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第二章[6]

 エストの村は人口百人に満たない小さな農村だ。北大陸の東側を統治するローラ国に属しているが、余りにも外れにあるために、皆そのことを忘れているきらいがある。
 外れといっても、実際にはエストの村は北大陸の中央部に位置する。しかしこの中央部には、痩せた大地が広がる荒野と氷河を抱く険しい山脈が連なり、エスト西側の国ライラ国へと続く細い街道が走っているほかは街も村もない。
 もともとこの中央部は、かつて栄華を極めた魔法大国ルーンが支配していた。現在残っているルーン遺跡は、その首都を指す。その他にも荒野を探せば大なり小なり遺跡が点在している。
 しかし、かつては魔法によって気候を制御していたといわれるこの地域は、その反動か荒れ果てた極寒の大地と化しており、点在する遺跡もただ風の中に朽ちていくのを待つきりだという。
 その荒野ぎりぎりに存在する辺境の村エストだが、かつては遺跡探索の冒険者達で賑わっていただけあり、普通の農村にはあまりない大きな宿屋や、日用品から探索に必要なものまで様々な商品を取り扱う雑貨屋などが広場近辺に集まっている。
 この近辺でこれだけの設備がある村はないので、近隣の村からも人がやってくる。しかし街道からは外れているため、旅人が通りかかることはあまりない。
 そんなエストの雑貨屋から出てくる一人の青年がいた。漆黒の神官衣に黒髪の、今ではこの村一番の有名人と化したラウル=エバスト神官その人である。
 ちょっと村を歩けば、人々は口々に声を掛けてくる。
「おお、神官さん! 村の暮らしには慣れただか?」
「卵は元気ですか?」
「神殿、早く直るといいだなあ」
「ありがとうございます」
 それらの声ににこやかに対応しながら、ラウルは『見果てぬ希望亭』へと向かっていた。

