持ちで、町を歩いている別嬪さんに声をかけただけに過ぎないし、相手が取り合わなければ話はそれだけで済んだ。
 しかし、その女性がラウルの誘いに色よい返事をしてしまったのが、彼女に思い入れている貴族のお坊ちゃまには気に食わなかったらしい。
 いきなり神殿に乗り込んできて決闘だ決闘だと喚き立て、慣れない手つきで細剣を振り回してくる青年に、仕方なく相手をした結果、はずみで怪我をさせてしまったのは確かにまずかったと思う。しかし、
(ちょっと腕が折れたくらいで死ぬ死ぬ言うんだからな。これだから喧嘩慣れしてないおぼっちゃまは困る)
 そんなことをしでかしたのだ。貴族側からは神官位の剥奪を要請されたらしいが、元はといえば相手から吹っかけられた一方的な決闘である。幾度にも渡る話し合いの末、地方へ飛ばすという形で処分は落ち着いた。
 しかしラウルにとってはかなり不本意なお達しである。だいぶ抗議したが聞き入れられず、問答無用で神殿を追い出された。
 仕方なくここにやってきた訳だが、勿論ここでのんびりと田舎の神官をやるつもりはない。せいぜい「品行方正な神官さん」を演じて少しでも心証を良くし、高評判を得て、一刻も早く本神殿へと戻ってみせるつもりだ。
(あのクソじじぃ……。帰ったらただじゃおかねえぞ)
 などとラウルが故郷に物騒な思いを馳せている間に、片付けを終えたらしいマリオが、扉を開けてラウルを呼んだ。
「お待たせしました! どうぞ!」

<<  >>