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第三章[2]

「なんだって?」
 一瞬の思考停止からなんとか立ち直って、ラウルが尋ねる。
「だから、竜の卵」
 二度も言わせないで、と言いたげなアルメイアの言葉に、しかしラウルは信じられないという風に首を振る。
 りゅう。
 彼女達はそう言った。
(りゅう……って、何だっけ……)
 あまりの驚きに、思考が麻痺している。ラウルが一人混乱していると、アイシャが唐突に歌い始めた。
「それは大いなる力 司るもの
 翼持つもの
 ああ、汝は 偉大なる力
 深遠なる双眸にて 世界を見通さん」
 古い英雄譚の一節を歌い上げるアイシャ。吟遊詩人もかくやと思わせる美しい歌声が小屋に響き、思わず心打たれる。
 アイシャの歌に導かれ、それはラウルの頭の中ではっきりとした姿を現してきた。
 それは精霊達を束ねるものと言われている。神の力を世界に行き渡らせるため、神が作りたもうたもの。大いなる翼で空を飛び、人々の前には滅多にその姿を現さない……。
 ラウルはアイシャを見た。
「その、竜?」
 アイシャはゆっくりと頷いた。
「多分」
 厳かに告げられた言葉は大分不確かなものであったが、そこにいる全員を納得させるだけの力を備えていた。
「旅の途中に出会って助けてくれたり、謎かけされたりっていうアレか?」
「精霊の王、実体をもつ精霊とも言われてます。精霊使いと呼ばれる人達にしか姿が見えず声も聞けない普通の精霊と違って、竜は誰にでも見えるし声も聞こえるそうです。ただし、非常に偏屈で人の前には滅多に姿を現さないとされますし、常に単体行動をしていて、子供を成すっていう話も聞いたことありませんよ! ねえアイシャ」
 興奮気味のカイトに、アイシャはあくまでも冷静に、
「私も聞いたことがない」
 と同意を示す。
「そりゃそうよ。竜はとても賢明だもの。おいそれと人間にそんな重大な秘密を明かしたりするわけないでしょ」
「しかし、ごく僅かですが昔の文献に、竜の生態について書かれたものがあるんですの」
 ユリシエラは手元の文献を広げると、穏やかな口調でそれを読み上げ始めた。
「これは五百年ほど前に書かれた文献です……『そは生まれ変わりて卵となる。大いなる卵は同胞によって慈しまれ、やがては新たな竜となる』……」
「それじゃ……」
 目を輝かせるカイトに、アルメイアが頷く。
「そう、これは竜の卵よ。間違いないわ」
「ちょっと待て!」
 思わず怒鳴るラウル。
「竜が卵生なのは分かったが、この卵が竜のものだっていう証拠はどこにあるんだよ?」
 ごもっともな問いかけに、しかしアルメイアはちっちっちっと指を振る。
「わたし達は、長年に渡って竜の研究をしているの。世界中を回って文献を漁ったり、目撃談を集めたりね。その集大成がこれよ!」
 ばっと差し出された本に、カイトが目をぱちくりする。
「『竜の生態』――『北の塔』三賢人アルメイア、ユリシエラ共著……?」
「貸してみろ」
 ひったくるようにその本を受け取って、適当な頁を開くラウル。 そこには竜にまつわる各地の伝説から、竜の種類、生態などが解説図つきで細かく記されており、その中に卵に関する記述があった。
「竜は不老不死の生き物とされるが、何度も生まれ変わることで不老不死を実現している生き物である。彼らには性別も、また生殖能力もなく、力が激減した時や大怪我をした時、自ら卵となって生まれ変わる……」
 その頁には、食卓の上にある卵とおなじような卵が描かれていた。記されている大きさも限りなく近い。
「なになに……卵は通常、同胞である竜によって守られるが、緊急を要する場合や近くに竜がいなかった場合など、他の生き物に身を委ねる事例も確認されている? これですよ!」
 横から覗き込んでいたカイトが歓声を上げた。
「まさにラウルさんの置かれている状況通りじゃないですか」
「嬉しがるなよ……」
