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第二章[5]

 それは、遥か昔に廃墟となった都市。
 入り組んだ迷路の最果てに広がる広間に、人々の影が蠢いていた。
 昼間でも薄暗い広間。唯一の光源である燭台の光に照らされているのは、まだ年端も行かない白銀の髪の少女。その紫色の双眸が、広間に集う者達へと向けられる。一様に黒い装束を身に纏った彼らは、緊張した面持ちで少女の言葉を待ち侘びていた。
「……報告を」
 鈴を転がすような、凛とした声が響いた。その声に促されて、一人の男が顔を上げ、前に進み出る。
「……突風が吹いた方向や目撃証言などを総合しますと、目標はルーン遺跡方面へ逃れたようです。被害状況ですが、エルドナ以西の小さな村が三箇所、屋根が飛ばされたり建物が倒壊する騒ぎになっております。死傷者は今のところ出ていないとのことで……」
「そのようなことはよい」
 少女の瞳が、刃に似た冷たい光を放つ。その力に威圧され、男は一瞬たじろいだ。
「私が知りたいのは、取り逃がした目標がどこに逃れたかじゃ」
 そう言って、少女は何かを探るように集う者達を見回し、すっと一人の少年を指差した。
「そなた」
「は、はいっ! なんでございましょう」
 呼ばれるとは心にも思っていなかった少年は、飛び上がらんばかりに慌てふためく。そんな様子にはお構いなしに、少女は問いかけた。
「何か知らぬか」
「ぼ、僕は何も……」
 困り果てた顔の少年に、隣にいた男が庇うように口を挟む。
「巫女、この者はまだ入って日の浅い……」
「お黙り」
 ぴしゃりと遮る少女。そして、ふと表情を和らげると、怯え切った目で見上げてくる少年に向かって、
「そのことでなくともよい。何かあの辺りで噂になっていることなどはないか」
 と聞き直す。と、少年は安堵の表情を浮かべ、そして頭を捻った。
「噂、ですか……。あ、そう言えば」
 少年は何か思い出したようだった。
「なんでも、妙な卵が発見されたって……」
「セス! そんな他愛もない噂を巫女にお聞かせするなど……」
 男が少年を叱り飛ばすが、巫女と呼ばれた少女はすぅっ、と、口の端を歪ませる。
「興味深い」
「は? しかし巫女……」
「詳しく調べるのじゃ。その妙な卵とやらをな」
 はっ、と畏まる男達を見回して、巫女は満足そうに頷いてみせる。
「下がってよいぞ」
 ぞろぞろと人々が退室していく中、一人残ったのは、少女の傍らに控えていた青年。他の者達とは少々異なる装束に身を包んだ彼は、興味深そうに少女を見やり、そっと尋ねた。
「巫女。なぜあの者から話を聞こうとなさったので?」
 問われた少女は、ふんと鼻を鳴らして答えた。
「大人は固定観念に囚われて、無意識に情報を特定する。あのような子供であれば、大人が気にも止めない情報を知っているのでは、と思っただけのこと」
 そう話す少女自身も、また十代前半といった年頃であろう。それなのに、その表情はまるで百年以上年月を重ねたもののような重みを感じさせる。
 全てを悟ったかのようなどこか空虚な瞳は、広間の天井を越え、遥か彼方を見つめているようだった。
「なるほど……」
「サイハ。そなたも下がるがよい」
 少女の言葉に、青年は優雅に一礼をすると静かに去って行った。

 誰もいなくなった広間で、少女は静かに笑みを浮かべた。
 その紫色の瞳が、空虚に光る。瞳に映るは漆黒の闇。そして――
『我らが積年の願いを永久の闇へと変えて  世界に完全なる静寂をもたらさん……』
 少女の唇が祈りの言葉を紡ぐ。 広間内に奇妙に反響して、祈りは天へと舞い上がっていく。
『我ら、影に潜む者  光の支配者にして、闇を統べる者  心の影に潜み、人々を真なる安息へと導かん……』
――悲願を果たすべく――
 少女の唇が、声にならない言葉を紡ぐ。
 それは、忌まわしき言葉。触れてはならない記憶。
――安らかざる世界に 真の闇を呼び覚まさん――

 それは、闇の影に堕ちた者達の祈り。
 かつてこの地方に黒き影を落とした、歪みし闇の使徒の、狂おしいまでの心の叫び。

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