 両開きの扉を押し開けると、カラン、と涼やかな鐘の音が響く。
「あらラウルさん、いらっしゃい」
 艶やかな声が響いてくる。はっと声の方を見ると、奥のカウンターから手を振る美人の姿が目に入った。
「こんにちは、レオーナさん」
 先日夜中にお世話になった彼女だったが、ラウルがここに来たのはあれから二度目である。何しろ金がないため、外で食べる余裕がないのだ。なんとも悲しい話だが、どうしようもない。
「あれから、卵ちゃんは元気?」
「は、はあ。まあ、あれ以降はそうそうぐずることもありません」
 それでも日に一回以上、抱っこしろと言わんばかりに鳴き叫んでいるのである。重くないからまだいいが、あの大きさの卵を抱えるのはあまり楽な作業ではない。
 と、扉近くの席で食事をしていた数人の男達が、その会話を聞いてラウルに話しかけてきた。
「おお、あんたがあの、妙な卵を拾ったって神官さんかい」
「ユークの神官様だっていうでねえか。若いのに凄いなあ」
 口々に言う彼らの顔に見覚えはない。そっとレオーナに視線を送ると、
「隣村の人達よ」
 と教えてくれた。ということは、すでに隣村までしっかりと情報が伝わっていることになる。いや、おそらく隣村どころの話ではないのだろう。どこまで広がっているのか、恐ろしくて確かめたくもない。
「なんの卵か分からねえんだろ?」
「そんな卵育てようなんて、奇特なお人だなあ」
「はあ……」
 言葉を濁しつつ、ラウルはここに来た本来の目的を果たす為に、キョロキョロと店内を見回した。
 と、奥の席で手を振る人間の姿が目にとまる。
「こっちですよ!」
 そこには、いつもラウルの小屋に入り浸っている遺跡探索の三人組がいた。その他に、三十過ぎくらいか、人の良さそうな男が座っている。
「あら、待ち合わせだったのね」
 レオーナの声に頷き、隣村の男達に会釈をして、ラウルは手招きする三人のもとに向かった。
「遅いですよ、ラウルさん」
 そう言ってくるカイトに悪いわるい、と小声で囁いて、ラウルはエスタスの隣に腰を降ろした。
 目の前には初対面の男。彼はラウルを見るやいなや腰を上げて、人懐こい笑顔を向けてきた。
「どうも、はじめまして。ルファス神官のエルディス=コーネルと言いま……いたた」
「駄目ですよコーネルさん、無茶しちゃあ」
 慌ててカイトがコーネルを座らせる。どうも、あまり足の調子はよくないらしい。
「はじめまして、ラウル=エバストと申します。お怪我の具合はいかがですか?」
 そう挨拶を返すラウルに、コーネルはいやぁ、と小麦色の頭を掻いた。
「なんせそそっかしいもので、いつものつもりで足を動かしちゃったりして、なかなか治らないんですよ」
 ルファス神官は気難しく無口な者が多いと言われているが、このコーネルはかなり好印象を覚える人物だった。
「ガイリアの神官さんがいれば治してもらえるんですけどねえ」
「仕方ないわよ、こんな場所じゃあ」
 そう言いながらやってきたのはレオーナだ。手にはいくつかの料理を載せたお盆を持っている。どれもあつあつでいい匂いの、食欲をそそられるものばかりである。
「はい、お待たせ。ラウルさんは何か?」
「あ、いえ……済ませてきましたので」
 本当なら酒場に来たら酒といきたいところだが、『真面目で礼儀正しい神官』が真昼間から酒をかっくらう訳にもいかない。それ以前に、懐具合がかなり厳しい。贅沢は禁物だ。
「それじゃ、また今度ね」
 ごゆっくり、と言いながら奥に戻っていくレオーナ。その後姿もなかなかに艶っぽく、六人も子供を産んだとはとてもとても。
 思わず視線が釘付けになっているラウルに、アイシャがこほん、とわざとらしい咳払いをしてみせる。慌ててコーネルに向き直り、いたって真面目な顔を取り繕うラウル。
「それで、お話というのは……」
 単刀直入に尋ねると、コーネルはええ、と口を開いた。
「鐘つき堂の鐘のことなんですけどね。実は……」
 近隣のルファス神殿から予備の鐘を借りる算段はついたのだが、それを取りに行く人間を探しているという。
 本来ならコーネル本人が行くのが一番なのだが、鐘はかなりの重量がある。とても一人では運べないし、怪我をした足ではかえって足手まといだ。
「そこで三人にお願いしたんですけど、是非ラウルさんも一緒にというお話で」
(俺も一緒に?)
 とりあえず隣に座るエスタスを見ると、エスタスは笑顔で、
「ほら、ラウルさんもお金貯めないといけないんでしょう?」
 と言ってきた。彼らに金がないと話した覚えはないが、恐らくマリオ辺りから聞いたのだろう。
(と、言うことは……)
 コーネルを見ると、彼はええ、と頷いた。
「勿論、報酬をお支払いします。と言っても微々たる金額なんですけど……。お一人諸経費込み金貨七枚でいかがでしょう、お手伝いいただけませんか?」
 金貨一枚で、大体十日分の生活費になる。自給自足のこの村でなら一月はいけるだろう。 それを一人七枚というのは、まあなかなかおいしい話ではないか。
「目的地はどこなんです?」
「エルドナの街です。ここから歩きだと五日くらいですか。この辺りで一番大きい街になります」
 となると往復十日分の諸経費込みとなる。それを考えると、ちょっと少ない気もするが、背に腹はかえられない。
「分かりました。私でよければ同行させていただ――」
――ビィィィィィィィィィィッ!!――
 突然ラウルの脳裏に響き渡る鳴き声。
(なんだっ! 急に……)
 しかも、今までよりも切羽詰ったような、そして大音量の鳴き声である。
「? どうしました、ラウルさん」
 突然のけぞったラウルにびっくりしたコーネルが心配そうに尋ねてくる。ラウルは必死に笑顔を取り繕うと、
「す、すいません……卵が……ちょっと、失礼します!」
 と言い終わるや否や、一目散に店を飛び出ていった。
「どうしたんですかね、ラウルさん」
「腹の調子でも悪いのかな?」
「『卵が』って聞こえましたけど……」
 取り残されたエスタス達が首を傾げる中、一人アイシャだけが、
「行こう」
 と席を立った。
「行こうって、どこにです!?」
「小屋」
 いつも通り余計な口は聞かず、アイシャはスタスタと店を出て行く。慌てて三人がその後を追いかけようとして、レオーナに呼び止められた。
「ちょっと! どこ行くの?」
「すいません、ちょっと急ぎなんで! あ、残しといて下さいっ、それ!」
 そう言い残して慌しく出て行くエスタス達。
 レオーナは肩をすくめながら、食べかけの食事にそっと、埃よけの布をかけてやった。

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