「さあ、分かったら卵をちょうだい!」
「はぁ?」
 アルメイアの唐突な言葉に、目を瞬かせるラウル。
「はぁ、じゃないでしょ。更なる研究を続ける為には、手元で詳しく観察しなきゃなんないのよ! あんたが持ってたって宝の持ち腐れだわ」
 興奮気味に話す少女に、しかしラウルは首を横に振った。
「お断りだ」
「なんでよ!」
「猛烈に嫌がってるんだよ、こいつが」
 よくよく見れば、ラウルは先ほどからずっとこめかみを押さえて、何かに耐えているような仕草を見せている。
――ビィィィィィィッ!――
「鳴いてる」
 アイシャがぼそりと呟いた。どうやら彼女にも微かには届いているらしい。
「鳴いてるとは、どういうことですか?」
 ユリシエラの質問に、ラウルはげんなりした表情で、
「こいつは、人の頭に直接鳴き声をぶつけてくるんだ。しかも、最初に拾った俺にだけ声が聞こえるときてる。嫌なことがあれば、こっちの迷惑お構いなしに大音量で鳴き叫ぶ。つーわけで、さっきから鳴きっぱなしだ」
 頭いてぇ、と呟くラウルをよそに、アルメイアとユリシエラはしげしげと卵とラウルを見比べている。
「……私には全然聞こえませんけれど」
「わたしにも。本当なの?」
「嘘ついてどうすんだ」
「手放したくなくって嘘ついてることだって考えられるでしょ!」
「そんなわけあるか!」
 掴みかからんばかりのアルメイアと、その金切り声に加えて卵の鳴き声で頭が痛くなっているラウル。険悪な雰囲気に、カイルが慌てて間に入る。
「ちょっと二人とも、止めてくだ――」
――ビィィィィィッ!!――
 そこにいる全員が、一斉に耳を押さえた。
「ちょ、ちょっと何これぇ!?」
 アルメイアが驚くのも無理もない。食卓の上でそれまでじっとしていた卵が、突如激しく揺れながら大音量で鳴き叫んでいるのだから。
(そうか、こいつの意思次第で誰にでも声は届くんだよな……)
 それまでのぐずり鳴きとはうって変わって、全力での鳴き叫びである。ラウルは慣れているからまだいいが、初めて聞いたアルメイアとユリシエラには、目が飛び出るほどの驚きであろう。
「うるさいぞ! お前のことで揉めてんだから静かにしやがれっ!」
 ラウルが抗議するが、卵は尚も、
――ビィィィィィッ!! ビィィッ!――
 と鳴き叫びながら、ついには激しい光を放ち出した。これはたまらない。
「うわ、眩しっ……」
 今までにない閃光の明滅に、ぎゅっと目をつむるカイト。
「ちょっと、何なのよこれっ!」
 目を手で覆いながら叫ぶアルメイアに、ラウルは溜め息をついて、
「カイトが送った手紙に書いてなかったか? 光を放つし、揺れるし、鳴くって」
 と説明してやる。
「そう言えば……書いてありましたわね」
 手で目を覆いながらのんびりと言うユリシエラに、アルメイアは、
「まさかこれほどのものとは思わなかったわよ! ちょっと、止めらんないの?」
 ラウルはやれやれ、と呟きつつ、食卓の上で暴れている卵を抱き上げた。途端にピタッと鳴き止み、ぼんやりとした暖かい光を放つ卵。すっかり安心しているように見える。
(ったくよぉ……)
 ぽんぽんと叩いてやると、今度は、
――ぴぃっ――
 と機嫌よさそうな声で鳴いてくる。
「これはどの文献にも記されていませんでしたわ〜」
 かわいいですわね〜、などとのほほんと言っているユリシエラに、今だ怒り覚めやらぬアルメイアは、
「どこがかわいいのよっ! ハタ迷惑なだけじゃない」
 と怒鳴り散らしている。
(ああ、その通りだよ)
 思わず同意してしまうラウルに、その意思を感じ取ったのか卵が、
――ぶぃぃっ――
 と不満とも取れる鳴き声を響かせてきた。
「はいはい、分かってるよ」
 諦め切った顔で卵を揺すってやる。
(手放そうとした途端に鳴き叫ぶのが目に見えてるからな……)
 そうなったら、どんなに遠い所にいても、鳴き声が響きっぱなしになるのだ。手元にない分、余計始末に悪い。こうなったら、卵から孵るまで面倒を見るしかないようだ。かなり不本意だが、それ以外にラウルが安息を得られる手はない。
