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第四章[2]

 広場には、すでに村中の人間が詰め掛けていた。
 八の月十日の今日。空は鮮やかに晴れ渡り、爽やかな風が小麦畑を渡ってくる。
 もうすぐ、ルファス分神殿の鐘が昼の二刻を告げる。太陽は中天に差し掛かり、一日で一番光り輝く時刻だ。
 響き渡る鐘の音とともに、夏を告げる儀式は始まる。その時を、村人皆が固唾を飲んで待ち侘びていた。
 村の中央に位置する広場のそのまた中心には、人の目線ほどの高さに組まれた木の台が設置され、花や色とりどりの帯で飾り付けられている。小さな階段も備え付けられており、その横には華やかな衣装を纏ったエリナと、こちらはいつも通り神官服に身を包んだカイトと普段着のアイシャが待っていた。エリナは使者に儀式で使う花束を受け渡す係、カイトは万が一の時に備えて口上を教える係、そしてアイシャは精霊術を使って口上を拡声させる役目を担っている。
「ラウルさんの準備、終わりましたかね」
 こそこそとエリナに耳打ちするカイトに、エリナは少々緊張気味に、
「レオーナさんとトルテがついてるから大丈夫だと思いますけど……。ラウルさん、口上間違えないで言えるかしら……」
 と囁き返す。去年までの祖父の例があるだけに、どうしても心配が尽きないエリナに、カイトは苦笑交じりに、
「大丈夫ですよ。ラウルさんは優秀な神官様ですから」
 と答えておいた。優秀かどうかは少々疑問だが、その実力はかなりのもの、であるはずである。
 と、広場の片隅から小さな歓声が上がった。歓声は次第に広場中に広まっていき、集まった人々の視線が、道の向こうからゆっくりと歩いてくる人間に集まる。
「来たみたいですね」
 カイトの位置からでは、台と人込みに阻まれてラウル達の姿を見ることが出来ない。
「はいっ」
 花束をぎゅっと後ろ手に握り締め、エリナはなんとかして使者の姿を見ようと背を伸ばす。
 その視界に何とかラウルの姿を捉えた瞬間、エリナの瞳がまん丸に見開かれた。
「どうしました?」
 その様子に首を傾げるカイト。しかしその問いかけに答えずに、エリナはやってくる使者を見つめっぱなしでいる。
「?」
 訝しげに視線をそちらに向けたカイトも、一瞬言葉に詰まった。
 村人の歓声に迎えられ、すぐそこまでやってきていた使者は、二人の姿を見つけて小さく微笑んでみせる。
 白地に銀糸の縫い取りが施された細身の衣装。腰には剣帯を留め、儀式用の装飾の施された細剣が下げられている。金の止め具で肩に留められた深い青の肩布は、首の後ろで一本に括られた長い黒髪と共に、戯れるように風になびいていた。
 使者の衣装を纏ったラウルは、身のこなしも颯爽としており、カイトが小屋で見ている、口が悪くて面倒くさがりのラウルの姿からは想像も 出来ない変身ぶりだった。
「ラ、ラウルさん……」
 三人のそばまでやってきたラウルは、カイトの呟きに、何だと言わんばかりに小首を傾げる。
「よく化けた」
 アイシャの感想はひとまず無視をして、花束を手渡す段取りのエリナに視線を移し、これまた首を傾げた。
「エリナ?」
 小声で尋ねるラウルに、はっとエリナが目を瞬かせる。そして、頬をほんのりと赤く染めながら、ラウルに花束を差し出した。
 震えるエリナの手からそれらを受け取り、ラウルは颯爽とした足取りで階段を上がっていく。そして台の中央に立つと、集まった人々をぐるりと眺め回し、その時を待った。

 鐘が、鳴る。
 広場に面した鐘つき堂から、朗らかに鳴り響く鐘の音が、昼の二刻を高らかに宣言する。
 同時にアイシャが短く何事かを唱え、こちらに合図を送ってきた。
 ラウルは静かに息を吸い、ゆっくりと、しかし力強く、集まった人々へと語り始めた。

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