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第三章[7]

 夜。
 丘の上に立つ小屋は、ひっそりと静まり返っていた。
 夜風が村を渡り、小屋の隣に立つ木の梢を揺らして通り過ぎていく。 雲に覆われた空。月も星も雲に隠され、地上は闇に覆われている。
(よし……!)
 先程までついていた書斎の明かりもすでに消え、寝室からは静かな寝息が聞こえてくる。
 今が絶好の機会だ。
(こんな簡単な仕事で金貨百枚なんて、ついてるな、オレ)
 百枚もあれば、けちなこそ泥稼業など足を洗って、大手を振って故郷の村に戻れる。最近ギルドからも目をつけられ始めているし、今が潮時なのかもしれない。
(いい時に声かけてくれたよなあ、あの親父。ったく、どこで知ったか知らねえが、オレに声を掛けるなんて、いい目してるぜ)
 ギルドに頼めない仕事となれば、もぐりの盗賊の出番である。
(しっかし、分かっちゃいたが、静かな村だよな。やりにくくって仕方ないぜ)
 都会ならば足音も喧騒に紛れるし、夜に出歩いていたって不信がられることもない。しかしここは辺境の村。村人全員顔見知り、些細なことでも瞬く間に村中に知れ渡るような場所である。下手に人前に姿を晒すことも、探りを入れることすら危険だ。 故に昼前に到着してからずっと、この村外れの丘に潜伏して様子を窺っていたが、持ち主の神官というのはなかなか用心深く、卵をずっと妙な紐で背中にくくりつけて移動しており、盗む隙を見出せずにいた。そこで盗みの常套手段、夜陰に紛れて忍び込むという手を使わざるを得なかったのだ。
(ホントはこういうの、好きじゃないんだけどなあ)
 もともと掏りや置き引きで日銭を稼いできた身だ。空き巣狙いもやらない訳ではないが、得意な方ではない。しかし、これから手に入れられる金額を考えればこんな苦労、大したことではない。
(前金ももらっちまったことだしな。なんとか、やってやるさ!)
 『彼』は音を立てずに木の枝から地面に降り立った。一見どこにでもいそうな青年の姿をしているが、その鋭く隙のない目つきや身のこなしは、『彼』がただの青年ではないことを如実に語っている。
 辺りを見渡し、素早く居間の窓に近づく。内側から簡単な鍵がかかってはいたが、窓の隙間から板を差し込んで跳ね上げると、すぐに鍵は開いた。
 窓を開けて中へと滑り込む。その目的は、ただ一つ。 暖炉の真ん前に置かれた、大きな卵。


――ビィィィィィィィィィィィッ!!!――
「うわぁぁぁぁっぁぁぁ……っ!!」
「ななな、なんだぁっ?」
 突然聞こえてきた声に、ラウルは寝台から飛び上がりそうになった。 ちょうど寝付いたばかりだったから、一瞬夢か現実か分からなくなる。しかし、すぐに、
――ビィィィッ!!――
 と現実から聞こえてくる鳴き声に、何が起きたかを悟ったラウルは、寝巻きのまま寝台から飛び降りると、居間に通じる扉に走る。
(なんだなんだ!?)
 息せき切って居間に飛び込んだラウルの目に入ったものは、暖炉の前でピカピカと明滅し大きく揺れる卵と、それを見て腰を抜かしている一人の青年の姿だった。
「……誰だ、お前」
 その間抜けな姿に呆れながらラウルが尋ねる。しかし青年は腰が抜けた状態のままでずるずるとラウルに近寄ると、縋りつかんばかりに、
「お、おいっ! あれ、あれ何だよ? 光ってるぜ? しかもぐらぐら揺れるしよぉ……。オレ、何にもしてないのに」
 と泣きついてくる。
「何もしてなくて良かったな。ちょっとでも変なことしたら、呪われたかもしれないぜ?」
 冗談半分に、にやぁと笑って言ってやると、青年は見るからに青ざめてブルブルと震え出す。
「マ、ジ……?」
「ああ、何てったって不思議な卵なんだからな、そのくらい出来てもおかしくないだろ」
 脅しつつもさりげなく卵の前に移動し、後ろ手で卵をひっぱたいて大人しくさせるラウル。音は小さくなったものの、今までずっと不満げにびーびー鳴いていたのだ。寝起きの頭には辛すぎる。
「ど、どうしよう……。オレ、ちょっと触っただけなのに……」
 ラウルは肩をすくめた。
(またか……。ホントにこいつ、人見知りか?)
 ただ触られただけで、あれほどの大音量で泣き叫ぶというのは、本当に迷惑な話だ。
「本当か? 盗もうとして落としたとか、壊そうとしたとか、そういうんじゃないのか?」
「違うさ! 盗もうとしたのは確かだけど、壊しちゃ報酬が……あ」
 自分が何を口走ったのか気づいて、はっと口を閉じる青年。しかし、ラウルは意地の悪い笑みを浮かべて、
「報酬っつーことは、誰かに頼まれたんだな?」
 と問い詰める。青年はしまった、という顔でようやく立ち上がると、ばっとラウルから距離を取った。
「こ、今回は不覚を取ったけど、次は覚えてろっ!」
 言うが早いか、一目散に玄関に向かう青年。ラウルはその後姿を悠然と見送りながら、
「呪われてたら、死に際くらいは看取ってやるぞ〜」
 と親切に言ってやると、走り去った方角だけを頭に入れながら扉を閉じた。
(全く……)
 居間に戻ると、卵がぴかぴかと明滅している。頭の中には楽しげな、ぴぃぴぃという声が響いていた。ラウルが帰って来たことを喜んでいるのか、さらわれそうになった所を助けてもらって喜んでいるのかは分からないが、楽しそうな雰囲気だけは伝わってくる。
「お前、盗まれそうになったの分かったのか?」
――ぴぃぴぃぴぃ――
 否定とも肯定とも取れない声が返ってくる。
(しっかし……泥棒に入られるようになったとはな……)
 ぽりぽりと頭を掻きながら、逃げ帰った間抜けな泥棒の姿を思い出す。 銀髪に灰色の目。十代後半くらいの青年は、小柄で細い体をしていた。格好は普通の村人のようだったが、人の家に夜中忍び込んだ挙句、捨て台詞を残して逃げる普通の青年というのも妙な話だ。
(……次は覚えてろ、ねえ)
 随分と使い古された捨て台詞である。今時ごろつきでも使わないような陳腐な言葉だ。
(明日から出かけるっつーのに……。こりゃ、ちょっと対策を講じとく必要があるか)
 明日はエンリカに出かける日だ。それから十日以上小屋を留守にするとなると、ただ戸締りを厳重にするだけでは足りないかもしれない。まあ、あのこそ泥の狙いが卵なのは分かっている。明日以降盗みに入ったところで盗めるはずなどないが、相手はラウル達が明日から留守にすることなど知る由もない。
 となると、やることはただ一つ。
 いかに相手をからかうか、これに尽きる。
(久しぶりに腕が鳴るぜ)
 妙に嬉しそうなラウルに、卵がぴぃぴぃと同調するような鳴き声を響かせた。

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