「神官さんを育て主と認識してますのね、その卵さん」
 ユリシエラの言葉にラウルが答える前に、なぜかカイトが猛然と話し始める。
「そうなんですよ! やっぱり、鳥なんかと一緒で最初に見た動くものを親と認識する刷り込み現象が……」
「まあ、そうなりますと、そのうち神官さんは一緒に飛ぶ練習をしたりしなければ……」
「しかし、この心に直接語りかける意思伝達手段というのは……」
「精霊の王と呼ばれる竜ならば、精霊と同種の意思伝達手段を取るのも納得できます……」
 気が合ったのか、小難しい会話を繰り広げるユリシエラとカイト。その様子を、エスタスとアイシャが物珍しい顔でしげしげと観察している。
「気が合ってるな」
「楽しそう」
「まあ、これだけカイトと対等に話せる相手って、滅多にいないしな」
 なるほど、確かにそうだ。
「ねえ」
 ふと見ると、すぐ真下にアルメイアの姿があった。どうやら、ユリシエラとカイトのやりとりに目を奪われている間に移動してきたようで、何やら覚悟を決めたような顔でラウルを見上げてくる。
「わたしに抱っこさせてよ」
「鳴かれるぜ?」
「鳴かれたら諦めるわ! でも、わたしにも懐いてくれるかもしれないでしょ!」
 まあ、ものは試しだ。そう考えて、ラウルは卵をひょい、と手渡した。
「ほいよ」
 その小さな手でそっと卵を抱きしめるアルメイア。途端に、
――びぃ?――
 きょとんとしたような声が聞こえてくる。
(お? いけるか?)
 思わず希望を胸に膨らませるラウル。
(もしこのガキに懐くんだったら、とっとと引き渡して、俺は予定通り、静かな生活を……)
「あら、静かじゃない」
 どう? とラウルを見るアルメイア。しかし次の瞬間。
――ンビィィィィィィッ! ぶぅぅぅぅっ!――
 再び大音響。今度はラウルとアルメイアにしか聞こえなかったようで、突然顔をしかめた二人に回りが首を傾げている。
「どうしたんですか?」
「まあ、アル。大丈夫?」
 卵を取り落としそうになり、不安定な中腰状態でそれをなんとか抱きとめたアルメイアは、その体勢のままユリシエラを見た。
「う、うん……何とか」
 体勢を立て直そうとするアルメイアからひょいと卵を奪い取り、ラウルはほら見たことか、とばかりに言ってやった。
「分かっただろ?」
「……仕方ないわね」
 渋々といった感じで言うアルメイア。そして、そそくさと荷物をまとめると、ユリシエラと共に扉の方へ移動する。そして、
「今日のところはこれで失礼するわ。でも!」
 びしっとラウルを指差して、宣言する。
「完全に諦めたわけじゃないからね!」
 捨て台詞を残してずんずんと去っていく少女。それを追いかけようとしたユリシエラだったが、くるっとラウルに向かい、
「すいません、姉は研究一筋なものですから……。これからもご迷惑おかけするかと思いますけど、どうぞよろしくお願いします」
 と頭を下げてきた。その拍子に長くゆるやかにうねった薄緑の髪が顔にかかり、それをそっと払いのける仕草がなんとも淑やかで、
「いえいえ、あなたが謝られることではありませんよ。どうかお気になさらず」
 思わず顔が緩むラウルだったが、頭は冷静に、ユリシエラの言葉に疑問を抱いていた。先程もそうだったが、やはり、「姉」とはっきり彼女は言っている。
「姉って、どういうことですか?」
 やはり疑問に思ったらしいカイトが尋ねると、ユリシエラは少々困った顔で、
「色々事情があるので、詳しくはお話できませんが……。アルは本当に私の、三つ年上の姉なんですの」
「ユラ! 余計な話してないで行くよ!」
「は、はい」
 すでに玄関から出かかっているアルメイアに怒鳴りつけられて、慌ててユリシエラはもう一度頭を下げると、アルメイアの後を追いかけて去って行った。

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