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第三章[1]

 六の月に入ると、日差しもぐっと強くなってくる。
 草原には野花が咲き乱れ、緑は深みを増していく。太陽が沈む時間も随分遅くなり、村人達は農作業に精を出している。
 そんなエスト村の大麦畑に影を落として飛ぶ、一人の少女の姿があった。
 空人と呼ばれる、背中に羽根を持つ種族の少女である。左腕に深緑の布を巻いているのは、手紙や荷物を運ぶ伝令ギルドの人間である証だ。
 彼女に気づいた村人がおーいと手を振ると、少女は爽やかな笑顔を向けてきた。
「こんにちはー! ルース神官のカイトさん、いらっしゃいますー?」
「んー、この時間なら、村外れの小屋にいるはずだよー」
 親切に小屋の方向を指差す村人に、少女は笑顔で、
「ありがとうー!」
 と手を振り返すと、一目散に村の外れめがけて翼をはばたかせた。


 コンコン!
「こんにちはー! 伝令ギルドのものでーす! カイトさんいらっしゃいますかー?」
 扉の向こうから聞こえる元気のいい声に、居間でのんびりとくつろいでいたエスタスが顔を上げる。
 ラウルは墓地の手入れをしに出かけており、小屋にはいつもの三人組しかいなかった。 ラウルがやってきてからすでに一月。突風に見舞われた村も分神殿以外はほとんど復旧工事が済み、普段の暮らしが戻ってきていた。それは三人組も同じことだったが、なんとはなしに暇な時は小屋に入り浸っている。
「カイト! お前さんに手紙みたいだぞ」
 書斎に向かって怒鳴ると、すぐに本を小脇に抱えたカイトが出てきた。
「きっと、『北の塔』からの返事ですよ! はーい! 今開けますねー」
 うきうきと玄関に走るカイト。扉を開けると、そこには笑顔の少女が立っていた。背中の真っ白い翼が目に眩しい。
「カイト=オールス神官さんですね?」
「はい、僕です」
 カイトの言葉に、少女は腰に下げていた袋から書簡を取り出す。
「『北の塔』からお手紙です。必ず手渡しにして、それでもって至急読んで下さいって言ってました。あ、こちらに署名してもらえますか?」
 厳重に封のされた書簡と一緒に受領書を差し出す少女。カイトはすぐさまそこに筆を滑らせると、少女に手渡した。
「それじゃ、失礼します!」
 元気にそう言って、少女が去っていく。玄関の扉を閉めて居間に向かったカイトは、興奮気味にエスタスに書簡を見せびらかした。
「見て下さいよエスタス! 『北の塔』から返事が来ましたよ!」
 卵をラウルに見せてもらったあの日の翌日、早速カイトは『北の塔』宛てに手紙を書いた。と言っても、不思議な卵を発見したので調べて欲しいという簡単な内容と、カイトがまとめたこれまでの調査結果を送っただけなので、こんなに早く返事が来るとは思ってもみなかった。
「なんて返事なんだろう〜」
 封を少々乱暴に破って中身を取り出すと、横からさっと褐色の細い手が伸ばされ、紙を奪い取る。
「アイシャ! 何するんですか」
 カイトの抗議を無視して、アイシャは手紙を音読し出した。
「……『前略。そちらが発見された卵について、こちらで文献等を詳しく調べてから回答をしようとしたが、担当の魔術士がそちらに向かってしまったので宜しく』……」
「なにぃ!?」

