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第四章[7]

 気づいた時には、三人の男が目の前に迫っていた。
(この私が……ここまで接近に気づかないとは……)
 悔しげに唇をかむ。やはり、この体で遠出をするのは無理があったか。
 それでも、彼女は見たかったのだ。あの卵を守護する神官とやらを、この目でしかと。
 例えそれが、自らの敗北を象徴するかのような祭を見せつけられる羽目になるとしても。
「おやぁ? こんなところでどうしたのぉ? お嬢ちゃん」
 見るからに酒に飲まれているのが一人。あとの二人はそうでもないようだが、多少なりとも酒精の洗礼を受けているようだ。三人とも足元が少々おぼつかない。
 見上げる少女に、男達の顔がにんまりと、ひねくれた喜びの色に変わる。
「具合でも悪いのかい、お嬢ちゃん?」
「こんなところに一人で、どうかしたのかな〜?」
「どこの村の子だぁ? こんな別嬪さん、見たことないぜ」
「お前にかかりゃどんなブスも別嬪さんだろうが、この節操なしめ」
「なに言ってやがる」
 などと言って笑い合う三人に、少女は黙ったまま、固く唇を結んで彼らを見つめていた。
(愚劣な輩が……私に声をかけるなど……)
「胸が苦しいなら、俺がさすってやろうかぁ?」
 一人がにやりと笑って一歩近づいてくる。弾かれるように立ち上がって後ずさったが、すぐ後ろは立ち木に阻まれていた。 背中に木の幹が当たる。その瞬間、
「……やっ――」
 反射的に呪文を呟きかけて、激しい咳の発作に襲われる。体を折り曲げて激しく咳き込む少女に、男達は下卑た笑みを口元に浮かべた。
「あーあ、大丈夫かよ?」
「苦しいんだろ? さすってやるって」
 三人は少女を取り囲むようにして、にやにやと笑いながら距離を詰めていく。
「ほら、遠慮すんなよお嬢ちゃん」
 業を煮やしたのか、男の一人がぐいっと少女の白い手をぐっと引っ張る。
(くっ……!)
 少女の細腕を掴んだその瞬間、男の肩がぽんぽんと叩かれた。
「ん? なん――」
 振り返った瞬間、その頬に拳がめり込む。突然のことに体勢を崩し、少女から手が離れたところを、それを見計らったかのように膝の裏を思いっきり蹴り飛ばされた。 無様な格好で地面と熱烈な接吻をする羽目になった男は、その隙に少女と男達の間に割って入った人影を振り返る余裕もなかった。
「だ、誰だ!?」
 突然の出来事に驚く残り二人に、その人物はにやりと不敵な笑みを浮かべて、
「なあに、通りすがりのもんさ」
 と答える。その張りのある声に、少女がはっと顔を上げた。
(こやつは……!? 何故ここに……)
 格好こそ大分違うが、昼間、観衆の前で声高らかに祭の始まりを宣言した男。そして、少女達が追い求める竜の卵の守護者。
 黒髪を夜風になびかせた彼こそ、ラウル=エバスト神官に他ならなかった。
「て、てめぇ、よくも……」
 よろよろと起き上がる男。こちらは酔っているからか、はたまた夜闇のせいか、彼の正体に気づいていないようだった。
「具合の悪い女の子に手ぇ出そうなんて、みっともねえことすんなよ」
 背後に少女を庇いつつ、あくまで余裕の表情を浮かべるラウルに、三人はぐっと詰まる。
「な、何言ってんだよ。俺達は……」
「そうだ、別に、介抱してやろうと思っただけじゃないか」
 ふん、と鼻を鳴らすラウル。
「下心見え見えだな」
 なにぃ、と息巻く男達に、ラウルは凄みのある笑みを浮かべながら、構えを取る。
「……喧嘩売るってなら買ってやるぜ? その代わり、二目と見られない顔になっても恨むなよ。前に相手の骨を折っちまってから、多少は手加減するようにしてるんだけどな」
 その言葉がはったりでないことが伝わったのか、鼻白む男達。
「お、おい……行こうぜ」
「そうだな」
 じりじりと後ずさる三人。そして、くるっと背を向けると脱兎の如く逃げていく。
 三人の姿が見えなくなってから、ラウルはふう、と息を吐いて構えを解いた。
(ったく、根性なしめ)
「……あの……」
 後ろから小さく声があがる。振り返ると、ようやく咳の治まったらしい少女がラウルを見上げていた。
「大丈夫か?」
 心配そうな声に、少女は何故か一瞬体を震わせる。それを怯えと受け 取ったラウルは、慌てて少し後ろに下がると、他意のないことを証明するかのように笑顔を見せた。