* * * * *

 その二人は、突然にやってきた。
 墓地の掃除と点検を終えたラウルが、半壊したままの神殿内で休憩を取っていたところ、バン、とけたたましい音と共に、かろうじて残っていた扉が開かれ、それと同時に甲高い声が響く。
「不思議な卵を見つけたっていうのはあんた?」
 振り向いたラウルの目に映ったのは、二人の女性だった。
 いや、一人の女性と一人の少女、と呼ぶべきだろうか。逆光で顔はよく見えなかったが、神官や魔術士等が好んで着用する長衣を身に纏っている。
「……失礼ですが、どちら様でしょう?」
 休憩の邪魔をされたのにも関わらず対応が丁寧なのは、相手が女性であったからだ。これが野郎なら、慇懃無礼に苛め倒すところだ。
「私はユリシエラと申します」
 穏やかな声で女性が名乗る。年の頃は二十代半ばか。おっとりとした口調に心が和む。
「わたしはアルメイア」
 少女の方も続いて名乗る。さっき声をかけてきたのはこちらの少女のようだ。
「私はこちらの分神殿に務めております、ラウル=エバストと申します」
 椅子から立ち上がり、二人の元に向かいながらラウルも名乗り返す。すると、ユリシエラと名乗った女性がにっこりと、それはもうにっこりと言ってのけた。
「では、あなたが卵神官さんでいらっしゃいますのね?」
「い、今なんと……」
 その場に転びそうになったラウルが尋ねると、アルメイアと名乗った少女の方が、
「あら、この辺の村でそういう呼ばれ方してたわよ。エストの卵神官って。自分でそう名乗ったって聞いたけど?」
(た、卵神官……)
 ラウルの頭の中で、そのとんでもない言葉がこだました。
 なんとも安直な呼び方だが、それだけにラウルの受けた衝撃は大きい。
(それじゃまるで、俺が卵に仕えてるみたいに聞こえるじゃねえかっ!)
 ラウルが自ら「卵神官です」などと名乗ったことなど一度もない。そんな情けない呼び名を自分でつける訳がないではないか。
「早速だけど、その卵を見せてくれない?」
 『卵神官』の言葉が胸に突き刺さっているラウルにお構いなしに、少女が言ってくる。
「アル、事を急いては駄目よ。神官様は今、お仕事中でいらっしゃるみたいだし」
「怠けてるようにしか見えないけど?」
 だから早く早く、と急かしてくる少女に、ラウルは笑顔を張り付かせながら、
「申し訳ありませんが、何のために卵をご覧になりたいのか仰って下さいますか?」
 ラウルがこう言ったのは、仕事の邪魔をされたというのもあるが、二人が入ってきてからというもの、
――ピィィッ!――
 と背後から不満げな鳴き声がしているからに他ならない。 村長の一件で、卵はかなり人見知りをすることが分かっている。しかも、嫌なことがあると、どんなに距離を置いていても問答無用で頭の中に鳴き声を届けてくるのだから始末に悪い。
 どうやら卵はしっかりと、ラウルを世話人として認めたようだった。精霊使いであるアイシャにはかすかに声が聞こえるようだが、それは卵の近くにいる時だけだと言う。聞こえているというより、ラウルに向けて放たれた心の叫びが漏れ聞こえている、といった感じらしい。
「あら、お言葉ね。折角来てあげたっていうのに、出し惜しみ?」
 アルメイアがふんぞり返って言う。しかしラウルには何のことか分からない。
(来てあげたってどういうことだ?)
「アル、失礼よ」
 ユリシエラがやんわりと言って、ラウルにごめんなさい、と頭を下げる。
「『北の塔』にお手紙を出されたでしょう? 不思議な卵について何か分かることはないかと」
 ああ、とラウルは思い出した。確か、前にカイトがそんな手紙を出すと言っていた。
(ってことは……)
「『北の塔』の方ですか?」
 この姉妹が、魔術士ということか。『塔』の魔術士は年寄りばかり、という固定観念を持っていたラウルだったが、こんな若い人間まで『塔』で学んでいるとは思わなかった。
 二人はラウルに歩み寄ると、左手を右胸に置いて小さく会釈してみせる。
「改めまして、こんにちは。『北の塔』三賢人のユリシエラと申します」
「三賢人のアルメイアよ」
 三賢人。そう聞いてラウルは思わず目を丸くした。
 それは、『塔』でもっとも力のある魔術士に与えられる称号ではなかったか。
 敬いなさい、と言わんばかりに胸を反らしている少女に、ラウルは眉をつい、ひそめてしまう。
「お二人とも、三賢人でいらっしゃる?」
 ユリシエラもかなり若いが、まだ納得がいく。しかし、どう見ても十二、三歳くらいの、生意気そうなこの少女が?
「悪い?」
「い、いいえ……。では、卵について何か情報を持って来ていただけたのですか?」
「そうよ。だから早く見せてってば!」
 駄々をこねるアルメイアに、ラウルは仕方なく頷いた。おんぶ紐を肩から外し、地面へと卵を降ろす。
「まあ、背負っていらしたんですのね。気づきませんでしたわ」
 などと言っているユリシエラに構わずに、アルが卵へと走り寄った。そして床にぺたんと座り込むと、カイトがいつもやっているように注意深く観察を始める。
「ユラ、書くもの出して! あとあんた、ここ暗いわよ。なんか明かりないの?」
 その物言いに顔を引きつらせるラウル。しかしユリシエラの方は、文句を言うこともなく背負っていた袋から帳面や筆を取り出して、アルメイアに手渡した。
「ねえ、明かり!」
 甲高い声で尚も言うアルメイア。
(このガキ……!)
 怒鳴りつけたいところを我慢し、ラウルは笑顔を取り繕って説明する。
「申し訳ありませんが、見ての通りこの分神殿は半壊しておりまして、現在は使用しておりません。ですので、蝋燭などの用意もなく……」
「なあんだ、そうならそうと早く言ってちょうだいよ。それじゃどこか、じっくり観察できるような場所に案内して」
 どこまでも高飛車なアルメイアの口調に、さすがのラウルも笑顔を引っ込める。それを察知したユリシエラが慌てて、
「すいません、姉は少々短気なものですから……」
 と言ってきたので、ラウルはほぼ反射的に笑顔を取り戻してユリシエラに向き直った。
「いえいえ、ちっとも構いませ……え? 姉?」
 ユリシエラは確かにそう言ったように聞こえた。妹ではなく、姉と。
「ええ。三つ年上の姉なんですの。よく似ているでしょう?」
 のほほんと答えるユリシエラに、そうですねえと納得しそうになって、ラウルは慌てて、
「あ、あの、失礼ながら、あなたの方が年上に見えるのですが……」
 と、さっさと扉のところまで歩いていたアルメイアが、振り返ってキッとラウルを睨みつける。
「人の歳を詮索している暇があったら、さっさと案内したらどうなの?」
(……クソガキ……)
 怒鳴りつけたいのを必死に我慢して、ラウルは渋々卵を元通りおんぶ紐に戻すと、自分の小屋まで二人を案内すべく歩き出した。


「あ、ラウルさん! さっき『北の塔』から手紙が……」
 カイトが途中で言葉を詰まらせたのは、居間に入ってきたラウルがとてつもなく不機嫌そうな顔をしていたからだった。
「どうしたんですか? ラウルさん」
「ちょっとな」
 小声で答えるラウルの後ろから、
「ちょっと、早く入りなさいよ。わたし達が中に入れないじゃないの」
 と甲高い声が響いてくる。
 ラウルは顔を引きつらせながらも、横に移動して道を開けた。そこから、大荷物を背負った少女と、にこにこ顔の女性が入ってくるのを見て、カイトが目を丸くする。
「こちらの方々は?」
「お前が呼んだ連中だよ。ったく、とんでもないヤツ呼び寄せやがって」
 カイトにだけ聞こえる声で、ラウルが毒づく。
「え? ってことは、『北の塔』の方ですか?」
 信じられないという顔で二人を見るカイトにお構いなしに、アルメイアはラウルに卵を降ろすよう指示し、食卓の上に置かれたそれを観察し始める。そしてユリシエラの方はといえば、アルメイアが背負っていた袋から次々に古びた書物を取り出しては、付箋のついた部分を開いて卵と見比べている。
「あの……」
「話しかけないで!」
 質問しようとしたカイトがアルメイアにぴしゃりと言われ、困ったような顔でラウルを見上げてきたが、ラウルは不機嫌な顔のままで明後日の方を向いている。
「ううう……」
 気まずい雰囲気が居間を支配する。そこに、それまで部屋の片隅で状況を見守っていたエスタスが近寄って行った。
「ラウルさん、今更ですけど、これ」
「何だ? 手紙か」
 エスタスが差し出した巻物を広げ、流暢な文字で綴られた文章を読む。
「担当の魔術士、なのか?」
 簡潔にというより、大急ぎで用件のみ書かれた手紙。そこには、担当の魔術士がそちらに向かったと書かれている。手紙の日付は五の月二十五日。ちょうど十日前だ。伝令が急いで届けても、隣国ライラの北の山中にある『北の塔』からここまではそのくらいかかってしまう。
「そちらに向かってしまった」
 と書かれていることから、二人が『塔』を出発したのはおそらく二十五日前後。
(伝令と同じ速さで着いたってことか? 一体どうやって……?)
 翼を持つ空人が行っている伝令ギルドは、一番早く物や手紙を届けることのできる手段として知られている。何人もの空人が中継して運ぶから、常に全速力の速さで運ばれることになる。とすれば、普通の人間が馬や馬車などで旅するよりかなり速いはずなのだが。
「魔術は、奥が深い」
 アイシャの呟きが聞こえてきた。なるほど、彼女達は魔術士。その魔術を持ってすれば移動時間の短縮も可能なのかもしれない。
「しかし、魔術士っていうのは年寄りばっかりだと思ってたけど……」
 文献と首っ引きで何やら話し合っている二人を横目で見ながら、エスタスが呟く。
「そうだよな。まさかあんな」
 チビガキと美女が魔術士とは、などと四人が話している間に、どうやら二人の魔術士は結論を導き出したようだ。
「間違いないわ、ユラ」
「そうですわね、アル」
 頷き合った二人はラウルに向き合うと、声を揃えて宣言したのだった。

「これは、竜の卵です」

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