「悪いな、少し前から見てたんだが、出て行く機会がなくって……」
「い、いえ……助けていただいて、ありがとう、ございます」
 そう言いながらも少女は、警戒の色を解いていない。
(この男が……ラウル、か)
 昼間とはまるで態度の違う彼に戸惑いを隠せない。昼間の彼はまるで穏やかで、凛々しくて、まさに神の御使いといった雰囲気だった。村人と言葉を交わす彼を物陰からそっと見ていた少女は、報告とも少々印象の違う彼の姿に目を丸くしたものだ。中央大陸から派遣されてきたかなりの切れ者という話だったが、今少女の前にいるラウルは、どうもそんな雰囲気ではない。酔っ払いを慣れた風にあしらった手腕や喧嘩慣れした様子、そしてこの乱暴な言葉遣い。
「具合が悪いのに、出歩いちゃ駄目だろうが。連れはいないのか?」
「その……連れとはぐれてしまって……」
 とっさに嘘をつく。目立つといけないので、ここへは彼女一人でやってきた。配下の者にはきつく、村には近づくなと命じてある。
「そうか、困ったな……とりあえず、これを羽織ってな」
 ばさり、と上着を脱いで、少女の肩に着せ掛ける。夜風が冷たいこの時刻に、薄着のままでは余計に具合が悪くなると思ったのだろう。ラウルの体温が残った上着は、冷え切った少女の体をじんわりと包み込んだ。
(……この者……私が影の者とも知らず……愚かなことよ)
 そう思いつつも、そのほのかな暖かみに何故か、心が安らぐ。 人の温かさとはこんなものだったかと、思い出させてくれる。
「駄目だぞ、いくら夏とはいえ、夜は冷えるんだからな。まして具合が悪いなら尚更だ。早く家に帰って、暖かくして寝ろよ」
 そう言い終わると、ちょっと考えてからすっと目を伏せ、少女へと手をかざす。
(なにっ……)
 咄嗟に身構える少女には気づかない様子で、ラウルは短い聖句を唱えた。
『闇の安らぎよ……』
 少女には馴染みのある闇の波動。しかしそれは少女の行使する力とはまるで違う、穏やかで、心に染み込んでいくような安らぎの力。
(……これほどに、違うものか……)
 改めて、自分とラウルの相違に気づかされる。同じ闇の神に仕える者でありながら、彼が与えるのは闇の安らぎ。対して少女が行使するのは、闇の恐怖。
「少しは楽になったか?」
 胸の辺りがすっと楽になり、咳が引いていく。青ざめた肌にも、ほのかに暖かみが戻ってきた。少女がこくん、と頷くのを見て、ラウルは安心したように息をつく。
「本当はちゃんと、医者かガイリア神殿で診てもらった方がいいんだけどな。今のはほんの気休めで、悪いところを治したわけじゃないからな」
 そんなことを言っているラウルを、少女は不思議なものを見るような目つきで見ていた。
(通りすがりのものに、惜しげもなく術を行使するとは……。先程の輩達を追い払った手腕といい、やはり、ただの神官ではないな)
 神官の起こす奇跡は、対価として術者の精神力を削る。術が高度になればなるほど消耗は激しくなる。だから神官と言えども、おいそれと術を行使することはない。まして見ず知らずの他人にかけてやるなど、人がいいにもほどがある。それとも、何か裏でもあるのか。
「ったく、それにしても、あんたみたいなかわいこちゃんが夜、一人でフラフラしてるのは危険だぜ? 田舎も都会も、男が狼なのは同じだろ?」
 そんな軽口を叩いて笑ってみせるラウル。そんな彼を、少女はただ、じっと見つめていた。
(ふ……面白い、男だな……)
 それが分かっただけでも、弱った体をおして来た甲斐があるというものか。
「連れがいそうな場所に心当たりはあるか?」
「ええ、大丈夫です」
「じゃあ、とりあえず入り口まで送るよ。歩けるか?」
 そう言ってごく自然に手を差し伸べてくるラウル。少女は一瞬ためらったが、その手を取った。冷たい少女の手を、ラウルはぎゅっと握る。
「冷たいな。やっぱり早く帰って、体を暖めて寝た方がいい。ったく、お前の連れってのは何を考えてやがるんだ、こんな調子の悪い人間を祭に連れ出す奴があるか」
 そう憤慨しながら、ラウルは少女の足取りに合わせてゆっくりと歩き始めた。少女は黙ってラウルに導かれるまま、村の入り口付近まで歩を進めていく。
(おかしな奴じゃ……それとも、表のユーク神官というのは、皆このような……?)
 そんな訳もあるまい。彼女の配下には、表向きはただのユーク神官として何食わぬ顔で神殿勤めをしている者もいる。そういった輩から聞く上では、大概のユーク神官というのは暗くて厳めしい墓守、という類がほとんどだと言う。
 それなのにこの青年は、乱暴な言葉の裏に、ぶっきらぼうな態度の後ろに、温かな優しさを持っている。それはまるで月明かり眩しい夜のような、静かで穏やかな闇に似て。
 それは、少女が手に入れられなかったもの。そして、狂おしいほどに渇望するもの。
(この者ならば……)
 かつて。六十年前に抱き、そしてあえなく砕け散った望みが、心の片隅から持ち上がってくる。しかし、少女はその考えを振り払った。
(そう簡単に、この魂が救われるものか)
 かつて対峙した若き闇の神官が、その命をかけて行使しようとした術。 その清廉な青い光に包まれた時、一瞬でも希望を持ってしまった。だからこそ、再び目が覚めてしまった時、今までよりなお深い絶望の淵に叩き落された。 暗い墓土の中で目覚めるあの恐怖と苦しみ。何度味わっても慣れることはない、あの悲しみ。 また、蘇ってしまった。まだ、死ねなかった。今度こそ、この呪われた運命から抜け出せたと思ったのに。
(希望こそ絶望の始まり。望まなければ、それ以上苦しむことはないというのに)
 絶望を彼女に与えた当の神官は、この村でのうのうと年を重ねている。『影の神殿』を打ち倒し、平和な世界を築いたと、自己満足の日々を送っているはずだ。 それは違う。影は滅びてなどいない。呪われた命と体を引きずり、暗い土の中から地上へと這い上がって、彼女はひたすら影の中で待ち続けたのだ。
 再び信者を集め、秘伝の書を捜し求め、冷たい闇に抱かれながら、今度こそ――。
「おい、大丈夫か?」
 はっと気づくと、ラウルの顔が近くにあった。
「また顔色悪いな。早いとこ連れを……」
 そう言いながら辺りを見回すラウル、どうやら、いつの間にか村の入り口付近までやってきていたらしい。
 連れなどいない。どうやってこの場を取り繕うかと頭の中で算段を始めたその折、ラウル達を見て、走り寄ってくる人影があった。
「お嬢さん、ここにいらしたのですか」
 少女の前までやってきて、心配そうに手を取る男。その顔を見て、少女は目を見開く。
(サイハ……)
「あれほど遠出してはならないと申し上げましたのに……」
「ごめんなさい、どうしても、お祭が見たくて」
 男の芝居に付き合ってそう答える少女。ラウルはというと、連れがいたことにほっと胸を撫で下ろしていたが、すぐに男に食って掛かった。
「おいあんた、この子の連れならもうちょっと気を配ってやれよ。こんなに具合が悪いのに外に出すなんて、悪化したらどうするんだ!?」
 ラウルの剣幕に男は一瞬目を丸くしていたが、すぐに申し訳なさそうな顔をして深々と頭を下げる。
「はい、仰る通りです。少し目を離した隙に姿が見えなくなったので、探していたのですが……さあお嬢さん、帰って休みましょう」
「ええ」
「いいか、しばらく安静にしてるんだぞ! 無理したら悪くなるばっかりなんだからな!」
「はい、色々とありがとうございます、神官様」
 少女はそう言って、連れの男と共に村を後にした。

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